【26日目:1997/11/09:福岡県宗像市】      

 「今日で九州一周が達成される」「これで終わっ
てしまう」と思うと、なんだか寂しくなってしまっ
た。                     

 私は、性格的にセンチメンタルなところがある。
まして、季節が秋ともなろうことなら・・・。 も
の悲しく、そして、寂しくなるのである。 私は、
動物の感性で生きている。           

 当日のスタート地点は、JR八幡駅。ゴールの自
宅までは約30Km。 もう、ここまでくれば、マップ
ルはいらない。 このマップルは、何時の間にか、
貫禄を漂わせ始めている。 思えば,雨に濡れ、車
に轢かれ、もうぼろぼろだ。 だから、貫禄を感じ
るのである。 マップルよ、道案内してくれてあり
がとう。 車に轢かれたときは、さぞかし痛かった
ろうね。                   

 黒崎駅前を通過した。 国道3号線を西へ西へと
進んだ。 筑豊本線を跨ぐ国道にかけられた大膳橋
。 右手にJR折尾駅を眺めながら渡った。この大
膳とは、折尾駅付近で筑豊本線と平行して流れてい
る運河「堀川」を掘った、黒田藩士「栗山大膳」の
名から、由来している。 その昔、筑豊炭田から、
石炭を船で運搬するために掘られた運河である。 

 因みに、元祖大膳橋は、この大膳橋の上流約3Km
の所に架かっている、長さ10m程の小さな橋である。

 水巻駅を通過した。この駅は、鹿児島本線に、電
車が走り始めるのに合わせて造られた。 もう、40
年以上も前のことである。 間もなく、遠賀川であ
る。  この一級河川は、1954年の大雨で、当時の
遠賀村側の堤防が決壊した。          

 橋を渡ると、程なく遠賀川駅の前を通過した。 
この、遠賀川駅は、その昔、海側に芦屋線、山側に
室木線を従えた、重要な駅だった。 敗戦直後は、
芦屋に米空軍のキャンプがあったことから、かなり
賑わっていた。 確か、急行の停車駅でもあった。
今では、両線とも廃線となった。        

 海老津駅を過ぎ、城山峠にさしかかる。 城山峠
には、JRのトンネルが、上り下りで、2本通って
いる。 峠を越えると、長いくだり勾配。    

 教育大前駅を過ぎ、赤間駅に到着した。 この赤
間駅からは、会社の若者二人が、私の到着を待って
いてくれた。 K氏とM女史。 ここからは、三人
で、自宅まであるいた。 家の敷地に足を踏み入れ
た。 やったー。 とうとうやったー。 若者から
紫色のスイートピーの花束をもらった。 嬉しかっ
た。 結構興奮してたのであろう。 この場面の写
真を撮影しなかった事に、誰一人気が付かなかった。

夕方、東郷駅前の魚料理店「史」で祝宴を挙げた。
杯を口に運ぶ毎に「俺はやった」と言う実感がこみ
あげてきた。                 

 料理のかざりの「紅葉した柿の葉」の色が鮮やか
だった。 この「柿の葉」は、鎮国寺さんから頂い
たものだと、仲居さんが言ってた。       


 「歩いて九州一周回想録」 終わり