三吉慎蔵
Miyosi Sinzou (1831-1901)
長府藩士、友三郎。小坂土佐九郎の次男として生まれる。安政4(1857)年、三吉十蔵の養子になった。藩校敬業館、萩の明倫館に学び、武術は特に宝蔵院流槍術にすぐれ長州藩師範小幡源衛門から免許皆伝者でもあり、「槍の慎蔵」と呼ばれ藩中に適う者はいなかった。文久3(1863)年、下関における外国船砲撃に関与し、大砲鋳造掛締方・精兵隊諸事肝煎をつとめた。慶応2(1866)年1月、藩命により龍馬と同行して京都に赴いた。これが両者の出会いの初めであり、間もなく伏見寺田屋で龍馬とともに幕吏に襲われたが、危地を脱出。以後、龍馬から人間的に厚く信頼され、「万一の御報知仕候時ハ、(略)愚妻おして尊家に御養置可被遺候よふ」と、お竜の将来を託された。その功で毛利敬親から新身刀の下賜、長府藩主から20石の加増を受け、さらに目附役に任じられる。龍馬が暗殺された時、実直にその付託にこたえ、お竜を数ヶ月間自宅に引き取って面倒をみた。維新後は、廃藩置県後、毛利家の家扶を勤める。また宮内庁御用掛として明治10年から23年まで北白川宮家の家令を勤める。その後、帰郷し悠々自適の生活を送る。明治政府から従六位を賜る。功山寺墓地に眠る。
三吉さんの裏話
三吉さんと龍馬をくっつけたのは高杉晋作だった。その頃の龍馬は薩長同盟に奔走していたので、高杉は龍馬の身を心配した。そこで、6連発式のピストルと護衛役として三吉さんを龍馬に会わせたんだって。