【九州横断編:やまなみの巻 1998/09/20〜22】

  一ヶ月前から計画していた種子島・屋久島旅行は、台風6号のため、無残にも中止となってしまっ
 た。 当年は台風の発生は例年になく少なく、荒天のことなど考えもしなかった。わざわざ旅行予定
 日に合わせて、しかも時刻まで入念に計算されたかの様に、種子屋久地方は台風6号に直撃された。

  今までは、いくら大雨が降ろうが、強風が吹き荒れようが、はたまた太陽がじりじりと照りつけよ
 うが、金があろうが無かろうが、家族が良い顔をしようがすまいが、水前寺清子じゃないが、行くと
 決めたら行くのが男・・・と自分に言い聞かせ、行動してきたが、フェリーが欠航するとあっては、
 どうすることもできない。                                 

 意気消沈。                                 

  気晴らしに、博多にでも遊びに行くかと、旅行が中止になった事を大儀名分とし、先ずは家を飛び
 出した。間もなくJR東郷駅に到着し、ホームに立った時、真っ先に眼に映ったのは、湯布院旅行の
 広告板だった。  コレダ! キーワードは「湯布院」だと、何の躊躇もなくこれにケッテイしてし
 てしまった。                                       

  そうです。「湯布院」です。歩行の出発地点は「湯布院」なのです。出発地点が決まれば、目的地
 は決まったも同然。そうです。目的地は熊本です。これで、休暇が無駄にならなくなった。    

  翌朝6時過ぎに我が家を出発。博多駅7時46分発の「ゆふ1号」で一路湯布院へ・・・。10時丁度
 に湯布院駅に到着。今日はいつもよりスタート時刻が遅めだが、はりきって出発進行!      


 【1日目】 湯布院〜水分峠〜長者原 約30Km(国民宿舎コスモス荘泊)            

  湯布院駅に降り立ち、脇目も振らずに、県道216号線を一路西へ。 時間がとれれば、湯布院の町を
 ゆっくりみて歩きたかった。湯布院は、私のもっとも気に入ってる町の一つである。 約3km歩くと
 国道210号線に合流した。 道路の両側は鬱蒼とした木立や雑木が連なっていた。 道幅はご多分にも
 れず狭い。 山の中であるが、やはり基幹的な国道であり、比較的車両の通行量が多い。 特にトラ
 ックが目立つ。                                      

  木立に取り囲まれているため、見晴らしがきかない。 早く、この環境から脱出したい・・・  
 と思い、自然に足の運びが速くなる。 登り勾配のため、足への負担が多くなった。 ふくらはぎの
 筋肉が、かちかちに硬くなっていた。 それから、約3.5km 歩くと、水分峠に到着した。     

  水分峠はレストランがあった。 そこで昼食をとることにした。 昼時なので、食事のお客さんが
 多かった。 昼食は、カレーライスだったと思う。 食事を終え、一息ついていると、恰幅のよい一
 人の男性が、私の傍に来て、私に声をかけた。 男性曰く「足が速いですね。見てましたよ。」  

  その男性は、レストランの経営者のようだった。 その方は、仕事で出先からレストランへの帰り
 道で、車で私を追い越したとのこと。 追い越してから、私がレストランに到着するまでの時間を、
 短く感じたのだろう。 思わぬところで、話し相手ができてしまった。 結構、話は弾んだが、時間
 が気になったので、別れを告げた。                             

  水分峠から、やまなみ道路にはいった。 やまなみ道路の路側には、100m毎に小さな距離標識が立
 っていた。親切だなと思ったので、今もよく覚えている。 そこから、南に方角を変えた。 やまな
 み道路は、見晴らしがよく、快適だった。                          

  山下湖を左に見て、さらに南下した。 途中飯田高原を過ぎ、間もなくすると、第1日目の宿舎 
 「コスモス荘」に到着した。 約31kmの道のりを、5時間50分かけて歩いた。 食事時間を差引くと
 毎時、約5.5km程で歩いたことになる。                           


 【2日目】 長者原〜阿蘇宮地(ビジネスホテル泊)約40Km 途中、外輪山で道を間違え6Kmロス

  コスモス荘を発って、ずっと上り坂が続いた。 登って、のぼって、またノボッた。 牧戸峠まで
 上り詰めると、峠の標高を記した標識が立っていた。 確か、1,300mに近い標高だったと思う。  
 峠には、何台かの観光バスが駐車していた。                         

  峠を越えると、下り坂だ。 しばらくつづら折が続いた。 とうとう阿蘇の五嶽が視野に入ってき
 た。 昼食は、瀬の本のレストランでとった。 さらに歩いた。 今までは「この辺りは車で来ると
 ころ」と決め付けていた、雄大な阿蘇を望む高原の真っ只中を「俺は、いま、自分の足で歩いている」
 と思った。 それは、現実のことだったが、自分自身、そのことが信じられなかった。とても不思議
 な気分だった。                                      

  やなまみ道路は、いつの間にか阿蘇外輪山の中を走っていた。 金太郎飴じゃないけど、何処もよ
 く似た景色を呈していた。 それまで、ずっと道なりに歩いてきたが、近道が見つかったので、そち
 らの方へ曲がった。 間もなく、元の道に合流した。 これで、5分間は得したと思った。    

    しばらく歩いた。 気のせいか、車の通行量が減ってきた。 昼過ぎの時間帯だから、みんな寛い
 でいるのだろうと思うと、何だか急に眠くなってきた。 道路から畑に入るところに、休憩に適した
 場所があったので、腰を下ろした。 同時に、帽子を顔にのせて眠った。 20分位すぎたところで目
 が覚めた。 かんかん照りだったが、気持ちの良い目覚めだった。               

  また歩き始めた。 まだ、殆ど車は通らない。 やたらと、放し飼いの牛が目立つ様になって来た。
 「モー」。 「あれっ、いままであった路側の距離標識が無くなっている。「モー」。「モー」。 
 「ひょっとして、道を間違えた?」「さっきの、近道・・・?」 やっと気付いた。 道を間違えた。
 これで、車の通らない理由が理解できた。                          

  さっそく、元の道に戻ることにした。 片道3km、往復6kmのロスだった。 時間にして、1時間
 以上のロスだった。 後で分かったが、近道と思った道は、本道から分岐して、産山村へと続く道だ
 った。                                          

  遅れを取り戻すため、足を速めた。 元の道に戻り、さらに先を急いだ。 しばらく歩いて、外輪
 山の崖っぷちの展望台に到着した。ここからは、一気に阿蘇の盆地に下るのだなと思った。 その前
 に、展望台の売店でソフトクリームを買って食べた。                     

  盆地に降りる途中、溶岩の加工品を作っている工場があった。 道は狭かった。 大型トラックの
 通るときは、とても危険だった。 つづら折が何箇所も有った。 盆地の底に着いた。 あとは、や
 まなみ道路の終着地の宮地まで田んぼの中の道路を歩くだけだった。 宮地で予約していたホテルに
 は、予定よりやや遅れて到着した。                             


 【3日目】 阿蘇宮地〜熊本駅(ビジネスホテル泊) 約50Km 夜、真っ暗になるまで歩いた   

  最終日は、おなじみの阿蘇〜熊本の幹線道路を黙々と歩くだけだった。 そのため、ある意味単調
 なウォーキングだった。 記憶にあるのは、途中なんども大粒の雨に降られたことぐらいだ。 降っ
 たり止んだりの繰り返しだった。 雨が降り始めたときに雨宿りするところがあれば良かったが、そ
 うでない時は惨々なめにあった。 また、Tシャツが体温で乾いてきた頃、つぎの雨で、またびしょ
 びしょになったりした。 

  最終目的地の熊本駅には、夜遅くに到着した。 と言うのも、もともと距離のある上に、何度も雨
 で足止めされたからだ。 さらに、熊本市内に入ったときには、辺りは真っ暗で、手持ちの地図と実
 際の道路案内板が食い違っていて、自分が何処にいるのか判らなくなってしまったということも一因
 に付け加えたい。                                     

  三日間の歩行旅行を通して、私の嫌いな蛇に七回も遭遇した。 いずれも、交通事故などで死んで
 しまった蛇だった。 蛇は嫌いだけど、事故死については、彼らには全く責任はなく、気の毒に思う。

  今回の「九州横断やまなみ歩行旅行」は、台風6号のもたらした、飛び入り的な旅行だった。  
 本来予定していた種子・屋久旅行は、後日、種子島旅行、屋久島旅行と、二回に分けて行った。  
 これらの回想録は、後日、時間をみつけて、編集したい。