【離島編:鹿児島県屋久島の巻 2000/10/03〜07】

 【1日目】 博多駅バスセンター〜いづろ(鹿児島) 夜行バス泊                

  博多駅バスセンター23時45分発 鹿児島いづろバスセンター行き高速バス。 昨年、種子島旅行の
 ときも、このバスだった。 車内では、慣例に従って、缶ビールと日本酒のワンカップを飲みながら
 未知の屋久島に思いを馳せた。 バスの運賃は、4500円だった。              


 【2日目】 いづろ〜宮之浦港〜屋久町安房 約21Km(ビジネスホテル・ビジネスホテル仔馬泊)  

  鹿児島の天文舘に5:57、終点いづろには定刻6:00に到着した。 フェリーの出航時刻まで
 時間はたっぷりある。 なるべく、ゆっくり、港まで歩いた。 天候は、雲があるが、晴れだった。
 朝食は、フェリー発着場の2Fで摂った。                          

  それでは、フェリーを紹介しよう。 フェリー会社は、折田汽船。 船名は「屋久島2」。   
 定員は、約500名。 車両は、約100台であった。 結構大きな船だった。 運賃は、2等で 
 3970円だった。 フェリーは、定刻8:45に鹿児島北埠頭を離岸した。 船中では、いつもそ
 うではあるが、退屈だった。 日頃、時間に追われた生活を強いられているせいか、船の旅は、時間
 が止まった空間のように感じられた。                            

  3時間45分の船旅を終え、フェリーは、目的地屋久島の宮之浦港に、静かに入港した。 下船し
 た。 とうとう、屋久島の地を踏んだ。 埠頭から島本体のほうに少し歩くと、信号機のある交差点
 に着いた。 既に、時計の針は正午を回っていた。 お腹が空いてたので、レストランの2Fで、
 カレーライスを注文した。 カレールーは、やや甘口だった。 レストランには、もう一組の客がいた。

  さあ、これから屋久島を一周するぞ! 屋久島を丸い形の時計に見立てると、宮之浦港は島の中心
 から見て、1:30の方角にある。 2日目の目的地は、3:30の方角の安房だった。     

  屋久島は、北半分は上屋久町、南半分は屋久町。 また、東半分に県道77号線、西半分に県道78
 号線が、それぞれ走っている。                               

  屋久島の円周を、時計回りに歩いた。 だから、何時も、右手に高い山を仰ぎ、左手に海を見下ろ
 す構図と決まっていた。 途中、軽四輪トラックのおっちゃんが、「乗らないか?」って言ってくれ
 た。 何時ものことだが、事情を説明して、丁寧にお断りした。 島の人たちは、親切だった。

  そのうち、別の普通車が止まって、私に「○○病院は何処ですか?」と、窓越しに道を尋ねられた。
 歩いていると、よく地元の人と間違えられて、道をたずねられる事が多い。           

  休憩を兼ねて、屋久町役場を訪問した。 役場に入っていくと、一人の男性職員が声をかけてくれた。
 屋久島のことを、いろいろ質問した。 すると、B4版の2枚組みのコピーをくれた。 表題は「屋久
 島登山概念図」とあった。 今回の旅行は、登山は目的ではなかったが、現地の生の情報ほど価値のあ
 るものはあるまい。 有難く頂戴した。 次に屋久島に行くときは、登山をしたいものだ。     

  安房には、17時頃に到着した。 ビジネスホテル仔馬。 2Fがホテルだった。 近くのスーパー
 で、夕食と、酒・ビールを買って・・・2日目は幕を降ろした。                


 【3日目】 屋久町安房〜屋久町平内 約26Km(屋久島ユースホステル泊)        

  朝、9時ごろチェック・アウトした。 15分くらい歩いたところの裏通りに、日用品や食料品を
 置いている小さな店があった。 朝食用に、食パンとスライスハム、そしてペットボトルのお茶を買
 った。 それらを、ぶら下げて歩いた。 橋を渡ると、右手に上り坂があって、道なりに進んでいった。

  坂の上のほうに、集落があり、道路沿いには、屋根つきのベンチがあった。 そこで朝食を済ませた。
 近くの人たちが、見てたので、<私は不審者ではありません> と、態度で示した。 当然のことで
 あるが、食事の後始末、ごみの持ち帰りをして、その場を離れた。 最近の日本には、平気で、何処
 にでもごみを捨てる人種がいる。 困ったものです。                     

  天気は、曇りだった。 道を歩いていると、民家の軒下に、大きな猿が居て、私を見ている。  
 私の常識を遥かに超えたこの光景に、私の身体は、びくっと反応した。 これが、屋久島か。   
 しかし、その日に見た野生は、それだけだった。                       

      3日目は、宿舎の関係で、26kmの短い行程だった。 宿舎は、6:00の方角にある、屋久島
 ユースホステル。 ユースホステルには、14時頃に到着してしまった。 宿舎に荷物を置いて、 
 近くを散歩したりして、夕食を待った。                           

  夕食は、板の間に横長の飯台を3列くらい並べた部屋で、宿泊客全員同時刻に頂いた。 とにかく
 若い人たちが多かった。 どちらかと言うと、女性のほうが多かった様な気がした。 30人は下ら
 なかったと思う。 食事しながら周りの人たち同士で、自己紹介のようなことをした。 アルコール
 も入り、賑やかな雰囲気になった。                             

  部屋は、3人1部屋の割り当てだった。 夜は、少し寝つきが悪かった。           


 【4日目】 屋久町平内〜上屋久町永田 約43Km(民宿やまちょん泊)        

  4日目は、一転して、43kmの長丁場。 朝から、気合が入った。 何しろ、バスも通れない 
 狭い山道を、歩かねばならないからだ。 歩き始めて1時間くらいたったころ、原チャリに乗った人や
 車に乗った人たちが、スピードを落として私を追い越しながら、声をかけてくれた。 一体誰だろう
 と思った。 が、すぐに、昨夜一緒に食事した連中ということが分かった。           

  屋久島は、蛇が多いのかと思っていたが、そうでもなかった。 僅かに、1匹、交通事故死の蛇を
 見かけただけだった。                                   

  4日目も、前日同様、曇天だった。 天気は、下り坂の様相を呈していた。 途中、地名の不明な、
 集落があり、そこで、昼食用に弁当を買った。 次の、中間(なかま)の集落には、ガジュマルが茂
 っていた。 ガジュマルの北限は屋久島とのことだ。                     

  大川の滝。 ここまでは、バスが来ているようだ。 そこから、少し歩いたところに、腰を下ろせ
 るところが見つかった。 昼食は、そこで済ませた。 15分くらいの短い時間だった。 当日は、
 先が長いので、あまりゆっくりはできなかった。 これから先は、道の狭い山の中に入る。    

  いきなり、猿のファミリーに出会った。 5〜6匹のグループだった。 その、猿の代表者と私の
 目が合ってしまった。 お互い目をそらさない。 少し、険悪な状況になってきた。 そこで、私は、
 目はそらさずに、ゆっくりと遠ざかって行った。 これは、まずい。 先で、何に遭遇するか分から
 ない。 そう思うと、道端に落ちていた木切れの中で、丈夫なものをみつくろった。 あくまで、 
 万一のときの自衛用にである。 とは言え、心の底では、そんな考えを持っている自分を、自ら軽蔑
 した。 仕方なかった。                                  

  多分、猿のものと思われる糞が、あちこちに沢山散在していた。 だんだん、山が深くなってきた。
 がさがさと、草木をかき分ける音が聞こえた。 音のした方に目を向けると、鹿の可愛い子供がいた。
 小鹿のバンビそのものだ! 本当に可愛い。 小鹿は、あまり警戒心は持ってない様子。 しかし、
 親の鹿は、子供を連れて、山の中に身を隠してしまった。 3回ほど、鹿にめぐりあった。    

  山の中の、いたるところで、姿は見えねど、音がすることがあった。 ここでは、いろんな、生き
 物の生活が営まれているのだなと思った。                          

  深い山をでると、左下に海が見えた。 海面から、かなり高さがあった。 沖のほうに島が見えた
 口永良部島だ。                                      

  4日目は、よく歩いた。 43kmというと、フルマラソンの距離だ。 ちょうど8時間で歩いた。
 歩行速度は、マラソン選手の約1/4。 平均時速は、やく5.4km/h。          

  上屋久町永田の民宿「やまちょん」についた。 永田地区は、10:00の方角である。 夕食の
 食堂のテレビは、鳥取大地震のニュースを流してた。 民宿には、もう一人の客が居た。 その人と、
 世間話をしているうち、だんだんと、その客の人生相談をやっている様なかんじになってきた。  


 【5日目】 上屋久町永田〜宮之浦港〜鹿児島港〜博多駅バスセンター       

  朝、7:30、民宿を出発した。 民宿の女将さんから、おにぎりを2個もらった。 そして、 
 一言忠告があった。 「風の強いところがあるから気をつけなさい」と。 その時は、意味が分から
 ず、軽く聞き流していた。 今にも降りそうな空模様だった。                 

  民宿を出ると、緩やかで長い上り坂だった。 山手にさしかかると、雨が降ってきた。 だんだん
 雨足が強くなってきた。 傘をさして歩いた。 少し休憩したくなったけど、雨宿りする所はなく、
 まして、腰を下ろすところなど全くない。                          

  疲れてきた。 休むところが無いので、立ったまま、傘をさしたままで、休んだ。 また、歩き出
 す。 そうする内に、お腹が空いてきた。 結構、体力を消耗している。 民宿の女将さんから手渡
 されたおにぎりの事を思い出した。 早速、立ったまま、傘をさしたままで、おにぎりを食べた。 
 立ったままなので、おにぎりを落としてしまいそうになり、ビクッとした。 お陰で、元気が出てき
 た。 女将さん、有難う。 本当に、心の中で頭を下げた。                  

  そのまま、歩き続けた。 あまり、ゆっくりできない。 遅くても、13:00までに宮之浦港に
 到着せねば、船に乗れない。                                

  そのうちに、トンネルが現れた。 トンネルを出ると、下り坂になった。 暫く歩くと、海水浴場
 があった。 すると、見るみるまに、突風が吹き始めた。 まるで、台風だ。 何故、急に、こんな
 強い風が吹くのだろう。 さしていた傘が、逆さになってしまった。 どうにかして、傘を畳むこと
 ができた。 顔に当たる、雨や砂。 顔が痛い。 この現象は、何だろう? それから、5分くらい
 歩いた。 なんと、風がおさまったではないか。 傘をさせる。 これが、民宿の女将さんが言って
 た「強い風」のことか・・・。 こうやって、回想録をかきながらでも、未だ、信じられない現象だ。

  次第に、雨は小降りになり、そのうちに、雨は上がった。 宮之浦港まで、どれくらいの距離があ
 るのだろう。 バス路線なら、停留所の名前で、現在地が分かるのだが、それもない。 とに角急い
 だ。 急いだ甲斐があり、12時には港に着いた。 民宿を出発後、4時間ほどかかった。    

  フェリーに乗船した。 13:20出航。 遠ざかる屋久島に「またな」と、心の中で声をかけた。
 疲れた。 フェリーでは、客室には入らず、デッキのベンチに座っていた。           

  フェリーは、錦江湾に入った。 でも、この湾は南北に長い。 そのうち、桜島に近づいていった。
 すると、急に辺りが暗くなってきた。 まだ、夜になるには早すぎる。 何があったのかと思い、辺り
 を見回すと、何となんと、桜島が爆発・噴火してるのだ。 真っ黒な噴煙。 ザーザーという火山灰の
 降り注ぐ音がしている。 その下を、フェリーは航行している。 これは、映画のロケではない。 
 リアルな世界なのだ。 危険なので、客室に入った。 火山弾が当たれば、一発で死ぬ。     

  それにしても、その日は、いろんな自然現象に遭遇した。 こんなことが、あるもんだなと思った。
 フェリーは、少し遅れて、鹿児島港に着岸した。 博多行きのバスに乗るため、いづろのバスセンター
 まで、急いだ。 途中、歩道は火山灰が積もっていた。 箒で灰を掃いている人、ホースの水で灰を吹
 き飛ばしている人。 自然は生きている。 いづろのバスセンターには17:58に到着した。   

  18:00定刻に、博多駅バスセンター行きの高速バスは、発車した。             

  福岡について、天神を通過するときは丁度ダイエーホークスの優勝が決まった直後で、ショッパーズ
 ダイエーの前は、すごい人出だった。                             

  終点の、博多駅バスセンターには、相当遅れての到着となった。