◆ No.269: 夜更かし (2007.6.16) ◆
きょうは、ぼくが練習しているあいだにF君はピカソ美術館に行っていて、その後、F君が美術関係のTさんと会う約束をしていたので、ついていった。
帰宅後、F君が晩飯を作ってくれた。
晩飯の後は、F君と、しょうもない話から芸術論まで、なんだかんだと学生時代のように語り明かしてしうまった。
F君が、中学生時代のぼくの話をしていて、それがカルチャーショック的におもしろい話だったのだけど・・・
つまり、F君が言うには、学校のクラスの中には、たとえば「仲良し何人組」のようなグループの輪があって、そのグループには、クラスのあこがれであるような優等生同士の輪であるとか、お互いに傷口をなめあっているような劣等生同士の輪であるとか、暗黙のランク付けがあるという話だった。
そして、どこのグループにも入れないヤツというのはクラスから孤立してしまって、孤独で、不安で、強い劣等感を持つのが普通で、彼も1度そういう経験があるという。
ところが、彼が言うには、ぼくはどこのグループにも属していなくて、入ろうという意志さえもまったくなくて、それにもかかわず、ある意味ではクラスの人気者の頂点であったとも言えるし、ある意味ではとても浮いていたとも言えるし、特別な存在だったと言っていた。
そして、彼は、そういうことができてしまうぼくのことを、うらやましいと思っていたらしい。
そして、日本の社会の中では、大人になっても、集団や組織の中にでは、そういう「仲良し何人組」のようなものは常に存在していて、それはとても日本人的な感覚だと言っていた。
ぼく自身は、そういうグループの輪のことだとか、グループのランクの優劣だとか、そういうことを考えたことがなくて、しかも、その話を聞いて、いままで、思わぬ人に、別に自慢にもならないようなつまらないことに嫉妬されたり、ささいなつまらないことで足を引っ張られたり、そういうもろもろの理解不能だった細かいできことの謎が次々に解けてきて、「そうだったのかー!」と、しきりに感心していたら、「その年になるまで気がつかないなんて幸せだよー!」(←おめでたいという意味も含まれている)と笑われて、「でも、ぶんげんはそんなつまらないことにかかわらずに、そのまま生涯をまっとうするべきだよ」とか、「ぶんげん、日本人じゃなくてフランス人だよー」とか言われて、これはなんとも面白い話だった。
美術関係のTさん宅の近くにあったちいさなパサージュ。
きょうは、F君が晩飯を作ってくれた。
焼きそばのような食感のある、炒めたパスタで、うまかった。
だれかに作ってもらったうまい飯は、本当にうまい。
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