梨木香歩

この人の本を初めて読んだのは高校生の時。
それから、好きになって何冊か読んだけど、この人の書きたいものは家族の系譜「母から娘に伝えられ、受け継がれるもの」だというのがこれまで読んできた本から読み取った、今の私の見解です。

自分を見失いそうになった主人公が自分の中に脈々と受け継がれてきた確かなものを発見し、自覚することで自己を確認し、成長していくというモチーフがほとんどです。

 紹介作品

 裏庭
 からくりからくさ
 りかさん
 西の魔女が死んだ




裏庭(理論社)

私が初めて読んだ梨木香歩の本です。

戦前、日本に住んでいたイギリス人の一家、バーンズ家の秘密の「裏庭」の話。それは普通の庭ではない、バーンズ屋敷のホールに掛かっている表面がぼこぼこに波打ってしまった古い大鏡から入っていく異世界の庭。(このあたりがとても私好み。)バーンズ家の家系には代々その裏庭に惹かれ、庭を世話する「庭師」が生まれるのだが、裏庭は「死の世界」にとても近いところにあるため、庭師はとても寿命が短いのだという。

これは主人公の照美が友達のおじいさんから聞いた、この話のプロローグとも言える部分。照美は、この話を聞かせてくれたおじいさんが倒れたと聞いて、小さい頃よく忍び込んで遊んだバーンズ屋敷の奥庭に行き、数年前に死んだ双子の弟のことや、その後、よけいに忙しく働き始めて会話をしなくなった父と母のことなどを思い、自分を消してしまいたい気分になって「裏庭」に入ってしまう。鏡の前に立ったとき、「フー・アー・ユー?(あなたはだれ?)」という声が聞こえ、照美はとっさに「テ・ル・ミィ」と応える。すると「アイル・テル・ユウ(教えてあげる)」という声が響いて裏庭への道が開いたのだ。照美の名前が、ちょうど英語の「テル・ミィ(教えて)」と同じ発音になってしまったから。この前、久しぶりに読み返して、なんというパスワードだろう、と思った。この裏庭が開くとき「あなたが何者なのか、教えてあげる」というのだ。私は梨木香歩のこういうところが好きだと思う。

もとの世界に戻ってきた照美は、母親と向き合い、自分と母親は同じものを受け継いでいてもまったく別個の人間だということに気が付き、それにとらわれすぎないでいいんだとわかる。家族の絆は大切なものだが同時に呪縛にもなる。人間が個として確立しようとするときにはその呪縛を断ち切って前進しなければいけないことがあるのだ、ということか。



からくりからくさ(新潮社)

梨木香歩の作品で、唯一、一般書に分類される本で、私がいちばん好きな本。

話は蓉子の祖母が亡くなったところから始まります。主要な登場人物は主人公で染織家見習いの蓉子、美大で染織を専攻している紀久と与希子、鍼灸師の資格を取ろうとしているアメリカ人留学生のマーガレット、それから蓉子が子供の頃に祖母からもらった市松人形のりかさん。りかさんは今回、直接は働かないけど要所要所で重要な役割をします。この4人と1体が、主のいなくなった蓉子の祖母の家に住み始め、りかさんを作った人形師で、与希子の先祖(後に紀久の先祖であることもわかる)の鬼才の面打ち師、澄月=赤光の因縁(作中の言葉を借りると「宿世の縁」)を調べて解き明かしていくことによって、蓉子、与希子、紀久の3人はそれぞれ抱えていた問題を昇華していく。それと関連しながら、マーガレットの祖先のトルコで過酷な同化政策が強いられているクルド民族の話や、日本の織物の話、家というものの考え方などがからまってきてとても味わい深い話だった。

少し長くなるけど、気に入った箇所をいくつか抜き出してみたいと思います。

「〜採ってきた柏の葉を細かく切り、そのまますぐ大鍋にぐらぐら柏の葉の色素を煮出していく。こういうとき、蓉子はいつも、隠れている何かの素性を白状させるような気がして、後ろめたいような興奮を感じる。」

「…古今東西、機の織り手がほとんど女だというのには、それが適性であった以前に、女にはそういう営みが必要だったからではないでしょうか。誰にも言えない、口に出していったら、世界を破滅させてしまうような、マグマのような思いを、とんとんからり、となだめなだめ、静かな日常に紡いでいくような、そういう営みが。…」

「遺跡というのはそういうものだが、まるで主のいない執事のように哀しくも規則正しく真面目に立っている。〜そのどこかに思い出のようにざわめきを残した深い森のような遺跡の静けさが好きだ。」

「…人は、きっと日常を生き抜くために生まれるのです。そしてそのことを伝えるために。クルドの人々のあれほど頑強な戦いぶりの力は、おそらくそのことを否定されることへの抵抗からきているのでしょう。生きた証を、生きてきた証を。…」

「ほら、このパターンはここから明らかに変化している。〜ねえ、大事なのは、このパターンが変わるときだわ。どんなに複雑なパターンでも連続している間は楽なのよ。なぞればいいんだから。〜本当に苦しいのは、変わる瞬間。根っこごと掘り起こすような作業をしないといけない。かといってその根っこを捨ててしまうわけにはいかない。根無し草になってしまう。前からの流れの中で、変わらないといけないから。」

こういう感性が、とても好き。うーん、とうならされる。この抜き出された言葉の半分ほどが紀久のもの。私は蓉子がいちばん好きだけれど、性質的には紀久がいちばん近いのかもしれない。

最後に、りかさんがもともと持っていた着物の柄が「よき(斧)、こと(琴)、きく(菊)」の語呂合わせの祝福の意味を持つのだという説明が出てきたところで、思わず嬉しくてにやりとしました。「よきこときく」…「与希子と紀久」。作者は、ちゃんと今回苦しんだ澄月の子孫の2人に祝福を与えていたのです。やってくれますね、という気分でした。



りかさん(偕成社)

『からくりからくさ』の番外編といえる話。りかさんと知り合ったばかりの子供の頃のようこと、りかさんのもとの持ち主で祖母の麻子さんとりかさんの3人のお話。私はこの『りかさん』を先に読んだので、『からくりからくさ』でりかさんが「ようこちゃん、ようこちゃん」と話しかけてくれないのがもの足りなかった。

麻子さんの人形の話が好き。やっぱり、うーん、という感じ。

「それは、死者の念がこもることも確かにある。でも、人形のほんとうの使命は生きている人間の、強すぎる気持ちをとんとん整理してあげることにある。…」

「…あんまり強すぎる思いは、その人の形からはみだしちゃって、そばにいる気持ちの薄い人の形に移ることがある。それが人形。」

「気持ちは、あんまり激しいと、濁っていく。いいお人形は、吸い取り紙のように感情の濁りの部分だけを吸い取っていく。これは技術のいることだ。なんでも吸い取ればいいというわけではないから。いやな経験ばかりした、修練を積んでない人形は、持ち主の生気まで吸い取りすぎてしまうし、濁りの部分だけ持ち主に残して、どうしようもない根性悪にしてしまうこともあるし。だけど、このりかさんは、いままでそりゃ正しく大事に扱われてきたから、とても、気だてがいい。」

「…人形遊びをしないで大きくなった女の子は、感が強すぎて自分でも大変。積み重ねてきた、強すぎる思いが、その女の人を蝕んでいく。」

『からくりからくさ』の機織りの話と通じる部分があります、やっぱり。りかさんが、大人の女の人に抱かれると、ときどき額からにょきにょきと角が生えてきてしまう(もちろん普通の人には見えない)というのも、『からくりからくさ』で言われている「口に出して言えないマグマのような思い」と関係あるんだろうな、思います。子供向けの本だけど、こういうところはいちいちおもしろい。

もちろん、純粋にお話も楽しめる。りかさんをとおしてようこが触れる、雛人形の騒動、ビスクド−ルの過去、戦争で敵性人形として焼かれてしまったママー人形とそれを愛した少女の話…。どれも、悲しいけれど救いのある話。とても好きです。



西の魔女が死んだ(小学館)

梨木香歩の最初の作品。

魔女が出てくるファンタジーかと思ったら、学校に行けなくなった主人公のまいと「西の魔女」のイギリス人のおばあちゃんとの生活を描いた作品でした。いきなり「西の魔女が死んだ」と始まって、何事かと思わせておいて、そこから、おばあちゃんの家での2人のしっかりと現実に根を張っているのに、どこか現実離れした生活が、まいの回想として書かれる。おばあちゃんの家での魔女修行。

「…魔法や奇跡を起こすのにも精神力が必要です。……おばあちゃんの言う精神力って言うのは、正しい方向をきちんとキャッチするアンテナをしっかりと立てて、身体と心がそれをしっかりと受け止めるって言う感じですね。」
やっぱり、おばあちゃんにこういうことを言わせるあたりが香歩さんだなと思う。

まいとおばあちゃんは気まずいまま別れてしまうけど、最後におばあちゃんが約束を果たしてくれるシーンは感動的です。