2001年3月の読書日記 〜01日 モンゴメリ「アンの愛情」* 02〜05日 モンゴメリ「アンの友達」* 06〜09日 モンゴメリ「アンの幸福」* 09〜14日 モンゴメリ「アンの夢の家」* 14〜18日 モンゴメリ「炉辺荘のアン」* 19〜22日 モンゴメリ「アンをめぐる人々」* 22〜23日 モンゴメリ「虹の谷のアン」* 23〜27日 モンゴメリ「アンの娘リラ」* 28〜30日 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル 第1部」* 31日〜 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル 第2部」* (*印はもう一度読み直したい本) 2001年3月1日 木曜日 モンゴメリ「アンの愛情」新潮文庫 pp.306-390 「アンの愛情」読了! うん、よかった! レドモンドの卒業式からアンとギルバートが結ばれるところまでは、けっこう読みながら震えてたから。あ、でも、僕は、本でも音楽でもかなりすぐ震えるほうだから、あしからず。でも、アンシリーズが震えを持ってきてくれるとは思わなかった。けっこう意外。この勢いで、次は「アンの友達」だ! ・・・でもこの巻はちょっと本筋から離れるんだよな・・・。ま、いっか。 それと今日はこの部分だけは是非とも抜き出しときたい。 p.328-329「これまでこの世に生き、働いてきた偉大な気高い人たちのことを考えてごらんなさい。そういう人たちの後に生まれ、その人たちがかちえたものや教えを引き継ぐことは生き甲斐あることじゃない? それから現代の世界の偉人たちみんなのことを考えてごらんなさい! その人たちの感化を受けられるだけでも生き甲斐があるんじゃないの? それから、未来にあらわれる偉大な人物はどう? その人たちに少しでも働いて道をととのえてあげるのは−たった一歩だけその人たちの道をらくにしてあげるのは生き甲斐あることじゃない?」 こういう考え方、僕は大好き! (たしか、以前ギルバートも似たようなこと言ってな)。僕が自分の生きてる意味を考えるとき、これまでいつもこういう考えに行き着いてきた。それだけに、アンやギルバートが同じこと言ってくれるのは力強い。 僕とは生きてる時代も過ごしてきた国も違うモンゴメリの考え方に、共鳴できるってなんだか不思議な感じ。「レ・ミゼラブル」もそうだけど、先人の残した偉大な本を読んで、こんなふうに自分と同じ部分を感じたとき、僕はいつも「あ、やっぱりこの世界には普遍的なものがあるんだな」って思う。そりゃ、時代や国家や個人個人によって、違う部分はたくさんあるけど、いつの時代でもどこの場所にも当てはまる普遍的なものが存在してるってことを感じることは大切なことだと僕は思う。 2001年3月2日 金曜日 モンゴメリ「アンの友達」新潮文庫 pp.1-120 今日から、アンシリーズ4冊目「アンの友達」です(今日は更新がおくれてすいません)。 この本はいろいろな人についての短編集みたいな感じみたいですね。今日は、3つの話を読みましたが、どれもこれも素晴らしい出来栄え。基本的に長編好きで短編はあまり読まない僕ですから、他の小説家と比べて相対的な評価を下せる自信はないんですが、モンゴメリは短編を書かせても一流だな、ってつくづく感じました。そっと心のなかにしまっておきたいような、すがすがしい気持ちにさせてくれました。アンシリーズのような10冊にも及ぶ一流の長編を書ける人が、一流の短編も書けるってなんだかすごいことのような気がします。 この短編を読んでると、ここまで読んできたアンシリーズではアンの存在感が圧倒的だったために作者のモンゴメリ自身が影になっていたのかもしれないな、と思えるほど、モンゴメリという人物自身に親しみを感じてきました。 2001年3月4日 日曜日 モンゴメリ「アンの友達」新潮文庫 pp.121-203 今日も「アンの友達」。うーん、やっぱおもしろいわ、この短編集。どの話もどの話も絵に描いたようなハッピーエンドなのは賛否両論あるかもしれないけど、僕は好意的に賛成。前向きな気持ちになれるし、これから沈んだ気持ちになったときは、この本を手に取ることになりそう。まさに「珠玉の短編集」って言葉がぴったり。 2001年3月5日 月曜日 モンゴメリ「アンの友達」新潮文庫 pp.204-317 「アンの友達」読了。うん、おもしろかった。心温まるようなハッピーエンドの話ばかりで、安心して楽しめた。それに、なんとも言えないユーモアが漂っていて、思わず微笑んだり笑ったりすることしばしばだったし。そう、あたたかさに満ちている本だった。 関係ないけど、この本のなかで、長い間教会に行かなかった人が教会に行って、「昔の家庭の席」に座るってシーンがいくつか出てた。教会って、家庭の席があるのかな?ってことは良く知らないけど、こういうのはなんかいいね。家庭ごとに席があるのもいいし、長い間その席が空席のまま、たたずんでいたって光景もなんかすてきな感じがする。 明日からは、もちろん「アンの幸福」。アンシリーズ5冊目! 2001年3月6日 火曜日 モンゴメリ「アンの幸福」新潮文庫 pp.1-51 今日から「アンの幸福」。アンからギルバートへ宛てた手紙が続いてる。この巻はずっとこのスタイルでいくのかな? ま、趣向が変わったという点はそれなりに興味深い。 関係ないけど、そろそろアンシリーズの6巻目、7巻目あたりを買っておかないと、と思って、本屋に行ったら、6巻目がないよぉ〜。数日前にはちゃんとあったのに・・・。たしか4巻目を買いに行ったときにも同じようなことがあったから、どうやら僕以外にアンシリーズを買いこんでいってる人がいる模様。今日、6巻目が買えなかったことで何となく落ち着かない気分にさせられる一方で、同時に読み進めている人の存在を感じられたのは何となくうれしい。 2001年3月7日 水曜日 モンゴメリ「アンの幸福」新潮文庫 pp.52-144 今日も順調に。・・・なんだけど、今日は妙に眠い一日だった。昼でも夜でもどんな分野の本でも、開いた瞬間、うとうとしてしまう。昨日はきっちり8時間睡眠とったはずなのに・・・。春眠暁を覚えず、ってかんじなのかな? 今日読んだ箇所で、抜き出そうと思ってた箇所あったはずなんだけど、うとうとしてるうちに忘れちゃった^^; 明日もこんなことないように、今日は早く寝よっと。 2001年3月8日 木曜日 モンゴメリ「アンの幸福」新潮文庫 pp.145-295 (今日は「ひとりごと」を先に読んでください)。 ・・・「ひとりごと」から、数時間後、「アンの幸福」を読んでて、ふと思う。「今日、心が明るくなった直接の原因は親友の声をきいたことだろうけど、その下地を用意してたのは、この『アン・シリーズ』かもしれないな」って。 今、アンシリーズは5冊目だけど、アン・シャーリーという類い希な明るさと優しさを持つ人間の物語をこれだけ読み続けているうちに、彼女の明るさが気づかないうちに、読者の心に忍び入っていた、ってことは十分考えられること。だって、小説の読者って主人公に感情移入して、主人公の心の波動に自分の心を共鳴させることによって、小説を心ゆくまで楽しむものだもん。どうやら、僕の心のなかには意識しないうちに、アン・シャーリーが住みついてしまっていた模様。そして、こういう下地があった上で、十年来の親友の声によって、一気に喜びがはじけとんだんだろうな、って思う。 さて、アンシリーズもようやく中盤にさしかかってきましたが、これまで以上にアンの心と自分の心をぴったり合わせて読み進めていきたいものです。 今日は、自分が読書という習慣を持っていることにしみじみと感謝したい気持ちになりました。 2001年3月9日 金曜日 モンゴメリ「アンの幸福」新潮文庫 pp.296-444 「アンの夢の家」新潮文庫 pp.1-38 「アンの幸福」読了。これでアンシリーズも5冊読み終わったわけだけど、これほど長い話なのにまったくクオリティが落ちないのはすごい。むしろ、後になればなるほど作品の質が高くなっているようにも思える。最近、僕自身も読み進めるスピードが上がってるような気がするし。早く読める本ほど良い本ってわけでもないけど、早く先を読みたい気持ちが強くなってきてるのは確かでしょう。 ・・・最近、「おもしろかった」とか「よかった」ってぐらいの感想しか書いてないような気がするのは、気のせい? 遠藤周作読んでるときみたいに、一つずつ抜き出そうという気にはならないんだよね。本自体の性質の違いもあるんだろうけど、やっぱ初めて読む本だと話の筋を楽しむのが精一杯なのかもしれない。・・・よくわかんないけど。 2001年3月10日 土曜日 <番外編> 向井承子「看護婦の現場から」講談社現代新書 pp.1-90 今日は、アンシリーズはお休みで番外編。率直な感想・・・看護婦さんも大変だ・・・。 ・・・にしても、こういう類の本とはかなり縁遠い生活を送っているはずの僕が、今、なぜこういう本を読んでるんだろ・・・。どうしてこういう羽目に陥ったかは、やや不明^^; 人生何が起こるかわかんないもんだ。 2001年3月12日 月曜日 モンゴメリ「アンの夢の家」新潮文庫 pp.39-159 でくのぼうさんが言ってた、「みんななんでこんなに頑固なんだろ」という意味がそろそろわかってきました(←つもり)。確かに頑固な人は多い。でも、僕にはこの頑固な人たちがとっても魅力的な人びとに思える。人間の世界を魅力あるものにするためには、この頑固な人たちが必要じゃないのか、って思うほど。みんな頑固になればいいのに。って一度は思ったものの、ただ単に頑固なだけの人ってどうしようもないかも・・・。うん、この世界に必要なのは、「魅力ある頑固な人びと」なんじゃないかな。そして、アンシリーズに出てくる頑固な人たちは揃いも揃って、魅力的。この長い物語を豊かなものにしてるのは、この人たちなんじゃないかな? 2001年3月13日 火曜日 モンゴメリ「アンの夢の家」新潮文庫 pp.160-257 今日も順調に。どうも僕自身、「書くという行為」に強いあこがれがあるためか、物語の中に本を書くシーンがあると強く反応してしまう。今日、読んだところだとジム船長の生活日記が本にされるくだりにひかれてしまった。いつかきっと、僕も・・・。 2001年3月14日 水曜日 モンゴメリ「アンの夢の家」新潮文庫 pp.258-372 「炉辺荘のアン」新潮文庫 pp.1-38 「アンの夢の家」読了。この第六巻はわりと好きかも。なんといってもジム船長が魅力的だった。にしても、期待を裏切らないハッピーエンドが続くな。これはこれでいいんだけど(←基本的にハッピーエンドは好きだし・・・)、これでいいのかな・・・。うん、アンシリーズはこれでいいんだろう。ちょっと書くことなかったので、書いてみただけ。 そして、第七巻、「炉辺荘のアン」へ! 2001年3月15日 木曜日 モンゴメリ「炉辺荘のアン」新潮文庫 pp.39-121 時は流れて、アンの子どもたちが登場してきた。モンゴメリは子どもの心理描写も抜群にうまいな。子どもの不安定な心がじかに迫ってくる。うーむ、長編も短編も大人も子どもの自由自在に操ってるな、モンゴメリは。こりゃ、すごいわ。 2001年3月16日 金曜日 モンゴメリ「炉辺荘のアン」新潮文庫 pp.122-194 今日は時間がなくてあまり読めなかったな・・・。ペットといえば猫ばかりのアン一家に、ようやく犬がやってきた。と思って楽しんでたら、あっさり死んじゃった・・・。犬大好きな僕としては、もっと犬の描写を見ておきたかった。犬ってかわいいもん。僕の愛犬たちは安らかに眠っているんだろうか・・・。 2001年3月17日 土曜日 モンゴメリ「炉辺荘のアン」新潮文庫 pp.195-264 今日はひさしぶりに自宅で少し読書。のんびり家で読書できる日って、なんだかそれだけで満たされた気分になる。はっ、のんびりしてる場合では・・・。 2001年3月18日 日曜日 モンゴメリ「炉辺荘のアン」新潮文庫 pp.265-483 「炉辺荘のアン」読了。今日も家でやることいっぱいあったはずなのに・・・なぜのんびり読書してるんだ?(笑)。困ったもんだ。 なんとか今日中にこの本読み終わらせたかったので、ちょっと読み方雑だったかもしれない。おばさんたちの長いうわさ話の箇所は斜め読みしちゃったし。 この本の終わりの方で、アンとギルバートの間が少しぎくしゃくするシーンがあったけど、これは不要でしょ、と思った。作者にしてみれば、ちょっと不安にさせておいて、幸福に戻ったシーンを劇的にする効果を狙ったんだろうけど、それまでアンとギルバートの強い絆を信じ込まされている読者が、これぐらいで不安になるわけないぞ。ハッピーエンドを崩すというなら別だけど。幸せを伝えるアンシリーズがハッピーエンドを捨てるわけないだろうけど。ということで、無用な山や谷はこの本には不要。遠慮なく、「幸せ」を描いてください>モンゴメリさま。残りの3冊はどうなのかな? 明日からは8巻、「アンをめぐる人々」。どうやら4巻「アンの友達」につづく短編集の模様。「アンの友達」を気に入った僕としては期待大。 2001年3月19日 月曜日 モンゴメリ「アンをめぐる人々」新潮文庫 pp.1-89 今日から8冊目、「アンをめぐる人々」です。うん、やっぱ短編集は良い感じ。「どういう展開で幸せを運んでくるんだろう?」と興味津々。考えつくかぎりのすてきなハッピーエンドが並んでる。これだけ揃ってると誰でも好きな話に出会えるのでは? 2001年3月20日 火曜日 モンゴメリ「アンをめぐる人々」新潮文庫 pp.90-132 今日は少しだけ。なので、特にないですねぇ。密かに気にしてるんだけど、この1ヶ月くらいカウンターがあまり回っていないような気がするのは気のせい?・・・じゃないよな。アンになってから、読書日記おもしろくないかな?・・・というような気は自分でもする(笑)。だって、実際「よかった」、「おもしろかった」、ぐらいのことしか書いてないもん。でも、初めて読む本に対してでてくる感想ってこれぐらいでしかたないじゃん^^;。僕は残念ながら、初めて読む本をそれほど考えて読めるほど器用じゃないんだもん。初めて読む本は筋だけ楽しめればそれで十分なんだい。読書日記をおもしろくするために僕は読書してるわけじゃないんだい。読書が楽しいから読書してるんだい。文句あっか。(←開き直り&拗ねモード^^;) ということで、まだしばらく「よかった」ぐらいしか書かない読書日記が続きますが、よろしくお願いします。 2001年3月21日 水曜日 モンゴメリ「アンをめぐる人々」新潮文庫 pp.133-236 今日も順調に。うーん、この短編集のほうが、「アンの友達」よりも筋を読みにくい話が多いような気がする。その分、途中で本を置けなくて、「まだ駅につくな〜」なんておもったりするんだけど。でも、「アンの友達」のほうが全体として好きな話が多いような気もします。おもしろいのと、好きなのはまた別の話ということで。 2001年3月22日 木曜日 モンゴメリ「アンをめぐる人々」新潮文庫 pp.237-329 「虹の谷のアン」新潮文庫 pp.1-57 「アンをめぐる人々」読了。やっぱり、ちょっとひねった話が多かった印象。それなりに楽しめたかな。若干首をかしげる所がなかったわけじゃないけど。 そして、9冊目「虹の谷のアン」へ。あと2冊だ。 2001年3月23日 金曜日 モンゴメリ「虹の谷のアン」新潮文庫 pp.58-222 「アンの娘リラ」新潮文庫 pp.1-28 「虹の谷のアン」読了。2日で読み終わっちゃったな。ページ数が少なかったこともあるけど、この巻なかなかおもしろかった。アン一家は脇役で、牧師親子が主役という感じなんだけど、まとまってて良い感じだった。お気に入りの巻ですね。 そして最終巻「アンの娘リラ」へ。さすがにこれだけ長い話だと、最終巻を手に持ったときは、感慨深いものがありますね。深呼吸して、1頁目をめくり、さあ、最終幕は開いた。 2001年3月24日 土曜日 モンゴメリ「アンの娘リラ」新潮文庫 pp.29-75 あり?今日はあまり進まなかったな・・・。なぜだろう?MDの充電忘れたせいで(正確には充電済みの充電池をセットするのを忘れた・・・歳か)、電車内の音が気になったのかな? 内容面では、世界大戦の勃発で、初めてアンシリーズに本当の悲劇の影が忍び寄ってきた。さて、ここまでハッピーエンドで通してきたモンゴメリがどう出るのか見物。 2001年3月26日 月曜日 モンゴメリ「アンの娘リラ」新潮文庫 pp.76-187 昨日は更新さぼり・・・。今日は順調に。やっぱ、戦争の存在が重くのしかかってきて、これまでのアンシリーズとは雰囲気が違うのがなかなか興味深し。そんななかで、状況と感情と雰囲気をうまく伝えたリラの日記はかなりいいかんじ。これからどうなるのか、興味津々です。 2001年3月27日 火曜日 モンゴメリ「アンの娘リラ」新潮文庫 pp.188-471 「アンの娘リラ」読了。おそらく、アンシリーズで僕が最も好きになったのは、この最終巻でしょう。リラの日記によって、リラの成長を克明に感じることができる。最初の頃は、アンの娘にしてはいただけない人柄だな、と思っていたのに、いつしか、リラのことが大好きになってた。このあたりはお見事。 そして、ウォルターの存在感とその死にも胸打たれた。 p.331ウォルターの最後の手紙の一節。「ケンは君のところへ帰ることと思う−そしてやがて君に長い幸福な年月が訪れるだろう。君は子どもたちにわれわれがそのために戦って死んだ理念を教えるだろう−その理念はそのために死ななければならないと同時に、そのために生きなければならないこと、そうでないとそのために払った犠牲が無駄になるといことを子供たちに教えてくれたまえ。これは君の役目の一部だよ、リラ。もし君が−故郷の娘すべてが−そうしくれるなら、われわれ戻らない者は君たちが我々に対して『誓い』を破らなかったことを知るだろう」。 p.453「勝つには勝ったけれど−でも、ああ、なんて高い代価を払ったことでしょう」「自由の代価としたら高すぎはしないわ」「高すぎると思う、リラ?」「いいえ」「いいえ−生きているあたしたちがその代価にふさわしいことを示し−『誓いを守る』なら」。 ・・・・・・・今生きている僕たちの生は、過去に生きたすべての人々が関わっている。だから、自分の生は自分だけのものじゃない。過去に生きた人々からのバトンを引き継ぎ、未来の人々に渡すのが、僕たちみんなの使命なんだ。レ・ミゼラブルもそうだけど、過去の人々とのつながりを感じることのできる瞬間ってとっても大事なものだと思う。 一つ抵抗があったのは、みんな「正しい」という言葉を使いすぎること。そんなに一方が正しいことってないし、正しいって思うことは人間の傲慢だと思うんだけど。でも、正しいと信じるもののために人々が命をかけてはじめてわかったこともあるんだろうな。戦争のばからしさ、とかは2度の世界大戦でイヤというほど思い知らされなかったら、今みたいに多くの人が共有する考えにはなってなかっただろうから。 これにて、10巻に及ぶ大長編アンシリーズ、すべて読了。 01年3月28日水曜日 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル第1部」新潮文庫pp.1-89 今日から「ねじまき鳥クロニクル」です。人に奨めてたら、自分も読みたくなってきちゃったので。 やっぱり春樹独特の表現はいいですね〜。例えば、こんな感じ。 p.69「もっと何か人目を引くような特別な特徴が必要だろう。しかし僕にはそんな特徴をなにひとつとして思いつくことができなかった。もちろん僕に特徴がないというわけではない。失業していて、『カラマーゾフの兄弟』の兄弟の名前を全部覚えている。でもそんなことはもちろん外見からはわからない」。 話の内容ももちろんだけど、文章そのものがおもしろいもんな、村上春樹って。やはり天才。 それに主人公が危機に直面したときの「やれやれ」も大好き。こんなふうに、「やれやれ」を表現できるといいのにな。って、春樹を読んだ後って、主人公の「やれやれ」に感染しちゃうんだよね。 01年3月29日木曜日 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル第1部」新潮文庫pp.90-123 今日はどたばたしてたので、少しだけ。気に入った比喩表現を一つ。 p.94「実際に僕が結婚の申し込みに行ったとき、彼女の両親の反応はひどく冷たいものだった。まるで世界中の冷蔵庫のドアが一度に開け放たれたみたいだった」。 なんでこんなステキな比喩を思いつくんだろう。今日は一カ所だけしか抜き出さないけど、今日読んだわずか30頁のなかでも、同じくらいステキな表現がいっぱいありました。さすが春樹。 01年3月30日金曜日 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル第1部」新潮文庫pp.124-312 第1部読了。読みながら、「ほー」と感心した表現あったはずなんだけど、ぜーんぶ忘れちゃいました・・・・。すいません。ちょっと、今日はいろいろありまして、朝読んでいた部分がはるか昔のような感じになっています。いつもは、気に入った箇所を思い出せなくなっても、ページをぱらぱらめくってると思い出すんですが、今日はちょっと無理そうです。 01年3月31日 土曜日 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル第2部」新潮文庫pp.1-90 今日は少しだけ。読書の予定はなかったけど、ちょっと本を開くと思わずそれなりに読んでしまった。第2部になって話のスピード感がさらに増してきたから、一気にいけちゃうね。 何度読んでも解けない「ねじまき鳥の謎」をとくためのてがかりとおぼしき箇所を抜き出しておかねば。間宮中尉の手紙から2カ所。 p.72「そのゆな特殊な状況下にあって、私の意識はきわめて濃密に凝縮されており、そしてそこに一瞬強烈な光が射し込むことによって、私は自らの意識の中核のような場所にまっすぐに下りて行けたのではないでしょうか。とにかく、私はそこにあるものの姿をみたのです。(中略)それは何かです。それは生命をもった何かです。(中略)それは私に何か音調のようなものを与えようとしているのです。」 「何か」とはなんだ? p.75「人生というものは、その渦中にある人々が考えているよりはずっと限定されたものなのです。人生という行為の中に光が射し込んでくるのは、限られたほんの短い期間のことなのです。あるいはそれは十数秒のことかもしれません。それが過ぎ去ってしまえば、そしてもしそこに示された啓示を掴み取ることに失敗していまったなら、そこには二度目の機会というものは存在しないのです。そして人はその後の人生を救いのない深い孤独と悔悟の中で過ごさなくてはならないかもしれません。そのような黄昏の世界の中にあって、人はもう何ものをも待ち受けることはできません。彼が手にしているものは、あるべきであったもののはかない残骸にすぎないのです。」 「何か」とは「救いをもたらすもの」? そしてその機会は一度きり? 今回はこの謎を解けるのか? 本棚トップページへ |