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last updated : 2006/7/16
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(アメリカ産バブルガム・ディスコのカバー曲へ)

 このセクションでは、70年代後半から80年代に流行ったキャンディ・ポップ〜バブルガム・ディスコのオリジナル・バージョンと、日本語でのカバー・バージョンを紹介しています。

 コンセプトとして、@日本人アーチストが日本語でカバーしている Aオリジナル曲、カバー曲ともにシングルA面(シングルCDの場合はタイトル曲)としてリリースしている Bオリジナル曲と(ほぼ)同時期のリリースであること。この3つの条件をクリアしているものとします。
 しかし、その条件をすべてクリアできなかったものも一部紹介しています。


【オリジナル曲】 【カバー曲】 【BeNのコメント】


「恋のハッピー・デート」
/ノーランズ
1980年10月
最高9位/30.2万枚


「恋のハッピー・デート」
/石野真子
1980年4月
最高27位/8.2万枚
♪「恋のハッピー・デート (Gotta Pull Myself Together)」

 石野真子のシングルのジャケットでは、両A面表記となっていますが、テレビなどでは「恋のハッピー・デート」を歌ったり、ベスト盤CDでもシングル扱いとして「恋の・・・」の方を収録しているので、実質的なA面として考えて良いでしょう。本家ノーランズ・バージョンは、明るい曲調とはうらはらに、失恋を歌った曲なのですが、どこをどう間違ったのか、「恋のハッピー・デート」という邦題がつけられてしまいました。そして、その邦題に併せるかのように石野真子バージョンも、恋する女の子の気持ちを歌う可愛い曲になっています。当時、ノーランズと石野真子はテレビで共演し、この「恋のハッピー・デート」を歌ったこともあるそうです。
 しかし、ジャケットの寂しげな表情から、本当は「フォギー・レイン」がA面になる予定で、当時人気にかげりが見え始めたため、人気回復を狙って、よりポップでヒット性の高い「恋のハッピー・デート」をテレビで歌ったのではないかと思われます。こちらは馬飼野康二作のフォルクローレ調の名曲です。



「ヴーレ・ヴー」
/アバ
1979年7月
最高18位/12.4万枚


「熱くなれ(ヴーレ・ヴー)」
/江夏一樹
1979年
【チャート・インせず】
♪「ヴーレ・ヴー (Voulez-Vous)」

 最近ではアバの「ギミー!ギミー!ギミー!」をサンプリングしたマドンナの「ハング・アップ」の世界的大ヒットが記憶に新しいところですが、実はアバは、歌詞を改変したり、カバーしたりすると、レコーディングをなかなか認めないということです。しかし、当時、江夏一樹という男性による日本語のカバー・バージョンがリリースされていました。これは、発売元が当時アバのレコードを日本でリリースしていたディスコメイト・レコードといった関係により、認可されたのでしょう。
 「熱くなれ」は、オリジナルのブラス・セクションは影を潜め、ストリングスも聞かれるソフト・ディスコへと衣替え。しかし、当時のアバ人気の割にはまったくヒットしませんでした。江夏一樹は4年後、原大輔と改名し、演歌歌手として再デビュー。高田みづえらとの共作となった「秋冬」がスマッシュ・ヒットしました。



「ブギ・ウギ・ダンシング・シューズ」
/クラウディア・バリー
1979年6月
最高60位/6.1万枚


「ブギ・ウギ・ダンシング・シューズ」
/木原さとみ
1990年8月
【チャート・インせず】
♪「ブギ・ウギ・ダンシング・シューズ
(Boogie Woogie Dancing Shoes)」

 木原さとみは、90年代の前半に活躍した東京パフォーマンス・ドール(TPD)のメンバーの一人。TPDは現在女優として人気の篠原涼子を輩出しています。オリジナルのクラウディア・バリーはブレイク前のボニーMにも一時期在籍したことのある、ジャマイカ出身のアーチスト。ソロ転向後にリリースした「ブギ・ウギ・ダンシング・シューズ」はヨーロッパ以外でも、全米でポップ・チャート56位のヒットとなりました。木原さとみのバージョンは時代背景もあり、ノリノリのユーロビートです。原曲の良さも失われておらず、好アレンジです。
 ちなみに、岩崎宏美の79年にリリースされたアルバム『10カラット・ダイアモンド』のハイライト・トラックである「スリー・カラット・ダイアモンド」が、この「ブギ・ウギ・ダンシング・シューズ」によく似ています。「スリー・カラット・・・」は、ヒット曲「万華鏡」とシングル候補を争ったという川口真作編曲のディスコ歌謡です。



「誘惑のブギー」
/バカラ
1977年8月
最高31位/13.8万枚


「誘惑のブギー」
/木原さとみ
1991年1月
【チャートインせず】
♪「誘惑のブギー (Yes Sir, I can Boogie)」

  で、ブギ・シリーズということで今度はバカラの「誘惑のブギー」(^^;)です。なんとも安直な選択と思えないでもないですが、このバージョンは前作同様、PWL風ユーロビート・アレンジで一気に聴かせます。木原のボーカルもアイドル風で悪くないです。
 ちなみに、カップリングは「愛のさざなみ」。これは、あの(故)浜口庫之助作詞作曲の島倉千代子のヒット曲のカバーなのですが、琴や尺八+ハウス・サウンドのドッキング!こっちもおもしろいですわ。実はBeNは、このお千代さんの「愛のさざなみ」が大好きでカラオケでもよく歌います。こういった形でこの曲に出会えて、いとおかし。そんな感じです。
 しかし、バカラと島倉千代子って、どういうカップリングのコンセプトしとるちゅうねん!



「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ」
/ディーゼル
1980年3月
最高48位/5.4万枚


「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ」
/鹿取洋子
1980年3月
最高42位/7.8万枚
♪「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ (Goin' back to China)」

 無名の新人のデビュー曲でありながら、楽曲の良さもあってか、オリジナルともども見事スマッシュ・ヒット。実は、両者ともポリドール・レーベルで発売日もまったく同じとういことからも、レコード会社としては力を入れていたのでしょう。ディーゼルのバージョンは、ダンサブルな骨太ロックでしたが、鹿取バージョンは井上鑑氏による、ストリングスやサックスをフューチャーし、スピード感もある、なかなかオシャレなアレンジです。サビの、「こーんや、連れて行かれたい、チャイナ!」のフレーズは、今でも耳に残っていますよねー。
 鹿取洋子は、「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ」のあとはヒットが出ず、ほとんど一発屋という感じでしたが、4年後の1984年、鹿取容子と改名して、アニメ主題歌の「星のデジャ・ブー」という小ヒットを出しました。その後、歌のほうはあきらめたのか、たまにドラマなどにも出ていました。現在でも、「懐かしのあの人」風テレビ番組でたまにお会いすることができるようです。



「アリババ」
/イージー・コネクション
1979年10月
最高81位/1.7万枚


「アリババ」
/芦原由季
1979年
【チャート・インせず】
♪ アリババ (Ali Baba)

 これより先に、新人で無名アーチストの5カラットがカバーし、見事オリコンにチャートインした「ジンギスカン」。オリジナルは、楽曲の出来もさることながら、インパクト、カバーしたアーチストの数から言っても、ケタはずれの大ヒット。この5カラットのヒットに気をよくしたコンチネンタル・レコードが柳の下のドジョウを狙って、今度は「アリババ」をまた無名アーチストに歌わせたのがこれです。しかし、オリジナルはスマッシュ・ヒットしたものの、カバー・バージョンのほうはまったく話題になりませんでした。
 ボーカルの芦原由季は、ほかに「クロース・トゥ・ユー」といったシングルもリリースしていたようですが、ネット上でもほとんど情報が得られないで、そのまま引退してしまったのではないかと思われます。



「恋のキラキラ・ダンス」
/トリックス
1981年9月
最高45位/4.2万枚


「恋のキラキラ・ダンス」
/二科恵子
1981年10月
【チャート・インせず】
♪「恋のキラキラ・ダンス (I Like Your Love)」

 ジャケットを見れば判ると思いますが、タイトルの字体、トリミングや画像と文字配置の仕方、そして着ている衣装までも、トリックスのシングル・ジャケットをかなり意識した感じになっています。
 トリックスのオリジナルは、4.2万枚のスマッシュ・ヒットを記録しましたが、仁科恵子のバージョンはオリジナルに忠実なアレンジやボーカルでしたが、まったくヒットしませんでした。アイドルとしてデビューしたようですが、当時はアイドルが続々とデビューしていた時代でしたので、アーチスト・パワーだけでなく、所属事務所の力や楽曲にも恵まれていないと、ヒットするのは難しかったのでしょう。
 「恋のキラキラダンス」でデビューした二科恵子は、後に3枚のシングルをリリース。82年のラスト・シングルは、アニメ『新みつばちマーヤの冒険』の主題歌でしたが、これを最後に芸能界をリタイヤしてしまったようです。



「フレー!フレー!」
/ボニーM
1979年5月
最高31位/7.5万枚


「フレー!フレー!」
/ポップコーン
1979年6月
【チャート・インせず】
♪「フレー!フレー! (Hooray ! Hooray ! It's a Holi-Holiday)」

 「フレー!フレー!」は、ボニーMの、南国風の陽気なディスコ・サウンド。カバーしたポップコーンは、テレビ・オーディション番組「スター誕生」でグランプリを獲得、「ブルーロマンス薬局(ファーマシー)」で、デビューした珍しい兄妹デュオ。デビュー曲は当時ピンク・レディー旋風を巻き起こしていた、あの都倉俊一が担当しましたが、NHK「みんなの歌」に出てきそうな、子供向けのような楽曲でまったくヒットせず。セカンド・シングルにて巻き返しを図ろうと、路線変更してボニーMのカバーに挑戦。サウンド的にはライトなポップスと化した「フレー!フレー!」でしたが、こちらも前作同様、あまりにも直球勝負の二人のボーカルや、「ジャックと豆の木」「ポパイとオリーブ」「ライト兄弟」などが登場する童謡風歌詞がアダとなったのか、こちらもまったくヒットせず。結局ポップコーンはこの曲を最後に、楽曲をリリースすることはなかったようです。



「夢のシンガポール」
/2プラス1
1981年?月
【チャート・インせず】


「夢のシンガポール」
/TEN
1981年?
【チャート・インせず】
♪「夢のシンガポール (Singapore)」

 ポーランド出身の2プラス1のディスコ・ヒット「夢のシンガポール」をカバーしたのは、TENという男性6人組。彼らは他にも「ハチのムサシは死んだのさ」をカバーしていたようです。
 ボーカルは甲斐バンドの甲斐よしひろ風。アレンジはけっこう触ってあって、エレキ・ギターをふんだんに使用したロック・ディスコ風です。ちなみに、このアレンジはバオバブ・シンガーズの「めざせモスクワ」と同じ中島正雄氏が担当しています。
 しかし、このTENですが、ウルトラマンを思わせる?へんてこりんな衣装に身を包んでいるところや、おぐしのあぶない男性メンバーの存在など、あやしい、あやしい・・・。普通6人くらい男性がいたら、一人くらいはビジュアル担当がいても良さそうだけど、メンバーのうち、誰を見てもビジュアル的にイケそうな人がいないのをさびしく思うのは私だけでしょうか・・・。



「セクシー・ミュージック」
/ノーランズ
1981年3月
最高7位/27.0万枚


「セクシー・ミュージック」
/WINK
1990年3月
最高1位/32.9万枚
♪「セクシー・ミュージック (Sexy Music)」

 ノーランズの「セクシー・ミュージック」は当時頂点に達していたノーランズ人気とあいまって、東京音楽祭で見事グランプリを獲得。総合チャートは7位でも、洋楽としては記録的な大ヒットを意味します。そして約9年後、当時ユーロビートのカバーや、オリジナルでヒットを連発していたWINKがカバーし、再び大ヒットを記録しました。
 しかし、BeN的には、オリジナルのバーニーがシャウトする力強いボーカルが耳に馴染んでいるので、WINKバージョンを聴いた時には、何かちょっと物足りない感じが否めませんでした。しかし、当時のWINKのアーチスト・パワーもあり、チャート首位を獲得。こちらも、30万枚を越える大ヒットとなりました。オリジナル・バージョンを聴いたことのない人には、ぜひオリジナルのノーランズのほうも聞いて欲しいですね。
 しかし、当時も今も相田翔子は可愛いですねぇ(^^)。



「サンチャゴ・ラヴァー」
/エミリー・スター・エクスプロージョン
1979年4月
最高48位/7.8万枚


「サンチャゴ・ラヴァー」
/リューベン&カンパニー
1979年
【チャート・インせず】
♪「サンチャゴ・ラヴァー (Santiago Lover)」

 リューベンは、当時「気絶するほど悩ましい」が大ヒットした、CHARのバック・バンドで活躍していたところ、アイドル的な風貌により人気が出てソロ・デビュー。78年の「薔薇の嵐」というスマッシュ・ヒットで知られています。しかし、これ以降はヒットに恵まれず、ディスコ・ヒット曲のカバーで逆転ホームランを狙ったようです。
 楽曲は比較的オリジナルに忠実。ボーカルは元々はドラマーで、ルックスの人気によりソロ転向したということもあり、それなりといった感じで、特筆するほどではありません。原曲の良さを失っていないカバーということが救いでしょうか。
 なお、この曲は2003年にリリースした『株式会社 NAVレコード ヒストリー3』というオムニバスCDに収録されています。NAVレコードとはキャニオン内に存在したアイドル専門のレーベルで、田原俊彦、能勢慶子、岡田奈々など、ある意味非常に共通点のある方たちが在籍したレーベルです(笑)。




 ここからは、既に他アーチスト・セクションにて紹介済みのものですが、このセクション用に加筆などを行い、作り変えたものです。
 日本語以外のカバー・バージョンなど、より詳細な情報を知りたい場合は、右下の各アーチストのカバー・バージョンのセクションをご覧ください。
 ニュートン・ファミリーのカバー・バージョンのセクションを見る
 ヴェロニカのカバー・バージョンのセクションを見る
 ジンギスカンのカバー・バージョンのセクションを見る
 サンタ・エスメラルダのカバー・バージョンのセクションを見る

【オリジナル曲】 【カバー曲】 【BeNのコメント】


「サンタ・マリア」
/ニュートン・ファミリー
1980年3月
最高74位/3.5万枚


「サンタ・マリア」
/マリリン
1980年
【チャート・インせず】
♪「サンタ・マリア (Santa Maria)」

 アレンジはオリジナルに比較的忠実なのですが、ニュートン・ファミリーのようなディスコ感は薄く、ポップな軽い感じに仕上がっています。マリリンはたぶんハーフではないかと思うのですが、ハスキーなボイスに少しクセのある日本語を乗せて、「サンタ・マリア〜!」と歌っています。ま、可もなく不可もなくといったところでしょうか。
 なお、カップリングは筒美京平先生のオリジナルの「そして別れ」という曲です。筒美京平先生のオリジナルがカップリングに収録されているということもあり、レア度は比較的高いかも。



「スマイル・アゲイン」
/ニュートン・ファミリー
1980年12月
最高48位/5.2万枚


「スマイル・アゲイン」
/野口五郎
1988年10月
【チャート・インせず】
♪「スマイル・アゲイン (Smile Again)」

 ニュートン・ファミリーの「スマイル・アゲイン」は、1980年に日本でヒットしましたが、80年代の中頃、韓国やホンコンでもカバー・バージョンがヒットしました。日本では、1988年に野口五郎がカバーしましたが、これらの状況から、韓国やホンコンでのカバー・ヒットを受けて、楽曲の良さに改めて着目したことによるリリースではないかと思われます。
 野口五郎は歌のうまさには定評がありますが、当時人気は低迷していたためか、まったくヒットしませんでした。しかし、名曲は誰が歌っても名曲。野口五郎のボーカルにより良質のAORとして甦った「スマイル・アゲイン」は一聴の価値ありです。
 ちなみに、編曲は野口五郎の実兄の佐藤寛が担当しています。



「愛のゆくえ」
/ニュートン・ファミリー
1983年
【チャート・インせず】


「愛のゆくえ」
/本田美緒 with 佐々木幸男
1984年2月
【チャート・インせず】
♪「愛のゆくえ (Time Goes By)」

 本田美緒は1982年の第24回ポプコン(ポピュラー・ソング・コンテスト)で、「哀・ダンサー」という曲でグランプリとなり、オリコン最高52位のスマッシュ・ヒットを記録。しかし、その後が続かず、同じYAMAHA系コンテストの世界歌謡祭で1983年にグランプリとなったニュートン・ファミリーの「愛のゆくえ」を、同じくポプコン出身で世界歌謡祭にも出場経験のある佐々木幸男とデュエットという形でカバーしました。原曲がエバとアダムの掛け合い+コーラスとして歌われているため、今回の男性ボーカリストとのコラボレーションとなったようです。
 このカバー・バージョンでは原曲の良さを失わないように、アレンジはオリジナルに忠実となっています。なお、編曲の瀬尾一三は、ポプコン出身アーチストや中島みゆきの一連のヒット曲で著名なアレンジャーです。



「恋のダディ・オー」
/ヴェロニカ
1981年3月
最高85位/1.5万枚


「恋のダディ・オー」
/ニュー・ホリデイ・ガールズ
1981年
【チャート・インせず】.
♪「恋のダディ・オー (Daddy-O)」

 A面はヴェロニカ、B面はなんとアラベスクの「ミッドナイト・ダンサー」のカバーという豪華(?)カップリング。
 ニュー・ホリデイ・ガールズは、TBS系の深夜テレビ番組「サウンド・インS」のレギュラーだったコーラス・グループ。ヴェロニカ・バージョンでは力強いボーカルが聴かれるのですが、このバージョンでは、ちょっと単調な感じがします。日本語詩にとってつけたように、♪オー、オー、ダーディ・オー、D.A.D.D.Y. O.と、サビの一番大事な部分だけはオリジナル歌詞が使われています。
 アレンジはかなりオリジナルに忠実。オリジナルがかなりインパクトがあるので、下手にいじらない方が良いと判断したのか、それとも、アレンジャーの力量不足か。



「恋のダディ・オー」
/アンジュネッツ
1981年5月
【チャート・インせず】
 この「恋のダディ・オー」は、コーセー・サマーキャンペーンのイメージ・ソング。歌うのはハーフ3人組のアンジュネッツ。
 作詞は、当時の歌謡界ではアイドルの曲を書かせたら右に出る者がいないくらい人気のあった三浦徳子。編曲は、80年代後半、おニャン子系アーチストのヒット曲などで時代の覇者となった後藤次利。彼はこの当時、まだ、作曲家よりもアレンジャーとしての活動がメインでした。
 ニュー・ホリデイ・ガールズ・バージョンのアレンジがオリジナルに忠実なのに対し、こちらのバージョンは、より歌謡ディスコ風の仕上がりとなっています。後藤次利は、元々スタジオ・ミュージシャンのベーシストなので、ギターやストリングス・アレンジメントなど、オリジナルにはないアレンジも封入されていてとても良い感じ。イントロからまったく違うメロディには驚かされます。



「ジンギスカン」
/ジンギスカン
1979年6月
最高12位/16.4万枚


「ジンギスカン」
/5カラット
1979年6月
最高81位/1.1万枚
♪「ジンギスカン (Dschinghis Khan)」

 元ダウンタウンブギウギバンドのメンバーで二代目ドラマーだった鈴木洋行氏が、同バンドを脱退後に作ったラテン・ロック・バンドのデビュー・シングル。ラテン・ロック・グループなのに、グループの意に反して、事務所の方針で急遽これをデビュー・シングルとしてリリースすることになったとのこと。
 この曲はオリコン最高位81位のヒットとなり、この年の全国有線大賞新人賞も受賞しました。アレンジは結構さわってあって、オリジナルには出てこないオリエンタルなメロディも聞かれ、どこか歌謡曲風。ジンギスカンのメンバーはコーラス・ワークもきちんとしていたけど、このバージョンではボーカルやバック・コーラスはと言うと、ちょっと・・・という感じがします。



「ジンギスカン」
/原たかし&バッドマンズ
1979年
【チャート・インせず】
 1978年、「ムーチョ・マッチョマン」でビクターよりデビューした原たかしクンの3枚目(そしてたぶん最後の)シングル。前2曲は巨匠筒美京平先生の書き下ろしのディスコ・ソング。そして3作目はカバーですが、やっぱりディスコ。
 編曲はストリングスを強調したり、シンセドラムを挿入したりなど、オリジナルをより歌謡曲的にした作りになっています。日本語詞は音符に対する乗せ方に違和感があり、聞いていてヘンな感じがします。彼の声質もさわやかでくせがないのですが、逆に印象に残らないものとなってしまったようです。
 原たかしは、前〜前々作の2曲がぜんぜん売れなくて、困った時のカバー頼みとばかりに「ジンギスカン」で巻き返しを図ろうとしたようですが、オリコン100位にもチャートインできませんでした。しかし、この曲を当時のアイドルの西城秀樹が「Y.M.C.A」の次にリリースしていれば大ヒットだったでしょうね。



「ジンギスカン」
/ザ・モンゴルズ
1979年
【チャート・インせず】
 ジャケットだけを見たら、ヘビメタ・バンドによるパンク風「ジンギスカン」かと思いきや、アレンジはまったくオリジナルに忠実で、リード・ボーカルをとっている男性の声もいたってさわやかで、このバージョンもまったく歌謡曲風です。
 B面の「ジンギスカン PARTU」の方は、ザ・フォーク・クルセダーズのヒット「帰って来た酔っ払い」(1967年)とまったく同じ作りで、声のピッチを上げて同じオケに乗せて歌っているものです。
 このアーチストに関する情報は、ネット上で検索しても有益な情報は見つかりません。たぶん、この1曲のレコーディングのためだけの企画なのでしょう。



「めざせモスクワ」
/ジンギスカン
1979年9月
最高35位/13.0万枚


「めざせモスクワ」
/バオバブ・シンガーズ
1979年
【チャート・インせず】
♪「めざせモスクワ (Moskau)」

 バオバフシンガーズは、当時人気の声優たちで結成されたグループ。たぶんアニメ界では有名な方ばかりなんでしょうですが、私はアニメにはほとんど興味がありませんので、「銀河鉄道999」で哲郎の声をした野沢雅子さん、他には有名な富山敬、神谷明、水島裕くらいしか知りません。
 ジャケットは見てもお判りと思いますが、モスクワ・オリンピックを意識しているようで、歌詞には♪勝つと負けるじゃ天国と地獄、とか♪オリンピックの五つの輪が集まる、などとあります。しかし、問題は二番の後のサビです。一番では♪モスコ、モスコ、と歌っているのに、二番でははっきりと、♪ムスコムスコ、大きくなあれ、ムスコムスコ、大きくなってオリンピックめざせ♪、と歌っています。これってかなり問題!そして大きくなったムスコでめざすオリンピックってどんなのなんでしょう?!



「めざせモスクワ」
/ダーク・ダックス
1979年
【チャート・インせず】
 日本では、ロシア民謡を歌わせたら右に出る者がいないと思われる男性コーラス・グループのダーク・ダックスがやってくれました!他のアーチストがシャレでやっているのに対して、彼等は本当に大マジメに、真正面からこの曲に取り組んでいます。
 歌詞はオリジナルに比較的忠実ですが、♪僕のカチューシャ!君のナターシャ!と無理やり韻を踏むために設けられたような個所も見受けられます。また、間奏では、ロシア民謡の「ポリシカポーレ」のメロが封入さたり、エンディング前の30秒からは、だんだんとメロディが早くなったり、アコーデォンや、歌詞に併せてバラライカの演奏が聴かれたりと、とても納得+オススメの一枚です。
 なお、CDでも聴きたいところですが、これは彼らの大全集CDなどでなければ収録されていないたいへんマニアックな楽曲なのが残念なところです。



「サムライ」
/ジンギスカン
1980年1月
最高73位/1.8万枚


「サムライ」
/バオバブ・シンガーズ
1980年
【チャート・インせず】
♪「サムライ (Samurai)」

 タイトルは「OH!サムライ」ということで、「お侍」という意味なのでしょうか。これも「めざせモスクワ」同様、バオバブ・シンガーズによるカバーです。シングルにも「訳詩」と記載されていますが、はっきり言って、歌詞はほとんどが、サムライ(架空の人物を含む)の名前や、それら登場人物によるセリフなので訳詞と言える代物ではありません。
 歌詞中には丹下作膳、鞍馬天狗、遠山の金四郎、赤胴鈴之助、宮本武蔵・・・などが登場します。また、セリフとして、「むかし、サムライは毎日、下着を取りかえた。むかし、サムライはいかに美しく死ぬか考えていた・・・」などとあり、ホント支離滅裂です。
 サウンドの方は、オリジナルが(ありがちなヨーロッパ人の間違った認識による)中華風メロデイなのですが、このバージョンではよりディスコ風に、そして歌謡曲風にアレンジされていて、個人的には好きなアレンジです。



「悲しき願い」
/サンタ・エスメラルダ
1978年2月
最高7位/37.1万枚


「悲しき願い」
/尾藤イサオ&ドーン
1978年2月
最高25位/9.4万枚
♪「悲しき願い (Don't Let Me be Misunderstood)」

 尾藤イサオは元々、60年代、当時アニマルズでヒットしていた「悲しき願い」を日本でカバーしてヒットさせたたロカビリー・アーチスト。70年代後半、サンタ・エスメラルダが同曲をディスコ・アレンジして世界的に大ヒットさせたことで、尾藤イサオも負けじとばかり、再び同曲をカバー。こちらも日本では10万枚近いセールスとなり、彼にとって最大のヒットとなりました。アレンジはスパニッシュ・ギターは影を潜め、イントロはマリンバが聴かれるラテン風。尾藤イサオのパワフルなボーカルが秀逸な、歌謡ディスコ風ロックとなっています。アレンジャーは当時の歌謡界ではストリングス・アレンジメントをさせたら右に出るものがいないといわれる超売れっ子の萩田光雄氏。
 尾藤イサオは最近でもバラエティ番組などで見かけますが、この時のヒットがなかったら、現在の活躍もなかったかもしれませんね。



「悲しき願い」
/MMP
1978年4月
【チャート・インせず】
 MMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)は、1974年頃あいざき進也の全国縦断ツアーのバック・バンドとして結成。1976年頃からはキャンディーズのバックバンドもつとめるようになりました。また、後にメンバーの内の数名がブラス・ロック・グループとして人気のスペクトラムのメンバーとなりました。
 この曲では、尾藤イサオ似の少ししゃがれた感じのリード・ボーカルは、メンバーの西慎嗣です。アレンジもメンバーの手によるものですが、あたりさわりのないポップス風ロックといった感じです。


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