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last updated : 2008/4/14




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30th ANNIVERSARY !!!
バカラの30周年を記念して
遂に未発表曲を多数収録した
ボックス・セットがリリース!
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♪「誘惑のブギー」/バカラ

ドイツのテレビ出演時映像より


BIOGRAPHY


 バカラは、スペイン出身のマイテ・マテオス(Mayte Mateus)(向かって左で、いつも黒の衣装)(1951年の5月生まれ)とマリア・メンディオロ(Maria Mendiola)(向かって右で、いつも白の衣装)(1952年の4月生まれ)の二人です。
 マイテは、マドリードにある「ロイヤル・スパニッシュ・アカデミー」という芸術やダンス関連の教師を育成するための学院を卒業した後、数年間、スペインのテレビ番組に出演して、バレエなどのパフォーマンスを披露していました。そこで、彼女はマリアと出会いました。二人は、彼女たち独自のショウ番組を展開するために、そのテレビ番組をやめる決意をし独立しました。新しい番組での最初の契約はナイト・クラブでした。そこで彼女らは心をこめて歌やダンスを披露したのですが、番組の趣旨と合わなかったため、この番組を降りるハメになりました。
 しかし、二人は自分たちの成功をあきらめはしませんでした。この後、二人はスペインの保養地として有名なカナリア諸島のフェルテベントゥーラ島のホテル「トレス・イスラス」にやってきました。そして、このホテルと契約し、エネルギッシュなナイト・ショウを連日披露し、人気を呼ぶようになりました。彼女らは、一方で古典的なフラメンコ・ショウや、スペインのトラディショナル・ソングも歌ったりしていました。フェルテベントゥーラ島の観光客の90パーセントはドイツ人で、彼らはそれらをたいへん喜んだからだそうです。
 1977年の1月、ホテルでのショウに出演していたところを、その保養地へ休暇にきていた、レオン・ディーン(西ドイツRCAレコードのPRマネージャー)、パトリック・クレビッツ(DJ)、フレッド・ディークマン(新人発掘の名人)の3人の目にとまりました。彼らは、彼女らはイケル!と確信し、レオンの計らいにて、彼女たち二人は3月にはハンブルグに到着。作曲家であり、プロデューサーでもあるロルフ・ソーヤの元で最初のリハーサルを行いました。そのリハーサルを見たRCAレコードのボスは、彼女らの才能に感嘆し、なんと6日後には、ファースト・シングル「誘惑のブギー」のレコーディングを行ったそうです。こうして、二人はバカラとしてのキャリアをスタートさせることになりました。
 こうして5月には、このシングル「誘惑のブギー」をリリース。ラジオ局によっては、そのセクシーなイントロのために放送しないところもあったそうですが、ドイツ国内のディスコへのプロモーション活動に加え、77年5月の西ドイツのテレビ番組『MUZIK LADEN』に出演したことがきっかけとなり、彼女たちは決定的大スターとなったのである。

 ちなみに、バカラという名前の由来は、トランプ・ゲームの一種だそうです。また、バラ(特に紅色)の名前とも結びつくそうです。バカラのレコードには、必ず赤いバラの絵があるのもそのためです。

 なお、「誘惑のブギー」は、ヒット・チャートを駆け上り、バカラはたくさんのテレビ番組に出演しました。こうして、「誘惑のブギー」は西ドイツで8週連続チャートの1位を獲得しただけでなく、6月から8月にかけて、オランダ、イギリス、ベルギー、スウェーデン、スイス、イスラエルなどでも1位を獲得しました。
 バカラは、ヨーロッパにおいて初めてのNo.1を獲得した女性デュオであると同時に、初めてスペイン出身でNo.1を獲得したのシンガーでした。(二組目は、4年後のフリオ・イグレシアスということです。) こうして、バカラの「誘惑のブギー」は、1.600万枚以上を売り上げ、1977年に最もよく売れた女性デュオということで、ギネスブックにも載ったということです。
 8月にリリースした、続くシングル「真夜中のレディ」は、西ドイツで7週間1位となったほかにも、オランダやベルギーでも1位となりました。

 いっぽう、バカラはこの年の11月、第8回東京音楽祭に西ドイツ代表として参加し、「誘惑のマドリード」を歌いました。また、翌1978年4月には、フランスのパリで行われたユーロビジョン・ソング・コンテストにも「誘惑のフランセ」で参加しました。この時はルクセンブルグ(西ドイツの隣の小国)代表として参加。73ポイントで7位の成績でした。(この時のグランプリは、イスラエル代表のIzhar Cohen and The Alphabetaの「A-Ba-Ni-Bi」で、157ポイントを獲得しました。メッチャいい曲ですよ!)
 この当時、バカラはドイツの『Musikladen』や、イギリスBBCの『Sacha Distel Show』などの、テレビの音楽バラエティ番組などによく出演していたそうです。

 また、バカラは、1979年の国際児童年にユニセフに寄与する楽曲として、ドイツにて「Eins plus eins ist eins」というチャリティ・シングルをリリースしています。この曲は元々、シングル「アイ、アイ、セイラー」のヨーロッパ盤シングルのB面に収められていた「One, Two, Three, That's Life」なのですが、新たにドイツ語に録音しなおしてリリースしました。

 西ドイツのチャート・ポジションとしては、サード・シングル「ダーリング」(日本では未シングルカット)は6位、ユーロビジョン・ソング・コンテスト参加曲の「誘惑のフランセ」は21位、「悪魔の誘惑」は4位、「ボディ・トーク」が26位、「アイ、アイ、セイラー」は39位などです。シングルが売れた割にはアルバムのセールスは伸び悩み、1977年の暮れにリリースしたファースト・アルバム『誘惑のブギー』が最高13位。しかし、オリジナル・アルバムでチャート・インしたのはこれだけで、他には1979年1月にリリースした『THE HITS OF BACCARA』(日本未発売)が30位といった成績でした。

 1981年、事態は思わぬ方向へ進んでしまいました。バカラのニュー・シングル「Sleepy Time Toy」が、マリアのボーカルがよく表現されていないということで、彼女がクレームをつけ、店頭から回収されるということになったためです。マリアは弁護士をやとい、レコード会社に苦情を言いました。彼女はリリースされたトラックでは満足いかなかったのです。当時、マイテは困惑して、どうしてそうなったかまったく判らなかったそうです。「バカラはずっと私のボーカルをメインでやってきたのに・・・」と思ったということです。
 しかし、この問題についてレコード会社との間に解決の糸口がまったく見つからず、バカラの二人はプロデューサーであり、コンポーザーでもあるロルフ・ソーヤとのコラボレーションをも打ち切り、新しいプロダクション・チームにおいて、「Colorado」というシングルをレコーディングし、4枚目のアルバム『BAD BOYS』(日本未発売)をリリースしました。しかし、どちらともセールス的には失敗しました。こうして結局、バカラの二人はそれぞれの道を歩むことを決め、1981年に解散することになりました。



 こうして解散したバカラの二人ですが、マイテは1981年から1983年まで、マリアは1981年から1985年までソロ活動をした後、それぞれが別の女性とデュオを組み、ニュー・バッカラ、バカラ2000、バカラなどといった名前で活動することになります。
 1980年の中頃のユーロビートが大流行した時代には、ニュー・バッカラとして「Fantasy Boy」「Call Me Up」などのユーロ・ヒットもリリースして見事復活も果たしています。そのニュー・バッカラのメンバーは、オリジナル・メンバーのマイテと、新しくメリッサという女性によるもので、プロデュースはあのモダン・トーキングと同じ、ルイス・ロドリゲスが担当していました。また、これらの楽曲は輸入12インチ・シングルとして、また、ビクター音楽産業のオムニバスCDの1曲としてよく知られていました。

 なお、バカラは、いくつかのベストCDがリリースされています。当時の音源でないニュー・レコーディングのものは、これら新しいバカラによるものです。BeN的には、これら新しいバカラにはほとんど興味がありませんが、機会があれば後述したいと思います。なお、下記バカラのファン・サイト内にはメンバーの変遷なども判りやすく記載されていますので、興味のある方は参照してください。





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Official Fan Club Of Mayte Mateos & Baccara  マイテとバカラのオフィシアル・ファン・クラブ・サイト。ドイツ語、英語、スペイン語をフォローしているすごいサイトです。
Baccara Home Page  ポーランド人によるバカラのファン・サイト。ディスコグラフィーやフォト、歌詞やサウンド・ファイルに至るまで、バカラのファン・サイトの中では最も充実しています。しかも、嬉しい英語表記!
Baccara Fanclub  当時のバカラから、現在活動している新しい二つのバカラまでフォローしています。(ドイツ語)
World Of Baccara  当時のバカラから、現在活動している新しい二つのバカラに至るまで丁寧に記載されています。しかし、残念なことにドイツ語です。
BACCARA  ファン・サイトの一つ。ディスコグラフィーや画像も今ひとつといったところ。(英語)





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