2001年10月の読書日記


  〜02日 梨木香歩「からくりからくさ」
03〜19日 スタインベック「怒りの葡萄」
20〜25日 フィツジェラルド「グレート・ギャツビー」
26〜29日 江國香織「なつのひかり」
29日〜   ゴルデル「カードミステリー」



2001年10月31日 水曜日 ゴルデル「カードミステリー」徳間書店pp.101-179

まず、でくのぼうさんが掲示板で抜き出してた箇所(掲示板からカット&ペースト^^;)。
p.140
「おれは、たった一本の偶然の鎖のことを話してるんだよ。その鎖は、最初の生命の細胞が二つに分かれたときから始まり、今日の地球上で生きるものとつながっている。おれの鎖が、三、四十億年の間、一度も切れないでいる確率は、考えられないほど少ないんだ。〜おれは、ごくごくまれなチャンスを与えられたんだ。おかげで、おれは、夢のような幸せを感じてるよ。〜この地球を這いまわっているどんな小さなものも、みんな幸せなんだと思うよ」
「じゃあ、不幸なものは?」とぼくが聞いた。
「いないんだよ」お父さんはほえるように言った。「不幸なものは生まれてないから。生命というのは、巨大な宝くじの『当たり』なんだよ」

確かに、ぐいっとふわーっとくる名場面。ふっと肩の力が抜けて、じわーっと幸せになる。
・・・にしても、気に入る箇所は本当によく似てるなあ(今更ながら)。

p.169
人間は宇宙探検をしたり核融合を利用するほど頭がいいのに、自分自身のことがわかってないなんてなんだかおかしい、とぼくが言った。するとお父さんはとておすごいことを言う。
「人間の頭脳が、人間にわかるほど単純だったら、何もわかるはずがない」

この言葉すっごく気に入ったんですけど。



2001年10月30日 火曜日 ゴルデル「カードミステリー」徳間書店pp.37-100

まず、ぼちぼちと。本の中に本が出てくる、というのは「はてしない物語」と一緒だな。とりあえず先が気になる。明日あたり、一気にいけそうな気もする。



2001年10月29日 月曜日 江國香織「なつのひかり」集英社文庫pp.208-333
                  ゴルデル「カードミステリー」徳間書店pp.1-36

「なつのひかり」読了。おもしろかった。話のテーマはよくわからないけど。過去の意味・・・かな? またそのうち、落ち着いて読み直してみよう。解読はそれからだ。この作品が楽しかったのは確か。

p.224「未来はどうすることもできないけれど、いつだって今はまだ今年なのだ」

そして、読み終わったのと同じ日に、注文していた「カードミステリー」が届く。グッドタイミング!



2001年10月27日 土曜日 江國香織「なつのひかり」集英社文庫pp.47-207

むぅ。これは、おもしろい! 電車の中で何度吹き出したことか。思わず額に手を当てて、「おいおい、もう勘弁してよ」と呟く、そんな感じだ(←感じだけじゃなくて、実際、電車の中でやってた)。

今日のいちおしは、これ↓。…やどかりナポレオン君の着替えシーンも捨てがたいが。
p.183「夕べ、泊めていただいているお宅の屋根が壊れて雨もりがするというので、お世話になっているお礼にと思い、屋根にのぼって一晩じゅう、傘をさしてすわっていました」

・・・おい、、、おい。



2001年10月26日 金曜日 江國香織「なつのひかり」集英社文庫pp.1-46

今日から、でくのぼう様ご推奨の「なつのひかり」です。
・・・確かに、これいいかも。作品全体になんとも言えない微笑みが漂ってる感じ。思わず笑っちゃう箇所も随所にある。

例えば、p.23
「遙子さんは車の運転ができない。それで、夜中の外出はもっぱらタクシーなのだが、この前うちに遊びにきたときは、兄がタクシー代わりに運転をしてきた。遙子さんは5時間ちかくうちにいて、お茶を飲み、テレビをみてバター・トーストを食べ、明け方になって帰っていった。その間、兄はずっと車の中で待っていたのだた、あとからきいた。あの日は運転手だったのだから仕方がない、と兄は澄ました顔をしていたが、ともかく、はかり知れない夫婦である。」

・・・たしかに、はかり知れない夫婦である。なんだかずっとこんな感じ。読んでてかなり楽しい。



01年10月25日 木曜日 フィツジェラルド「グレート・ギャツビー」新潮文庫pp.167-262

「グレート・ギャツビー」読了。なーんか、さびしい話だった。
最後の一文はすごく好きだけど。
p.253「こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく」

うーん、もう1回読むかと聞かれたら、今のところ、答えはNOだな。



01年10月24日 水曜日 フィツジェラルド「グレート・ギャツビー」新潮文庫pp.103-166

なんとなく、かるーく読み流してしまう。今のところ、おもしろい、と思えるところはナシ。訳は間違いなくうまい。翻訳にありがちな堅さは全然ないから。



01年10月23日 火曜日 フィツジェラルド「グレート・ギャツビー」新潮文庫pp.75-102

今のところ、ギャツビーという謎の人物が、どういう人物なんだろう、という興味で引っ張られながら、読み進んでいる。



2001年10月22日 月曜日 フィツジェラルド「グレート・ギャツビー」新潮文庫pp.28-74

まだ、どういう種類の話なのか見当がつかない状態。今のところ、わけわからん。



2001年10月20日 土曜日 フィツジェラルド「グレート・ギャツビー」新潮文庫pp.1-27

今日から「グレートギャツビー」。確かこの作品は村上春樹が何度も取り上げてて(不確かな記憶)、前から気になっていた。今日は少しだけなんだけど、海外文学にしては馴染みやすい雰囲気のような気がする。透明感がある、っていう感じ。訳もうまいんだろうな。



2001年10月19日 金曜日 スタインベック「怒りの葡萄(下)」新潮文庫pp.309-448

「怒りの葡萄」読了。何かが起こりそうで、何も起こらなかった。だけど確実に何かは起こった。そんな感じ。読み終わったとき、震えがきた。これは間違いない。



2001年10月18日 木曜日 スタインベック「怒りの葡萄(下)」新潮文庫pp.220-308

人が簡単に死んでいく。本当にあんなにあっさり死んじゃったの?>ケーシー。

p.293「とにかく誰でも自分のやれることをやっていくだ。そして、ただ、いつも、ほんのすこしでもいいから前に踏みだすってのが大切なんだ。ときにゃ、いくらかあとずさりもするだ。だけど、けっして大きくは後退しねえ。それは証明できる。だから、すべてのことがその方向に進むんだ。ということは、一見するとむだ足してるようなときでも、そうじゃなくて進んでることなんだ」

これ、良い言葉だよね?



2001年10月17日 水曜日 スタインベック「怒りの葡萄(下)」新潮文庫pp.63-219

今日はよく進んだね〜。話の展開がかなり気になってきて、ぐいぐい引き込まれる。おもしろいと思うよ。世の中は不条理だ。理不尽だ。やっぱなんか間違ってる>資本主義社会?って感じ。1930年代に書かれた本としては出色の洞察力と見識が込められていると思う。



2001年10月16日 火曜日 スタインベック「怒りの葡萄(下)」新潮文庫pp.1-62

「ひ、ひどい・・・」と思わず絶句してしまうような、絶望的な状況におかれている移住者たち。うーん、この状況からどうなるんだろう?

p.61「ジョン、誰にもいうじゃねえだよ。神さまにだけ話すだ。おまえさんの罪を他の人たちの重荷にしてはいけねえだ。」
p.62「ひとに話せば胸が軽くなるだが、それじゃ罪を外へひろめるだけのことだでな。」
・・・むうぅ。



2001年10月15日 月曜日 スタインベック「怒りの葡萄(上)」新潮文庫pp.318-468

上巻読了。始めは危険な男の匂いがぷんぷんしていた主人公のトムが、話が進むにつれ頼りがいのある男だとわかってくる。粗野に見えて実は繊細で賢い、そんなタイプだ。
上巻を読み終えて、この本のテーマはだいぶはっきりしてきた。「社会の成り立ちとは?」だ。古典的なテーマだけど、素朴な視点から描かれていて、考えさせられる。
あと、この作品でしばしば挿入される、主人公の登場しない背景説明。これが味がある。普通こういう部分は、読むのがなかなかつらい部分ということが多いんだけど、主人公一家とは別に一般の人々を登場させてうまく描ききっている。



2001年10月11日 木曜日 スタインベック「怒りの葡萄(上)」新潮文庫pp.247-317

この作品って、かなり深刻な状況を描きながら、淡々と話が流れていく。この淡々としたトーンはなかなか良い味を出している。それと、海外文学を読むたびに思うことだけど、なんかしっくり感は日本文学に比べると劣るよね、やっぱ。でも、日本文学にはないパワーを感じるのも海外文学ならでは。



2001年10月10日 水曜日 スタインベック「怒りの葡萄(上)」新潮文庫pp.173-246

今日も順調に。この本読み始めてから、1日で読んだページ数は今日が一番多いんじゃないかな。話がだいぶ佳境に入ってきたし。ちなみに今日は、ついに住み慣れた土地を捨てて、新天地を求めて移動を開始した、というシーン。



2001年10月9日 火曜日 スタインベック「怒りの葡萄(上)」新潮文庫pp.115-172

おもしろくなってきた、なってきた。

p.134「一団の雄犬どもが、一匹の雌犬に敬意を表して、道で委員会を開いていた」
……なんということもないけど、なんだか気に入った表現。



2001年10月6日 土曜日 スタインベック「怒りの葡萄(上)」新潮文庫pp.83-114

今後の話の展開が気になってきた。そろそろ本格的に話に乗ってきたようだ。監獄上がりの主人公(?)に、説教師をやめた説教師、とかなり特徴的な登場人物。うん、いいんじゃない。物語としては。

今日、読んでた箇所で何カ所か既読感をもったところがあった。ここまで読むのは初めてのはずなんだけど・・・。ま、いっか。



2001年10月5日 金曜日 スタインベック「怒りの葡萄(上)」新潮文庫pp.61-82

今日もそこそこ。ってこのペースだと特に挙げることないんだよね。
・・・某所より「しっかり書け」という厳しいご要望が飛んできてるみたいだけど、書けないものはしかたなし。ご期待に添えず申し訳ないけど、こんなもんなんだよ。僕は(いじいじ)



2001年10月4日 木曜日 スタインベック「怒りの葡萄(上)」新潮文庫pp.27-60

少しずつ話に乗ってきたかな。でもまだ相手の様子を窺っているような状態。まだまだこれからだ。



2001年10月3日 水曜日 スタインベック「怒りの葡萄(上)」新潮文庫pp.1-26

今日から「怒りの葡萄」。
この本はこれまで何度も読もうとしながらも、10ページも読まないうちに挫折していた。
だって、最初の風景描写が長いんだもん……。でも、今回はその部分を乗り越えたぞ。
まあ、まだほとんど読んでないので、何とも言えないけど、今回は最後まで読み終えられそうな気がする。



2001年10月2日 火曜日 梨木香歩「からくりからくさ」新潮社pp.297-380

「からくりからくさ」読了。今日は本を味わえるような状態ではなかったけど、なんとか読み終わった。

p.337
 生き物のすることは、変容すること、それしかないのです。
 それしか許されず、おそらくまっすぐにそれを望むしか、他に、道はないのです。だって、生まれたときから、すべてこの変容に向けて体内の全てがプログラミングされているのだもの。
 迷いのない、一心不乱な、だからこそ淡々としたその一連の営みは、わたしの出会った、何人かの織り子たちに感じたものと同じでした。個を越えた何か、普遍的な何かと交歓しているような……
 幼虫の姿ではもう生きていけない。追い詰められて、切羽詰まって、もう後には変容することしか残されていない。

p.339
伝えること 伝えること 伝えること
大きな失敗小さな成功 挑戦や企て
生きて生活していればそれだけで何かが伝わっていく

p.339
 私はいつか、人は何かを探すために生きるんだといいましたね。でも、本当はそうじゃなかった。
 人はきっと、日常を生き抜くために生まれるのです。
 そしてそのことを伝えるために。

p.350
「本当に苦しいのは、変わる瞬間。根っこごと掘り起こすような作業をしないといけない。
かといってその根っこを捨ててしまうわけにはいかない。根無し草になってしまう。前からの流れの中で、変わらないといけないから」
「唐草の概念はただひとつ、連続することです」

p.358
様々な色が皆内側から発光しているようだった。

p.369
「鳥や花、獣までその蔓の中に抱き込みながら伸びていく蔦唐草のツタ、伝えるのツタ。断ち切れないわずらわしさごと永遠に伸びていこうとするエネルギー。それは彼らの願いや祈りや思いそのものだったんだ。」
自分の与かり知らぬ遠い昔から絡みついてくる蔓のようなものへの嫌悪といとおしさ。蔓は個の限界を越えようと永遠を希求する生命のエネルギーだ。

p.377
……この川は、きっと、あのマグマと同じ場所を別の位相で流れている。永遠に混じり合わない唐草のように……


今日も抜き出すだけで終わりにしておきます。
この作品の主人公って何の疑いもなく蓉子だと思ってたんだけど、紀久が本当の主人公なのかも、と今回初めて感じた。



2001年10月1日 月曜日 梨木香歩「からくりからくさ」新潮社pp.172-296
今日、一気に最後まで読んじゃおうかと思ったけど、ゆっくりじっくり味わいたいので、思いとどまった。

p.256「強く生きているように見えた女の人が実は内面に脆さを抱えていて、それが男の人に支えて貰えると錯覚したときにあっというまに崩れていくのも見てきた。彼女は錯覚した。人が人を支えきれるなんて、幻想です」
きついけど、結局そうなのかもしれないね。

p.288「そう、絵の具だとどうしても色が溶けあい混じりあって、もともとの色が消えてしまうこともあるけれど、糸は、どんなに重ねても一つ一つは自分を主張したまま、全体としてのハーモニーの中に入っている」




本棚トップページへ