◆ No.143: フランス風のやり方。 (2007.2.9) ◆
今日はリコーダーのレッスン。
雲をつかむような状態だったのが、前回、ちょっとわかりかけてきたような気がしてきたのだが、今日、また雲をつかむような状態になって帰ってくる。
どうも一筋縄では行かないようだ。
レッスンの帰り、「古楽の家」で注文していた楽譜を受け取ってきて、ついでにバスティーユのオペラ座でバレエのチケットを買ってきて、帰ってからはフルートの準備。
しかし、このスケジュールは、さすがに無理があるかもなぁ・・・
バカンス明けのスケジュールは、ちょっと考えないといけないかもしれない。
レッスンの行き。ちょっと好きな道。
こんどのバカンスに備えて(?)、帰りにパレエのチケットを買ってしまった!
こんどは「ドンキホーテ」。今回は少し安めの席。
フルートに関しては、フランスに留学して、勉強してきたいと思っていたことが、いろいろあった。その中のひとつに、フランスの演奏様式を勉強してきたい、というのも当然含まれていた。
しかし、いま、いわゆる「おしゃれなフランス風の演奏」なんてものは、日本人の空想の産物なのではないか、と疑っている。たとえば、「おしゃれな」とイメージされている、パリジャン、シャンソン、セーヌ川、街角のカフェ、の類のように・・・。
実際のレッスンでは、表現の内容については何も言われない。
「表現が足りない」とか「それはいいよ!」とかは言われるが、音楽表現の内容そのものについては干渉しない主義のようだ。(たとえ先生のやり方と違っていても。)
ましてや、フランス風の吹き方なんぞ教えてくれるわけもない。
パリの街を歩くと、いろいろな異国の文化に影響された建造物がある。
同様に、ファッションも、食文化も、エキゾチックなものを貪欲に取り入れている。
でも、たいていはフランス人にとって都合のよいように解釈してあるおかしなシロモノだ。
(ぼくは日本人なので、日本アイテムに関しては特にそういうふう思う。街にはなんだかよくわからない「ZEN」や「Sushi」や「Kimono」があふれている。)
日本人のように、他国の文化を忠実に再現しよう、とか、本場の人が見たらどう思うだろう、とか、そういうことはまったく考えていなさそう。
めずらしい外国文化を、保守的で退屈なフランス文化へのスパイスとして使っている、というかんじだろうか。
・・・でも、それでいいのだ、と思う。
日本人であるぼくは、日本人的に見ておもしろいと思うフランスの要素を持って帰ってきて、日本人の都合のよいように解釈して、それを堂々と臆面もなくやればいいわけだ。
フランス風のやり方をするということは、つまりはそういうことだと思う。
日本でかつて流行った、ナポリタン、ハヤシライス、ハンバーグに味噌汁、などの洋食文化は、(なにかと日本人にはバカにされがちだが、しかし、それは、)ある意味、とてもフランスっぽいやり方だ、文化の取り入れ方だ、とさえ思うのである。
パリのアクセサリー、インド風モチーフが多い。はやっているのか?
・・・しかし、よく見ると、日本の扇子みたいなものもあるし、店名の「TAKARAは、日本語で『宝物』という意味です」という解説を発見してしまったし、でも、ロゴマークはゾウだし、わけがわからない。
「Sushi」。パリのいたるところにある。どの店もサーモンとのり巻きばっかり。そして、どの店もなぜか中国人が店員。これで「Sushi」を名乗るかっ! ・・・でも、フランス人、うれしそうにぞろぞろ買っている。
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