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No.296: 後記3 (2007.8.1)

ばたばたと雑務におわれて3週間。
きょうは、11月のリサイタルのために、Yさんが名古屋に寄ってくれて、Mホールにピアノの選定と音響のチェックに行く。
Yさんと新幹線・名古屋駅で1ヶ月ぶりに再開して、最初はお互いちょっとかしこまった「日本人モード」だったのだけれども、スターバックスで軽くプログラムの相談をして、ホールでピアノの選定をしているうちに、また、おたがい歯に衣を着せず言いたい放題の「パリ・モード」に・・・。
まるで、またパリで話しているような感じで、やっぱ、こういうのは楽しいなぁ。
というか、なにか一緒にモノを作るときには、こういうかんじでやった方がいいものが作れると思うんだけれど、一般的には、日本では(名古屋では?)なかなかそういうわけにもいかなくて、いろいろ面倒なことが多いんだよなぁ・・・。

Mホールでの音響のチェックには、作曲家のTさんも来てくれて付き合ってくれたのだけれども(というのは、こういう全体的なバランス感覚については、ぼくは、演奏家よりも作曲家の耳の方を信用していて、それで、頼んでみたのだけれども)、彼が、適切なアドヴァイスをしてくれて、本当に助かった。

Tさんは、近々オランダに留学する予定で、Mホールを出た後に、少し留学の話をした。
彼が、「留学してみて、何が一番変わりましたか?」と、ぼくに聞いたのだけれども、これは、答えるのが難しくて、うまく答えられなかった。
ぼくのフルートを聴いた家族は、みな、「すごく変わった」と言ってくれているのだけれども、ぼく自身には、なにがどのように変わっているのか、はっきりとわからない。

「どういうことを教えてもらったのですか?」という質問あったのだけれど、これも難しくて、うまく答えられなかった。
日本で受けてきたレッスンとは性質が違うことは確かなのだけれども、どのように違うのか要約して話すのは難しい。
パリでは、なにか音楽的な価値観をひっくり返すような立ち入ったアドヴァイスは一切もらえなくて、日本人的感覚では、突き放したような、放任されているような第一印象を受けるレッスンだった。細部の、一見どうでもよいように思われるような細かいニュアンスを数箇所指摘されておしまい、というようなレッスンが多かった気がする。
ただ、しだいにわかってきたことは、その細部の数箇所は、曲全体の印象を変えてしまうような影響力を持っていて、細部の数箇所で音楽全体の流れを変えてしまうレッスンは、まるでマジックを見ているような気分だった。
Tさんが、「ツボをキュッ、キュッ、キュッと押さえるような感じなんですかね?」と言っていたけれども、たしかにそんな感じだと思う。
うまくいえないけれども、ひとことで言うとすると、着眼点と、その処理の仕方が違っているのだと思う。そして、その違いこそが音楽的な違いなのではないかと思う。

何年かしたら、そのあたり、頭の中の整理ができて、うまく説明できるようになるだろうか?



後日、パリ・エコールノルマル音楽院から
送られてきた、室内楽科の修了証。

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No.295: 後記2 (2007.7.27)

帰国してから2週間ちょっと。
いまだにまだ少し疲れが抜けきらない感じで、もうあんまり若くないせいかもね、いや、でも、急激に暑くなったせいもあるかもなぁ、などと思ったり。

11月17日のリサイタルは、「パリの音楽」などという、なんだかチャレンジャーなタイトルで、Mホール主催という形での公演が決まって、そのチラシは明日あたりに刷り上ってくる予定で、チケットは8月2日から発売。
もう、腹をくくってやるしかない、というかんじ。

帰国直後は、チェンバリストをゲストとして呼ぶ話やら、パリ管弦楽団のチェリストが来れるかもしれないという話やらが、浮かんだり沈んだりして、ばたばたしていたのだけれども、最終的には、渡仏前にお世話になっていた○さんのご助力を頂いたりして、なんだか面白いものが作れそうなメンバーになった。
ぼくのフルートと、パリでピアノを弾いてくださったYさんと、愛知県で活躍中の若手チェリストのNさんというメンバー。
これは、ぼくにとってかなり幸運なめぐり合わせだと思う。

それから、もうひとつ幸運な出来事があって、それは、パリで知り合ったフルートの×さんが、ちょうどいま一時帰国していて・・・じつは、×さんには、日本でレッスンして欲しいとパリで頼んでいたのだけれど、本当に何回か見てもらえることになった。
これも、ぼくにとってはかなり幸運なことで、パリで学びたかったけれども時間の制約で学びきれなかったことを学べる、最後のチャンスかもしれない。
そんなわけで、明日は、新幹線で×さん宅にレッスンに出かける予定。

それから、来週は、ピアノのYさん(先週帰国)と、Mホールで打ち合わせの予定。



このチラシの写真は、音楽院でF君に撮影してもらったもの。
ちなみに裏面は、ぼくが好きなマリ橋の上の写真を入れた。

* * *

― 翌日(7/28) ―


昼、Mホールに有田さんの演奏会を聴きに行った。


夕方。名古屋駅ホーム。


レッスンに向かう車内で。
有田さんの演奏会のプログラムに、さっそくチラシが挟み込まれていた。

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No294: 後記1 (2007.7.18)

日本に帰国して、あわただしく1週間が過ぎました。
日本に帰っての第一印象は、水がうまいです。米がうまいです。
そして、暑いです。

いま、パリでの生活を思い出してみると、長いのか短いのかよくわからない夢を見ていたような気分です。
あれは、本当にあった出来事かどうかさえあやふやな不思議な気分になってくるのですけれど、先生の書き込みがある楽譜を見たり、フルートやリコーダーを吹くとパリで勉強した痕跡が残っていたりして、それで、ああ、やっぱりあれは夢ではなくて本当にあった事なんだな、と思うようなかんじです。
たぶん、きょうも、いつものパン屋さんはいつものパンを店頭に並べているのだと思います。タバの奥さんとご主人は、タバコやロトくじをいそがしく売っているのだと思います。チーズ屋さんは、あいかわらず愉快な冗談を言いながらチーズを切っているのだと思います。サンルイ橋の上では、いつものおじさんがいつのも曲をアコーディオンで弾いているのだと思います。
そんな毎日のあたりまえの光景が、もう、はるか遠くの国の出来事のようです。

この滞在日記は、毎日書くつもりで書き始めたわけではないし、毎日写真を撮るつもりもなかったのですが、気がつくと、滞在期間中、毎日書いて、撮っていました。
なぜ、毎日日記を書いたり、写真を撮ったりしていたのか、自分でもよくわかりません。
いまから見返してみると、この滞在日記や写真でさえも、本当に自分が書いて撮ったのかさえあやふやな、不思議な夢の痕跡のようです。

この1週間で、パリからの荷物が、すべて無事に日本に着きました。
荷物は、捨てるに忍びないものを捨てて、本当に大事なものだけを持って帰ってきたのですが、パリではあんなに大切にだったものが、日本で見てみると案外つまらないものだったりしました。
パリでけっきょく買えなかったフランス人形も、あれは買えなくてよかったのだと思います。彼女も、きっと日本へつれて帰ったとたんに、薄汚れたつまらない人形になってしまってしまうことでしょう。

帰国後は、翌日からすぐに、11月17日に名古屋で開催するリサイタルの準備に追われています。昨日、演奏会のチラシの入稿日だったのですが、1日伸ばしてもらって、今日中にメールでデータを入稿させてもらうことにしてもらいました。
たぶん、この調子では、今年もあわただしくばたばたしているうちに、あっという間に年末と正月を迎えるのではないかと思います。



コリッシモ


ダマーズの譜面。「急がない!チェロのことを考えて。」

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