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last updated : 2008/2/18



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「悲しき願い」
/サンタ・エスメラルダ
*2008年2月からホンダのSPADAのCMソングに起用されています。
 でも、残念ながらイントロだけなんですよね。



 サンタ・エスメラルダはフランスのプロジェクト。元々はアメリカ出身のサックス奏者であるリロイ・ゴメスという人物がフランスで活動していたところ、ニコラス・スカースキーというプロデューサーの目にとまり、ドン・レイという既にディスコものでは実績のあるアレンジャーを起用して制作した、「悲しき願い (Don't Let Me be Misunderstood)」の大ヒットが始まりです。
 これは、アニマルズのヒット曲をフラメンコ風ディスコにアレンジしたもので、当時アメリカや日本を含む世界中で大ヒットしました。




STORY


 結成当時のメンバーであるリロイ・ゴメスは、1949年8月、アメリカのマサチューセッツ州、ケイプ・コッドに生まれたポルトガル系の男性です。14歳の時には既に自分のバンドを結成していました。17歳の時にバークレー音楽院に進み、そこで、(「愛のディスコティック」などのヒットで有名な)ソウル・グループのタヴァレスのメンバー、チャピー・タヴァレスと出会い、タヴァレスのバック・ミュージシャンとして4年間過ごし、アメリカを始めとして、カナダやヨーロッパなどをツアーしました。そうした折、パリをとても気に入り、第二の故郷として移り住み、サキソホン・プレイヤーやボーカリストのスタジオ・ミュージシャンとして、パトリック・ジュベやクロード・フランソワなど、たくさんのフランスの人気アーチストにも携わりました。また、エルトン・ジョンのアルバム『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』では、「ソーシャル・ディジーズ」という曲のレコーディングにも参加しました。

 その後、パリで自らのバンドを結成、ボーカルとアルト・サックスを担当しました。彼の初めてのソロとしての成功は、シングル「Here We Go Around」で、フランスにおいてスマッシュ・ヒットを記録しました。

 フランスの音楽プロデューサーのニコラス・スカースキーは、アニマルズのヒット曲「悲しき願い」に目をつけ、既にディスコもののアレンジとして手腕を奮うドン・レイを起用し、ヒットさせようと考えていました。その際、スタジオ・ミュージシャンでありながらボーカルをとることも出来る、リロイ・ゴメスと出会い、彼が歌う事になりました。(当時のディスコ・レコードはこのように楽曲ありきで、スタジオ・ミュージシャンなどを起用してレコーディングすることが多かったのです。ボニーMなどもそうでした)
 こうしてリリースされた「悲しき願い」はフランスのみならず、ヨーロッパ、アメリカ、日本を含む世界各国で大ヒットしました。

 サンタ・エスメラルダのファースト・アルバム『悲しき願い』も、大きな成功を収めました。これは世界中でディスコ・アルバムとして1位を記録。48のゴールド・ディスク、42のプラチナ・ディスクを記録したそうです。ビージーズによる『サタディ・ナイト・フィーバー』や、マイケル・ジャクソンによる『スリラー』以前に、リロイ・ゴメスはこの『悲しき願い (DON'T LET ME BE MISUNDERSTOOD)』によって、数ヶ月で1500万枚のセールスにも及ぶ世界的記録を打ち立てていたのです。またシングル「悲しき願い」は、アメリカのビルボードにおいて、1977年の12月10日付けで15位を記録しました。

ジミーゴーイングス(右)
 このファースト・アルバムの成功により、プロデューサーのニコラス・スカースキーは、リロイ・ゴメスに代わりジミー・ゴーイングスというボーカリスト、またドン・レイとは別のアレンジャーを起用し、同じアニマルズのヒット曲のリメイクと言うコンセプトによるセカンド・シングル「朝日のあたる家 (THE HOUSE OF THE RISING SUN)」(1977)を制作しました。しかし、クラブ・シーンでは人気を集めたものの、ポップ・チャートでは前作のようなヒットには至らず、全米では78位にとどまりました。

 リロイ・ゴメスは、ソロ活動を行うためにグループを離れ、アルバム『Number One man』(1978)をリリースした後、本拠地をアメリカに移し、カサブランカ・レコードにおいて『Gypsy Woman/Spanish Harlem』(1978)、『I Got It Bad』(1979)をリリース。クラブ・チャートでは貢献したようですが、大きな成功を収める事は出来ませんでした。

 ニコラス・スカースキーは次のアルバム『ジプシー・ファンタジア/サンタ・エスメラルダV (BEAUTY)』(1978)を制作。このアルバムはこれまでのものと違い、かなりロック色が強くなったことが影響してか、まったくヒットしませんでした。このアルバムの制作に当たっては、彼らがどのような方向性を持つのか模索していたのかもしれません。

 しかし、『アナザー・チャ・チャ (ANOTHER CHA CHA)』(1979)において、劇的なカムバックを果たしました。タイトル・トラックでもある「アナザー・チャ・チャ」は、クラブ・シーンにおいてトップ10ヒットとなりました。続くアルバム『DON'T BE SHY TONIGHT』(1980)においても、「C'est Magnifique」がトップ10ヒットとなりました。 ジミー・ゴーイングスは、これらの作品において共作者として名を連ねるようになりました。

 続く2枚のアルバム、『HUSH』(1981)や『GREEN TALISMAN』(1982)からはヒット曲は出ず、サンタ・エスメラルダは次第にシーンからは姿を消してしまいました。

 現在リロイ・ゴメスは主にサキソホン・プレイヤーとしてスタジオ・ミュージシャンとして活動。また、ソロ・アーチストとして、あるいは再結成されたサンタ・エスメラルダのメンバーとしてヨーロッパをツアーしているということです。ジミー・ゴーイングスについては不明です。






ANOTHER STORY

(もう一つのサンタ・エスメラルダ)


 この「悲しき願い」の予期せぬ大ヒットにより、それぞれの間に不協和音が生じたらしく、再びアニマルズをカバーした、セカンド・シングルの「朝日のあたる家 (The House of the Rising Sun)」には、二つのバージョンが存在することになってしまいました。
 一つは、上記で触れたように、サンタ・エスメラルダ名義でリリースされた「朝日のあたる家」で、これはニコラス・スカースキーがプロデュースし、「悲しき願い」でアレンジをしたドン・レイとは別のアレンジャーを起用し、また、ボーカルにはジミー・ゴーイングスを新たに起用したものです。
 もう一つは、先の「悲しき願い」をアレンジしたドン・レイが再びアレンジし、フランスの7人組ディスコ・バンド、リヴェラシオン(Revelacion)に歌わせた「朝日のあたる家」(右)です。また、当時は日本でもアルバムをリリースしており、A面のすべてを使い16分以上にもなる「朝日のあたる家」(リヴェラシオン・シート)、B面は「クロコス・ダンス・パート1」「クロコス・ダンス・パート2」「タイム・フォー・ラヴ」の3曲を収録していました。
 そして、当初サンタ・エスメラルダでボーカルをとっていたリロイ・ゴメスは「悲しき願い」の大ヒットで自信を持ったのか、ソロ・アーチストに転向。しかし、大きな成功を収めることはできませんでした。

 この二つの「朝日のあたる家」ですが、欧米でのリリースはリヴェラシオン盤のほうが一足早かったようですが、知名度もあってかサンタ・エスメラルダ盤のほうがヒットしたようです。個人的にも、サンタ・エスメラルダのほうが、ゾクゾクと駆け上がるギター・ソロのイントロが心地よく、リヴェラシオンより好きですね。日本では両者の発売日はまったく同じ78年4月5日でしたが、サンタ・エスメラルダ盤が最高43位、売り上げ枚数7.4万枚。リヴェラシオン盤が最高88位、売り上げ枚数0.4万枚で、サンタ・エスメラルダ盤に軍配が上がったようです。
 普通CDで聞かれる「朝日のあたる家」はもちろん、サンタ・エスメラルダ・バージョンです。





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