【12日目:1997/07/20:鹿児島県国分市】    

 ♪花は霧島 煙草は国分 もえて上がるはおはら
はーぁ桜島 ア ヨイヨイヨイヤサット・・・  

 そう。12日目の目的地は、民謡鹿児島おはら節で
有名な、あの国分市だ。当日の歩行予定は、前日同
様40Km。そして、国道10号線の北上開始の初日。気
合を入れて、早朝から出発した。        

 朝食は、バイキング形式の「量り売り弁当」を食
べた。この「量り売り弁当」、お腹の空いている時
に自分で装うため、ついつい多めになってしまう。
この販売形式を考案された方は「えらい」!   

 鹿児島の市街地の外れから、トンネルに入った。
このトンネルは、地域の人たちも日常往来する、生
活道路である。長さは500m位かな?       

 トンネルを出ると、間もなく磯庭園だ。磯庭園に
は、以前に二度ほど訪れた事がある。上品で、きれ
いな庭園だった。今回は、先を急ぐので、立寄らず
に通過することにした。            

 磯庭園を過ぎると、道路幅は極端に狭くなった。
歩道は勿論無い。大型のトラックが、上り下り車線
共に、ビュンビュン唸りながら通過していく。本来
人が歩くところではないらしい。        

 北に向かって道路の右、つまり海側は車落下防止
用のコンクリートガード。左は山が道路まで降りて
きて、垂直の壁状になっている。        

 この壁側は、萱のような植物の葉が生い茂ってい
る。この植物は、伸び放題の状態。葉の長さは、悠
に2mはある。汗の吹き出た皮膚を、この萱のような
植物にさらしながら歩いた。          

 第三者的に見ると、「一人の歩行者が、強い海風
を受けながら、ざわめく萱の中を、姿を隠したり現
したりしながら・・・」と言う表現になるだろう。

 この時の私は、「後ろから迫ってくるトラックか
ら跳ね飛ばされるかも知れない」と言う恐怖感で一
杯だった。「死ぬかも知れない」という言葉以外、
私の脳には何も無かった。           

 これは、後から気がついたことなのだが、身体は
「車を避けながら道路の端を歩く」事はせず、車の
運転者から良く見える様にと思ったのであろう、無
意識のうちに「萱の茂みから出て車線の中央寄りを
歩いていた」                 

 この「神の試練」は、非常に長く感じられたが、
実際のところ、どれ位の距離だったか判らない。 
危機を無事クリアーしたとき、喉がカラカラになっ
ていた。右手には錦江湾に浮かぶ雄姿「桜島」が私
を見ていた。先程までは、景色を観るなんて余裕は
全く無かった。きっと、桜島の「火の神」のご加護
の元、延命のお許しが出たのであろう。これで、ま
た自分が大きくなったような感じがした。ちょっと
厚かましいかな?               

 あとは、兎に角一心にあるいた。南国の日差しは
強烈だった。右手に櫻島を眺めながら、姶良町、加
治木町、隼人町を過ぎやっと国分市に入った。暫ら
く歩いて、左折し、国分市の市街地へと向かった。
丁度、桜島を背に、錦江湾に別れを告げた格好だ。

 とうとう今日の目的地、国分の市街に到着した。
街は人通りが多く、街の至るところに、万国旗や提
灯等の飾付けがされていた。街路を進むにつれ、そ
れは何故なのか、はっきりした。当日は、年に一度
の「こくぶ祭り」とのこと。ちょうど、その祭りに
巡り合った訳だ。嬉しかった。ラッキー!    

 それでは、宿を探そう。ホテルに足を運んだ。だ
が、どこも満室。「そうか、今日は祭りで宿が満室
なのか」。その通りだった。困ったこまった。異郷
の地で寝る場所が無いなんて・・・。      

 次のホテルでも駄目だった。が、しかし、そこで
粘った。自分が徒歩の旅行者であること、テントや
寝袋を持っていないこと、そしてどんな部屋でも不
平不満は言わないこと 等をフロントに伝え、「同
業者も含めて部屋を探して欲しい」旨を依頼した。

 あったあった。空き部屋があった。「中心街から
少し外れたところでも良いですか?」との返事。 
私は「どうもありがとうございました」と言った。

 その夜は、言わずもがな「こくぶ祭り」を楽しん
だ。大好きなおはら節のオンパレードだ!幸せだっ
た。身振り手振りで踊りに参加した。自分の単純さ
を再認識した。「これで良いのだ」。まつりのウチ
ワも貰った。色んなイベントも楽しんだ。写真も撮
りに撮りまくった。そして、ぐっすりと熟睡した。

 つづく。