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 アラベスクは1981年5月、1982年5月の過去二度に渡り、日本でコンサートを行いました。当時、私はまだ高校生で金銭的な余裕もなく、また、地方に住んでいたということもあり、コンサートへは一度も行けなかったのがとても残念でした。


ARABESQUE JAPAN TOUR 1981

ARABESQUE JAPAN TOUR 1982


CONCERT IN KOREA

'81 SEOUL SONG FESTIVAL


 

ARABESQUE JAPAN TOUR 1981

パンフレット
開催日程
日時 場所
5月31日(日) 中野サンプラザホール(昼の部)
5月31日(日) 中野サンプラザホール(夜の部)
6月2日(火) 大阪厚生年金ホール
6月4日(木) 愛知厚生年金ホール
6月5日(金) 神戸国際会館
6月7日(日) 福岡市民会館


STUFF

JEAN FRANKFURTER CONDUCTOR and COMPOSER
MANFRED THIERS DRUMS
REINHARD TARRACH GUITAR
MATS BJOERKLUND GUITAR
WOLFGANG MEWES PRODUCER
KLAUS-JUERGEN WILCKE ENGINEER



 

ARABESQUE JAPAN TOUR 1982


パンフレット 開催日程
日時 場所
5月4日(火) 新宿厚生年金ホール
5月5日(祝) 新宿厚生年金ホール
5月6日(木) 宮城県民会館
5月7日(金) 静岡市民文化会館
5月8日(土) 中野サンプラザホール
5月9日(日) 札幌厚生年金ホール
5月11日(火) 神戸国際会館
5月12日(水) 倉敷市民会館
5月14日(金) 大阪厚生年金ホール
5月15日(土) 広島郵便貯金ホール
5月16日(日) 福岡サンパレス
5月17日(月) 鹿児島県文化センター
5月18日(火) 熊本市民会館
5月21日(金) 名古屋市公会堂
5月22日(土) 神奈川県民ホール
5月23日(日) 中野サンプラザホール
5月24日(月) 新宿厚生年金ホール
 このコンサート(5月5日(祝) 厚生年金ホールでの実況録音)の模様は、LP『ファンシー・コンサート』として発売されました。また、NHK TVでは『ラブリー・コンサート』として、NHK FMでも『FM ライブ・スペシャル/アラベスク・コンサート』として放送されました。TVやFM放送では、LP『ファンシー・コンサート』では聴くことの出来ない音源の「ペパーミント・ジャック」「恋は魔法」「インディオ・ボーイ」「ビリーズ・バーベキュー」「ステキな昼さがり」「ハイ・ライフ」も放送されました。また、収録(放送)時間を比べてみると、LP『ファンシー・コンサート』は、どの曲も短く編集されているのが判ります。LPと言っても、特大レーベルなので、収録時間も25分足らずのミニ・アルバム的要素が強いようです。


「JAPAN TOUR 1982」プログラムと各メディアでの収録(放送)曲一覧及び、収録時間

LP:『ファンシー・コンサート』
NHK TV:『ラブリー・コンサート』
NHK FM:『アラベスク・コンサート』

プログラム LP
全11曲/25分
TV放送
全12曲/45分
FMラジオ放送
全12曲/45分
オープニング ○ 0:28 ○ 0:28 ○ 0:28
ハロー・ミスター・モンキー

○ 1:12

○ 2:16 ○ 2:20
ハイ・ハイ・ハイウェイ      
ペパーミント・ジャック   ○ 3:22 ○ 3:22
今夜もロック・ミー      
ショット・イン・ザ・ダーク ○ 2:23    
ヤング・ファースト・ラブ ○ 2:06 ○ 3:16 ○ 3:28
恋は魔法   ○ 4:02 ○ 4:02
ローラー・スター ○ 2:17 ○ 3:50 ○ 3:50
幸せのジャックポット ○ 1:56   ○ 3:02
インディオ・ボーイ   ○ 3:48  
気になる心変わり ○ 1:55 ○ 4:21  
さわやかメイク・ラブ ○ 2:19    
ビリーズ・バーベキュー   ○ 2:59 ○ 2:59
ステキな昼さがり   ○ 3:36  
悲しみも二人      
ハイ・ライフ     ○ 3:15
キャバレーロに夢中 ○ 2:22 ○ 4:06 ○ 4:09
ミッドナイト・ダンサー ○ 2:07 ○ 3:40 ○ 3:49
終幕 ○ 3:06 ○ 4:37 ○ 5:14
恋にメリーゴーランド ○ 2:06   ○ 4:16
貴方を待って      
 「JAPAN TOUR 1982」でのプログラムは、「ハロー・ミスター・モンキー」の他は、4th〜14thのシングル・ヒット曲を中心に行い、「終幕」で一端、終了した後、「恋にメリーゴーランド」「貴方を待って」でアンコールという形だったようです。「貴方を待って」でアンコールなんて、ちょっとオシャレですね。
 TV『ラブリー・コンサート』では、一曲のみ「恋は魔法」でミシェーラがソロを取っています。この曲をよりタンゴ風にアレンジして、曲に併せサンドラとジャスミンの二人が、それぞれ赤いドレスと黒いタキシードを身につけ、ペアでタンゴを踊る部分はなかなかカッコ良いと思います。
 また、「ヤング・ファースト・ラブ」では、メンバーの3人がそれぞれ、父、母、娘の人形を持ちながら歌っています。『ファンシー・コンサート』でも、「おっとさーん!(ミシェーラ)」「むーすめ!(ジャスミン)」「おかあさん(サンドラ)」と、叫ぶ?メンバーの声が聴かれますね。サンドラが発音もアクセントも一番良いです。

STUFF

WOLFGANG MEWES MANAGING DIRECTOR & RECORD PRODUCER
ERICH LIESSMAN AUTHER CONDUCTOR, ARRANGER
KLAUS WILCKE SOUND ENGINEER
MICHAEL CRETU KEYBORDS
MATS BJORKLUND COMPOSER
REINHARD TRRACH DRUMS
NILS TUXEN GUITER
YUKI OGAWA KEYBORDS
MACK SHIMIZU PERCUSSION
*パンフへの記載はありませんが、JEAN FRANKFURTERは、1982年のツアーにも同行し、キーボードを担当していたようです。
 ここで注目すべきは、MICHAEL CRETUです。私もこのHP作成のために、コンサート・パンフからの記載をしていて初めて気がつきました。また、アルバムを見てみると、『キャバレーロに夢中』(1982.4)の裏には、ミュージシャンの名前がクレジットされており、そこにもMICHAEL CRETUの名前がありました。アラベスク解散後、サンドラがソロ活動をするにあたって、初めてマイケル・クレトゥとのコラボレーションを組んだのかと思っていたのですが、なんとアラベスク時代にキーボーダーとして来日するなど、既に接点があったのです!これは、エニグマやマイケル・クレトゥについて書かれたHPなどでもまったく紹介されていないことで、言わば「世界的新事実」なのであります!
 そして、『ラブリー・コンサート』のビデオを改めて見てみると、確かに「ミッドナイト・ダンサー」や「ビリーズ・バーベキュー」の曲の途中、キーボードを弾くマイケルの姿がチラッと映ります。「ビリーズ・バーベキュー」の時など、結構ノリノリでやっています。(^_^)




 ちょっと話は横道に逸れますが、マイケル・クレトゥは1978年、「怪僧ラスプーチン」などのヒットで人気絶頂期のボニーMのプロデューサーのフランク・ファリアンの元、クルーとしてアレンジやキーボードを担当していました。そう言えば、マイケルのソロ・アルバム『Legionnaires』(日本未発売/1983年)では、ボニーMのアルバム『10.000光年』(1984年)とそっくりな曲があります。発表年などから考えると、ボニーMがパクったということなのでしょうか、それともマイケルが同時に二つのアルバムで仕事をしていたということなのかもしれません。
 また、この『Legionnaires』の中の「Targets」と言う曲は、後にサンドラによって「シスター・アンド・ブラザーズ」としてレコーディングされ、ファースト・アルバム『ザ・ロング・プレイ』(1985年)に収録されました。また、同曲は日本でトヨタ・ターセルのCF曲に使用されました。この曲は、日本でのみシングルカットであることや、海外では珍しい3インチCDシングルということもあり、世界のサンドラ・ファンにとっては、貴重なアイテムとなっているようです。(*日本未発売のアイテムに関しては、原題(英語)のまま記載しています。)
 マイケル・クレトゥはボニーMの下を離れてから、ソロ活動のかたわら、1982年にアラベスクのレコーディングやツアーに参加、1985年のサンドラのプロデュースでヨーロッパ席巻、1990年のエニグマとしての世界的な大成功・・・などと、このあたりの活躍は非常に興味深いですね。

人気絶頂期のボニーMを支えたメンバー
一番右端がマイケル・クレトゥ。右から3番目(写真中では赤字)がプロデューサーのフランク・ファリアン

 また、同じボニーMのクルーの一人、Mats Bjorklund(左から4番目)も、アラベスクの1981年、1982年それぞれのツアーにギタリストとして参加しています。この辺の交流は大変興味深いですね。彼はファンの間で人気の高い曲の「ザンジバル」においても、ライターの一人に名を連ねています。アラベスクのほとんどの曲を作曲しているジーン・フランクファーターが、作詞のジョン・モーエイングの他に曲を共作したのは彼(1曲)と、ラスト・アルバムにおいて、K. Taylor(2曲)だけです。
 彼はボニーMのアルバム中の曲でも、「Silent Lover(1977)」「Never Change Lovers in the Middle of the Night(1978)」「Silly Confusion(1981)」「10.000 Lightyears(1984)」の共作者としてもクレジットされています。*(  )内は収録アルバムのリリース年です。

 しかし、アラベスクとボニーMに共通の作曲者がいたり、また、今ではヒーリング・ミュージックの第一人者とした扱いを受けているエニグマが、あのアラベスクのコンサートでキーボーダーとして来日していたなんて、本当にビックリですね。


CONCERT IN KOREA

放送曲リスト

プログラム TV放送
全13曲/約57分
オープニング 0:28
ハロー・ミスター・モンキー 3:25
バギー・ボーイ 2:55
哀愁のマリゴット 3:50
フライ・ハイ 3:20
今夜もロック・ミー 3:49
ペパーミント・ジャック 3:53
(韓国語による子守唄) 2:17
ミッドナイト・ダンサー 3:37
愛はゆれて 3:16
フライデイ・ナイト 4:15
愛のゲーム 4:30
恋にメリーゴーランド 3:41
貴方を待って 4:14
スタッフ

? DRUMS
? BASE
MATS BJORKLUND LEAD GUITER
YUKIO MISAKA? GUITER
? SHIMIZU PERCUSSION
YUKI OGAWA KEYBOADS
? KEYBOADS
KOYAMA MASATO KEYBOADS
JEAN FRANKFERTUR PIANO

 なお、コンサート・スタッフは、コンサートの
メンバー紹介から聞き取ったものを、日本での
コンサートのスタッフなどを参照して記載して
います。そのため、わからない個所もあります
がご了承ください。日本人の名前もいくつか見
られます。
 コンサートでは、Jean Frankferturを
「our composer(私たちの楽曲の作曲者)」
と紹介しています。
 1980年度末に発売されたアラベスクのデビュー・アルバム中の「ハロー・ミスター・モンキー」は、当時、韓国でのコンサートを行ったドゥーリーズの「ウォンテッド」の人気をしのぐビッグ・ヒットを記録しました。続いて「貴方を待って」や「フライ・ハイ」なども人気を集め、急遽1981年5月、韓国でもコンサートを行うことになったということです。

 この模様は韓国でテレビで放送されました。上記はテレビ放送分の収録曲リストです。コンサートは1981年5月なので、日本のコンサートの前に、韓国に立ち寄ったのでしょうか。年代的には4枚目のアルバム『さわやかメイク・ラブ』が、日本でリリースした後になりますが、コンサートで披露した楽曲を見ると、『アラベスク・ファースト』からのものが多いです。ファースト・アルバムと言うと、時期的にサンドラは加入前なのですが、サンドラはほとんどの曲をソツなく歌いこなしています。なお、「愛のゲーム」「今夜もロック・ミー」のソロはミシェーラ。「バギー・ボーイ」のソロは、なんとジャスミンがやっています!そして、ファン・サービスとして、現地韓国の子守唄を韓国語で(しかもアカペラで!)歌っています。(タイトルはハングルなので、なんと読むか判りませんが、もし情報が入ったら、また追記したいと思います。)
 また、途中、司会者がお客さんに、「何か質問はありますか?」との問いかけると、ある男性が指名され、「メンバー内で、けんかはないんですか?」と尋ね、お客さんの失笑を買っていました。その問いについて、ジャスミンは、「みんな仲良くやってるわ」と笑いながら答えていました。また、日本でのコンサートでもそうだったように、ここでも彼女たちは現地の言葉で簡単な挨拶をしています。




SEOUL SONG FESTIVAL



プログラム TV放送
全6曲/約27分
オープニング 0:34
ハロー・ミスター・モンキー 3:20
フライ・ハイ 3:16
愛のゲーム 4:37
ペパーミント・ジャック 2:59
(韓国語による子守唄) 2:15
フライデイ・ナイト 4:15
 アラベスクは、1981年、韓国のソウルにある世宗文化会館で行われた「'81 SEOUL SONG FESTIVAL('81年ソウル国際歌謡祭)」のスペシャル・ゲストとして招待され、オーケストラをバックに大きなステージで歌いました。その時のライブの模様もテレビ放送されました。テレビ放送分は全6曲ですが、実際のライブでは、もっと曲数が多かったかはわかりません。テロップには「現地生放送」と出ています。ここのライブ・パフォーマンスでも、アラベスクは韓国の子守唄を歌いました。
 アラベスクは「'81ソウル国際歌謡祭」でのスペシャル・ゲスト・パフォーマンスと併せて2回の単独ライブ・コンサートを行い、当時、あまり観ることの出来なかった外国アーティスト公演に飢えた国内ファン達に、色々と観る機会を提供し、素晴らしいヨーロピアン・サウンドを聴かせてくれました。
 また、韓国では2枚のアルバムを発表したアラベスクは、19曲中、およそ10曲以上がメディアで紹介され、ディスコでも類まれな人気を得る事となりました。(ファースト・アルバムで「ア・マン・ウィズ・ザ・ガン」のみ未発表。たぶん、法を犯す者が好きだという歌詞のために収録が見送られたのではないだろうか。)

*韓国でのコンサート説明文中の青フォント部分については、韓国のRickyさんのサイトArabesque Home Page(現在休止中)の韓国語での説明から一部、引用させていただきました。なお、引用に関しては、とどだんな林さんの協力により和訳をお願いしました。

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last updated : 2003/1/10