桑名藩
松平家
11万3千石

佐幕で幕末に京都で活躍した藩というと、会津や新撰組。長州、薩摩とかになり、あまり注目されていないのが桑名藩である。(伊勢湾台風で資料が失われたのも原因らしい)
桑名藩は、今の三重県桑名市で幕末、藩主の松平定敬は京都所司代を勤める。定敬は、会津の容保の異母兄弟である。一橋慶喜、松平容保(会津)、松平定敬(桑名)。京都で佐幕の中核を為したこの3者は、「一会桑」と長州浪士などに敵愾心を燃やされるわけです。
京都所司代になったのは、定敬が18歳の時である。兄・容保の要望だったらしい。守護職から長州討伐の為に陸軍総裁職となっていた容保が、再度守護職を拝するにあたって出した条件が、実弟・定敬の所司代登用。鳥羽・伏見の戦いの後、藩主が(慶喜に連れられ)暗闇に乗じて江戸に行ってしまったこともあって、藩論は真っ二つに割れ、大論争となる。結局は、神前でお御籤を引いて恭順に決定するが、もちろん抗戦派は納得しなかった。恭順派は前藩主の子を立てて、早々に恭順を願い出る。抗戦派は北越や会津で戦い、庄内または箱館で降伏。藩主である定敬自身は抗戦派。江戸から柏崎、会津、仙台、箱館と転々としている。