【19日目:1997/08/21:大分県宇目町宗太郎】 

 その日は朝から緊張していた。この6日間の宮崎
シリーズの締めくくりの日である。緊張したのは、
何もそんな事ではない。歩行コースが超難所の連続
と予想されるからだ。             

 なにしろ、宗太郎峠付近の道路地図をみると、道
路がラーメンの縮れ麺状になっている。これは、カ
ーブの多い細い山道で、歩道など贅沢なものは一切
期待できず、歩行者にとってこの上なく危険である
事を無言で知らせている様なものだ。      

 この付近のJRの線路は、道路に比べ、カーブの
数は少ないが、それはトンネルでカバーしているか
らだ。                    

 勿論道路にもトンネルはある。トンネルも一昔以
前に掘られたものは幅が狭く、大型トラックがやっ
とすれ違うことが出来る程度のものである。こんな
トンネルには当然の事ながら取り付け道路はない。

 人の命が地球より重くなったのは、この国ではほ
んの一昔前からだ。今を活きている者にとっては、
感謝すべき風潮だろう。平和な国の平和な時期に生
まれたことは、大変幸運なことだ。       

 前置きが長くなったのは、かなり道路事情を気に
していたからに他ならない。          

 前日は延岡駅の一つ先の北延岡駅まで歩いた。そ
のため当日は、延岡駅から北延岡駅まで一旦電車を
利用し、そこからのスタートとなった。     

 朝飯は、延岡駅前の弁当屋で買い求めた弁当を、
北延岡駅のホームで食べた。昼飯のことが心配にな
ってきた。朝昼用に二食分の弁当を買えばよかった
のだが。賞味期限は当日の朝までであった。涼しい
時期なら気にも止めないが、真夏なので一食だけ買
った。                    

 非常食は用意していたが、出来ることなら調理し
たての料理を食べたかった。地図上からは食事の出
来そうな感じの所を見つけることはなかった。  

 延岡市を過ぎると北川町。流れの綺麗な北川が流
れる。風景も水も綺麗だった。美しかった。この北
川は、河口では五ヶ瀬川と合流し、日向灘に注ぐ。

 国道10号線を川沿いに山手へ向かった。途中坂道
にさしかかった高架部分で歩道が突然なくなってい
た。自動車専用区間だった。やむなく農道のような
遠回りの道へ入った。10号線に比べ最低2Kmは余分
に歩くことになる。              

 暫らく歩いたとき、愛用の道路地図が見当たらな
くなっていいる事に気付いた。大げさかも知れない
けれど、未知の道を歩くには、地図は必携である。
道を間違えても、車での走行なら、大した出来事で
はない。一方歩く場合は、当日のスケジュールをが
らりと変えてしまうくらい影響のでる事件だ。  

 早速、いま歩いてきた道を戻った。万歩計のカウ
ンターは上がるけど、目的地からだんだん遠くなる
文字通り後ろ向きの仕事ではある。がっくり。  

 約500m位戻ったところで地図帳を見つけた。車に
轢かれていたいただけで、まだ本の体裁を保ってい
る。「痛かったろう」「もう落としたりしないから
許してくれ」と地図帳に話しかけたら、砂粒で凸凹
になった顔で私を睨み、黙っていた。      

 急がば回れって本当かなぁ。回っても遅れるのに
。そう思いながら歩いた。そうすると、間もなく元
の国道10号線に合流することができた。     

 そうする内、川を渡ったところにトンネルのある
のに気付いた。予想通り歩道は付いてない。トンネ
ル内の歩行中、車にやられるかもしれないと思った
。300mはありそうなトンネルだ。        

 上り車線に溜まっていた車が全部通過していった
直後に、トンネルに入った。前方に遠ざかる車の轟
音が不気味だ。 「今の内だ」と叫んで、一目散に
走り出した。トンネルは実際の長さよりはるかに長
く感じる。自分の後から車が入ってこないことをた
だ祈りながら・・・走りに走った。       

 トンネルを出た後、比較的道路の幅が広いところ
があった。気持ちにゆとりが出てきた。天気は良い
し、景色はよいし、心を洗われる様な気分になった
。                      

 鼻歌を歌いながら歩いた。その内だんだん道路幅
が狭くなってきた。変な予感がすると思った途端、
そこにトンネルが現れた。今度のトンネルは、先程
の2倍はありそうだ。             

 いよいよ、年貢を納めるときがやってきたか。と
心を決めてトンネルに近づいた。すると、何と、ト
ンネルは上り車線片側の工事中であった。車は下り
車線の交互通行だ。そのため私は、工事中のところ
を歩かせてもらった。何と幸運なことだ。全く危険
な思いをせずに、長いトンネルを抜けることができ
た。ラッキー。                

 トンネルを出たところに、な、な、何とそこには
食堂があるではないか。またまたラッキー。未だ昼
前だが、十分に腹は空いている。先ずかき氷を食べ
体温をさげた。その後で丼飯と、ちゃんぽんを食べ
た。余は満腹じゃ。              

 狭い細いぐにゃぐにゃした道が続く。後ろからト
ラックの音が聞こえて来る度に、命の縮む思いがし
た。江戸時代にタイムスリップしたかった。   

 何度もそんな所を歩いた。その内、道路の上の方
に駅があるのが分かった。そう。JR宋太郎駅であ
る。「これで数多くの危険から逃れる事ができた」
と思い、ほっとした。             

 宗太郎駅のホームに蛇口を見つけた。飲んだ。美
味しかった。もちろん山水を引いてきたものだ。 

 そうする内、老婦人が現れ、世間話となった。彼
女によると「サルが畑を荒らして困る」とのことで
あった。素朴で親切な方だった。彼女は上り電車に
乗って佐伯方面に行ってしまった。

 今度は入れ替わりに、上り電車から男性が降りて
きた。この方は90才位。そこでまた世間話。「何処
で又会うか判らない人には親切にしなければ」と言
う事でわざわざ遠くで買って来た鯛焼きを紙袋ごと
三個もくれた、更に家からお茶を持って来ようかと
言ってくれたがさすがにこれは辞退した。    

 その男性と別れた後、列車写真の撮影が趣味と言
う青年が写真機材を持って、ホームに登って来た。
またまた、その青年と世間話。目の前を通過した上
りのブルートレインの東京駅着時刻を教えてくれた
。凄いマニアだ。関門海峡のステンレス車体の機関
車の電流や九州と本州の周波数の話等々を話し込ん
だ。                     

 私は、夕方、下り電車で延岡まで戻って、博多行
き高速バスにのって帰宅についた。       

 「今日は色んな体験をした」「本当の人の心に触
れることができた」と思った。         

 つづく。