元田 永孚
Motoda Nagazane (1818-1891)
藩校・時習館に学び、そこの塾長をしていた横井小楠に師事する。横井小楠と共に実学党を結成する。熊本藩を佐幕思想へと導く。
第一次長州征伐では小倉方面へ出陣し、陣中で西郷隆盛と会談する。第二次長州征伐では出兵を拒み、諸藩の情勢を藩内に伝える。
1868年以降は、側用人兼奉行に任じられ、藩内で勤王を説く。翌年には、私塾・五楽園を開く。1870年、大久保利通の推挙を受け、宮内省に出仕する。
 明治天皇のご意向を受けて、「教育勅語」作りに深く関わった。元田は天皇に『論語』などの講義をした侍講(じこう)で、明治天皇の信任が厚かった。「教育勅語」を作るに先立って、元田が明治天皇から命じられたのは、日本の児童に日本の伝統的倫理精神を教育することを目的とした、道徳教育の入門書「幼学綱要(ようがくこうよう)」の編集だった。元田は日本や中国の古典に題材を求め、次のような児童に教えるべき二十の徳目を掲げる。
 孝行(親の恩に感謝すること)、忠節(国家に忠誠を尽くすこと)、和順(夫婦は仲むつまじくすること)、友愛(兄弟姉妹は仲良くすること)、信義(友人は助け合うこと)、勤学(一心に勉強すること)、立志(志を立てること)、誠実(正直で真面目なこと)、仁慈(じんじ=思いやりの心を持つこと)、礼儀(礼儀正しいこと)、倹素(けんそ=無駄遣いを慎むこと)、忍耐(我慢して忍ぶこと)、貞節(女子として操を守ること)、廉潔(れんけつ=心や行いをきれいにすること)、敏智(機敏に知恵を出すこと)、剛勇(不動心を養うこと)、公平(えこひいきをしないこと)、度量(心を大きく持つこと)、識断(しきだん=正しく判断すること)勉職(べんしき=真面目に仕事をすること)
維新後の教育に深く関与する。享年73歳