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last updated : 2002/10/28


ジンギスカンのその後

 ジンギスカン解散後は、ルイス、ヘンリエッテ、レスリーの3人と新たなメンバー、Christin Sargent Brandt、Mike Toole、Juergen Gronholz(ジンギスカンのサード・アルバムで「James Bond」をウォルフガングと共作した人)は「ジンギスカン・ファミリー」を結成し、再びラルフ・ジーゼル、ベルント・マイヌンガー書き下ろしの「Wir gehor´n zusammen」という曲で1986年ユーロビジョン・ソング・コンテストのドイツ国内予選に挑戦しました。結果は、僅差で惜しくも2位ということで本選出場は逃してしまいましたが、もしこの国内予選でグランプリをとっていたら、再びジンギスカン旋風が起きたかもしれません。また、同大会では、ウォルフガングも、「ザッツ・ライフ」というグループのメンバーとして「Telefon」(作曲はラルフ・ジーゼル)を発表しましたが、12アーチスト中、最下位という成績で終わってしまいました。ジンギスカンとして活動中、結婚していたヘンリエッテとウォルフガングが離婚後、別々のグループのメンバーとして再びユーロビジョンに挑戦するという皮肉な結果となっていました。
 ジンギスカン・フミリーについては、この他にも、「Can't Stop Now - Fang mich auf」というセカンド・シングルもリリースしていたようですが、それほどグループは長続きしなかったようです。ザッツ・ライフのほうも、コンテストの結果も奮わなかったこともあり、それ以降の活動はわかりません。下記は彼らのファースト・シングルです。
 また、上のジンギスカン・ファミリー、ザッツ・ライフともに、プロデューサー・作曲家(ラルフ・ジーゼル)やレコード会社(ジュピター・レコード)が同じなので、制作者としては、両者を競わせるという意味もあったのでしょうか。少し酷な気がしないでもないです。
WIR GEHÖR'N ZUSAMMEN/
DSCHINGHIS KHAN FAMILY

C/W
THE OTHER SIDE OF FAME

produced by Ralf Siegel
 元ジンギスカンのメンバーが3人(ヘンリエッテ、ルイス、レスリー)も在籍したジンギスカン・ファミリーのデビュー・シングル。12アーチスト中、2位という好成績でしたが、曲としてはそれほどインパクトのあるものでなく、なんとバラードです。 
 BeN的にはカップリングの「THE OTHER SIDE OF FAME」の方がスピード感あふれる曲で好きですね。B面タイトルの意味は「名声の裏側」ということですが、なんだか意味深です。ジンギスカンで脚光を浴びた当時と、人気がなくなってからのことを指しているのでしょうか。
TELEFON/
THAT'S LIFE

C/W
TELEPHONE
(English version)

produced by Ralf Siegel
 ウォルフガング・ハイヒェル(上段右端)がメンバーだった、ザッツ・ライフ。曲の方はどことなく、シャンソンを思わせる退屈な作品。これじゃドイツ国内予選12アーチスト中、12位というのもうなづけます。
 奇しくも、上記のジンギスカン・ファミリー同様、ジンギスカンのデビュー時と同じ6人というのも、最初から狙っていたのでしょうか。



『なるほど・ザ・ワールド』に出演
 また、ジンギスカンのメンバーのレスリー・マンドキ、エディナ・ポップ、スティーブ・ベンダーの3人は、1995年に日本のテレビ番組『なるほど・ザ・ワールド』の特番「なるほど!世界なつかし 青春のアイドル大追跡」ために来日し、「ジンギスカン」「めざせモスクワ」の2曲を(口パクでなく)生で歌いました!「めざせモスクワ」はカラオケでしたが、「ジンギスカン」はこのためにバンド演奏(録音)されたものでした。この時の「現在はどんな活動をしているのですか?」という司会の楠田枝里子のインタビューに対し、スティーブは「ニュー・ミュージックのプロデューサーをしています」、エディナは「今でも歌手で歌っています」と答えていましたが、レスリーは「友人と会社を経営しています」と答えていました。現在の彼はアーチストとして活動しているので、一時音楽界から退いた後に、再びカンバックしたのでしょうか。(この時、テレビでレスリーは英語で「モダン・ミュージックのプロデューサーをしている」と言っていました。その時の同時通訳の人が、「ニュー・ミュージック」という言葉を使いましたが、彼は「現在のポップスのプロデューサー」を意味していただけで、当時日本で言うニュー・ミュージックとは異なり、訳としては適当でないと思われます。)
 また、この時が実は彼らにとって初来日だったということで、レスリーはインタビューに対して、「売れている時に来日できなかったのは残念ですが、解散して10年、日本に来ることができて嬉しいです」と言っています。同時代のキャンディ・ポップ・アーチストのアラベスク、ノーランズ、ドゥーリーズ、ニュートン・ファミリーが日本でも頻繁にツアーを行っていたことを考えると少し意外な気がしました。

 
「ジンギスカン」

現在でもバカ・ディスコの代表格のように言われていますが、ドイツ国内を初めヨーロッパで大ヒットを記録。
「めざせモスクワ」

オンタイムで彼らのステージが見たかった!
左から、レスリー、エディナ、スティーブ

「売れている時に来日できなかったのは残念ですが、解散して10年、日本に来ることができて嬉しいです」
♪モスコ!、モスコ!♪と歌っているところ。
エディナ・ポップ

彼女は現在でもドイツ国内においてソロとして活動している。





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