周布政之助
Sufu Masanosuke (1823- 1864)
父は長州藩大組(68石余)周布吉左衛門兼正。文政6(1823)年9月父の名跡を継ぐ。男爵周布公平の父。明倫館に学び、家禄六十八石で大津の代官などをつとめていたが、天保改革の功臣村田清風に認められて昇進をかさね、ついに行相府にのぼり藩政の実権を握るといわれた右筆となった。藩政改革に尽くした能吏で、保守派の椋梨藤太と対立、政争をくりかえした。吉田松陰や高杉晋作らに理解を示し、これを保護し、桂小五郎と共に宇和島藩や幕府に流出しかけていた大村益次郎を長州に呼び戻す根回しを行った。しかし松陰の過激な行動を支持しきれず投獄にふみきった。土佐藩士と問題を起こし、麻田公輔と改名。禁門の変や下関戦争の後、力を失い、元治元年(1864)椋梨らが藩政を握って粛清を強行したころ、ノイローゼのような症状をみせて山口矢原の庄屋吉富簡一邸に仮寓中、自殺を遂げた。42歳