2001年5月の読書日記 〜2日 村上春樹「スプートニクの恋人」 07日〜10日 梨木香歩「裏庭」 12日〜13日 梨木香歩「からくりからくさ」 14日 梨木香歩「りかさん」 15日 梨木香歩「エンジェル エンジェル エンジェル」 24日 梨木香歩「西の魔女が死んだ」 28日 梨木香歩「丹生都比売」 17日〜31日 村上春樹「羊をめぐる冒険」 31日〜 村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」 2001年5月1日 火曜日 村上春樹「スプートニクの恋人」講談社文庫 pp.48-168 しばらく更新お休みしてしまいました。 「スプートニクの恋人」はだいぶ話が佳境に入ってきました。 この小説の雰囲気はわりと好き。村上春樹で言うと、「国境の南、太陽の西」と同じような雰囲気を持っているような気がする。ねじまき鳥のように圧倒的に不可思議な感じではないけど、なんとなく不可思議な感じ。このなんとなく不可思議という感じを一番村上春樹らしく感じるのは僕だけだろうか? 2001年5月2日 水曜日 村上春樹「スプートニクの恋人」講談社文庫 pp.169-318 「スプートニクの恋人」読了。 うーん、よくわかんないけど、テーマとしては「ねじまき鳥」とよく似てるような気がする。 p.270「人にはそれぞれ、あるとくべつな年代にしか手にすることのできないとくべつなものごとがある。それはささやかな炎のようなものだ。注意深く幸運な人はそれを大事に保ち、大きく育て、松明としてかざして生きていくことができる。でもひとたび失われてしまえば、その炎はもう永遠に取り戻せない」。 この部分は、「ねじまき鳥」の間宮中尉の「機会は一度しかない」みたいな言葉とよく似ている。 この他にも、世界の分裂とか、気の進まないことでも「正しいこと」はやらなければならないとか、も「ねじまき鳥」とよく似てる。 やらなきゃいけないことをやらなければならない、そうしなければ人生を損なうことになる、って感じか。p.214に太字で書かれているように、「血は流されなくてはならない」のでしょう。「血は流されなくてはならない」必要性ってのは、なんとなくわかるような気がする。 基本的に「ねじまき鳥」とよく似てる。でも、「ねじまき鳥」に比べるとクオリティは落ちると思う。なら、「ねじまき鳥」の後に、この作品のある意味って? 「ねじまき鳥」の前にこの作品が書かれていたならば、「ねじまき鳥」への試作と受け取れるんだけど。春樹らしさを感じる作品で、決して悪い作品ではないんだけどね。 次は、「梨木果歩コーナー」新設を記念して、梨木果歩の「裏庭」を読む予定。 2001年5月7日 月曜日 梨木香歩「裏庭」新潮文庫 pp.1-86 しばらくお休みしちゃいましたが、今日から「裏庭」に入ります。 梨木香歩の作品を読むのは初めて。 まだあまり読んでないけど、おもしろい。数ページですぐに魅入られちゃいました。 自分がすぐに好きになれそうな本はだいたい読み尽くしちゃったような気がして、本屋をうろうろしてても「良い本がないな〜」って嘆いていましたが、まだまだあるもんですね。世界は広い。 自分一人じゃ見つけられなかったような本をすすめてもらえると、思い切ってホームページ作ってよかったな、とつくづく思います。 2001年5月8日 火曜日 梨木香歩「裏庭」新潮文庫 pp.87-184 今日もそれなりに。今日はちょっと忙しかったので、この程度しか読めなかったけど、時間のある時なら一気に読み終えてしまいそうな勢い。時間がないけど、焦らずゆっくり味わいながら読んでいきたいものです。 この作品は児童文学と言っていいのかどうかしらないけど、所々に作者の鋭い社会への視線、考えを感じたりして、やるな〜、って感じます。 すでに梨木香歩を完全に安心して信頼しきってます(←昨日からそうだけど)。 2001年5月9日 水曜日 梨木香歩「裏庭」新潮文庫 pp.185-253 今日はまだまだ仕事残ってるので、手短に(そんな忙しいときに本読むなよ、ってつっこみは却下します^^;)。 p.189「真の癒しは鋭い痛みを伴うものだ」。僕にはタイムリーな良い言葉。……痛い痛い。 2001年5月10日 木曜日 梨木香歩「裏庭」新潮文庫 pp.254-412 「裏庭」読了。ふむぅ、梨木香歩という人間の底知れぬ深さに触れたような気分。後半部分は一気にいっちゃったので、読みが甘くなってしまったので、理解しきれていない部分も多いのだが。でも、これは魅力的な作品を初めて読んだときにどうしても起こることだから仕方ないか。また読み直そう。 p.278「傷をもってるってことは、飛躍のチャンスなの。だから、充分傷ついている時間をとったらいいわ。薬や鎧で無理にごまかそうなんてしないほうがいい」 p.385「寂しいのは、絆が切れたように思うからだ。たとえそれが呪縛であったとしても、家族を結び付けていたものには変わりないのだから。そのことが、柔らかい照美の心を痛めつけるのだ。長年張り巡らせた根を、力任せに抜いて、細いデリケートなひげ根をことごとく擦り切ったような痛みだ。けれどそれは、やがて必ず回復するだろうという確信を、どこかに伴っている痛みでもあった」 ……どうしても、こういう箇所に目がいっちゃうな(ぽりぽり)。 傷と向き合うってことはどういうことなんだろう? 正面から向き合ってるつもりでも、実際には逃げてるだけというようなこともあるし。傷をそのまま素直に受け入れる。どうすりゃいいんだ。 にしても、こちらが求めていることを、手にとった本が答えてくれてるっていうことってよくありません?そりゃ、関連してることに過剰反応して拡大解釈して自分に結び付けちゃうものだ、なんて言われると反論できませんが、本と長くつきあってきた僕にはそこには偶然以上の「働き」を感じることがあります。傷を負ってるときに、傷がテーマの本を読んだり、ね? ちと話がそれた。とにかく梨木香歩、こやつはただ者ではない。本物、だ。 次は、「からくりからくさ」読みたいから、と思って、2軒ほど本屋まわったけど見つけられんかった。「りかさん」と「エンジェルエンジェル」(?)はあったんだけど。 ということで、ひとまず「羊をめぐる冒険」でも読むか。それとも、明日「からくりからくさ」見つけて読むか。どっちか。 2001年5月12日 土曜日 梨木香歩「からくりからくさ」新潮社 pp.1-174 結局、入手できたので、「からくりからくさ」を読み始めました。 これまた、「裏庭」同様。すばらしく良い感じ。 読んでる途中、ふとあることに気づく。 僕は梨木香歩の文章にまったく違和感を持っていない。僕がまったく違和感を持たずに読める作家って、これまで遠藤周作と三浦綾子だけだったのに。これはすごいことだ。僕と梨木香歩じゃ、考え方の違う部分はあるけど、感じ方の部分ではまったく違和感がない。 いつかきっと、僕も梨木香歩コーナー作ってやるから覚悟しとけよ>でくのぼうさん。 いつもなら、帰宅してからは滅多に本を読むことはないんですが、これからまた、「からくりからくさ」を開いてみます。 ---------------------------- ……今、読み終わりました。深夜2時少し前。 頭がくちゃくちゃで、鳥肌たって、足ガクガク。 こんな感触を味わわせてくれたのは久しぶりだ。 梨木香歩はまぎれもない天才。 詳しくはまた明日。 2001年5月13日 日曜日 梨木香歩「からくりからくさ」新潮社 pp.175-380 「からくりからくさ」読了。昨日、深夜までかけて一気に読み終えてしまいました。 よかったです。本に夢中になれる至福のひとときを過ごさせてもらいました。 じゃ、どんな風によかったのか? これは説明するの難しいな。 なんせ、初めてだし、一気に読んじゃったから、自分の中で消化し切れてないから。 この人の目指すところは高い。この人の求めているものは大きい。 そして、その目的地に向かって、実際に歩き始めている。 僕は、梨木香歩のそんなところが好きだな。 その目的地に、この「からくりからくさ」では、苦しみながら変化することで辿り着こうとしている。その苦しみが何代にも及んでいるところは、「裏庭」と同じ。 僕としては、何代にも渡った苦しみを経て完成する、っていうのは、文字通り解釈せずに、必要な苦しみの大きさを象徴しているものだと受け取りたい。だって、何代にも渡らないと一つのことをなしえない、って考えちゃうと、生きていくのがつらくなるから。でも、先人の苦しみを引き受ける必要があるってことはわかるような気がする。 ひとまず、こんなところか。またこの本はまた何度も読み返すことになると思う。 また読み返す日が楽しみ。 明日からもしばらく梨木香歩、続ける予定。 2001年5月14日 月曜日 梨木香歩「りかさん」偕成社 pp.1-225 今日から、「りかさん」。……も、やっぱり一日で読了。 やっぱり、違和感はまったく感じない。 これは子ども向けだけど、「からくりからくさ」と人物設定が同じで、番外編の気分で楽しめる。子ども向けといっても読み応えあるし、ね。これまで、ちょっと児童文学甘く見てたかも。 でくのぼうさんが、紹介の方で抜き出している箇所は、僕も好き。 っていうか、麻子さんの人形論聞いてると、人形遊びとは縁のない男の子の一人として、少しばかり女の子の人形がうらやましくなってくるんですけど……。 僕にとっての「人形」ってなんだったんだろ? 本? いや、チョロQかも(笑)。 幸せな気持ちになったところで、明日は「エンジェル エンジェル エンジェル」。 01年5月15日火曜日 梨木香歩「エンジェル エンジェル エンジェル」原生林 pp.1-165 今日は、「エンジェル エンジェル エンジェル」。これまた一日で読了。 これまたすごく気に入った。「りかさん」よりもこっちの方が好きかな。 祖母と孫という関係で、何代にも及んでいるのはいつものパターンだけど、きっちり救いがある。友達にあやまれなくて長い間苦しんでいた祖母が、孫によって救われる。 「……ごめんね、コウちゃん」と、孫の前で胸につかえていた言葉をはき出す。 うーん、僕はこういうのには弱い。最後のサイドテーブルの隠し引出しの奥に眠っていた木彫りの天使。こういう話にも僕は弱い。 梨木香歩、最高っ! ……の勢いで、「西の魔女が死んだ」と「丹生都比売」も一気に読みたいんだけど、どちらもただいま注文中。ということで届くまでの間、村上春樹の「羊をめぐる冒険」を読むことにします。 2001年5月17日 木曜日 村上春樹「羊をめぐる冒険(上)」講談社文庫 pp.1-80 今日から、ひとまず「羊をめぐる冒険」。 この本を読むのはずいぶん久しぶりで、内容もあまり覚えてないから、話の筋そのものもそれなりに楽しめそう。 ま、初日なので、これぐらいで。 2001年5月19日 土曜日 村上春樹「羊をめぐる冒険(上)」講談社文庫 pp.81-98 今日は時間とれなかったので、ほとんど進まなかったな・・・。うーん、ゆっくり本読みたいっ。 2001年5月24日 木曜日 梨木香歩「西の魔女が死んだ」小学館 pp.1-205 村上春樹「羊をめぐる冒険(上)」講談社文庫 pp.99-120 ついに僕の読書時間復活! で、注文していた「西の魔女が死んだ」が届いてたので、一気に読んじゃいました。 おばあちゃんの生死に対する考え方には、なるほどね、という感じ。 この本は何と言ってもラストがすてき。最後の2頁は一言一句記憶したい気さえする。 やっぱ梨木香歩、いいな。 で、「羊をめぐる冒険」も再開。手始めに、村上春樹のすてきな比喩表現。 p.112「一頭の驢馬が左右に同量のかいばを置かれて、どちらから食べ始めればいいのかを決めかねたまま餓死しつつあるといった類いの哀しみがそこには漂っていた」。 なんで建物の持つ哀しさを語るときに、驢馬の話を持ってこれるんだろう? この辺は春樹はやっぱすごい。 2001年5月28日 月曜日 梨木香歩「丹生都比売」原生林 pp.1-197 村上春樹「羊をめぐる冒険(上)」講談社文庫 pp.121-144 あれれ、またしばらく更新さぼっちゃってましたね……。さぼってたつもりはなかったんだけど。で、今日「丹生都比売」が届いたので、早速読んじゃいました。 これまた独特の雰囲気を持った作品。うーん、こういう雰囲気自体はそれほど嫌いじゃないけど、僕的には梨木香歩の他の作品の雰囲気の方が好きかも。……まだ消化し切れてない部分が多いので、また読み返したら印象変わるかもしれないけど。 この作品はでくのぼうさんにまかせることにしましょう。で、よろしく>でくのぼうさん。 だいたい梨木香歩の現在出回ってる作品はこれで読み尽くしちゃったかな。 新作の登場を心待ちにしておきましょう。 「羊をめぐる冒険」の方はゆっくりじっくり長期戦の構えで。 2001年5月29日 火曜日 村上春樹「羊をめぐる冒険(上)」講談社文庫 pp.145-245 「羊をめぐる冒険(上)」読了。読むスピードが加速してきたね。 謎の羊の話になると、先に進みたくなるから。 なんだかんだいって、人は謎が好きなものなのだ。 2001年5月30日 水曜日 村上春樹「羊をめぐる冒険(下)」講談社文庫 pp.1-150 下巻に突入。だいぶ良い感じで読み進んだので、明日には読み終わりそう。 この作品はなぜかコメントつけにくい。 とりあえず、羊憑き、羊抜けの話は興味深し。 2001年5月31日 木曜日 村上春樹「羊をめぐる冒険(下)」講談社文庫 pp.151-231 「ダンス・ダンス・ダンス(上)講談社文庫 pp.1-96 「羊をめぐる冒険」、無事読了。 ラストで、鼠が「俺は俺の弱さが好きなんだよ」と言うシーンが好き。 寂しさが、何とも言えない寂しさが漂っている作品。 決して居心地の悪い寂しさではなかった。 そして、次は当然、「ダンス・ダンス・ダンス」。 本棚トップページへ |