【3日目:1997/05/20:福岡から熊本へ−その2】

 そうする内に、1Km程先のほうに、民家が10
軒程の集落が見えてきた。疲労感一杯の身体が喜ん
でいる。あそこまで行けば腰を降ろして休憩できる
。とにかくあそこまで頑張ろう。痛む脚を気遣いな
がら、何も考えずに歩いた。そして、その集落に辿
り着いた。                  

 ある民家の庭先。庭先と言うよりも国道への出入
口と呼んだほうがぴったりの、猫の額程のスペース
の場所だ。そこに腰を降ろした。疲労こんぱいだ。
人影は全くない。もし民家の方が私をみたら、きっ
と怪しんだだろう。ひょっとしたら、白いレースの
カーテンの奥から、私は観察されていたのかも知れ
ない。                    

 5分ほど休憩する積りであったが、何となんと、
20分も留まってしまった。身体が言うことを聞か
なかったからだ。何時までもこのような所で休憩を
続ける訳にもいかず、一大決心で、腰を上げた。 

 休憩時間を長めに取ったため、脚がこわばって上
手く歩けない。下腹部を前方に突き出したような、
逆へっぴり腰のスタイルだ。それでも前に歩いた。
2〜3分で、通常の姿勢で歩けるようになった。 
が、脚は痛いままだ。             

 それからは、度々休憩をとった。正確に言うと、
休憩を取らざるを得なかった。上り勾配を歩き始め
て、ゆうに3時間を経過しただろうか?突然、視線
の上方に【熊本県】という標識が見えた。やったー
やっと、熊本まで来たぞ。あそこが【峠】だ。とう
とう自分の脚で熊本まで来たぞ。        

 今まで、熊本までは、JRか高速バス或いは車で
行った事はあるが、とうとう自分の脚で、力で、精
神力でここまで来たぞ。これは、誰にも覆すことの
出来ない【事実】だ。滅茶苦茶嬉しかった。過去に
こんなにに興奮したことが、何度有っただろうか。

 峠は小栗峠。県境はこの峠の頂上だ。ゆっくりと
しっかりと跨いだ。顔の筋肉は緩んでいた。本当に
嬉しかった。                 

 後は歩ける限り歩いた。満足感を胸一杯に、とに
かく歩いた。頭の中はただ一つ【歩いて熊本まで来
た】と言う事しかなかった。とうとう脚が動かなく
なった。小栗峠から約7Km熊本県に入った所。 
  そこには、堂原と言うバス停があった。     

 30分程でバスが来た。バスに乗った。数人の客
が乗っていた。「このバスで山鹿市まで行って、宿
を探そう」と思った。間もなく山鹿市の中心街に到
着した。初めての町だ。そして歴史のある町だ。 

 この何とも形容しがたい、落ち着いた風情の町で
一泊することに幸せを感じた。電話帳で、ビジネス
ホテルを見つけ、電話を入れたが満室だと言うこと
で断られた。別のビジネスホテルに当たったが、そ
こもだめだった。理由を問うと「現在、山鹿市は国
体のハンドボール競技が開催されているため、宿泊
施設は選手や関係者で一杯」との事。      

 一瞬のうちに、優雅な気持ちが吹き飛んでしまっ
た。大きなホテル、旅館に足を運んだがどこも満員
。辺りはとっくに陽も落ち、夜のとばりが満ちてい
た。焦り始めた。こんなに疲れているうえ、泊まる
ところが無いとは・・・とほほほ・・・。    

 こうなったら、熊本市に出るしかない。そうだと
するとバスだ。早速バスセンターに行った。時刻表
を見た。時計の針が示す時刻より、大きな数字がひ
とつだけあった。つまり最終バスが1本未だ残って
いたのである。神様は俺を見捨てていなかった。 

 熊本駅前の真ん前のビジネスホテルで、今日の成
果を「夢の友」とし深く熟睡した。翌日朝のJRで
自宅に戻った。                

 その後、はっきりと「歩いて九州一周」を目標に
掲げ、新たな一歩を踏み出すこととなった。次回は
その辺りの経緯を紹介し、更に回想録を展開する。

 つづく。