【9日目:1997/06/26:鹿児島県川内市】    

 前日の天気がそのまま続いていた。快晴だった。
山頂の国民宿舎を後にしながら、「機会があったら
もう一度来てみたい」と思った。阿久根の海に、阿
蘇の雄大さとは趣の異なる、別の雄大さを感じたか
らだ。                    

 阿久根市をずーと海岸沿いに歩いた。南に向かっ
て右、つまり西は東シナ海である。国道3号線とは
言え、この辺りは道幅が狭い。歩道は、学校の付近
に申し訳程度にあるだけ。いつも、後ろからの車を
気にしつつ歩いた。              

 今だから告白するが、実はこの旅の初期に、自転
車用のバックミラーを手に持って、歩いた事があっ
た。そう。振り向かずに後ろを確認するために。 
しかし、すぐに止めてしまった。いくら私が変人の
要素を持ち合わせていると言っても、やっぱり第三
者から見た場合「滑稽」に思われるのではないかと
判断したからである。最近、人の目を気にしなくな
った自分にしては、何と矛盾した決定ではあった。

 阿久根市の大川。つまり、「道の駅阿久根」のあ
る辺りは、新しい道路で、歩道もゆったり広く、美
しい海を見ながら、気持ちよく歩けた。今でも、こ
の光景はよく思い出すシーンの一つである。   

 川内市に入った。海岸からすぐ近くにある「人形
岩」をみた。それから約30分後、進行方向を内陸に
とった。川内市の市街地に向うためだ。一旦海とは
お別れだ。                  

 当時、川内市は地震がよく発生していた。住宅の
ブロック塀の倒壊。建物の壁のひび割れ。等々目に
した。一連の地震の強さを推測するには、余りにも
十分過ぎた。                 

 鹿児島県に入って気が付いた事の一つに、地名や
姓の文字がある。やたらと「元」を含んだものが目
に付く。「湯之元」「岩元」「杉元」。少なくとも
北部九州では、「湯之本」「岩本」「杉本」となる
筈である。                  

 そうこうする内に、川内市街に入って来た。初め
ての川内市訪問である。結構大きな地方都市だ。当
日の宿は、あらかじめ予約を入れていた。JR川内
駅前のホテル。ホテルには夕方に到着した。そのホ
テルのエレベータホールの壁に、大きなひび割れが
走っていた。これも、地の神が怒られた後なのか。

 上下左右の立体迷路を通り、案内されたのは、旧
館の隅にあるバス・トイレなしの部屋。正確に描写
すれば、共同トイレに行くには一番便利の良い一等
地にある、正規料金を支払うには、余りにも恵まれ
すぎた部屋だった。これは、古い小説に出てきそう
な、いわゆる「女中部屋」の様相を呈している。多
分、汗臭く塩の吹いたTシャツでしかもひげ面の容
姿の客用に、特別に誂えられていた部屋だろう。 

 ホテルの名前を公表しないなんて、俺もいい大人
になったものだね・・・。           

 遠くで宴会の喧騒が聞こえてきた。      

 思えば遠くへ来たもんだ。          

 つづく。