2001年7月の読書日記

〜27日   古井由吉「木犀の日」
5日     梨木香歩「からくりからくさ」
5〜9日   梨木香歩「裏庭」
10日    梨木香歩「西の魔女が死んだ」
11日    梨木香歩「エンジェル エンジェル エンジェル」
12〜14日 梨木香歩「りかさん」
27日〜   三浦綾子「氷点」



2001年7月1日 日曜日

今日から7月だ! いよいよ夏本番。僕のもっとも好きな季節の到来。



2001年7月2日 月曜日 古井由吉「木犀の日」講談社文芸文庫pp.17-45

さて、古井由吉。この作品は「古井由吉自選短篇集」と銘打たれた短編集。ここまで読んだのは、「先導獣の話」。今、2話目の「椋鳥」に入ったところです。

「先導獣の話」は、「混み合った改札を抜けた人々はなぜあんなに整然と歩いていくのか」という疑問をもとに、現代人を「先導するもの」についての考察。決して読みやすい話じゃないけど、我慢して読むと、ふーむという感じでおもしろい。やはりこの人の書くものには味がある。

最後を、「自分のうちと外の区別が以前ほど定かではなくなってしまった」という、「奇妙な拡散の感覚」で締めるところが、古井由吉らしい。



2001年7月3日 火曜日 古井由吉「木犀の日」講談社文芸文庫pp.46-82

今日は、「椋鳥」の続きと「陽気な夜まわり」の途中まで。

「椋鳥」は、いまいちテーマがわからないけど、陰鬱な人々が描かれていて、それなりに興味深かった。

「陽気な夜まわり」はおもしろい。自問自答形式で話が進む、という僕が好きな古井由吉の形。

p.69「常人というものはやはりある。あると思わなければ、道がつけられない。」
なるほどね。僕らは、「常人なら、こうする」ということを想定しながら、いろんなことを考える。だけど、いわゆる何から何まで「普通」という人なんて、いないのかもしれない。何かおもしろい。

p.72「翌朝の出勤時間からの、逆算によって眠る。」
これに似た表現は、昔どこかで読んだことがある。古井由吉だったかな?違う人かもしれない。この箇所を読んで、以前読んだことを思い出した。そこでは、「翌朝の起きる時間から逆算して、眠る時間を決めて寝る」現代人と、「畑仕事で疲れ果てて、暗くなったら寝る」昔の人の、眠りには違いがあるのではないか、みたいなことが書かれていた。あ、おもしろい、と思った記憶がある。



2001年7月4日 水曜日 古井由吉「木犀の日」講談社文芸文庫pp.83-113

今日は、「陽気な夜まわり」の続きと、「夜はいま」。

「陽気な夜まわり」の「夜警」の話はおもしろい。夜警という職業の怖さと存在意義、夜警の幻影などなど。一人ぐらいの夜警が見回ったところで、犯罪を防げるわけがない。なのに、夜警が求められる。という意味では、夜警は、現代社会の矛盾を埋める役割を果たしているようだ。

「夜はいま」は意味不明。話の設定自体が最後までさっぱり飲み込めなかった。解説を読むと、主人公が精神病の話みたいなので、なんとなくなっとく。にしても、こういう話を書く気になるのは、さすが古井由吉、といったところか。



2001年7月5日 木曜日 梨木香歩「からくりからくさ」新潮社pp.1-380
                    「裏庭」新潮文庫pp.1-100


古井由吉はちょっとお休みで、梨木香歩です。2ヶ月前に読んだばかりなのに、またなぜ梨木香歩を読んだかというと、理由は明確。友達に梨木香歩の「からくりからくさ」を貸すことになったんだけど、ぱらぱらめくってるともう一度読んでみたくなったから。最初は、「読めるところまで」という気持ちで開いたんだけど、読み始めるとどうにも止まらなくなっちゃって、仕事そっちのけで一気に読んでしまった^^;

「からくりからくさ」やっぱりよかった。……というより、初めて読んだときよりも、感動は大きかったような気さえする。初めて読んだときよりは、よく理解できた気がするし。読み終わってまず感じたことは、この作品は梨木香歩入魂の作品なんだろうな、ってこと。梨木香歩のこの作品にかける意気込み、細やかな心遣いがひしひしと伝わってきた。

今回、読んでるうちにもっとも震えがきた箇所はここ↓
「私はいつか、人は何かを探すために生きるんだといいましたね。
でも、本当はそうじゃなかった。
人はきっと、日常を生き抜くために生まれるのです。
そしてそのことを伝えるために。」

「人が何かを探して生きるのならば、何も見つけられなかった人の人生ってどうなるの?」っていうような箇所が、この作品の前半にあったと思うんだけど(←本はすでに手元にないのでうろ覚え)、それに対する答えがこの箇所。「人はきっと日常を生き抜くために生まれるのです」。なぜだか知らないけど、この箇所を読んだときぶるぶる震えがきた。←頭で理解できたわけじゃないけど。

最後の最後で紀久が感じる「ひとつに繋がりゆく感覚」っていうのも好きだ。

あと、「変わること」についての箇所。
「幼虫の姿ではもう生きていけない。
追い詰められて、切羽詰まって、もう後には変容することしか残されていない」
「本当に苦しいのは、変わる瞬間。
根っこごと掘り起こすような作業をしないといけない。
かといってその根っこを捨ててしまうわけにはいかない。
根無し草になってしまう。
前からの流れの中で、変わらないといけないから。」

……でくのぼうさんの抜き出した箇所とかなりダブってます。

やっぱり、梨木香歩はすごいわ。最高!
これからどんな作品を書いてくれるのか、本当に楽しみ。

で、「からくりからくさ」を読み終えると、当然「裏庭」も読み返したくなってくる。……が、「裏庭」はすでに友達に貸してしまった。こういう場合、「我慢する」ということのできない僕がとる行動はただ一つ。……今日、100ページまで読んだということで答えはおわかりでしょう? そう、もう1冊買う、これしかない(笑)。なんてもったいないことをと思う人がいるかもしれませんが、いい本は何冊もってても無駄にはならないものです。人にあげることで、梨木香歩布教活動もできるし(←自己正当化)。

「裏庭」については明日以降に。



2001年7月6日 金曜日 梨木香歩「裏庭」新潮文庫pp.101-164

まだまだ序盤戦で、「特に」挙げるところはないです。だけど、所々にさすが梨木香歩と思わせるところがちょこちょこ顔を出しているのを感じる。それが安心感と信頼感につながっている。なんともいえない、くつろぎ感。



2001年7月7日 土曜日 梨木香歩「裏庭」新潮文庫pp.165-200

この本ってやっぱり「傷」が1つのポイントだよね。

p.152「傷を負うことを恐れたのがそもそものことじゃ」
p.162「いいな、傷を恐れるでないぞ」

p.186「あらわになった傷は、その人間の関心を独り占めする。傷が、その人間を支配してしまうのだ。本当に、癒そうと思うなら、決して傷に自分自身を支配させてはならぬ」

p.189「真の癒しは鋭い痛みを伴うものだ。さほどに簡便に心地よいはずがない。傷は生きておる。それ自体が自己保存の本能をもっておる。大変な知恵者じゃ。真の癒しなど望んでおらぬ。ただ同じ傷の匂いをかぎわけて、集いあい、その温床を増殖させて、自分に心地よい環境を整えていくのだ」

p.190「癒しという言葉は、傷を持つ人間には麻薬のようなものだ。刺激も適度なら快に感じるのだ。そしてその周辺から抜け出せなくなる。癒しということにかかわってしか生きていけなくなる」



2001年7月9日 月曜日 梨木香歩「裏庭」新潮文庫pp.201-412
「裏庭」読了。抜き出したい箇所がいっぱいある。

p.237「皆が他を思いやり、皆が一つの考えにまとまるようになり、自他の境などないも同然になった」「もう、ほとんどみんな溶けおうて、自分というものはなくなってしもうた。結局、最後に残ったのは、それぞれの傷の色じゃった。傷の色だけが微妙に違うた」「どんな心の傷でも、どんなひどい体験でも、もはやこうなると、それをもっていることは宝になった。なぜなら、それがなければもう自他の区別もつかんようになってしもうたから」「傷は育てていかねばならん」

p.239「え? これは私の傷なの? 服が勝手につけた傷じゃないの?」「自覚のないうちは、自分のものにはできまいぞ」

p.253「傷を、大事に育んでいくことじゃ。そこからしか自分というものは生まれはせんぞ」

p.259「スナッフはすでに血塗れの骸となっていた。あんな恐ろしい力が自分のどこにあったのだろう。これほどまでに人一人切り刻み、ずたずたに息絶えさせてしまうほどの。あれは自分のやったことではない。底知れないこの服の魔力がすべて行ったことだ。−いや、あの瞬間的な怒りは確かに自分のものだった。服はそれに反応しただけなのだ」
……「瞬間的な怒りは自分のものだった」ってことは、「服」を着ていない人間は瞬間的な怒りを抑えているってことだよね。瞬間的な怒りをそのまま突き詰めちゃえば、スナッフを切り刻んじゃうわけだから。この人間の調節機能が良いことなのか、悪いことなのか……。

p.277「人が人をわかろうと努力するときは、既にほとんど半分ぐらいは許せる気になっているものだ」

p.278「傷をもってるってことは、飛躍のチャンスなの。だから、充分傷ついている時間をとったらいいわ。薬や鎧で無理にごまかそうなんてしないほうがいい」

p.279「鎧をまとってまで、あなたが守ろうとしていたのは何かしら。傷つく前の、無垢のあなた? でも、そうやって鎧にエネルギーをとられていたら、鎧の内側のあなたは永久に変わらないわ。確かにあなたの今までの生活や心持ちとは相容れない異質のものが、傷つけるのよね、あなたを。でも、それは、その異質なものを取り入れてなお生きようとするときの、あなた自信の変化への準備ともいえるんじゃないかしら、『傷つき』って」

p.280「生体っていうのは、自然に立ち上がるもんよ。傷で多少姿形が変わったとしても」

p.284「さっちゃんは、胸の中にごろごろと転がっている胸の痛む思い出を取り出そうとして、でも、自分が本当に伝えたかったことは、もっと別にあるような気がした。それで、そのごろごろたちを押し退けて、もっと奥にあるものを取りだそうと手を伸ばして、さっちゃんはすくんでしまった。そこには何もなかったのだ。何もなかった。真っ暗な底無しの穴のようだった。向き合うと真空の穴のように自分が吸い込まれていきそうだった」

pp.291〜297の「パパ」の徹夫と息子の純のエピソードはけっこう好き。初めて読んだときから、ずっと頭に残っていた。

p.343「『これは、レベッカの造りだした庭です。私は最初からレベッカの−幻の王女の跡を辿ってここまできたのです。私には、私の世界なんてないんです』
どこにも、とテルミィは心の中で絶望的に付け足した。−私はいつだって世界の外にたった一人でいた。
『道がないのだから、ある程度先人の跡を辿るのはやむを得ますまい? 使えるところは使い、使えないところは新しくしていく。何も更地にしなければすべてが始まらないわけではないのですよ。この世界はすでにあなたの庭。けれどもまた、同時に別の人の庭であることも始めています」

p.348「何でここにこうしてずっと浮かんでいられないんだろう。この世の終わりまで。それが一番平和で安定していて幸せなのに。何でわざわざ傷つきに、そして人を傷つけに歩き出さなければならないんだろう」

p.357「人は生まれるときも死ぬときも、多分その間も、徹底して独りぼっちなのだ。テルミィはこの絶体絶命の瞬間に、お腹にたたき込まれるようにそのことを知った。それは不思議に清々しい気分だった」

p.373「ああ、そうだったのか。崩壊を促す礼砲の音は、同時に新しい国を生み出す音でもあったのか……」

「傷」の意味を考えることをテーマにした、この「裏庭」。これも、「からくりからくさ」同様、奥の深い、すばらしい作品です。



2001年7月10日 火曜日 梨木香歩「西の魔女が死んだ」小学館pp.1-205

梨木香歩がどうにも止まらない。今日は「西の魔女が死んだ」です。

p.125「魂は身体をもつことによってしか物事を体験できないし、体験によってしか、魂は成長できないんですよ。ですから、この世に生を受けるっていうのは魂にとっては願ってもないビッグチャンスというわけです。成長の機会が与えられたわけですから」

p.147「魔女は自分の直観を大事にしなければなりません。でも、その直観に取りつかれてはなりません。そうなると、それはもう、激しい思い込み、妄想となって、その人自身を支配してしまうのです。直観は直観として、心のどこかにしまっておきなさい。そのうち、それが真実であるかどうか分かるときがくるでしょう。そして、そういう経験を幾度となくするうちに、本当の直観を受けたときの感じを体得するでしょう」

p.148「まいの言うことが正しいかもしれない。そうでないかもしれない。でも、大事なことは、今更究明しても取り返しようもない事実ではなくて、いま、現在のまいの心が、疑惑とか憎悪とかいったもので支配されつつあるということなのです」
「わたしは……真相が究明できたときに初めて、この疑惑や憎悪から解放されると思うわ」
まいは言い返した。
「そうでしょうか。私にはまた新しい恨みや憎しみに支配されるだけだと思いますけれど」
おぼあちゃんはまいの手を優しくなでた。
「そういうエネルギーの動きは、ひどく人を疲れさせると思いませんか?」

p.173「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」

この作品のラストはやはり感動的。



2001年7月11日 水曜日
梨木香歩「エンジェル エンジェル エンジェル」原生林pp.1-165

古井由吉「木犀の日」講談社文芸文庫pp.113-134

今日は「エンジェル エンジェル エンジェル」。

p.86「ずっと、後になって、私は、本心、というものが、それを言った当初はそう思えなくても、実はだんだんそれに近づいていくこともあるのだと思った。むしろ、そのときにはわからなかった本心が、ひょこっと顔を出す、ということがあるのかもしれない。
 それを考えると、時間というものは不思議だと思う。その時点ではわからずにいた言動が、あとになって全体を振り返ってみると、あらかじめ見事にコーディネイトされた一つのテーマに統一されているようにも見えるのだ。」

p.164
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どこまでも高みに向かう純白の天使の羽でなくて
闇に巣くう悪魔の蝙蝠の翼手でもない。

大鷲の翼
天と地の間を
つかず離れず飛翔する

ねえ
バランスとって飛ぼうよねえ さわちゃん
力いるけど
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そう、バランスをとって飛ぶのは、力がいる。けど、しなくちゃいけないこと。

「エンジェル エンジェル エンジェル」もラストの締め方はうまい。


古井由吉は、今日は「眉雨」。だけど、これはちょっときつかった。



2001年7月12日 木曜日 梨木香歩「りかさん」偕成社pp.1-92

今日は「りかさん」。もちろん、一日で読み終えるつもりだったけど……なんせ眠くて^^;
この作品は、どうしても「からくりからくさ」の番外編のつもりで読んじゃいます。
うん、今日はこれぐらいで。



2001年7月14日 土曜日 梨木香歩「りかさん」偕成社pp.93-225

「りかさん」読了。

p.108「人間って長く生きてると、ああいう冠みたいなものを置き違えてそのままにしてたりすることもたくさんあるけど、やっぱりあるべきところに戻していかなきゃならない。そりゃ、置き違えなきゃそれに越したことはないんだけど、そうそう思いどおりにはことは運ばないものね。」



2001年7月17日 火曜日 古井由吉「木犀の日」講談社文芸文庫pp.135-159

古井由吉に戻ってと。今日は、「秋の日」。これは読みやすかった。19年間世間と接触を絶っていた男が、穏やかにまともになって世間に戻ってくるという話。

「それにしてもそんな暮らしをしてきて、どうしてこう、世間に間に合うんだ、と不思議がる」。
これについては、解説にうまい表現があった。「死んだように生きることが生きることにつながるとすれば、逆に生命力の過剰は死の兆候とも読める」。



2001年7月23日 月曜日 古井由吉「木犀の日」講談社文芸文庫pp.160-168

今日は「風邪の日」の途中まで。先送りにしないで、今、仕事をしなくちゃいけないんだけど、起き出してはなんとなく床に戻ってしまう風情がよく出ている。



2001年7月24日 火曜日 古井由吉「木犀の日」講談社文芸文庫pp.169-178

今日は「風邪の日」の終わりまで。後半部分になって、わけがわからなくなってしまった。話の飛び方が急だから、ちょっと気が散ってるととたんについていけなくなる。



2001年7月25日 水曜日 古井由吉「木犀の日」講談社文芸文庫pp.179-198

今日は「髭の子」の途中まで。
ここまでは、わかりやすくて話について行けてる。さて、これからどうなるか。
このまま最後まで、あんまり過激に話が飛ばないことを、意気地ないながら少々希望。



2001年7月26日 木曜日 古井由吉「木犀の日」講談社文芸文庫pp.199-218

今日は、「髭の子」の終わりまでと、「木犀の日」の途中まで。
「髭の子」は最後までわかりやすかったけど、特筆すべきことはあまりないかも。
病院が舞台になってるとなんだか古井由吉らしい気がするのはなぜ?
「木犀の日」はこの本のタイトルになってるぐらいだから、期待して。



2001年7月27日 金曜日 古井由吉「木犀の日」講談社文芸文庫pp.219-266
                三浦綾子「氷点(上)」角川文庫pp.1-71


ようやく、なんとか「木犀の日」読了。1ヶ月かかっちゃった……。今日読んだ「木犀の日」「背中ばかりが暮れ残る」両方とも、もう1度落ち着いて読んでみたいと思う。ちょっと今日は十分な集中力がなかっただけに……。

で、久々に三浦綾子の読み直し。ちょっと背筋がピンとなる感覚が欲しくなってきたので。
詳しいことはまた後日(週明けかな?)。



2001年7月30日 月曜日 三浦綾子「氷点(上)」角川文庫pp.72-138

ぼちぼちと。何回も読んでるからかもしれないけど、今のところ、「あまりにも現実離れした設定……」と感じてしまう。こういう感じ方をしたのは、はじめてかも。今までは、ただただ物語展開のうまさに感嘆しながら一気に読んじゃってたから。

でも、この作品の見所は、現実離れした設定の上で「リアリティある葛藤が繰り広げられる」ところにあったはずだから。これからが楽しみ。今は、現実離れした設定構築の段階だから、粗が目立つのかも。すべては、陽子が大きくなってからだ。

個人的に気に入った一節。
p.135「おれは納得はできんよ。しかし、納得できようとできまいとおまえを信ずる。信ずるというのは納得じゃないぜ」



2001年7月31日 火曜日 三浦綾子「氷点(上)」角川文庫pp.139-244

やはり、陽子登場と共に勢いづいてきた。昨日までの部分で多少違和感を持ったのは、美しい夏枝の凡庸さだったのかも。これから話が進むにつれ、登場人物が成長していくのを感じ取れればいいんだけど。




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