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| last updated : 2007/11/18 |
| このセクションは、70年代後半のディスコ・ブーム〜80年代前半のキャンディ・ポップ・ブームの6年間(1977〜1982年)における、(アメリカを除くヨーロッパをメインとした)アーチストごとのシングル売り上げ枚数を集計したものです。左の列には、総合順位、アーチスト名、チャートイン・シングル数(オリコン総合チャート)、および売り上げ枚数、そして、BeNのコメントを記載しています。 なお、番外編Aには、アメリカや日本のアーチストも記載してあります。(チャート外の作品においては、リリース順に左から並べています。) また、「GO TO SINGLES SECTION」は、このセクションで掲載しきれていない、すべて(またはほとんど)のシングル盤を年代順に参照できるようになっています。 |
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| 【 1位 】 [ best sold singles ] |
【 2位 】 [ 2nd best sold singles ] |
【 3位 】 [ 3rd best sold singles ] |
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| 【1位】 (ARABESQUE) 15枚/計146万枚 1位の「ハロー・ミスター・モンキー」は予想通り。2位は「ハロー・・・」のビッグ・ヒットの余波もあり大ヒット。3位の「恋にメリーゴーランド」は、楽曲の良さ+来日してのコンサートとテレビ出演などシナジー効果か。 シングルの総売上では、ノーランズに僅差で上回っています。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() ハロー・ミスター・モンキー (Hello Mr. Monkey) 1978年4月 最高8位/38.8万枚 |
![]() フライディ・ナイト (Friday Night) 1978年9月 最高20位/15.7万枚 |
![]() 恋にメリーゴーランド (In for a Penny, In for a Pound) 1981年5月 最高13位/15.6万枚 |
| 【2位】 7枚/計143万枚 「ダンシング・シスター」は折からのキャンディ・ポップ・ブームに乗って大ヒット。無名の新人洋楽アーチストが何のタイアップもなしに、邦洋あわせた総合チャートで1位を獲得したという偉業はすごいです。右記のシングル3枚だけで、130万枚近く売り上げるなど、少ないチャートイン数ながらかなりの大ヒットを持っているのが特徴です。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() ダンシング・シスター (I'm in the Mood for Dancing) 1980年7月 最高1位/67.4万枚 |
![]() 恋のハッピー・デート (Gotta Pull Myself Together) 1980年10月 最高9位/30.2万枚 |
![]() セクシー・ミュージック (Sexy Music) 1981年3月 最高7位/27.0万枚 |
| 【3位】 11枚/計123万枚 *オンタイムのヒット曲だけの合計 1位の「ダンシング・クイーン」は予想通りですが、2〜3位には奇しくもディスコ・ナンバーが並びました。時々、アバがディスコ・アーチストとして位置づけられる所以ですが、ディスコからバラードまで幅広いレパートリーを持っていることはご存知の通り。シングルの総売上では、3位となりましたが、アバはアルバムもよく売れましたね。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() ダンシング・クイーン (Dancing Queen) 1977年4月 最高19位/35.0万枚 |
![]() ギミー・ギミー・ギミー (Gimme! Gimme! Gimme!) 1979年11月 最高17位/23.5万枚 |
![]() サマー・ナイト・シティ (Summer Night City) 1978年10月 最高24位/16.2万枚 |
| 【4位】 11枚/計66万枚 「怪僧ラスプーチン」のインパクトは強いですが、「サニー」も同じくらい売れたんですね。「フレー!フレー!」は来日効果で売れたのでしょうか。個人的には全米でもヒットした「バビロンの河」の方が印象強いです。当時日本ではキワモノ扱いされた感も否めませんが、ヨーロッパやイギリスでは日本では想像できないくらい大変な人気でした。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() 怪僧ラスプーチン (Rasputin) 1978年10月 最高26位/16.0万枚 |
![]() サニー (Sunny) 1977年6月 最高41位/15.9万枚 |
![]() フレー!フレー! (Hooray! Hooray!) 1979年5月 最高31位/7.5万枚 |
| 【5位】 (THE DOOLEYS) 5枚/計58万枚 「ウォンテッド」はそれまで無名の新人アーチストでありながら大ヒットを記録。3位の「ストーン・ウォール」はブレイク前にリリースし、一度失敗している楽曲でありながら再リリースし、見事スマッシュ・ヒット。「ボディ・ランゲージ」は東京音楽祭で金賞受賞。2005年には日本とUKでようやくベスト盤CDがリリースされました。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() ウォンテッド (Wanted) 1979年7月 最高12位/35.6万枚 |
![]() ボディ・ランゲージ (Body Language) 1980年2月 最高19位/12.2万枚 |
![]() ストーン・ウォール (Stone Walls) 1979年10月 最高45位/7.5万枚 |
| 【6位】 (SANTA ESMERALDA) 2枚/計44万枚 サンタ・エスメラルダはフランスのプロジェクト。「悲しき願い」は当時世界中で大ヒットしました。なお、「悲しき願い」「朝日のあたる家」ともにアニマルズというアーチストのカバー。セカンド・シングルの「朝日のあたる家」からは、リード・ボーカリストが交代しています。 「ジプシー・ファンタジア」はチャート外。 |
![]() 悲しき願い (Don't Let Me be Misunderstood) 1978年2月 最高7位/37.1万枚 |
![]() 朝日のあたる家 (The House of the Rising Sun) 1978年4月 最高43位/7.4万枚 |
![]() ジプシー・ファンタジア (The Wages of Sin) 1978年?月 【チャート・インせず】 |
| 【7位】 (DSCHINGHIS KHAN) 5枚/計36万枚 「ジンギスカン」はユーロビジョン・ソング・コンテストでは本選グランプリは逃したものの、楽曲の良さやインパクトの強さからヨーロッパをはじめ日本でも大ヒット。その勢いも冷めぬままにリリースした「めざせモスクワ」もヒットしました。解散して何年も経っているのに、今でも何かと話題に上ることが多いアーチストです。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() ジンギスカン (Dschinghis Khan) 1979年6月 最高12位/16.4万枚 |
![]() めざせモスクワ (Moskau) 1979年9月 最高35位/13.0万枚 |
![]() ハッチ大作戦 (Hadschi Halef Omar) 1980年3月 最高63位/4.1万枚 |
| 【8位】 (NEWTON FAMILY) 5枚/計23.3万枚 歴史上の人物を扱うコンセプトは、ボニーMかジンギスカンをお手本にしていたのでしょう。ハンガリー出身の彼らですが、本国以外では日本を含むアジア圏で人気があったようです。2番目に売れたのがなんとバラードの「スマイル・アゲイン」なのですが、これがまた名曲なんですよね。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() ドン・キホーテ (Don Quijote) 1980年10月 最高32位/11.0万枚 |
![]() スマイル・アゲイン (Smile Again) 1980年12月 最高48位/5.2万枚 |
![]() サンタ・マリア (Santa Maria) 1980年3月 最高74位/3.5万枚 |
| 【8位】 (D. D. SOUND) 2枚/計23.3万枚 イタリア出身のアーチスト。ラ・ビオンダとうい有名プロデューサー兄弟によるプロジェクトです。本国では結構人気があったようです。しかし、個人的にはいずれも脳天気な楽曲で、当時からあまり好きになれませんでした。「カフェ」はどこか歌謡ディスコ風。 ラ・ビオンダ兄弟については下記も参照してください。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() 1.2.3.4.ギミー・サム・モア (1.2.3.4. Gimme Some More) 1978年5月 最高24位/17.2万枚 |
![]() カフェ (Cafe) 1979年2月 最高40位/6.0万枚 |
![]() ディスコ・ベース (Disco Bass) 1978年?月 【チャート・インせず】 |
| 【10位】 5枚/計14.5万枚 非常にクオリティの高い曲をリリースし続けたアーチストなのですが、ベルギー本国以外では、あまり成功した国はなく、日本くらいだったようです。彼らについては、ネット上でもまったく情報が見つかりません。ベスト盤のCD化が望まれます。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() サンチャゴ・ラヴァー (Santiago Lover) 1979年4月 最高48位/7.8万枚 |
![]() レット・ミー・シング (Let Me Sing) 1981年9月 最高75位/2.6万枚 |
![]() 悲しきバラライカ (Do Svidaanja) 1980年8月 最高74位/1.7万枚 |
| 【10位】 2枚/計14.5万枚 「ア〜ン、ウ〜ン」という女性のうめき声がフィーチャーされた「誘惑のブギー」は本国ドイツでは当時、放送禁止になったとか。しかしこの曲はイギリスでも大ヒット。 世界歌謡祭に来日し、エントリーしたシングル「誘惑のマドリード」はチャート外。しっとりとした良い曲なのにとても残念。この曲は日本だけのシングル・カット。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() 誘惑のブギー (Yes Sir, I can Boogie) 1977年8月 最高31位/13.8万枚 |
![]() 真夜中のレディ (Sorry, I'm a lady) 1978年4月 最高96位/0.7万枚 |
![]() 誘惑のマドリード (Mad in Madrid) 1977年?月 【チャート・インせず】 |
| 【12位】 (MARCO POLO) 2枚/計14.3万枚 デビュー曲、3rdシングルがジンギスカンのカバー、B面でも2曲のボニーMのカバーを演ったりと、いかにもスタジオ・ミュージシャンの即席アーチスト。しかし、そんな正体不明(たぶんメイド・イン・ジャパン)アーチストながらもチャート的には大健闘。2ndシングルの「アリババ」も、イージー・コネクションがオリジナルということが判明しました。 |
![]() ジンギスカン (Dschinghis Khan) 1979年6月 最高21位/10.0万枚 |
![]() アリババ (Ali Baba) 1979年10月 最高64位/4.3万枚 |
![]() 勇者オマール (Hadsch Halef Omar) 1980年?月 【チャート・インせず】 |
| 【13位】 2枚/計10.8万枚 南米アルゼンチン出身の彼女たちは、三つ子の美人姉妹。既に本国では古くから活動していたとのことですが、スペインの人気シンガー、フリオ・イグレシアスのワールド・ツアーに同行したことから人気が出たとのこと。日本では2枚のアルバムを残しただけでキャンディ・ポップ・ブームの終わりとともにフェイド・アウト。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() Do・Ki・Do・Ki・センセーション (Just Wanna Dance Tonight) 1981年5月 最高42位/6.6万枚 |
![]() 恋のキラキラ・ダンス (I Like Your Love) 1981年9月 最高45位/4.2万枚 |
![]() セ・ラ・ヴィ (C'est la Vie) 1981年?月 【チャート・インせず】 |
| 【14位】 (DOLLY DOTS) 2枚/計10.2万枚 ノーランズに続けとばかりに、エピック・ソニーが送り出したオランダ出身のアーチスト。既に本国では大人気でしたが、キャンディ・ポップ・ブームの終わりごろの日本デビューだったため次第にフェイド・アウト。80年代後半にはPWL作品の「What a Night」をリリースしましたが、それがラスト・シングルとなりました。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() レディオ・ギャル (Radio) 1981年7月 最高24位/8.5万枚 |
![]() 恋のローラースケーティング (Rollerskating) 1981年10月 最高70位/1.7万枚 |
![]() S・T・O・P ストップ (S.T.O.P.) 1982年?月 【チャートン・インせず】 |
| 【15位】 (PASSIONATA) 2枚/計10.1万枚 フィリピンで人気があったアーチスト(らしい)。日本でリリースされた唯一のアルバム『ミステリアス・パッション』のクレジットには日本人の名前もいくつか見受けられ、どうやら楽曲制作に関してはフィリピンと日本の共同プロジェクトだったようです。「卑弥呼」「ルナ・ルナ」などはシンセサイザー奏者でもある深町純によるテクノ・ディスコ風アレンジです。 |
![]() 卑弥呼 (Himiko) 1979年10月 最高34位/9.0万枚 |
![]() ルナ・ルナ (Luna Luna) 1980年2月 最高84位/1.1万枚 |
![]() アラブ万歳 (In the Arab Land) 1980年?月 【チャート・インせず】 |
日本でのキャンディ・ポップ市場は、非常にごった煮状態で、それぞれの出身国も、西ドイツ、アイルランド、スウェーデン、イギリス、フランス、ハンガリー、イタリア、ベルギー、オランダ、フィリピン、アルゼンチンなど多岐に渡っていました。 |
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| 【 番 外 編 @ 】 | |||
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チャート的には奮いませんでしたが、非常にクオリティの高い楽曲をリリースしたキャンディ・ポップ系、バブルガム・ディスコ系アーチストを紹介します。 |
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(VERONICA UNLIMITED.) ヴェロニカは西ドイツ出身のアーチスト。日本では右記の他に「ようこそシンデレラ」というシングルとアルバム『ヴェロニカ・サウンド・シャワー』をリリースしています。いずれもクオリティは非常に高いのですが、ヒットという点においては結びつきませんでした。アルバムのCD化を切望します! GO TO SINGLES SECTION |
![]() 恋のダディ・オー (Daddy-O) 1981年3月 最高85位/1.5万枚 |
![]() あこがれワン・ナイト・ラヴ (Disco Doona) 1981年?月 【チャート・インせず】 |
![]() ラウジー・パーティ (What a Lousy Party) 1982年?月 【チャート・インせず】 |
(GOOMBAY DANCE BAND) 西ドイツのアーチスト。「サン・オブ・ジャマイカ」は本国で、1980〜1999年の20年間でなんと歴代4位!、「Seven Tears」は非常にきれいなメロディの楽曲で、全英でも1位となりました。カリブ海や南米をコンセプトとした楽曲は、ボニーMを彷彿とさせます。本国でのすさまじい活躍の割には、日本ではほとんど知られていません。 |
![]() サン・オブ・ジャマイカ (Sun of Jamaica) 1980年4月 最高98位/0.2万枚 |
![]() Eldorado 1980年/ドイツ盤 【(たぶん)日本未発売】 |
![]() Seven Tears 1981年/ドイツ盤 【(たぶん)日本未発売】 |
(À LA CARTE) 西ドイツのアーチスト。ネーミングはアラベスクと似ていますが、本国ではこちらのほうが人気がありました。「In the Summer Sun of Greece」はマイケル・クレトゥ作品。「リング・ミー・ハニー」は、後にBAD BOYS BLUEのほとんどの曲を書き下ろすトニー・ヘンドリック作品。そんな背景もあってか、楽曲はキャンディ・ポップと言うより、ユーロディスコという雰囲気。 |
![]() リング・ミー・ハニー (Ring Me, Honey) 1982年?月 【チャート・インせず】 |
![]() Viva Torero 1981年11月/ドイツ盤 【日本未発売】 |
![]() In the Summer Sun of Greece 1982年4月/ドイツ盤 【日本未発売】 |
(COSMIC GAL) コズミック・ギャルは日本で人気のピンク・レディーのヒット曲をディスコ・サウンドにしてカバーという発想で始まったもので、日本側がドイツのプロデューサーにアレンジを依頼したプロジェクト。「プリーズ・ミスター・ポストマン」のジャケットの男性がそのプロデューサーのバーント・モハルです。デビュー・シングル「ウォンテッド」は思惑通りスマッシュ・ヒットを記録。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() ウオンテッド (Wanted) 1978年9月 最高53位/3.4万枚 |
![]() 渚のシンドバッド (Sindbad) 1979年?月 【チャート・インせず】 |
![]() プリーズ・ミスター・ポストマン (Please, Mr Postman) 1980年?月 【チャート・インせず】 |
(CHERRY LAINE) 「誘惑のラブ・キャット」がめでたくCD『CANDY POPS!』に収録されましたが、一つ前にビクターからリリースされた「ナイト・イン・シカゴ」もボニーMを彷彿とさせるノリノリのミュンヘン・サウンド。プロデューサーはバーント・モハルという人物で、上記コズミック・ギャルの中心人物でもある男性でした。良質のミュンヘン・サウンドをリリースしていたのですが、現在CDの入手は難しいのが残念。 |
![]() 誘惑のラブ・キャット (Catch the Cat) 1978年12月 最高93位/0.6万枚 |
![]() ナイト・イン・シカゴ (A Night in Chicago) 1978年?月 【チャート・インせず】 |
![]() スピード・フリークSAM (Speed Freak Sam) 1979年?月 【チャート・インせず】 |
ボニーMやジンギスカンでお馴染みの歴史上の人物をモチーフにした、ノリノリのディスコ・サウンド。同時期に、マルコ・ポーロによる「アリ・ババ」というヒット曲もあり、混同されることもありましたが、断然こっちの方がオススメ! 2005年にリリースされた『キャンディ・ポップス』において世界初CD化しました。ぜったいオススメの名曲です! |
![]() 怪盗アリババ (1001 Nights) 1979年11月 最高91位/1.5万枚 |
シングル盤の解説には、「西ドイツにてジンギスカンの弟分として話題のマゼラン、衝撃的デビュー!(中略)」と記載されていますが、ただのキャッチ・フレーズにしか過ぎず、これもたぶん、日本側がドイツに制作を依頼した正体不明アーチストと思われます。しかし、タイトルからもお判りのように、ズバリ「タケノコ族」のことを歌った、日本人好みの中近東風ダンス・サウンド。まったくヒットしなかったのが不思議なくらいです。ぜひCD化を! |
![]() バンブー・キッズ (Bamboo Kids) 1980年?月 【チャート・インせず】 |
(THE GARNETS) ベルギー出身の男性5人+女性2人組みのグループ。楽曲は、クラシカルな哀愁のピアノと、シンセイサイザーを多用したB級ディスコ・サウンドが絡み合う、これぞキャンディ・ポップの真骨頂とも思える作品。たくさんあるキャンディ・ポップ作品の中でも、ピアノのアレンジの美しさで言えば、この曲が一番かも。さしずめ「アイ・ライク・ショパン」のキャンディ・ポップ・バージョンと言ったところ。 |
![]() ショパン・ショパン (Chopin-Chopin) 1979年?月 【チャート・インせず】 |
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80年代の初め頃、ディスコ・ブームに便乗して、そういったタイプの楽曲をたまたまリリースしたために、日本人にとってはディスコ・アーチストとして知られていますが、本国ポーランドでは、長い間活動している人気アーチストで、むしろディスコはほとんどレパートリーにはないようです。日本ではアルバム『ブルーライト・パサディナ』もリリースしています。本国ではグループ名を「DWA PLUS JEDEN」と言います。 |
![]() 夢のシンガポール (Singapore) 1981年?月 【チャート・インせず】 |
![]() ブルーライト・パサディナ (Blue Lights of Pasadena) 1981年5月 【チャート・インせず】 |
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(CHAMPAGNE) キャンディ・ポップ・アーチストには必ずと言っていいほど、「アバのような・・・」という形容詞がつきものですが、これまでいろいろ聴いた中で、このシャンペーンこそ、まさにアバ!ボーカルやハーモニーまでそっくりです。「ロックン・ロール・スター」や「ヴァレンティーノ」は一聴して好きになりました。「ロックン・ロール・スター」は本国オランダで2位、全米でも83位と大健闘。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() ロックン・ロール・スター (Rock and Roll Star) 1979年?月 【チャート・インせず】 *本国では1976年のデビュー曲 |
![]() ヴァレンティーノ (Valentino) 1977年/ドイツ盤 【日本では未シングル・カット】 |
![]() ブラック・ジャック (Black Jack) 1980年?月 【チャート・インせず】 |
(Doris D & the Pins) オランダのガール・ポップ・グループ。本国では、デビュー曲「シャイン・アップ」は1位、続く「夢見る・・・」は2位とたいへん人気がありました。キャンディ・ポップのストライク・ゾーンと思われるようなキャッチーな楽曲が多く、また、アレンジもなかなか凝っていて、アバの「ママ・ミア」や「マネー・マネー・マネー」を思わせるコケティッシュなサウンドが印象的でした。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() 夢見るラヴ・スケーティング (Dance on) 1981年11月 【チャート・インせず】 |
![]() 恋のマリオネット (The Marvellous Marionettes) 1982年2月 【チャート・インせず】 |
![]() ときめきスクール・ダンス (Dance at the Schoolyard) 1982年?月 【チャート・インせず】 |
オランダの3人組女性アーチスト。リリースした時期が同じビクターのアラベスクとかぶるので、『最新ディスコ・ヒット・・・』の類のアルバムにもアラベスクの曲と同時に楽曲が収録されていました。ディスコと言うよりはキャンディ・ポップの部類の軽めのサウンドですが、「プリーズ・ミー・・・」B面の「酔いどれ水兵」は右記シングルAB面の中でもディスコ・ディスコしていて最も良い曲です。 |
![]() ブズーキー・プレイヤー (Never Listen to a Bouzouki Player) 1979年?月 【チャート・インせず】 |
![]() ラブ (L.O.V.E.) 1980年?月 【チャート・インせず】 |
![]() プリーズ・ミー、プリーズ・ドゥ (Please Me, Please Do) 1981年?月 【チャート・インせず】 |
1976年に結成されたオランダの3人組女性アーチスト。本国でもたくさんのヒット曲を持っています。キャンディ・ポップに民族楽器の楽しさをプラスしたような楽曲が、彼女たちの音楽の特徴です。 1980年には世界歌謡祭にオランダ代表として出場する予定でしたが、4ヶ月前にキャンセルになりました。歌謡祭では「Be My Lover Tonight」を歌う予定でした。 |
![]() ユア・ザ・グレイテスト・ラバー (You're the Greatest Lover) 1978年/ドイツ盤 【日本では未シングル・カット?】 |
![]() 恋のカサノバ (Casanova) 1979年9月? 【チャート・インせず】 |
![]() 恋のラヴ・コール (Tingalingaling) 1981年12月 【チャート・インせず】 |
オランダ出身の姉妹二人組み。1979年に第20回世界歌謡祭に「レット・ミー・ノウ」という曲で参加しましたが成績は奮わず、シングルもリリースされなかったようです。2年後、キャンディ・ポップ・ブームに乗るかのように、相次いで楽曲をリリース。サウンド的にはキャンディ・ポップよりアダルトな雰囲気を持った感じでした。ホンダのスクーターのCMに起用されるなど、東芝EMIとしてはプッシュしていたようです。 |
![]() 恋はパサディナ (Pasadena) 1981年?月 【チャート・インせず】 |
![]() ディファレント・ワールド (It's a Different World) 1981年10月 【チャート・インせず】 |
![]() スター (Star) 1982年?月 【チャート・インせず】 |
(Teach-in) ティーチ・インは、1975年のユーロビジョン・ソング・コンテストでグランプリを獲得。同コンテストでは、前年にアバがグランプリを獲得し、後に世界的な成功を収めました。彼らはアバのような世界的成功を収めることはできませんでしたが、グランプリ獲得曲の「愛の鐘の音」や、「ロボット」は非常にキャッチーな楽曲で、日本でももう少しヒットしても良かったかなぁとは思います。 |
![]() 愛の鐘の音 (Ding-A-Dong) 1975年?月 【チャート・インせず】 |
![]() ロボット (The Robot) 1979年?月 【チャート・インせず】 |
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オランダ出身の女性4人と男性2人の計6人のグループ。 ジャケットにもあるように、ロシアの民族楽器のバラライカが大きくフィーチャーされ、エキゾティックな雰囲気をかもし出しています。特にイントロがいいです。 |
![]() ロシアン・ディスコ・パーティ (Russian Disco Party) 1979年11月 【チャート・インせず】 |
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(LA BIONDA) イタリア出身のラ・ビオンダという有名プロデューサー兄弟によるプロジェクト。本国イタリアやドイツでは結構人気があったようです。実はラ・ビオンダ兄弟は同じイタリア出身のD.D.サウンド(上記参照)のプロデューサー兼ライターでもあります。「サンド・ストーム」のジャケットを見ているとディスコ・アーチストにありがちなスタジオ・ミュージシャンとは異なり、かなり本格的といった感じがしますね。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() サンドストーム (Sandstorm) 1978年?月 【チャート・インせず】 |
![]() ワン・フォー・ユー・ワン・フォー・ミー (One for Me, One for You) 1978年?月 【チャート・インせず】 |
![]() さすらいのバンディード (Bandido) 1979年?月 【チャート・インせず】 |
(EASY CONNECTION) アーチストの詳しいバイオはまったく判りませんが、レコード会社などのインフォから、イタリア出身のスタジオ・ミュージシャンと思われます。(カバーである)マルコ・ポーロのバージョンのほうが売れたようですが、オリジナルはイージー・コネクション。それほどの大ヒットになったわけでもないのですが、ジャケットは二種類存在します。 |
![]() アリババ (Ali Baba) 1979年10月 最高81位/1.7万枚 |
![]() アリババ (Ali Baba) 【別ジャケ】 |
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(PATRICK JUVET) フランスの男性アーチストなのですが、ディスコ・ブームの70年代後半、ヴィレッジ・ピープルのソング・ライティングで有名なジャック・モラーリ氏のプロデュースによりディスコ・ヒットを連発しました。ジャック氏が元々フランス出身ということでのコラボレーションだったのでしょうか。とにかく、ヴィレッジ・ピープルにミュンヘン・サウンドの味付けをしたような感じのサウンドは一聴の価値ありです。 |
![]() レディ・ナイト (Lady Night) 1979年6月 【チャート・インせず】 |
![]() ビバ・カリフォルニア (Viva California) 1979年9月 【チャート・インせず】 |
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(HOT BLOOD) 2枚/計45.6万枚 年代的には世界的なディスコ・ブームからは少しさかのぼるのですが、「ソウル・ドラキュラ」の日本での大ヒットは特筆に値します。このように正体不明のアーチストでも、楽曲のクオリティやプロモーションにより大ヒットに結びつくことがあるという良い例です。特に日本で大ヒットになったということで、後に日本側も制作にかかわるようになりました。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() ソウル・ドラキュラ (Soul Dracula) 1976年5月 最高7位/41.6万枚 |
![]() 怪傑!ソウル・キャット (Le Chat) 1976年11月 最高36位/4.0万枚 |
![]() ベイビー・フランケンシュタイン (Baby Frankie Stein) 1977年4月 【チャート・インせず】 |
ブラザーフッド・オブ・マン (BROTHERHOOD OF MAN) アバを輩出したユーロビジョン・ソング・コンテストの1976年グランプリを獲得したイギリス代表の4人組。イギリスを中心にヨーロッパで人気が高く、本国では「想い出のラスト・キッス」「哀愁のアンジェロ」などのNo.1ヒットもありました。なんと現在でも同じメンバーで活動しています。BeNのお気に入りアーチスト! GO TO SINGLES SECTION |
![]() 想い出のラスト・キッス (Save Your Kisses for Me) 1977年?月 【チャート・インせず】 |
![]() 哀愁のアンジェロ (Angelo) 1977年?月 【チャート・インせず】 |
![]() 恋のハイウェイ・マン (Highwayman) 1978年?月 【チャート・インせず】 |
(BUCKS FIZZ) 彼等もユーロビジョン・ソング・コンテスト1981年のグランプリで、イギリス代表アーチスト。非常にクオリティの高いサウンドで、当時イギリスを中心にヨーロッパで人気がありました。東京音楽祭の参加曲「恋はワンダー・ゲーム」は素晴らしい曲です。UKでは「夢のハッピー・チャンス」や「夢のワンダー・ランド」がNo.1ヒットとなりました。これもBeNのお気に入りアーチスト! |
![]() 夢のハッピー・チャンス (Making Your Mind up) 1981年?月 【チャート・インせず】 |
![]() 恋はワンダー・ゲーム (Another Night) 1981年?月 【チャート・インせず】 |
![]() 夢のワンダー・ランド (The Land of Make Believe) 1982年?月 【チャート・インせず】 |
(GUYS 'N' DOLLS) イギリス出身のアーチスト。元々はオーディションで選ばれた6人組でしたが、後に2人が脱退。脱退した2人はダラーという人気アーチストに。残った4人は、ノーランズやドゥーリーズで有名なプロデューサーのベン・フィンドンによる楽曲でもヒットを出しました。本国イギリスよりオランダでの人気が長く継続し、後に活動の拠点を移すことになりました。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() ライム色の初恋 (Growing Pains) 1978年?月 【チャート・インせず】 |
![]() 愛の微笑 (Only Loving does It) 1978年9月 【チャート・インせず】 |
![]() バラ色のメロディー (Same Old Way) 1978年11月 【チャート・インせず】 |
という訳でダラーです。ガイズン・ドールズを脱退してからは、人気が低迷してゆくガイズン・ドールズを尻目に、バグルズなどで人気のトレヴァー・ホーンのプロデュースによりヒット曲を連発しました。1982年の世界歌謡祭参加のため来日もしました。人気が低迷した90年代に入ってからは、二人とも当時分裂状態のバックス・フィズに一時期加入したこともあったそうです。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() 愛のポートレート (Hand Held In Black And White) 1982年?月 【チャート・インせず】 |
![]() 夢見る街角 (Tokyo) 1982年3月 【チャート・インせず】 |
![]() ふたりのハート (Two Hearts) 1982年11月 【チャート・インせず】 |
(LIQUID GOLD) 「ドント・パニック」は、ユーロビジョン・ソング・コンテストの1981年イギリス国内予選2位の成績。日本では折からのキャンディ・ポップ・ブームに便乗して、(たぶん本人たちの意思とは無関係に)キャンディ・ポップ・アーチストとして紹介されていましたが、本来はダンス・ロック系バンド。「今宵ダンスで」は全英第2位、「My Baby's Baby」という曲は全米45位という実力派。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() 今宵ダンスで (Dance Yourself Dizzy) 1980年?月 【チャート・インせず】 |
![]() ドント・パニック (Don't Panic) 1981年?月 【チャート・インせず】 |
![]() バラで乾杯 (The Night, the Wine and Roses) 1981年?月 【チャート・インせず】 |
1977年の春、イギリスにおいて「Promises, Promises」でデビューしたアーチスト。同曲はユーロビジョン・ソング・コンテストの国内予選第4位の成績。いっぽう、「燃える想い」もコンテスト受けする素晴らしい楽曲で、同年の世界歌謡祭でグランプリを獲得!しかし、残念ながら本国でもそれほど目立った活動はなく、日本ではこのシングル一枚っきりでした。2曲とも名曲! |
![]() 燃える想い (Can't Hide My Love) 1977年12月 最高70位/2.7万枚 |
![]() Promises, Promises 1977年/ドイツ盤 【日本未発売】 |
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(FOX & PROMES) ボニーMと同じ女性3人+男性1人のフォーメーション、そして当時ノーランズやドゥーリーズなどのキャンディ・ポップ路線が大当たりしていたEPICソニー・レーベルということもあり、ジャケ買いをしたのですが、キャンディ・ポップの真骨頂とも思えるスピード感あふれる良い曲でした!中古ショップで見かけたらぜひゲットしておきましょう。 |
![]() ロビン・フッド (Robin Hood) 1979年11月? 【チャート・インせず】 |
ド・ラ・ムは、イギリスのスタジオ・ミュージシャン。 ゆったりしたリズムにストリングスがからみ、♪ララ〜、ララ〜、ララバイ〜を繰り返します。メロディ的には日本の歌謡曲に近いものもあるようです。単調なリズムのようですが、どうしてどうして、5万枚を越える、ディスコものとしては、かなりのヒットになりました。 |
![]() ララバイ (Lalabye) 1978年11月 最高47位/5.7万枚 |
GOOMBAY DANCE BANDの「Seven Tears」はBeNの琴線に触れまくる名曲で、2003年に最もよく聴いた曲でした。ところで、その「Seven Tears」を始め、GOOMBAY DANCE BANDのヒット曲の多くは、W.Stein と W.Jassによって産み出されています。実は彼ら二人は、上記ヴェロニカの「恋のダディ・オー」や「あこがれワン・ナイト・ラブ」、また、2プラス1の「夢のシンガポール」や「ブルーライト・パサディナ」の作者(一部共作を含む)でもあるのです!ということで、気になるキャンディ・ポップの作家発見です。 なお、ブラザーフッド・オブ・マン、バックス・フィズやガイズン・ドールズは、アバと同じソング・コンテストに出場したり、グランプリ獲得経験があったということや、同じ男女二人ずつというメンバー編成であり、日本にはポスト・アバとして紹介されていました。私は結構アルバムも集めるなど好きなのですが、一般の知名度はほとんどありません(泣)。 |
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| 【 番 外 編 A 】 | |||
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| 【 1位 】 [ best sold singles ] |
【 2位 】 [ 2nd best sold singles ] |
【 3位 】 [ 3rd best sold singles ] |
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(VILLAGE PEOPLE) 8枚/計80万枚 日本でも「Y.M.C.A.」は西城秀樹が、「イン・ザ・ネイヴィー」はピンク・レディーなどカバーしてヒットしましたね。 90年代に入ってからも、ペット・ショップ・ボーイズが「ゴー・ウエスト」をカバーしヒットさせたことは記憶に新しいです。日本では、本国アメリカを上回るくらいヒットを飛ばしていたことはあまり知られていないようです。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() Y.M.C.A (Y.M.C.A.) 1978年12月 最高10位/30.2万枚 |
![]() イン・ザ・ネイヴィー (In the Navy) 1979年4月 最高10位/18.6万枚 |
![]() サンフランシスコ (San Francisco) 1977年11月 最高40位/9.5万枚 |
(BEE GEES) 3枚/計66.9万枚 ディスコ・アーチストではないのですが、映画『サタディ・ナイト・フィーバー』において、ディスコ・ブームを作ったということで掲載。なお、売り上げデータは、右記ディスコ・シングル3曲の合計で、他ポップス〜バラード系シングルは含まれていません。ほかにも「失われた愛の世界」「小さな恋のメロディ」「マサチューセッツ」など多くの大ヒットがあります。 |
![]() 恋のナイト・フィーヴァー (Night Fever) 1978年6月 最高4位/37.0万枚 |
![]() ステイン・アライヴ (Stayin' Alive) 1978年3月 最高19位/21.6万枚 |
![]() 哀愁のトラジディ (Tragedy) 1979年3月 最高32位/8.3万枚 |
(EARTH, WIND & FIRE) 8枚/計50.4万枚 【10枚/計54万枚】 当時、世界的な人気がありました。今、聴いても古臭さが感じられない緻密なサウンドという感じがします。なお、楽曲に併せたジャケットの絵は日本人アーチストが手がけていたことでも有名です。'77〜'82年以外も含めると計10枚のシングルがチャート・インしています。 |
![]() 宇宙のファンタジー (Fantasy) 1978年3月 最高22位/17.4万枚 |
![]() ブギー・ワンダーランド (Boogie Wonderland) 1979年6月 最高23位/9.9万枚 |
![]() レッツ・グルーヴ (Let's Groove) 1981年11月 最高34位/9.3万枚 |
(DONA SUMMER) 7枚/計32.4万枚 【8枚/計37万枚】 ドナ・サマーの場合、77〜82年では7枚のシングルがチャート・インしています。現在でもCMなどで彼女の楽曲はよく耳にしますね。なお、 80年代後半にも、PWLによる「This Time I Know It's for Real」「I don't Wanna Get Hurt」などパワフルな彼女のボーカルと流行のPWLサウンドが融合した名曲をリリースしています。 |
![]() ホット・スタッフ (Hot Stuff) 1979年5月 最高17位/15.0万枚 |
![]() バッド・ガール (Bad Girls)l 1979年8月 最高35位/5.1万枚 |
![]() ワンス・アポン・ア・タイム (Once Upon a Time) 1978年1月 最高64位/3.3万枚 |
(Leif Garette) 右記3枚の計/39.1万枚 「ダンスに夢中」は日本でも大ヒット。「フィール・ザ・ニード」のB面に収められていた「ニューヨーク・シティ・ナイト」はファンの間で人気が高く、AB面をひっくり返して再リリース。大きなヒットにはなりませんでしたが、1980年に田原俊彦が歌手デビューの際、「哀愁でいと」としてカバーして大ヒットとなったことで、本家盤が再々リリースとなりました。 |
![]() ダンスに夢中 (I was Made for Dancin') 1978年11月 最高12位/35.7万枚 |
![]() フィール・ザ・ニード (Feel the Need) 1979年6月 最高72位/0.6万枚 |
![]() ニューヨーク・シティ・ナイト (New York City Nights) 1980年11月 最高56位/2.8万枚 |
(Pink Lady) 右記の3枚の計/26.3万枚 「キッス・・・」はピンク・レディーの全米デビュー作で、人気プロデューサーのマイケル・ロイドによる超カッコいい曲。なんと全米37位のヒットとなりました!当時、日本人が全米チャートで健闘したのは坂本九の「スキヤキ(上を向いて歩こう)」(全米1位)以来の快挙でした。「うたかた」もマイケル作品の名曲!「マンデー・・・」は都倉俊一作品。この3曲は傑作ディスコです。 |
![]() キッス・イン・ザ・ダーク (Kiss in the Dark) 1979年7月 最高19位/11.1万枚 |
![]() マンデー・モナリザ・クラブ 1979年9月 最高14位/11.2万枚 |
![]() うたかた (Stranger When We Kiss) 1980年9月 最高48位/4.0万枚 |
ドクター・ドラゴンとオリエンタル・エクスプレス (DR. DRAGON & ORIENTAL EXPRESS) 3枚/計24.5万枚 実は、歌謡界の大御所、筒美京平先生作・編曲によるプロジェクト。「セクシー・バス・ストップ」や「ハッスル・ジェット」は浅野ゆう子など何組かのアーチストがカバーしてヒットしています。70年代後半のディスコ・ブームからは時期的に少しさかのぼった頃の楽曲です。 GO TO SINGLES SECTION |
![]() セクシー・バス・ストップ (Sexy Bus Stop) 1976年3月 最高25位/18.9万枚 |
![]() ハッスル・ジェット (Hustle Jet) 1976年9月 最高46位/5.3万枚 |
![]() ピーナッツ (Peanuts) 1976年7月 最高90位/0.3万枚 |
(SPINACH POWER) 3枚/計17.3万枚 スピニッヂ・パワーは、後に有名になるビーイングの織田哲郎や長戸大幸らが仕掛けたアーチストであり織田哲郎自身もボーカリストとして参加。また、元BOOWYの氷室京介もボーカリストとして在籍していた期間があるそうです。当初は洋楽アーチストと思わせるためか?英語で歌っていましたが、後半では、日本語曲をリリースしバンド化していったようです。 |
![]() ポパイ・ザ・セーラーマン (Popeye the Sailorman) 1978年9月 最高21位/16.4万枚 |
![]() ファンキー・ディスコ・プリンセス (Funky Disco Princess) 1979年1月 最高86位/0.7万枚 |
![]() ヘイ・スウィート・キャロライン (Hey Sweet Caroline) 1979年2月 最高100位/0.2万枚 |
(LOS ANTONIOS) 「アナザー・チャ・チャ」は、元々サンタ・エスメラルダの楽曲なのですが、日本ではサンタ・エスメラルダとしてはリリースされず、ロス・アントニオスによりシングルがリリースされ、ヒットしました。 しかし、ロス・アントニオスはどうやら、メイド・イン・ジャパンの正体不明アーチストと思われます。結局、ロス・アントニオスはこれ以降シングルをリリースすることはありませんでした。 |
![]() アナザー・チャ・チャ (Another Cha Cha) 1979年12月 最高71位/2.7万枚 |
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thanks to nabesan