国際展は文化のレジュメを鮮明にする

吉田豪介

 1991年から始まっている「パシフィック・リム・アートナゥ」展は、小樽では数少ない国際展の一つで、今回で5回目となり、その実績が評価されている展覧会でもある。

 企画を推進しているのは、井上義江、江川光博、角野由和、ナカムラアリら小樽在住の画家たちと、大瀧憲二、柿ア熙、国松明日香ら札幌在住の造形作家たちで、毎回アメリカ西海岸に住むアーティスト数人の招待をハイライトにしている。そして今回の参加者は、日本側で前記委員のほか佐々木徹、佐渡芙二夫、中丸大輔、日野間尋子、山田恭代美、吉岡まさみ。アメリカ側からは、もう顔馴染みであるケリー・ディドワイラーはじめ、ドン・フリッツ、ルーク・バートル、スーザン・フェルター、デビット・ピース、シーン・ボイルズが加わり、総勢で19名となっている。

 さて出品作品だが、日本側では大半が抽象系の表現形式を採っている。それらの創作活動を一まとめにして語ることは当然困難だが、たとえノン・フィギャラティフへ傾斜していても、イリュージョンまで拒んでいる作品は見当たらない。ある作品では、色彩を選ぶ姿勢や動勢を感じさせるタッチに、どこまでも広がる大空や爽やかに流れる風を感じとることは容易だし、日々の心情の起伏や感応を、個人の無意識層から浮上させようとしたり、社会批評的な視点で検証したりする作品もある。また造形作品においても、水の流れや種子の飛翔を連想させる表現傾向を、指摘することは難しいことではあるまい。

 一方のアメリカ側は、これまでの傾向として、ポップでファンシーな作品が主流であった。西海岸での日常生活を表徴するようなモチーフがたっぷり積み重なっていて、乾いたユーモアと少しシニカルな味付けが魅力であった。多分今回も、まさにカリフォルニアの明るい日差しと涼しげな風を活き活きと運び込んで、会場を賑わせると思われる。

 この国際展において、見る側は、太平洋をはさんだ二つの文化のレジュメ(概要)の相違を、さらに個々人の創作活動におけるアイデンティティーのあり様を、明瞭に感じとることになろう。私は一例として、一方には自然への共感が濃厚にあり、一方は人の暮らしが主題となっていることを指摘したが、もう一つは、佐々木徹と、D・フリッツやS・ボイルズらの、それぞれの現代社会へ向けた視線の違いを早く見てみたいと思っている。つまり作家の背景に横たわるきわめて個人的な歴史や価値観の違いは、日々に更新していて、作品をじかに比べてみることでしか、深く理解できないであろうと感じているからだ。

 時代は美術動向を絶え間なく革新させていく。20世紀中葉にアメリカ東海岸で興った抽象表現主義は、たちまち全世界を席巻し、美術評論家クレメント・グリーンバーグの唱える「平面性とその平面の限定性。この二つの基準さえ順法すれば、絵画として体験できるものを十分につくることができる。」がまるでバイブルになった。図像も象徴も、イリュージョンさえも否定され、60年代にはフォーマリズムやミニマリズムが旗印となった。

 しかし世紀末に出版されたヴァーノン・ハイド・マイナー著「美術史の歴史」では、ノーマン・ブライソンの「解釈の作業を経ずして絵画を見る人は存在しない。」という見解を紹介しながら、マイナーは、抽象表現主義であろうとも、わたしたちはどうしても絵を「読まず」にはいられないと、グリーンバーグの引き算を批判的に捉えている。

 現在、世界の美術動向はさらに素材や展示形式を拡張し、今や物質と形式という美術の基本要件の存在さえ脅かされはじめている。情報化社会が過度に成熟してヴァーチャル・リアリティー万能の時代を迎え、ハイデッガーのいう芸術の条件「真理が出来事となって出現する作品の衝撃性」など忘れ去られてしまうのではないかと、私は少し心配している。

よしだ ごうすけ
美術評論家/市立小樽美術館長

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