裏庭

「からくりからくさ」と並ぶ梨木香歩の力作。「からくりからくさ」と「裏庭」は、何度読んでも、新たな感動で心を揺さぶられます。ここでは、「傷」をキーワードに、「裏庭」の内容を整理してみます(←スケールの大きな作品なので、読んだだけでは僕にはとても内容を把握しきれないので)。*ここで挙げているページ数は、新潮文庫版のものです。

なお、「裏庭」を読んだことのない人は、僕の稚拙な文章を読む暇があったら、「裏庭」を実際読んでください。自分で言うのもなんですが、これから書くことで、「裏庭」の魅力を伝えることはできません。「裏庭」の世界に魅了されてしまった僕が、自分がよりよく「裏庭」の世界を理解したいがためにまとめた文章なので、はっきりいって「おもしろくない」です。



<裏庭の世界>
「裏庭」の話は大きくいくつかの部分に分かれます。まず、この本は、大きく2つの世界に分かれます。「裏庭の世界」と、「現実の世界」です(「裏庭の世界」も現実だと思うんですが、良い言葉が思い浮かばないので、とりあえずこの言葉で話を進めます)。この作品は、「裏庭の世界」と「現実の世界」で異なった字体が使われているので、この2種類の区別は容易ですね。

そして、「裏庭の世界」も話の流れからすると、大きく2つに分けられると思います。1つは、スナッフとともに「アェルミュラ」「チェルミュラ」「サェルミュラ」の3人の音読み婆を訪ねるところ。もう1つは、タムとともに、根の国を探索するところ。



<3人のおばばが語る、傷との取り組み方>
3人の音読み婆の「傷」についての語りは、この作品のポイントだと思うので、抜き出しながら整理してみます。


1.アェルミュラ−傷を恐れるな
アェルミュラのおばばは言う。「無理に指を動かすと、手ひどい傷を負った。しかたなく、今のような服を着るようになった。一枚の布に穴を開けただけの物だ。病はそれだけではおさまらず、皆、だんだん、無口になった。自分より他のものに関心がもてなくなってきたのだ。傷を負うことを恐れたのがそもそものことじゃ」と。さらに、この病の本質を、「つまり、他との接触が、触れ合うことが出来ないということじゃな」と言う。

簡単に言い換えると、「傷を負うことを恐れて、他人と触れ合うことを避けるようになり、自分だけに関心を向けるようになる」ということになるんじゃないかな。


2.チェルミュラ−傷に支配されるな
チェルミュラでは、「癒し市場」があるぐらいに、「癒し」がはびこっている。実際、テルミィも傷をおばさんに何度も治してもらう。だけど、1つの傷を治してもらっても、すぐ別の傷口が出来、しかも出血量は増加している。おばさんにもう一度治してもらおうとするテルミィに、スナッフは言う。「君は心からその服の傷を癒したいと望んでないんだよ。だって、そんな傷、何もそれほど君を脅かしているわけではないもの」と。

また、癒し市場の講習会では、「癒し手の皆さん、自信をお持ちになって下さい。たいていの場合、どんな患者さんのそれより、みなさんの傷は、大きく、深く、堂々としていて立派です。にもかかわらず、ご自分の傷は後回しにしても、人々の救済に回ろうとする、皆さんのお心がけは、げに貴いものと申せましょう」というような講演がなされている。
この言葉を聞いたスナッフは、「へっ。自分の傷と真正面から向き合うよりは、似たような他人の傷を品評する方が遙かに楽だもんな」と言い切る。

この癒し市場の例は、自分の傷と真正面から向き合わないような安易な「癒し」は、本当の癒しじゃないんじゃないか、という問題提起になっている。そして、チェルミュラのおばばは、真の癒しとは何かを語る。

「皆が自分の傷に捕らわれて、一歩もそこから抜け出せない」
「あらわになった傷は、その人間の関心を独り占めする。傷が、その人間を支配してしまうのだ。本当に、癒そうと思うなら、決して傷に自分自身を支配させてはならぬ」
「真の癒しは鋭い痛みを伴うものだ。さほどに簡便に心地よいはずがない。傷は生きておる。それ自体が自己保存の本能をもっておる。大変な知恵者じゃ。真の癒しなど望んでおらぬ。ただ同じ傷の匂いをかぎわけて、集いあい、その温床を増殖させて、自分に心地よい環境を整えていくのだ」
「癒しという言葉は、傷を持つ人間には麻薬のようなものだ。刺激も適度なら快に感じるのだ。そしてその周辺から抜け出せなくなる。癒しということにかかわってしか生きていけなくなる」


3.サェルミュラ−傷は育てていかねばならん
サェルミュラのおばばの言葉。
「皆が他を思いやり、皆が一つの考えにまとまるようになり、自他の境などないも同然になった。〜もう、ほとんどみんな溶けおうて、自分というものはなくなってしもうた。結局、最後に残ったのは、それぞれの傷の色じゃった。傷の色だけが微妙に違うた」
「どんな心の傷でも、どんなひどい体験でも、もはやこうなると、それをもっていることは宝になった。なぜなら、それがなければもう自他の区別もつかんようになってしもうたから」
「傷を、大事に育んでいくことじゃ。そこからしか自分というものは生まれはせんぞ」

この他にも、「え? これは私の傷なの? 服が勝手につけた傷じゃないの?」と言うテルミィに、おばばは「自覚のないうちは、自分のものにはできまいぞ」と言う。

ここでは、傷は人間になくてはならないもので、傷があるからこそ自分と他人の区別ができると、傷が肯定的に捉えられている。



<現実世界での傷(さっちゃん、夏夜さん、レイチェルの言葉)>
この傷に対する3つの捉え方は、現実世界でさっちゃん・夏夜さん・レイチェルの言葉にも、具体的にも表れてます。

例えば、夏夜さんの「私には、ある時期、確かに鎧が必要だった。けれど、鎧を着ているっていう自覚がないときは、私ではなく、鎧の方が人生を生きているようなものだったのね」(p.62)という言葉は、サェルミュラのおばばの「自覚のないうちは、自分のものにはできまいぞ」という言葉と共通しています。

また、レイチェルの「薬付けて、表面だけはきれに見えたとしても、中のダメージにはかえって悪いわ。傷をもってるってことは、飛躍のチャンスなの。だから、充分傷ついている時間をとったらいいわ。薬や鎧で無理にごまかそうなんてしないほうがいい」(p.278)という言葉は、チェルミュラの癒し市場を思い出させます。

これに続くレイチェルの言葉:「鎧をまとってまで、あなたが守ろうとしていたのは何かしら。傷つく前の、無垢のあなた? でも、そうやって鎧にエネルギーをとられていたら、鎧の内側のあなたは永久に変わらないわ。確かにあなたの今までの生活や心持ちとは相容れない異質のものが、傷つけるのよね、あなたを。でも、それは、その異質なものを取り入れてなお生きようとするときの、あなた自身の変化への準備ともいえるんじゃないかしら、『傷つき』って」(p.279)とか、「ちょっとはこたえることもあったけどね。でも、そういうことが、私を変化させる唯一のものだとある日気づいたのよ」(p.280)は、サェルミュラのおばばの「傷を、大事に育んでいくことじゃ。そこからしか自分というものは生まれはせんぞ」という言葉と共通してます。

他にも、「さっちゃんは、胸の中にごろごろと転がっている胸の痛む思い出を取り出そうとして、でも、自分が本当に伝えたかったことは、もっと別にあるような気がした。それで、そのごろごろたちを押し退けて、もっと奥にあるものを取りだそうと手を伸ばして、さっちゃんはすくんでしまった。そこには何もなかったのだ。何もなかった。真っ暗な底無しの穴のようだった。向き合うと真空の穴のように自分が吸い込まれていきそうだった」(p.284)という部分も、傷がなければ自分というものがないということになりますね。

このことに気づいたさっちゃんの言葉:「あんな恐ろしい穴を相手にしなければならないのなら、誰にも理解されずに一人でいた方がずっとましだ」(p.285)を聞くと、アェルミュラのおばばの「傷を恐れるな」という言葉の重さがわかります。

以上をまとめると:傷は恐ろしいけど、それを恐れてはいけない。その恐ろしさを見つめていかねばならない。傷は大切なものだから。だけど、この傷を見つめるときには、「安易な癒し」に頼ること、「安易な癒し」を「真の癒し」と勘違いすること、に注意しなければならない。…というような感じでしょうか?



<根の国>
根の国でテルミィはいくつかの出来事を乗り越える。この出来事の意味は、正直なところ僕にはまだ把握しきれていません。でも、簡単にまとめてみます。


1.綾子の悪口
テルミィは、現実の世界では聞いたことのないような、自分に対する綾子の悪口を聞く。その後、テルミィを追いかける化物が、自分の両親や友人たちを絞め殺すのを見る。そのとき、テルミィは感じる:「ショックを受けたのだ。あの化物の行為の残酷さにではない。むしろ、ロープを引いたのは自分かもしれない、ぐいっと、引いた感触が掌に残っているような気がする。そして、その瞬間の、爽快感にも似た、すっとした気持ち。ドミノ倒しの最後の一押しのように、破壊的な快感。あの化物がロープを引いたとき、確かに自分の心のどこかが、シンクロするように化物に寄りそい、その快感を共にした」

これに気づいたテルミィは、もう立ち上がるのも嫌になる。しかし、そのテルミィに突然、変化が訪れる:「−綾ちゃんが私をどんなに軽蔑していても、私自身は綾ちゃんの友達であることをやめたりはしない。だって、綾ちゃんは私に本当によくしてくれた。それは本当に本当のことだもの、私は綾ちゃんのおかげでどれだけ救われたかわからない。私は綾ちゃんが好きだ。この気持ちを本当に本当にするためにも私はずっと、綾ちゃんの友達でありつづけよう。綾ちゃんのためになることなら何でもしてあげよう」

テルミィは、綾ちゃんが好きだという気持ちを「本当に本当にするために」と言っている。ということは、現段階では、綾ちゃんが好きだという気持ちは確かだとしても、「本当に本当に」好きだとまでは言えないってことだろう。ここでテルミィが経験したみたいに、破壊的な快感を自分が持っていることも認めた上で「綾ちゃんがひょっとしたら私を軽蔑していたとしても、綾ちゃんが好きだと言える」ような経験を積み重ねていくことが、「本当の気持ち」に近づくことなんじゃないでしょうか?


2.餓鬼
自分に襲いかかってきた餓鬼の目に「限りない悲しみの影」を認めたテルミィは、餓鬼に自分の身を与える。餓鬼に喰われながら、テルミィは餓鬼の哀しみを共有する。

自分に襲いかかってくる者の「限りない悲しみ」を感じられるのは、すごいことだと思う。だけど、この試練はそれだけでは終わらない。

餓鬼に襲われたテルミィは倒れるが、「物のように、そこに崩れていることは、思いのほか気持ちの落ち着くことだった」と感じ、テルミィの感覚は薄れていく。そこにあの化物が近づいてくる。ここにきてようやく、テルミィは「死に物狂いで、それから逃れる方法」を考えるようになる。

もし化物が現れなければ、おそらくテルミィは永遠に倒れたままだったはず。となると、テルミィを前に進ませたのは、忌むべき化物への恐怖ということになる。忌むべき物が原動力になることもありうる、ということだろうか?


3.清浄な湖
清浄な湖に浮かびながらテルミィは思う:「何でここにこうしてずっと浮かんでいられないんだろう。この世の終わりまで。それが一番平和で安定していて幸せなのに。なんでわざわざ傷つきに、そして人を傷つきに歩き出さなければならないんだろう。テルミィは、よし、決めた、もうここを出ていくまい、と決意した」

ここに現れるのがまたあの化物。そして、テルミィは怒る:「怒りのために目の前が真っ暗になった。どこまでもしつこくまとわりつき、ことごとく汚していくあの化物に。そして、いつもいつも逃げ出さなければならない自分にも」

うーん、どういうことだろう? 化物が現れなければ、テルミィは前に進まなかった。化物から逃げ出さなければ、当然その場から前に進むこともできなかったはず。


4.険しい道
テルミィは険しい道で、進むことも退くこともできないように感じる。そのときテルミィに「でも、この道しかないはずだ」という確信のようなものがにじみ出てくる:「それは絶望にも似た、不思議な確信だった。『どうしたらいいの?』と誰かに助けを求めるとか、後戻りするとかいう考えは微塵も頭に浮かばなかった。人は生まれるときも死ぬときも、多分その間も、徹底して独りぼっちなのだ。テルミィはこの絶体絶命の瞬間に、お腹にたたき込まれるようにそのことを知った。それは不思議に清々しい気分だった」

そして、「独りぼっちだ」ということを認識したテルミィは、前に進めるようになる。


5.タムと化物
テルミィは、天使のように光り輝くタムと、醜悪な化物との間に、「相通ずる何かがある」と感じる。そのとき、テルミィは竜の1つ目を手に入れる:「二つのものが、今、一つになったんじゃないんだ。もとは一つだったんだ……みんな、みんな一つのものだったんだ」


以上が根の国の出来事。やはり、まだ理解しきれてませんね>僕



<作品全体を貫く「傷」>
ここで、広い視点からもう一度、この作品全体を見直してみましょう。

この作品のキーワードが「傷」なのは確かです。まず、照美・さっちゃん・パパに共通の最も大きな傷は、「純の死」でしょう。その次に大きな傷は、母親(民さん)によるさっちゃんの傷です。そして、冷たい母親から受けたさっちゃんの傷は、母親の愛情を示せないと言う形で照美にも及んでいます。その他の傷は、レベッカの存在によるレイチェルの傷と、レベッカの死によるマーチンの傷、かな? (夏夜さんの傷もあるんだけど、今回はこれは考えません)

この作品全体によって、これらの傷に真の癒しがもたらされたと考えられます。3人のおばばが言うように、傷を癒すためには、「傷を恐れず」「傷に支配されず」「傷を育む」ことが必要です。そして、「裏庭の世界」の扉が照美に開かれたのは、照美が「純の死の責任は自分にある」ことを思い出したのがきっかけです。つまり、無意識のうちに忘れようとしていた(←傷を恐れていたから)「純の死」を照美が見つめ始めたときに、この物語が始まっているわけです。

テルミィは、「裏庭の世界」で様々な経験をします。この経験それ自体が「傷に支配されず」「傷を育む」ことを具体化したものだと考えていいでしょう。テルミィの経験は、スナッフを自分が殺したことを筆頭に、大変なものでした。こう考えると、いかに「傷に支配されず」「傷を育む」ことが難しいことかを、おぼろげに感じられるように思います。

最終的に、照美は、「純の死」と「母親の愛情の欠如」という「現実世界」の2つの大きな傷を癒し、自分のものにすることができます。ここで一つ注意しておきたいのは、「同時にレイチェル・マーチン・レベッカの傷をも癒した」ということです。一つの傷に対する癒しが、他人の傷をも癒すことにつながっているわけです。なんだか、これはとっても大きな意味を持っていることのような気がします。

違った見方をすると、照美一家の傷は、レベッカ・レイチェル・マーチンの傷があったからこそ、癒すことができた、とも言えるかもしれません。だって、レベッカが育んだ裏庭がなければ、照美の傷は癒されなかったわけですから。

こう考えると343ページの
「『これは、レベッカの造りだした庭です。私は最初からレベッカの−幻の王女の跡を辿ってここまできたのです。私には、私の世界なんてないんです』。どこにも、とテルミィは心の中で絶望的に付け足した。−私はいつだって世界の外にたった一人でいた。『道がないのだから、ある程度先人の跡を辿るのはやむを得ますまい? 使えるところは使い、使えないところは新しくしていく。何も更地にしなければすべてが始まらないわけではないのですよ。この世界はすでにあなたの庭。けれどもまた、同時に別の人の庭であることも始めています」
という言葉が意味深く見えてきます。

テルミィが根の国で感じたように、人間は「人は生まれるときも死ぬときも、多分その間も、徹底して独りぼっち」だけど、同時に、大切な庭をお互いに共有しているものなのでしょう。



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と、いろいろ書いてきましたが、ラストシーンの照美の力強さを見ると、自分もがんばろう、と理屈なしに力が湧いてきます。

そのとき照美は、それをきいたママの、心臓の鼓動をはっきりと感じた。
しんとした夜更けだった、先を歩くパパの鼓動もきこえたように思った。
−ああ、そうだ、これは礼砲の音だ……
照美は目を閉じて思った。
−これは礼砲の音。新しい国を造り出す、力強いエネルギーの、確実な響き、

忘れないでおこう


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