2002年1月の読書日記 08〜10日 江國香織「冷静と情熱のあいだ」 10〜15日 辻仁成「冷静と情熱のあいだ」 15〜16日 吉本ばなな「うたかた/サンクチュアリ」 16〜17日 吉本ばなな「TUGUMI」 21日 村上春樹「TVピープル」 22〜23日 吉本ばなな「キッチン」 23〜25日 辻仁成「アンチノイズ」 25〜28日 辻仁成「海峡の光」 28〜29日 高桜方子「時計坂の家」 29日〜 梨木香歩「からくりからくさ」 02年01月31日 木曜日 梨木香歩「からくりからくさ」新潮文庫pp.186-243 神崎は嫌いだけど、抜き出しておいてやるか(笑) p.198 「あの龍はさ、続いていた流れが変わることの象徴なんじゃないかなあ。今まで自然に受け継がれてきたものを意志して変えるときが一番しんどいんだ。織物でいえば意図の絡みも複雑になって、一番危ない場所でもあるんだ。それをやりおおせるための、まじないみたいな意味があるんじゃないかなあ」 p.200「流れが変わることの記号か、流れを変えることの記号か」 p.210 「……そうだ、りかさんは、『流れをただ見つめていたら、そのうち流されているものも落ち着くところに落ち着くわ。橋の上で見ていても、流れているものは、あっというまに見えなくなるから、それといっしょに流れていくのよ、そして目を開けて、それが沈まないように、手を放さないでいて。落ち着くまで』っていうだろう」 02年01月30日 水曜日 梨木香歩「からくりからくさ」新潮文庫pp.87-185 さて、今日も気に入った箇所・気になった箇所を(備忘録をかねて)抜き出しておくことにします。 p.88 「……繊維って、まん中が真空なんだ。まん中が真空だからこそ染まりもする。りかさんがいるところは、この空なんだ。この家の、この家族のまん中の空におばあさんといっしょにいるんだ」 p.95 「女たちは機を織る。 反物という一つの作品に並行して、彼女たちは自分の思いのたけも織り上げていったのです。 古今東西、機の織り手がほとんど女だというのには、それが適正であった以前に、女にはそういう営みが必要だったからなのではないでしょうか。誰にも言えない、口に出していったら、世界を破滅させてしまうような、マグマのような思いを、とんとんからり、となだめなだめ、静かな日常に紡いでいくような、そういう営みが」 p.106 「そのものの、本質から照射される色ってどんなんだろう」 「そのものの色ってほんとは何なんだろう。逆に媒染次第で変わる色って何なんだろう」 p.111 「まるでリバーシブルの織物ですね」 「亡くなった先祖の流れが縦糸で、現在の人間関係が緯糸、その裏にはしっかり模様が入っている」 p.143 「私はそこの土地で採れる作物のような、そこの土から湧いてきたような織物が好きなの。取り立てて、作り手が自分を主張することのない、その土地の紬ってことでくくられてしまう、でも、見る人が見れば、ああ、これはだれだれの作品、っていうようにわかってしまう、出そうとしなくても、どうしても出てしまう個性、みたいなのが好きなの。自分を、はなっから念頭にいれず、それでもどうしてもこぼれ落ちる、個性のようなものが、私には尊い」 p.145 「けれど、存在するために、どうしても表現ということが必要な人たちだっているんだわ」 p.145 「そういう人たちが自己表現をして生きていくことを、私は否定しない。ただ、平凡な、例えば植物の蔓の連続模様が、世界中でいろんなパターンに落ち着きながら無名の女性たちに営々と染められ続けたりするのをみると、ときどき、個人を越えた普遍性とか、永遠のようなものを、彼女らは自分では気づかずに目指してたんじゃないかと思うのよ」 自己表現と、出そうとなくても出てしまう個性、か。この対比関係はこの後にも適用できるのかな? ひょっとしたらそのつもりで書いてる可能性はあり。読み終えた後に考える点として覚えておこう。 p.181 「伏線はいくらでも張られているが、それがわかるのは思い出になってからだ」 こういう風にふっと挿入されてる文が好き。 02年01月29日 火曜日 高桜方子「時計坂の家」リブリオ出版pp.136-339 梨木香歩「からくりからくさ」新潮文庫pp.1-86 「時計坂の家」読了。とりあえず一気に読めた。おもしろかった、とは思う。だけど、すっごく気に入ったかといえば、うーーん・・・。読み終わった後、ストンと落ちてくるものがなかったような気がして少し物足りないかな?・・・。とりあえず評価は保留しときます。 で、次は「からくりからくさ」。去年の5月に初めて読んで以来、これで通算4度目。文庫で読むのは初めてだけど。今回は最初からまとめるつもりで読んでます。「裏庭」は前読んだときにとりあえず自分なりにまとめたけど、「からくりからくさ」はまだまとめきれてないし。それに、でくさんと共同で新たな梨木香歩コーナーを作ろうという企みも進行中なので、それの下準備も兼ねてます。こちらの方は、まだ当分先の話なので、気長にお待ちください。 じゃ、行きますか。 本を開いた瞬間、懐かしい旧友に再会した気分が広がる。また蓉子や紀久に会えた、って。 まず今日読んだ箇所で気になったのは、「りかさんはなぜ話さなくなったのか?」だね。これから読み進めながら、考えていかなきゃ。 p.35 「祖母という実体がいなくなっても、祖母の家は祖母の気配を忘れていない。むしろ実体がなくなった分、ますますその性格を色濃く所持していくようだった。 祖母の本性は、今そこにある何かを『育もう』とすることにあった。草木でも、人形の中に眠る、『気』でも。伸びていこうとする芽の力を、知らずそこから紡ぎ出そうとする。 その温かで前向きなエネルギーがこの家にはまだ満ちているような気がして、蓉子は祖母を喪ったという気が実感として湧かないのだった。」 p.46 「命は旅をしている。私たちの体は、たまたま命が宿をとった『お旅所』だ。」 p.52 「大体蓉子は人を見てまずその気配から何かをメッセージとして受け取るタイプだ。それが特異なことで、りかさんと長いこと一緒に暮らしてきた結果だとは本人は気づいていない」 p.70(ここは前回読んだときにポイントだと思った箇所) 「『そうね、人は何かを探すために生まれてきたのかも。そう考えたら、死ぬまでにその捜し物を見つけ出したいわね』 でも、本当にそうだろうか。それなら死ぬまでに捜し物が見つからなかった人々はどうなるのだろう。例えば、祖母の捜し物は何で、祖母はそれを捜し当てたのだろうか。」 とりあえず、今日抜き出すのはこれだけ。 にしても、この作品って、見出しも小見出しもいっさいないんだよね。時間的に話が飛ぶときは、空白行を入れて話しの切れ目を作ってるんだけど。章ごと、節ごとに何を書いてあるかまとめて、全部まとめ終わった後に、もう一度大きな目でまとめなおすっていう僕のやり方からするとちょっとやりにくい相手かも(笑)。 でも、この見出しなしで淡々と流れてるのが、この作品の味わい深いところ。淡々と流れてるように見えて、いつのまにかしっかり話は進んでる。織物のリズムってこんな感じなのかなあ。 02年01月28日 月曜日 辻仁成「海峡の光」新潮文庫pp.47-167 高桜方子「時計坂の家」リブリオ出版pp.1-136 「海峡の光」読了。うーん、これはどう言っていいのか難しい・・・。僕には少し馴染みにくいタイプの作品だな。解説は江國香織。その中にこんな一節がある。 p.165「二人の男の抱える闇を描きながら、作者はそれを解き明かそうとはしないし、何らかの解決を与えようともしない。闇は闇のまま、ただ横たわっている。不条理そのもののかたちで」 ・・・まあ、確かに言われてみれば、そうなんだ。こういう面から見ると、こんな作品もありなのかなあ、とは思うんだけど・・・。ちょっとなじみにくい。 で、次は、でくさんオススメの「時計坂の家」。今日は話に入ったところで時間切れ。明日、一気に行っちゃうだろうな。 02年01月25日 金曜日 辻仁成「アンチノイズ」新潮文庫pp.22-231 「海峡の光」新潮文庫pp.1-46 「アンチノイズ」読了。ちょっと陰鬱な話だけど、読むのは苦痛じゃなかった。「音の地図」ってのは確かにおもしろい発想。でも、それに対する主人公が一筋縄じゃないもんな。 p.150 「珍しく雲がなく、沢山の星が見えた。その星のどれかに、自分にそっくりな宇宙人が、やはり落ち込んでこちらを見上げているような気がして仕方なかった。『応答願イマス』 ぼくは口の中でそう呟いてみた。」 で、次は「海峡の光」。とりあえず辻作品を続けてみよう。 02年01月23日 水曜日 吉本ばなな「キッチン」角川文庫pp.81-200 辻仁成「アンチノイズ」新潮文庫pp.1-21 「キッチン」読了。うーん、悪くはないんだけど、僕的には「TUGUMI」の方が好みかなーって感じ。ちょっと自分の感覚とずれる部分があった、というかなんというか。 で、次は、辻仁成「アンチノイズ」。辻を読むなら「アンチノイズ」がオススメと、しろさんに教えてもらったので。まあまだ出だし。これからやね。 02年01月22日 火曜日 吉本ばなな「キッチン」角川文庫pp.1-80 今日から、「キッチン」。とりあえず、これは読んでおかないとな、と思って。 まだ読み始めだから特に何も言えないな。 02年01月21日 月曜日 村上春樹「TVピープル」文春文庫pp.1-210 村上春樹のまだ読んでない短編集を見つけたので、読んでみた。雰囲気としては「ねじまき鳥」に近い作品が多かったような気がする。「加納クレタ」なんて、まんまな作品も収録されてる。何か不可解で、恐ろしいもの、そういうのがテーマでしょう。一番、おもしろかったのは「眠り」かな。 p.201「その『文句のつけようのなさ』の中には、何かしら想像力の介在を許さないような、妙にこわばったところがあった」 02年01月17日 木曜日 吉本ばなな「TUGUMI」中公文庫pp.45-245 「TUGUMI」読了。つぐみちゃん最高やね。掲示板で女性陣が、「吉本ばななは男の人は読みにくいかも」というので意見一致してたけど、僕は全然読みにくくなかったんですけど? まあ、僕は男らしくないし、サンプルから除外ということにしといてもいいけど、さ。・・・ということで、ここでまたつぐみ派が一人増えましたとさ。 02年01月16日 水曜日 吉本ばなな「うたかた/サンクチュアリ」角川文庫pp.51-168 「TUGUMI」中公文庫pp.1-44 「うたかた/サンクチュアリ」読了。確かによかったよ、これ。「うたかた」も「サンクチュアリ」も。このHP開設してから、いろんな人のいろんな作品をすすめてもらえて、ほんとにラッキー。で、この本を読み終わって、「吉本ばななもオッケーだな」と思って、あとがき読んだら・・・。「何回読んでみても、とても自分が考えた話とは思えず、首をかしげる私です」だってよ。ということで、吉本ばななが合うかどうかは、とりあえず「TUGUMI」を読み終えるまで保留。ほぼ大丈夫だと思うが。 02年01月15日 火曜日 辻仁成「冷静と情熱のあいだ」角川文庫pp.43-262 吉本ばなな「うたかた/サンクチュアリ」角川文庫pp.1-50 辻「冷静と情熱のあいだ」読了。うーん、江國版よりはこっちの方が好きかも。辻作品を読むのは初めてだったけど(江國版から続いて読んだということもあって?)、初めて読む作家というような気はしなかった。確かに、また機会があったら、他の辻作品を読んでみてもいいかもしれない、と思った。 で、この本の読み方はどうすべきなのか? でくさんは途中から交互に読んだみたいだけど。僕みたいに別々に読むのもありだとは思う。でも、順番としては、江國→辻かな。たぶん。 こういう2人の共作って難しくてうまくいかないものだと思ってたけど、案外うまく行ってると思った。これは素直にすごいと思う。←こういうことってほんとに難しいものだから。(共同研究を一度でもやれば痛感する)。 で、次は掲示板ですすめてもらった吉本ばなな。この人の本を読むのも初めて。まず「うたかた」。50ページほどだけど、もう話には入れたと思う。 02年01月10日 木曜日 江國香織「冷静と情熱のあいだ」角川文庫pp.194-275 辻仁成「冷静と情熱のあいだ」角川文庫pp.1-42 江國「冷静と情熱のあいだ」読了。うーん、悪くはなかったけど、そんなに好きというわけにはいかぬな。で、次は当然、辻「冷静と情熱のあいだ」。 02年01月09日 水曜日 江國香織「冷静と情熱のあいだ」角川文庫pp.103-193 うん、今日読んだ部分の後半頃から、ようやく話に入れてきた。これなら明日は一気にいけそう。 ささいなことだけど、所々、英語orイタリア語(?)と日本語が併記される箇所あるよね。例えば「すばらしかった」の横に「Fabulous」と記しているように。こういう本って、たまに見るんだけど(遠藤作品にもあったと思う)、どういう意図があるんだろう? 前から疑問なんだけど、よくわからん。 02年01月08日 火曜日 江國香織「冷静と情熱のあいだ」角川文庫pp.1-102 ようやく今年最初の読書。選んだのは、昨年末から続く江國香織。にしても、1週間以上もまったく読書してなかったのね・・・。字はいっぱい読んでた(or読まされてたけど)。 で、「冷静と情熱のあいだ」。この本は実はあまり読みたくなかったんだけど、そろそろ江國香織も他に読んでないものがなくなってきたので、読むことにした。100ページほど読んだけど、まだ、話に入れてない。僕の苦手なタイプの本なのか、それとも久しぶりの読書で本を読む態勢に僕がなってないだけなのか? ま、もうちょっと読んだらはっきりするでしょう。読みながら、何かを確認したがっている自分を発見した。やれやれ。 02年01月04日 金曜日 今年に入ってから、まだまともに読書してません。毎年、この時期が1年で一番忙しい時期なので。 最近、読書日記にあまり時間をかけてないような気が自分でもしていますが^^;今年もよろしくお願いします。 本棚トップページへ |