私の大切な本
私の大切な本を10冊挙げるとこうなります(2003年2月現在)。
モンゴメリ『赤毛のアン』シリーズ
アンは本当に素敵な女の子。常に前進しようとするパワーにはいつも勇気づけられる。アンとギルバートのような恋人同士に憧れました。国も時代も違うのに自分と重ねて考えられる。私の大切な本。
ヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』
自分という存在の不思議さ、自分たちを取り巻く世界の不思議さに気づかせてくれる。「今私たちが見ている星の光は何百年、もしかすると何億年も前の光」言われてみれば当たり前のことに気がついたのは、この本を読んだからでした。哲学史の方を読むのにかなりのエネルギーを要するのでおいそれとは読み始められないけど、何度も読みたい本。
ミヒャエル・エンデ『モモ』
子どもの頃から大好きな本。この勇敢な女の子の冒険物語は何度読んでも飽きない。忙しさに我を忘れそうになったときに読みたい。
司馬遼太郎『竜馬がゆく』
中学時代からの憧れの人、坂本竜馬の生涯が魅力的に(美化されすぎだという声もあるが)描かれている。この本を読んで竜馬に惚れました。
遠藤周作『沈黙』
私が初めて遠藤周作の作品を「読んだ」と思った本。正確には、遠藤作品はそれまでに2冊ほど読んだことがあったのだけど。比較的短い話に遠藤氏のテーマが集約されていて、完成度も高く、読み応えがあった。
三浦綾子『道ありき』
これは小説ではなく三浦さんの自伝。戦時中に教師をしていた過去から入信に至るまでのことが書かれており、信念の人三浦綾子の強さのわけが少しだけ理解できた。
梨木香歩『裏庭』
自分の姿を見つめ直したいときに読みたい本。この本に描かれていた「傷」についての記述は興味深い。これについては一度自分なりに読み直して整理してみたい。家族の絆や、そこに受け継がれているものを大切にしながらも、一人一人は別個の人間として生きてよいのだ、という考え方が好き。
梨木香歩『からくりからくさ』
これは「裏庭」と根底にあるものはだいたい同じと考えていいと思う。ただ、読者の年齢層が少し上に想定されているので、「裏庭」よりもどろどろした部分が掘り下げてある感じがする。恨みや憎しみを昇華して前進するパワーに変えていく若い女性たちの姿が、とても清々しい。梨木香歩の作品で一番好きな本です。今のところ。
荻原規子『空色勾玉』(『勾玉三部作』)
この本を読んで初めてファンタジーというジャンルを意識したのだと思う。神話を下敷きにした壮大なスケールの物語に否応なく引きずり込まれて一気に読んでしまい、読み終わった後はしばらく他のことが手につかなかった。荻原規子の作品では、必ず主人公の少年少女が15歳で宿命的な冒険をすることになる。私も15歳になったら何か起こらないかと、少しだけ期待していたのだけど、残念ながら何事も起こらず、15歳の時は平凡に過ぎて…今に至ります。
荻原規子『樹上のゆりかご』 「これは王国のかぎ」が出てから10年近くたって書かれた続編、と言うよりは姉妹編ということで、2作そろっておすすめしたいですが、荻原さんの新しいスタイルを見たという点で「樹上のゆりかご」を挙げます。
この本を読むと自分の高校時代のことがすごく思い出される。高校生くらいの女の子が悩むあれこれ、女友達のこと、男の子のこと、学校のこと、などなど、あぁ、そうだった、と素直に共感できます。
ちょっと補足、というか…。
こうして見直してみると、やっぱり児童書が多いですよね。私が挙げてるの。10冊挙げてるうちの4冊?(←児童書として良いか内容的にちょっと判別しにくいものがあるから。)こういうラインナップになってくるのは、私の子どもの頃の読書の仕方の影響が大きいのでしょう。
我が家には、私が小学校に入学する年までテレビがありませんでした。家にテレビが入ってからも、テレビ番組(特にバラエティー番組のようなもの)は子どもにとって害悪だと考える両親の信念に基づいて、私たち子どもが好きな番組(とはいっても全く好き勝手に選べるわけではなく、両親の同意が必要)を見ていい時間は1日30分と決められ、私たちが勝手にテレビを点けたり、チャンネルを変えたりするということは許されませんでした。(とはいえ、何事にも抜け道はあるもので、私は放課後預けられていた母の実家で祖母と一緒に「おかあさんといっしょ」や「一休さん」や「銀河鉄道999」「水戸黄門」「遠山の金さん」などを見ていたのでしたが)
もちろんテレビゲームなどというものも買ってもらえませんでした。だから私にとっては、読書はテレビと同レベルかそれ以上の娯楽であり、本は最高の遊び道具だったのです。(同じ年くらいの友達にはずいぶん変人扱いされたけど、何事ものんきな田舎のことでテレビの話が合わないことで仲間はずれにされたり、いじめられたりということもなく育つことができました)
そんな風なので、今になっても基本的な読書の姿勢はその頃と変わらず、一応成人して、大人向きの小説もたくさん読みましたが、こうやって「大切な本」として挙がってくるのは、半分以上は中学・高校の頃までに読んだ本になってしまうわけです。いろんな本の読み方をする人がいるでしょうが、私にとっての読書の最大のポイントは、「知識を得る」でも「考えを深める」でもなく、「楽しんで読める」ことなのです。(←もちろんこれらのことが付随してくれば言うことなしですけど)
1年前は……↓
私の大切な本を10冊挙げるとこうなります(2002年1月現在)。
モンゴメリ『赤毛のアン』シリーズ
アンは本当に素敵な女の子。常に前進しようとするパワーにはいつも勇気づけられる。アンとギルバートのような恋人同士に憧れました。国も時代も違うのに自分と重ねて考えられる。私の大切な本。
ヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』
自分という存在の不思議さ、自分たちを取り巻く世界の不思議さに気づかせてくれる。「今私たちが見ている星の光は何百年、もしかすると何億年も前の光」言われてみれば当たり前のことに気がついたのは、この本を読んだからでした。哲学史の方を読むのにかなりのエネルギーを要するのでおいそれとは読み始められないけど、何度も読みたい本。
ミヒャエル・エンデ『モモ』
子どもの頃から大好きな本。この勇敢な女の子の冒険物語は何度読んでも飽きない。忙しさに我を忘れそうになったときに読みたい。
司馬遼太郎『竜馬がゆく』
中学時代からの憧れの人、坂本竜馬の生涯が魅力的に(美化されすぎだという声もあるが)描かれている。この本を読んで竜馬に惚れました。
五味川純平『人間の条件』
人間は極限状態でどう生きるか…。愛する人のところへ帰り着くために、人殺しを繰り返さなければならない、という自己矛盾に苦しみながらも、人間らしく生きようとする主人公の姿に胸を打たれた。それと同時に、戦争が人間の人生をどれほど歪めるかということを、改めて見せられて息苦しくなるような怒りを覚えました。
遠藤周作『沈黙』
私が初めて遠藤周作の作品を「読んだ」と思った本。正確には、遠藤作品はそれまでに2冊ほど読んだことがあったのだけど。比較的短い話に遠藤氏のテーマが集約されていて、完成度も高く、読み応えがあった。
三浦綾子『道ありき』
これは小説ではなく三浦さんの自伝。戦時中に教師をしていた過去から入信に至るまでのことが書かれており、信念の人三浦綾子の強さのわけが少しだけ理解できた。
梨木香歩『裏庭』
自分の姿を見つめ直したいときに読みたい本。この本に描かれていた「傷」についての記述は興味深い。これについては一度自分なりに読み直して整理してみたい。家族の絆や、そこに受け継がれているものを大切にしながらも、一人一人は別個の人間として生きてよいのだ、という考え方が好き。
梨木香歩『からくりからくさ』
これは「裏庭」と根底にあるものはだいたい同じと考えていいと思う。ただ、読者の年齢層が少し上に想定されているので、「裏庭」よりもどろどろした部分が掘り下げてある感じがする。恨みや憎しみを昇華して前進するパワーに変えていく若い女性たちの姿が、とても清々しい。梨木香歩の作品で一番好きな本です。今のところ。
荻原規子『空色勾玉』(『勾玉三部作』)
この本を読んで初めてファンタジーというジャンルを意識したのだと思う。神話を下敷きにした壮大なスケールの物語に否応なく引きずり込まれて一気に読んでしまい、読み終わった後はしばらく他のことが手につかなかった。荻原規子の作品では、必ず主人公の少年少女が15歳で宿命的な冒険をすることになる。私も15歳になったら何か起こらないかと、少しだけ期待していたのだけど、残念ながら何事も起こらず、15歳の時は平凡に過ぎて…今に至ります。
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