荻原規子

荻原作品の魅力はなんといっても「おもしろいこと」。ほんとに読むのが楽しい。読み出したら、もうとまらない。勾玉三部作(『空色勾玉』『白鳥異伝』『薄紅天女』)、『西の善き魔女』『これは王国のかぎ』『樹上のゆりかご』、どれも抜群におもしろい。

『空色勾玉』の「あとがき」の荻原さんの言葉は、僕にとっては印象的だった:
自分の一番読みたいものは、ひとに期待せず、自分で書けばいいのだ。
ほんとにこの言葉どおり、読者が読みたいと思う作品を書いてくれるのが荻原規子さんだと思います。

僕も荻原作品が大好きなので紹介しちゃいましたが、僕の紹介なんかを読む前に、時の娘(荻原さん自身のHP)とか、矢じるしの先っぽの国(「1割本の部屋」→「勾玉三部作」)とかをごらんになってくださいませ。



<空色勾玉(徳間書店)>
神々が地上を歩いていた古代の日本「豊葦原」、光と闇がせめぎあう戦乱の世を舞台に、「水の乙女」と「風の若子」の冒険と成長、運命の恋を描き、圧倒的な人気を博したファンタジー。

↑これ、本のカバーに載ってる紹介そのまま引用しました。内容はまさにこのとおり。いやあ、この作品は、おもしろい! わくわくどきどきがいっぱい詰まってます。話の先が読めないというかなんというか、「これからどうなるんだろう」わくわくって感じです。最後の方はスケールが大きくなりすぎて、ちょっとぼーっとしてしまいますが。とにかく、夢中になって本を読みたい、という人にオススメの一品。

たとえば、この泉の水は澄んでいるでしょう。こんなに清らかなのは、ここの水がたえず新しくわいて出て、いっときもよどんでいる暇がないからだわ。豊葦原の美しさはそういうところにあるの。生まれては亡びて、いつもいつも移り変わっていくところに。どんなになごり惜しくても、とどめようと手を出しては成らないのよ。そうしたらその瞬間に、美しさも清さも、どこかへ失ってしまうから(p.254)



<白鳥異伝(徳間書店)>
『空色勾玉』に続く「勾玉三部作」の第二作で、ヤマトタケル伝説を下敷きにした壮大なファンタジー。

これがまたおもしろいんですよっ。「勾玉三部作」の中でも一番好きなのがこの作品。なんと言っても、日本各地に散らばった5つの勾玉を探し集めるという壮大なワクワク感がたまらない。

「そなたには教えたはずじゃ。わしら以外の橘はどこにおるか、申してみなさい」
「朝日ののぼる日高見の国、夕日の沈む日牟加の国、三野の国、伊津母の国、名の忘られた国、これら五つの国には勾玉があり、五つの橘がそれを守っております」(p.230)

敵味方に分かれた幼なじみの不器用なラブストーリーとしても楽しめるかも。うんうん。

それに、なんと言っても、登場人物たちがみんな魅力的なんだよねー。
やんちゃな主人公遠子はもちろん、頼りになる色男・管流、渋い脇役・七掬と役者に事欠きません。



<薄紅天女(徳間書店)>
『白鳥異伝』からさらに時代は下って、坂上田村麻呂の蝦夷討伐の時代が舞台。主人公は武蔵の国の少年2人。少年の母親は、なんと蝦夷の国の女神。そこに現れる都人、坂上田村麻呂。そして、主人公たちと坂上少将は、蝦夷に赴く。さて、蝦夷を舞台にどういう話が繰り広げられるのだろう? わくわく。

……と思いきゃ、話の後半は都に舞台が移ります。都の怨霊退治に乗り出す主人公たち。

ついで足を踏みしめて立った田村麻呂は、両手を結び合わせ、腹の底からしぼり出す声で唱えた。
(呪だ。この都人が呪を使うなんて……)藤太は息をのんだ。田村麻呂は、霊獣を相手どることに明らかに心得があるのだ。
「おぬしたちは知らぬだろうが、あれに似たものが、今、都にひんぱんに出没する。生き物でなく超常のものであり、見境なく出会った人々を殺すのだ。われわれはそれを『怨霊』と呼んでいる。今回わたしに下された主上の密命もまた、怨霊を封じる方策を求めてのものだった。伝説にある明玉の持ち主が、これを封じる力を持つと占に告げられたため、あてにはならない希望を託しての探索だったのだ」(pp.186-187)

そして、都に舞台が移ると、もう1人の主人公が登場。なんと帝のお姫さま。このお姫さまがまたやんちゃで魅力的なんだわ。男装の少年になって、主人公たちと合流。そして話が動きだす……。

ちなみに、「あとがき」を見ると、荻原さんが描きたかったのは、このお姫さまだったみたい。
今回書きたかったのは、これはどうしても『更級日記』に出てくる「たけしば」の物語だということになりそうです(p.481)



<西の善き魔女(中央公論新社)>
和風ファンタジーを極めた『勾玉三部作』から一転して、この作品は洋風ファンタジー。(……最後の方はSFの要素が強くなってくるんだけど)。荒野で純朴に育ったフィリエルの人生は、15歳を迎えると急展開を遂げる。彼女はなんと女王家の血を引いていたのだった。そして、異端の研究者として命を狙われる幼なじみのルーンの行方は? 女王家の血が持つ特別な意味とは? 世界の壁とは? 竜退治の行方は? 竜の存在意義とは? そして、賢者と吟遊詩人とは?

……という設定のお話。荻原さんの作品らしく、どんどん壮大になっていくストーリーに興奮。これがまた長いんだ(笑)。単行本版だと、分厚いのが4冊。本編自体は、2巻の途中で終わるんだけど、そこから3本の外伝が続く。しかも、外伝3は外伝というよりは完結編という感じ。僕は外伝3の緊迫感が一番好きかも。

『勾玉三部作』に比べると、少し熱中度は落ちる(ような気がする)けど、それでも他の作家の作品に比べると、麻薬指数は十分に高い。『勾玉三部作』で荻原規子ファンになった人は読んでおいて損のない作品だと思う。

作品全体を通じて、フィリエルの前向きな(無茶苦茶な)エネルギーが世界をかき混ぜていくんですが、いちばん印象に残ったのは、このセリフ↓

正しいか、正しくないかは答えがでない。それでもあたしには、捨てられるものとどうしても捨てられないものとがあるのだから……(第2巻、506ページ)

「自分にとって、一番大切なだれかは、主観的に世界全体よりも重要だ」(荻原さん自身のHPでのコメント)というフィリエルの考えが一番印象に残るのはこのシーンだった。

この作品も、荻原さん自身の作品紹介が詳しいです。



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