からくりからくさ
梨木香歩さんのこれまでの作品の中で、僕が一番好きな作品です。
この作品は、これまで4度読みましたが、なかなか自分なりにまとめるのは難しいです。というよりも、わざわざ僕がまとめる必要もないのかもしれません。本の中にいろいろなことがぎっしりつまっているのから。
ということで、この作品に関しては、うだうだ僕のつまらん解説は極力しないでおきます。「裏庭」はわりと「解説した」って感じになりましたが、「からくりからくさ」はそういう書き方は適さないように思います。
・・・とは言うものの、少しはまとめておきます(←結局なにがしたいねん^^;)。
この本のメインテーマは、「唐草模様につながるいろいろなこと」って感じでしょうか? なんせタイトルが「からくりからくさ」(唐草模様のからくり?)なんですから(笑)。
では、まずこの唐草模様に関係した箇所を本文から抜き出すことにします。
(なお、今回引用したページ数は新潮文庫版のものです)。
唐草のからくり
p.145
「そういう人たちが自己表現をして生きていくことを、私は否定しない。ただ、平凡な、例えば植物の蔓の連続模様が、世界中でいろんなパターンに落ち着きながら無名の女性たちに営々と染められ続けたりするのをみると、ときどき、個人を越えた普遍性とか、永遠のようなものを、彼女らは自分では気づかずに目指してたんじゃないかと思うのよ」
p.408
「ほら、このパターンはここから明らかに変化している。(中略)ねえ、大事なのは、このパターンが変わるときだわ。どんなに複雑なパターンでも連続している間は楽なのよ。なぞればいいんだから。変わる前も、変わったあとも、続いている間は、楽。本当に苦しいのは、変わる瞬間。根っこごと掘り起こすような作業をしないといけない。かといってその根っこを捨ててしまうわけにはいかない。根無し草になってしまう。前からの流れの中で、変わらないといけないから」
「唐草の概念はただひとつ、連続することです」
p.429
「ねえ、これからきっと、こうやって、僕たちも、何度も何度も、国境線が変わるようなつらい思いをするよ。何かを探り当てるはめになって、墓を暴くような思いもする。向かっていくんだ、何かに。きっと。小さな分裂や統合を繰り返して大きな大きな、緩やかな統合のような流れに。草や、木や、虫や蝶のレベルから、人と人、国と国のレベルまで、それから意識の深いところも浅いところも。連続している、唐草のように。一枚の、織物のように。光の角度によって様々に変化する。風がふいてはためく。でも、それはきっと一枚の織物なんだ」
p.430
「蔦唐草。鳥や花、獣までその蔓の中に抱き込みながら伸びていく蔦唐草のツタ、伝えるのツタ。断ち切れないわずらわしさごと永遠に伸びていこうとするエネルギー。それは彼らの願いや祈りや思いそのものだったんだ」
「自分の与かり知らぬ遠い昔から絡みついてくる蔓のようなものへの嫌悪といとおしさ。蔓は個の限界を超えようと永遠を希求する生命のエネルギーだ。
呪いであると同時に祈り。憎悪と同じぐらい深い慈愛。怨念と祝福。同じ深さの思い。媒染次第で変わっていく色。経糸。緯糸。リバーシブルの布。
一枚の布。
一つの世界。
私たちの世界。」
p.439
「……この川は、きっと、あのマグマと同じ場所を別の位相で流れている。永遠に混じり合わない唐草のように……
『……永遠に混じり合わない唐草。二体のりかさんたちのように』」
・・・以上で抜き出したように、
「個人を越えた普遍性」「変わること」「連続すること」「伝えること」「混じり合わないこと」などが、唐草のキーワードですね。
こうやって並べると気づくことがありませんか? そう、「変わること」と「連続すること」、「普遍性」と「混じり合わないこと」は、一見すると、反対のことのようにも思えます。p.430で抜き出した箇所にも、呪いと祈り、憎悪と慈愛・・・と反対することが並べられてます。極端に偏らない反対概念を包括した考え方、僕は梨木香歩さんのこういうところが好きです。僕が梨木香歩さんの作品を読むと、全然違和感を持たずにほっとするのは、たぶんこういうところに理由があるんでしょうね。
伝えること
さて、唐草のキーワードに関係したことがこの作品ではいろいろ述べられていますが、僕が最も惹かれるのは、「伝えること」ですね。個人的には「からくりからくさ」読んでて一番感動するのはこの箇所です。以下、引用。
p.70
「そうね、人は何かを探すために生まれてきたのかも。そう考えたら、死ぬまでにその捜し物を見つけ出したいわね」
「でも、本当にそうだろうか。それなら死ぬまでに捜し物が見つからなかった人々はどうなるのだろう。例えば、祖母の捜し物は何で、祖母はそれを捜し当てたのだろうか」
p.395
「伝えること 伝えること 伝えること
大きな失敗小さな成功 挑戦や企て
生きて生活していればそれだけで何かが伝わっていく
私の故郷の小さな島の、あの小さな石のお墓の主たちの、生きた証も今はなくてもきっと何かの形で私に伝わっているに違いない。きょうのあのおばあさんが、私が教えたと繰り返したように。
私はいつか、人は何かを探すために生きるんだといいましたね。でも、本当はそうじゃなかった。
人はきっと、日常を生き抜くために生まれるのです。
そしてそのことを伝えるために。
クルドの人々のあれほど頑強な闘いぶりの力は、おそらくそのことを否定されることへの抵抗からきているのでしょう。
生きた証を、生きてきた証を。」
何度も言いますが、「からくりからくさ」を読んでて、僕がいちばん好きなのは、p.395の「私はいつか、人は何かを探すために生きるんだといいましたね。でも、本当はそうじゃなかった。人はきっと、日常を生き抜くために生まれるのです。そしてそのことを伝えるために」という箇所。この箇所が、読んでて一番震えがくる箇所。
変化すること
「変化すること」に関しても是非とも抜き出しておきたい箇所があります。
p.393
「生き物のすることは、変容すること、それしかないのです。
それしか許されず、おそらくまっすぐにそれを望むしか、他に、道はないのです。だって、生まれたときから、すべてこの変容に向けて体内の全てがプログラミングされているのだもの。
迷いのない、一心不乱な、だからこそ淡々としたその一連の営みは、わたしの出会った、何人かの織り子たちに感じたものと同じでした。個を越えた何か、普遍的な何かと交歓しているような……。
幼虫の姿ではもう生きていけない。追い詰められて、切羽詰まって、もう後には変容することしか残されていない。」
次の展開
この作品のメインテーマに関してはだいたいこんなところだと僕は思います。もちろん、この作品には他に支流のように流れるテーマがいくつかあって、それがこの作品の深みにつながってるんだとは思いますが(例えば、蓉子たちの家の中心には、りかさんと亡くなった蓉子の祖母がいるという考え方とか、「命のお旅所」という考え方とか)。
最後にこの箇所も抜き出しておきます。
p.437
「赤光は確かにこれ(注:人の恨みや怒りや憎しみなどがつまった業火の溶鉱炉のようなマグマ)を見たのだろう。そして自分たちにそれを伝えた。問題はその次だ。次の展開だ。
神崎が探しているのも、たぶん」
そう、「問題はその次だ。次の展開だ」なんです。紀久はこう思った直後に、「存在ということ全ての底で、深く淵をなしながら滔々と流れゆく川。ひとつに繋がりゆく感覚」(p.439)を、業火のマグマと対比するものとして感じます。話の流れからすると、この川が「次の展開」に当たるものだと思います。確かに、「ひとつに繋がりゆく感覚」っていうのはこの作品中でも何度か登場した感覚ですから、この「次の展開」までも、「からくりからくさ」の中で描き切られている、と考えることもできます。・・・でも、僕的には、この「次の展開」をもう一度、梨木さんに別の作品の中で扱って欲しいような気がします。
最後に
「からくりからくさ」には本当にいろいろなことが詰まっていると思います。他の小説に比べると、「こんなに詰め込んでいいのか」と思うぐらい(「裏庭」にもいろんなことが詰まってましたけどね)。でも、詰め込んだことによって、怒濤のように一気に感動が襲いかかってくるという効果を出すところが、梨木さんの持ち味の一つだと僕は思います。ただ、これだけ多くのことを詰め込んだ作品を作り上げるのに要するエネルギーは、すごいものだと想像できます。「からくりからくさ」に詰め込んだテーマは、他の作品を書くときにも使えるんじゃないか(使わないともったいないんじゃないか)と考えるのは素人考えでしょうか?>梨木さん ←ってここで聞いてどうする?>僕(笑)。ファンレターでも出そうかな(笑)
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