【7日目:1997/06/24:熊本県水俣市】

 朝早くビジネス・ホテルを出発した。前日のタク
シー運転手さんのアドバイスに従って、八代港へ向
かって歩を早めた。と言うのも、あまりにも急に行
程を変更したため、事前調査に十分時間をさく事が
できず、泊地までの距離や、天草行きフェリーの出
航時刻を把握していなかった。         

 そんな訳で、朝食も摂らずに歩き始めた。泊地ま
では1時間以上かかった。港に到着したときは、も
うハラペコ。フェリーの出航の約1時間前だった。

 出航した。フェリーは有明海の内航船であるが、
結構大きな船体だった。ここ八代まで自分の脚で歩
いてきた。そう言った誇りが、いま船に乗っている
自分自身を冷ややかな目で観ていた。脚は「早く歩
きたい」と言っていた。            

 天草の上島、松島町に到着、下船した。ぎらぎら
した太陽に、真っ青な海の色が良く合う。島とは言
え、脚で行動するには、十分すぎる広さだ。   

 とにかく、水俣港行きの渡し場がある本渡港まで
歩かねばならない。手持ちの地図帳によると、本渡
港までは約35Kmの道のりがある。いくら急ぎ足で頑
張っても、水俣港行きフェリーの出航時刻に間に合
いそうになかった。いろいろ考えても仕様がない、
取敢えず目的地に向かって進もうと思って、歩行を
開始した。                  

 途中、食堂で昼食を摂った。それ以外は、炎天下
を、ひたすら歩いた。そして、時間の経過に伴って
もう自分の脚でいくら頑張ってみても、フェリーの
出航時刻には間に合わない事を悟った。そこで、や
むなく、本当に止むを得ず、渡し場まで路線バスを
利用した。不可抗力と頭では分かっていながら、乗
物を使った事が、残念でならなかった。そして、悔
しかった。                  

 本渡港からフェリーに乗船した。フェリーは、天
草の上島と下島を結ぶ瀬戸大橋の下をくぐり、暫く
の間大きな河の様になった水路を南下した。   

 フェリーでは、年配の釣り客と親しくなった。3
名で釣りに来られたとの事だった。いろんな話をし
て行くうち、私の「歩いて九州一周です」と言う言
葉を聞いた釣り客は、心から私を激励してくれた。
本当に嬉しかった。              

 水俣港に接岸した。国道3号線まで出た。あと4
kmも南に行くと鹿児島県だ。しかし、泊まりは水俣
市内のため、方角は逆になるが、2km程北上した。
とあるビジネス・ホテルにチェックインした。  

 夕食は、ホテルのレストラン内の居酒屋コーナー
でとった。 そこの女将さんは、大変気さくな方で
色々気を使ってくれた。女将さんは、博多が出身と
の事。私の「博多のはなし」を懐かしそうに聞いて
くれた。女将さんは「以前はよく博多に行っていた
が、最近はあまり行くこともなくなった」と寂しそ
うに横顔で語った。私は「この女将は、もう水俣の
女(ひと)だな」と勝手に思った。 私の頭の中に
北島三郎の演歌が流れ始めた。         

 つづく。