雑感雑記(日記?)
ぜんぶ

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1月19日(土) くもり? 晴?
 「"煌め逝くもの"fra-foa。好きなバンドが現れた。」

NHKポップジャム。
fra-foaというバンドが「煌め逝くもの」という曲を披露した。
歌う前の口上。「なんでうまくいかないんだろう? なんで? なんで?…… いっぱい、うまくいかないけれど、それでも、いつでも、自分を誇っていたい」そんなような、自分の内っかわにあって、それをどうにか表現してどうしても伝えたいような、切実な訴え。そして歌。
テレビのすぐ前にしゃがんで、画面上の女性ヴォーカルと対峙して。
はじめ、歌詞ばかり見ていた。
自分が全力で受け止めたい歌だと、歌う前の口上のときから感じ取った。
上手いかどうかなんていうレベルでの評価はまったく意味を持たない。自己の内面にうつった色彩を詩に写しとったどうしても叫ばなければならない言葉たち。歌となって世界に噴出す。きらきらと飛沫を煌かせながら。
とても気に入った。
歌詞だけじゃない。曲だけじゃない。ヴォーカルがそうやって歌いあげる、その有り様。ただ歌うんじゃない。歌になっている。どうしても歌でなければならない。思いが作品となって今まさに世界に生まれ出でようとしているそのとき、どうしてもそうあらねばならないという秘めた力の要請に従って、それは歌という姿に昇華して世界に姿を現したのだ。相手に受け取って貰う為に、空間中に全身全霊を以って吐き出さなければならない。そういう歌だった。
心の吐露。
己の心を、血のしたたるそれを胸から取り出して見せるということ。
歌詞 三上ちさ子
という、歌に入る前のテロップに自分が注目していたのが後で自覚された。三上ちさ子。きっと、この歌っている地味なヴォーカリスト。切実に歌を世界にばら撒くように空間に放ち貫き通すように歌うことのできる彼女。
確実に、好みだと言えた。
しかも、歌っているそのことが、その詩が、自分にとって、過去と現在の自分にとっても、切実なものであること。勇気と力を貰える。自分にとって、大切な、逃すことのできない歌だった。
CDだときっと、こうして歌っている様を見て聞いたこのライヴよりも歌の力は遠のいて聞こえてしまうだろう。
それでも、CDを買おうと思った。
新譜を欲しいと思うのは、どれくらいぶりだろう……。
調べてみたら、もう5枚目のシングルで、ジャケット写真は蜷川実花(!♪)。このシングルから、プロデューサーになんと根岸孝旨(Bass / ex. Sence of Wonder, Falcom関連, etc... / Cocco等のプロデュース・編曲)が参加しているとのこと。しかも編曲にもクレジットされている。……猛烈に熱くなってしまう自分を止めることができない。この感覚、久しぶりに感じてるのか、初めて経験しているのか。新鮮だ。
「楽曲に込められた切迫した思いを、よりバランスよく伝える手腕に注目を。(*)
大いに、猛烈に期待するものである。
好きなバンドが現れた。

(*)music club on line "http://www.so-net.ne.jp/mc/cd/01/1206/fra.html"から引用。
Copyright 1998-2000 Sony Communication Network Corporation.

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12月24日(月) 晴雨あられ雪、全天候目まぐるしく交代し、おおむね晴れ。
 「クリスマスイヴの夜空に」

午後7時すぎ、西大畑の砂丘から、
雲間に覗く美しい夜空を見上げて、
  サンタクロースの愛に、いつか近づくことができるだろうか
と、願った。

年に一度、世界じゅうの、どんな、どんな子供にも、ひとしく、ほんとうの愛を、彼は届けてまわるのだ。トナカイのそりで、夜空を翔けて。

子供はだれでも、世界じゅうのどんな子供も、
子供たちはみんないい子で、
子供はだれでも、世界じゅうのどんな子供も、
かくじつに愛されるべきで、
愛されなければならない。

年に一度だけ子供たちに会える夜、
世界じゅうの子供たちに、いい子いい子して微笑んでまわり、
世界じゅうの子供たちとむかし子供だった大人たちに、ほんとうの愛とよろこびを配ってまわる、サンタクロース。

夜空を見上げて、そんなサンタクロースに想いを馳せる。

午後8時すぎ、万代橋から見上げた雲間の夜空は、
月影が冴えて、とっても透明で、しずかだった。


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9月28日(金) くもり→晴れ  「アルバイトが終わった日」

今日で紀伊国屋ブックセンターのアルバイトが終わった。
えーと、1年と10ヶ月くらいかな? あれ? もっとやったような気もする。

一旦は募集を見て自分で応募したものの、そのときは仕事の時間と自分の空き時間との
折り合いがつかず断念。
数ヶ月後、学科の酒の席で、招待され機嫌よく酔っぱらっていた店長に挨拶しビールを注いだら
「君、来れない? 今、人が足りなくてさー」
と声をかけられたのが、思えばこのバイト開始のなれそめだった。
……酒かよ。

普段はもたもた仕事をしていると思うけれど、ひとつひとつの作業を無意識に効率よくこなせる
くらいには功夫を積んだみたいだなと、今日、手に馴染んだひとつひとつの作業を意識化しながら確認した。

密かに、ハンディスキャナを使った書籍の返品業務とタッチタイプでの(←ミソ)加算器の入力は、
バイターの中で最速を自負してみたり……。
でも、速い部分は確かに効率的に速くこなせているようでも、その「つなぎ」の作業をの〜んびりやるので、
結局はそれなりに時間をかせいで時給をかせぐというか何というか。結局駄目じゃん。(時間稼ぎのつもりは、毛頭ないんだけけれど。^^;)

仕入れの検品では、全国各地で店長を数多く務めてきたという長老・百戦錬磨のIさんの猛烈な速さには、
結局、及ぶことができなかった。あたりまえだけど。ちとくやしい。

書籍や雑誌や文庫の検品や返品をやっていて、ふと目に留まる本がある。
一期一会。
それが、このバイトの醍醐味だった。
売れずに返品となった本の中から、宝を掘り出してみたり。

今日もこれに恵まれ、溜まりに溜まった文庫の返品作業をしながら、4冊ばかり、
今の自分に合致した本に出くわし、抜きとってバイト終了後にレジに持っていった。
餞別(という割には、自分に向けた買い物だが)のような気持ちもあった。

いい人たちの間で、いい仕事に恵まれたなと幸せに思う。
関わった人と、いろいろなめぐり合わせに、感謝。


* 今日買った本。約1ヶ月前の棚卸しのバイト料で購入。本を買うのは久しぶりだ。 *

  • 『ビリーの森ジョディの樹 第1巻』 三原 順、白泉社文庫
    なんとも良さそうだった。これは是非読んでおきたいと感じた。
    ちょっと古い感じ("花の24年組"系統の作風)の少女漫画のなかでも好みのタイプ。
    人物や背景の丁寧な描き込みにも強く惹かれ、この絵の表現を自分のものにしたいと思った。

  • 『二十一歳の父』 曽野綾子、新潮文庫
    ちょうど今の自分に読ませたい小説だった。
    「わらしべ長者」で語られるような、自分とものとの出会いやね。

  • 『船乗りクプクプの冒険』 北杜夫、新潮文庫
    やっぱ北杜夫でしょ。
    北杜夫は文庫を買い漁って読みたいものだと今日あらためて思ったが、この1冊をこの機会に。
    紹介文を見たらとても面白そうだったし、
    自分もこれからものを書きたいのでその養分にと思い、ますます読みたくなった。

  • 『流しのしたの骨』 江國香織、新潮文庫
    江國香織は以前から気になっていた作家。
    この作品のタイトルは何かそら怖いような印象で気になっていた。
    そしたら、一家族「の、晩秋から春までの出来事を静かに描いた、
    不思議で心地よくいとおしい物語(裏表紙の紹介文より)」だという。
    ものすごくそそられた。読まずにはいられない。

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6月13日(水) 「高校時代の恩師の作品」

『新潟県文学全集』というのがあります。
川端康成の「雪国」などの新潟県を題材にした作品や、
坂口安吾や新井満ら郷土のゆかりの作家の作品を集めたもので、
第I期・第II期それぞれ7巻ずつの全14巻+索引1冊、
第I期が小説、第II期が詩歌・紀行となっています。
第I期は高校のときに全巻セットで買って持っているのですが、
読みつけない純文学ばかりで、全然読みすすめないままでした。

さて。じつは、第I期・第II期それぞれに、
高校時代にお世話になった先生の作品が収録されているのです。
一人は小説、一人は短歌と、教職の傍ら、文学もやっているのでした。
なぜか二人とも社会科は地理の先生で。
そういえば地理の先生はみんなどこかマニアックでした……。
(「作品らしきもの」に掲載している「桜」には、歌人である先生の短歌の影響があると思います。
この先生の作品で、はじめて短歌というものに触れた思いがしたものです。
といっても、高校生だった当時は、読んでもさっぱり解らなかったのですが。^^;)

で、大学の図書館にこの『新潟県文学全集』が所蔵されているので、
このところ太宰など読んでいたその勢いで
この全集に収録されている文学作品も読んでみようと、
第I期の第7巻を借りてきたのでした。
目当ては、井伏鱒二と新井満、そして高校時代に読もうとして挫折?した、
例の恩師の作品です。

第I期に収録されている先生の作品は、なんと、文學界新人賞を獲った小説でした。
すごいじゃん。若き日の先生。(ぉぃ
「流れない川」という90枚余りの作品です。

舞台は新潟地震から13年後の新潟市です。
信濃川下流域(というか河口周辺)に位置する
この都市の抱える問題点を不気味な背景として、
主人公の記憶の中の新潟地震の光景と行動と、
他者から見たその行動の意味とのずれを芯に、
物語が紡がれてゆきます。
なんだか昔の白茶けた黒白写真の、
輪郭はくっきりとしていて鮮明のようだけれど、
でも埃に曇って白く靄のかかった風景の
その向こう側を覗き込もうとするような、
ぼやけた夢の景色をはっきり見ようと凝視するような、
そんな、ちょっとそら怖いような感触の作品です。

追憶のむこうのあやしくぼやけた光景の妙な鮮明さを際だたせる、
さすが地理の教師というべき
土地と都市にかかわる精密な徹底的にリアルな描写が、
欠かせない要素として作品世界をあやしく描き出しているのが
とても印象的でした。

作品の完成度の点では、この作品はまだちょっと至らないかな、なんて思ったりもしましたが、
興味深い、いい作品です。

ところで、私としては、「あの先生が、こんな作品を、ねぇ」という意外性のほうに
どうしても興味が向いてしまいます。^^;
普段の先生の様子からは、小説を書くなんてことはとても窺い知れないのでした。

この先生の授業を受ければ、多くの生徒が地理を面白く感じて深い興味を持ち、
意欲的に学ぶようになってしまうという、
非常に濃い、マニアックな授業を繰り広げる先生でした。
こんなところに書いても見てるわけはないんですが、
お元気でしょうか。小説家のI先生。
そして、「地理の最終目標(悟り)は、自然との対話だ」とおっしゃった
歌人でありお寺の住職でもあるT先生。

いやぁ。いい先生に恵まれたものです。
作品をつうじて、卒業後数年を経た今でも
こうして勝手に先生の課外授業を受けられちゃうんですから。


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6月12日(火) 「『夜が来る!』クリア〜♪」

ようやっと「夜が来る!」(アリスソフトのPCゲーム)をクリアしました♪
初クリア、鏡花ルートでした。

開発本部長であり数々の名作を生み出したゲームデザイナーであるTADA氏が手を入れることをせず、
開発のすべてを若手の製作チームに完全に委ねたという作品。
そういう予備知識があったうえで遊んだためかもしれませんが、
制作チームの気合とか気迫とかやる気とかチャレンジ精神とか、
そういうものが感じられる作品でした。
「これに賭けている」という
若いクリエイターたちの作品づくりへの情熱が伝わってきました。
そういう意味でも、高い位置で完成された作品。
それなりによくまとまった、いいゲームだと思います。
このへんは、さすがアリスソフト、なのかな。
そんなわけで、お気に入りの作品となりました。
音楽もいいしね〜♪

あと、このゲーム、主人公が秀逸です。
真・女神転生のヒーローのようにおぼろげなシルエットでプレイヤーに感情移入させるタイプかと思いきや、
イースのアドルみたく、それなりにキャラクターができあがっていて、それなりにしゃべってくれる主人公……
かと思いきや、
なんだこのイイ性格は! おもっしぇー!
魅力的なキャラクターとして立っていて、その魅力によってプレイヤーを惹きこみ、強引に感情移入させてしまう……
この主人公のキャラクターづくりにはニヤリとさせられました。
反面、イイ性格だから、あんまりシリアスなヒーローヒーローした台詞を喋られると、
かえって違和感を覚えてしまうのが残念ですが。^^;

折をみて、ぼちぼち2周目にとりかかろうと思います。
主人公も、まだまだまだまだ強くなるはずですし、武器もまだまだまだまだ弱いままだと思うので。
やり込み型なら、やり込んでやろうじゃないか、と思う次第です。
全ルート制覇したいな。

この作品を通じて、アリスソフトのゲームづくりは「まとも」だな、と再認識した次第です。
堅実。
「我々はゲームを作っているのだ」という、ゲーム制作にあたってのあたりまえの姿勢、高い誇りと志が
作品から聞こえてきます。
パソコンゲームが発展してきた'80年代後半〜'90年代前半ならともかく、
最近では、こういうソフトハウスは貴重なんじゃないかな、と勝手な憶測で考えてしまったり。
最近アリスソフトのゲーム以外はぜんぜん遊んでないので、
実際のところどうなのかはまったくわからないのですが。(ぉぃ
'80年代後半〜'90年代前半にゲームを遊んできた私にとっては、
アリスソフトの職人気質と、彼らの作る昔気質で頑ななゲームらしいゲームは、とても肌になじみます。
好み好み♪
はずみで、途中で止まったまま1年近くも経ってしまった『闘神都市II』(TADA氏の肝煎りの作品ですね)
が「いいゲームじゃん」と再認識され、強烈に続きが遊びたくなってしまいました。これもやろうっと♪


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4月19日(木) 「夜が来る!」

『夜が来る!』が来ました。

蒼い夜というこのモティーフ。
思ったとおり、私にとって見事にツボでした。

数年前ですが、私は、
どこまでもすき透った宇宙の蒼い光が世界に満ちあふれる、そんな透明な夜の蒼さに
感受性(だと思う)をくすぐられまくっていたものでした。

そして、『夜が来る!』。
キャッチコピー(後に判ったのですが、このときコピーとして使われていたのは主題歌の一節だったようです)などの言葉の遣いかた、言いまわしが これまた好みだったりして、非常に気になっていました。

そんなこんなで、発売されるずっと前から、
お株(どこの株だ)をとられたなどと口惜しがってはとっても楽しみにしていたのですが、
夜のとらえかた、えがきかたは、期待通りか、もしくはそれ以上に、見事なものでした。

HIRO氏が思う存分翼をひろげると、こんな世界がえがかれるのか。
作家のなかから湧出したイノセンスな作品。
作品との出会いとそのむこうの作者との出会いが素直に嬉しいような、
作品との対話、作品をとおした作者との対話が素直に楽しめるような、
そんな、いい手触りの作品でした。

物語の導入部分がおわって、やっとゲーム本編がはじまったところですが、
とり急ぎ、この作品との出会いで生じた印象を書きつけて。

これからしばらく、しんしんと音がするような静寂の夜に耳を傾け、
そのどこまでもすきとおった蒼い世界にひたりきることができると思うと、
なんとも満たされた気持ちになります。

『夜が来る!』 (C)アリスソフト 2001年4月19日発売

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1月28日(日) 「ネズ公あらわる。」

なんか……読んでいて気分が悪くなるかもしれません。あらかじめ。

一週間前の夜中、部屋のすみでガサガサと物音がするのに気づいた。

思わずにやりとする。以前、馴染んだ音だ。覚えがある。
……ネズミだな。
大型のクロごきヴりという可能性も考えたけれど、部屋のすみっこで居心地悪そうになにか食べる物を物色する、なんだかびくびくとおびえるような気配が、いかにも
「ネズミです……。今日から居候することになりました……。いじめないでね。」
と言っているように感じられて、いかにもネズミであった。

玄関のドアを開いた、ほんの少しの間にすべり込んだのだろう。
寒いしね。ネズ公も必死か。

それにしても困った。
じつは、はっきり言ってネズミは、人間の天敵であるところの某ごきヴりよりも、よっぽどたちが悪い。

はじめはまだ愛嬌がある。この点、見てしまった者の嫌悪感をくすぐりまくるイカしたディティール満載の某ゴキちゃんよりははるかにましだ。
が、悪さを重ねるネズたちと長く生活をともにしているうちに、やがて奴等が憎くて堪らなくなってしまうのだ。

ひっそりと目立たないように潜んでいる(それがまた神経を逆撫でするのだが)ごきヴりたちとは逆に、ネズミたちは天井裏を駆け回り、夜中に派手な音をたて、台所の野菜などなんでもかんでもを齧り、清潔な台所を不潔さで塗りつぶしてしまう。
居候ネズミたちの所業はまた、こちらの神経を大いにすり減らしてくれる。ネズミは精神衛生の面でも非常に厄介な存在なのだ。

ネズミの厄介なところは、なんでもかんでも齧ってしまうことよりもむしろ、彼らが非常に不潔である点、そして彼らが昆虫などではなく脊椎動物だという点である。
彼らが隠れ住む拠点となる部屋の隅っこは、当然そこで生活しているわけだから、なんというか、消化器系の作用で、きっと、あんまり想像したくない状態に汚れていることだろう。また、べっとりと汚れにまみれた毛皮であちこちを駆けずり回り、居心地のよかった部屋を、とたんにたまらない不潔感で満たしてくれる。
病原菌も撒き散らしてくれるというし、死んだりでもしたら、なんか昆虫が死んだのとはやっぱり違うんだろうし……うう、考えたくない。

と、このように、ネズミ君はいたれりつくせりなのだ。
ああ厄介。
一回ネズミに住まわれると、ゴキがちょっとはかわいく……なんて決してならないか。でも、それほどネズミには悩まされる。

さて。先日からわが家に居候をはじめた新入りのネズ公はというと、今のところ、「ごきヴりほいほい」などに残っていたたんぱく質を食べきってしまい(ネズ公たちの偉いところは、部屋じゅうのごきヴりをあっという間に一掃してくれることである!)、とてもひもじい思いをしている模様。
しかたなくダンボールか何かを齧る音がなんともいじらしい。

このネズ公も、冬越しの下宿に一般家庭の台所でも選んでいればまだ快適な生活をおくることができただろうに、こんな一人暮らしの安アパートじゃ、寒いし食べるものないし部屋の主におびえなきゃだし、かえって居心地悪いだろうに。
でも、外にいたら冬は乗り越えられないのかな……。それを考えたら、こんな部屋でも、まだましなのだろうか……。外にはネコがいるしね。(うちのアパートには代々住み着いているノラネコ一家がいるのです。……すでにノラじゃないかも。)

ともかく、厄介な存在ではあるのだろうけれど、まだ居候されたばかりだし、
ネズ公の気配はいちいち気にはなるけれど、
逆になんだか、居候させてるホスト(家主)の気分になってしまっていたり。
一回だけ、テーブルの下の、あぐらをかいているすぐ先のところをネズが駆け抜けていったのでその姿を確認できたのだが、ちいさな、やせっぽちのネズミだった。
変な話だが、「ごめんなー、うち、食う物なくて。でも、俺も食う物ないんだ。」とか、「うち、寒いだろ。俺も寒い。」なんて、居候を気遣って(?)しまうのだ。
もっとも、この語りかけの続きは、「だから、うちなんか出てったほうがいいぞ。飢え死にしたり、凍え死んだりしても知らないぞ」なのだが。

ともかく、今のところはまだ、このちいさな居候がペットのような気分なのだ。
名前もつけた。「ゼリ→」。ライバルはもちろん、このアパートに住むネコだ。
同時にネコの名前も決定。2匹いるうち、おおきい方は「クロちゃん」と決まっていたから、ちいさい方のちょっと小心者のネコで、「トム」。おまえがライバルだ。

なんてくだらないことを考えているあたり、きっとこの状況を楽しんでいるんだと思うけれど……。
もうすぐ、帰省で約1ヶ月部屋を空けることを考えると……この部屋の天下をネズ公に譲り渡してしまうことになる。
ああ、やっぱり厄介だ。ネズ公め……。せめて、部屋のすみっこだけで過ごしてね。あと、パソコン関係のケーブルは齧らないように。いや、できれば出て行ってほしいんだけどさ。……外、寒いよね。おなかへったね。


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1月20日(土) 「雪だ! 銀世界!」

アパートの廊下を抜けると、そこは雪国だった。(ぉ

出かけようとしたら、外を走る車の音が濡れていた。
関東の冬。毎日あたりまえのように晴天だったのに、今日は雨か。と、一度閉めた玄関の鍵を開けて傘を取り外へ出たら、なんかちがう。

何? え、雪じゃん。これ。積もってるし。今降ってるのも、雪? みぞれじゃなくて?

それは、かなり水分が多くてぼたっとしてはいるが、まぎれもなく雪だった。
どうりで寒いわけだ、と得心して、外へ出る。雪国人の観察眼が勝手に作動する。

現在の積雪:3センチ。路面の状況:シャーベット状(但し、水分かなり多し)。

踏み固められてつるっつるになっているわけでもないし、がちがちに凍結しているわけでもない。しめっぽい雪で不快ではあるが、歩くのに特に不自由はない積雪だ。というわけで、めったにない(一冬に一度くらい?)関東地方の雪景色を楽しみながら歩きだす。

まず気になったのが、若い兄にゃが運転していると思われる、ちょいとかっこいいクルマたち。たいがいは雪道に弱いといわれる後輪駆動車だと思うのだが、普段とかわらず、容赦なくアクセルを踏んづけている。こういう路面状況は案外滑りやすいはずだ。何かあって普段の感覚で咄嗟にブレーキを踏むことを考えると、非常に怖い。

対して、ジープなどのいかにも雪道に強そうな四輪駆動車たちがむしろ徹底して堅実な走りをしていたのが印象的だった。オフロード車のドライバー、さすがに心得ているのか。

もうひとつ気になったのが、ごく普通の小型車の多くがこの程度の雪でチェーンを履いていること。地元では、タイヤチェーンなんて大型トラックが履いているのしか目にしないものなので(と思う)、これをとてもめずらしく思ったのだ。
……しかし考えてみたら、まさか普段からスタッドレスを履いているわけはないのだから、突然の積雪に対して夏タイヤに一時的にチェーンを巻くというのは、至極合理的なやり方である。なるほど。

あと、やはり歩行者は大変そうだった。
雪道を歩き慣れていないのに加え、きっと靴底がつるつるなのだろう。
今日の積雪はそれほど滑りやすいコンディションではないはずなのだが、それなのに思いきり足が滑って、まともにひっくり返って肩で着地しちゃうというのは、見ていてかわいそうになってしまった。
冬だし雪だってたまには降るんだから、靴底にしっかりグリップ力があって、しかもお洒落なかっこいい靴(もちろん完全防水)を、靴屋さんは仕入れるべきだ。なんて思うのでした。雨の日やアウトドアでも使えるしね。



日も暮れたあとで、学食で夕食を摂ろうと学校へ行ったのだが、やはり雪景色は幻想的なものだとあらためて思った。
雪は洒落にならないものではあるけれど(車の運転にしろ、屋根の雪下ろしにしろ……)、こういう瞬間だけを切り取ったら、やはり情趣のある、ひとの心に豊かな感動を喚び起こすものだった。

穏やかに雪の舞う日は空気がやさしい。ひんやりとはしているがどこかぬくもりがあって、やわらかい。
雪景色の夜は明るい。真白い地上に、ほの青いとおい空から、途方もなく雪が舞い降りてくる。その空間は、無限の世界だ。

空にくろぐろと伸ばした枝の細い端々までを白く飾られた街路樹たち。鮮やかなコントラストをなした黒地に白の複雑な綾目に街灯の煉瓦色の灯りがすき透り、路肩のこんもりと柔らかなメレンゲ状の雪の潅木にあたたかな木漏れ灯が降り注ぐ。

雪の積もった坂道で、ふたりの学生が親しげにおどけて滑ったりしながら、雪景色のなかで互いに写真を撮り、降ってわいた冬を満喫していた。

翌日には、土の露出した路肩や畑などにわずかに雪が名残るのみで、
雪景色の気配は消えうせていた。


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2000年9月1日(金) 「宇宙電波と音程と食文化の話」

やっと日記あらためノート、開始だよ……ページ開設と同時に日記始めるつもりではりきってたのに。3ヶ月遅れでスタート。毎日ではなくて、でも続けられるようにがんばろう。

でも、今日はもう書く気力なし。だめじゃん。
さいきん、電波が足りなくて困っている。いや、電波がキまくってても困るんだけどさ。

がんばって徹夜(*1)で書いてみる。

  <その1>

今日、Fun(日テレ系列)でGLAYのステージを(TERUが歌ってんのを)観てて思ったこと。
歌ってて、音程とれる人っているわけで、「ファの音だして」って言われて、いきなり「ファ」の音を発声できちゃう人も世の中にはいるのだろうと思うけど。
……どうやって正確な音程をとってるのかな、って思ったのです。
つまり、実際に発声されている音と、自分自身で知覚している自分の声って、音程がちがうから。

で、ちょっと考えました。
考えてみると、お風呂やトイレでは自分の声が響くし、カラオケでは歌っている自分の声がスピーカから聞こえてくるから、それを頼りに音程をとっている。
また、たとえばライブでは、ステージの上でモニタスピーカ(っていうの?)だかイヤホンだかで演奏と自分の発声を耳で聞きながら歌ってる(の? よく知らないです)みたいだし、レコーディングでは、ヘッドホン耳にあてて歌ってるけど、演奏と同時に自分の声を聞きながら歌ってるのかなと仮に(ぉ 考えると。
耳から客観的に入る自分の声を手がかりにして正確な音程の発声ができるのかな、と思えます。

じゃあ、アンプラグドやアカペラで歌えちゃうひとは? オペラの人とか、和田○キ子さんとか。
経験と功夫により、感覚で(?)自在に音程を掴んで発声できちゃってるんでしょーか。いやー凄い。やっぱ馬歩タントウ(*2)とかやってんのかな。んなわけないか。

そういえば、ワタシが愛好してるようでそうでもなさそうなデスメタルのヴォーカル(*3)にも音程らしきものがあるようなないような……
デスヴォーカルってリズム楽器みたいなもんだと思うけど、あんなのにもやっぱ「ラ」とか「レ」とかあるのかね? 楽譜とかさ。

ともかく、音感がほしい(かもしれない)なァ〜、という、まあ、そんなような話。

(*1)徹夜 夜は空もそこらの空気も宇宙と溶け合ってるから、電波を受けとりやすい。深夜はウフォ違うUFOが飛び交う時間帯なので、ますます電波。さらに徹夜中は、脳波の周波数がばっちり電波にチューニングされているから、感度良好でよいです。

(*2)馬歩タントウ(タントウの漢字が表示できない) 中国四千年の空気椅子の修行。奥が深いゾ。

(*3)デスメタルのヴォーカル ディストーションヴォイス=ア゛ーーーとか、オ゛ーーーとか、そういう、濁ったような、喉に痰が絡まってるような、喉の奥でがらがらとうがいをしながら声を出してるような、声帯ポリープ作りながら無理やり声を搾り出してるような、叫び喚き散らすような、ケモノが男哭きに哭きまくる切ない咆哮のような、そんなような世にも汚ったねー声を出す。専門用語でデスヴォイス。ちょっとアレだよね。


  <その2>

バイトの昼休み、メシ食いながら関東と関西の味覚の違いのハナシで盛り上がる。
とにかく塩辛くなくちゃという関東人と、やっぱダシでしょという関西人。(あと、私ことニイガタ。)
はて、新潟の食文化は……? 厳密には、新潟の文化圏は関東に順ずるんだろうけど……(例外として、佐渡は京都文化が色濃く残ってる。あと、フォッサマグナ以西が関西文化圏かどうかとか、よく知らない。なお、阿賀野川以北はわりと東北寄りの文化だという……。真偽の程は謎。

互いに味覚の好みを主張し合うだけの、侃侃諤諤というか、まるきり平行線な不毛な論議を楽しみながら、
新潟は、関東に近くもなく、関西でもなく、東北に近いということもなく、しいていえば、「田舎文化」「農村文化」かなと考えた
新潟の味噌は赤味噌でも白味噌でもなくて、田舎味噌だ、なんて聞いたりするし。(田舎味噌って、なんなんだろ? コメどころだし、米麹味噌かな?)

北陸って、どーなのよ? 富山以西は方言に関西の薫りがだんだんと強まってくるけど、謎なのが、長野や新潟。前に長野に行ったら、まったく訛りが無かったし。これには面食らったて。新潟も、決して東北ではないし。言葉やなんかも。
うーん。アイデンティティ的に、否、集団所属願望(?)的に微妙だ。新潟の文化。
って、そんなたいしたもんじゃないし。とりあえずコメとサケと漫画家でしょ。あとヤスダヨーグルト。ドロっとね。


ふわぁ。最初だし、調子のっていっぱい書いちゃったよ。書くだけ書いて、書きっぱなし。
寝よ。おやすみなさい。東の空が明るいよ。


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