Touring7(9月28日〜29日) 戻る
北大前東横イン→453→支笏湖→453→洞爺湖→132→578→230→66→ニセコアンヌプリYH
総走行距離 200km
総走行時間 5時間
平均時速 40km
宿泊費 YH 3100円
食費 (昼)道の駅 900円 (夕)YH 1000円
午前9時20分・・・札幌出発。これほど気分良くめざめた朝はひさしぶりだ。今まで、ず〜と不安の中の眠りだったから、とてもじゃないがよい目覚めとは言えなかった。背景は気分良くうさちゃん。駅前でお土産用ワインを購入。富良野のと合わせて3本目。ラベンダーのタオルとかも買ってあるので、お土産も完璧だ。
爽快な朝の北海道。気分も上々。札幌ナンバーをよくみかけた。さすがにもう他県ナンバーは見かけない。北海道の生き残りの貴重な存在として、宮城ナンバーを走らせた。そして、支笏湖についた。・・・と言っても湖しかない。ここらは札幌ライダーが休日によく来るツーリングコースらしい。そして、洞爺湖をめざした。途中の道の駅(ファートレスト276)に立ち寄った。ここは、世界最大のログハウスの里らしい。ここで”かにめし(900円)”を食べ、宿を探した。とりあえず最終予定地ニセコ周辺に3つほどYHがあったが、その中で一番感じのよさそうなニセコアンヌプリYHに決め、電話した。
午前12時、夕食つきで予約がとれる。なんとなく、夕食付きで予約取る場合、1時ぐらいまでが限界であろうと聞いていたので、なかなかよい時間帯に予約ができた。久しぶりに、予定通り。予定通りって本当にうれしいなぁ・・・今までが今までだけに。そして、洞爺湖に着いた。
洞爺湖の回りをぐるって回れる道は、最高に気分が良い。洞爺湖の公園みたいところで、再び休憩。真中に島が浮かぶ洞爺湖は、なかなか幻想的ではあったが、やはりそう時間がつぶせるものではない。ただ、呆然とその景色に見とれた。呆然とバイクの前で休憩していると、老夫婦が声をかけてきてくれた。今まで、同じバイク野郎が同じ駐車場にバイクを止めてたときに声はかけられたことはあったが、普通の人が声をかけてきてくれたのははじめてだ。
「1人で旅してるの?えらいねぇ。」
何が偉いのか分からないが、 黙っていた。バイクの一人旅なんて自分の欲のためのもの。裕福な日本の象徴にすぎない。こんな贅沢、とても偉いとは言えない。
「あと少しすれば、紅葉で綺麗になるのにねぇ。でもここら辺では、上の方が紅葉になって、下の方までおりてくるころには、もう上のほうは枯れてるからねぇ。全部紅葉が見るのは、難しいよぉ。」
「1人でさびしくないの?彼女とか連れてくればいいのに。」
最後のは、とてもとても余計だが、地元の話が聞ける点でとても良かった。やはり、地元のことは地元に聞くのが一番。
今度は洞爺湖をサイロ展望台から見た。断然に上の展望台から見た方が、景色が良い。あと少しで洞爺湖を誤解して通りすぎるとこだった。洞爺湖は上から見た方が綺麗です。その美しい景色を見ながら、郷愁にふけった。そろそろ、仙台の家が恋しくなっていた。いつのまにか、あの部屋を出て6日も経っていた。でも明後日には帰れる。帰りたい・・・・。でも、仙台で待っている人なんていない。まして、○人なんているはずもない。そんな人がいたら、こんな長い旅にでてるはずがない。十分、家にいても楽しいだろう。しかし、あの部屋から飛び出したかったのは、やはりあの部屋では何か足りないものがあるせいだ。しかし、そのおかげでこんな旅にでれたのだ。現在の状況下をプラスに考えよう。逆境になればなるほどおもしろいと教えられたのは、この旅のおかげだ。・・・ちょっと無理があるかな?
「今度は海外放浪だな。北海道1周は、もちろんいつか実現して見せる。」
新たな希望を手にし、ニセコに向けて旅立った。
あと少しで、ニセコアンヌプリYH。しかし、看板もないので道に迷う。そこらへんを低速でうろうろしていると、久しぶりにやってしまった。 ・・・・ズテッ。道のど真ん中で、再び右足に200kmがのしかかった。バイクを倒したのは、もう3回目だ。「あぁ・・・俺のバイクが・・・。」今度からは本当に大切にしようと思った、その次の日にもろくもその誓いは壊れてしまった。右足を引っこ抜いて、よっこらしょっと立ちあがろうとしたときにそれは起きた。・・・・バキッ。愚かにも、立ちあがろうとした右足でミラーを踏んづけてしまったのだ。恐る恐る右足を上げると、予測通りミラーにはヒビが入ってしまう。バイクを起こし、見てみると、まったくミラーの働きはしない。左が残っているだけ幸いだが、警察につかまると、言い訳できない。
「はぁ、やはり今までうまくいきすぎたと思った。」
不安ながらに、YHを発見する。まだ午後4時という早さだ。受け付けを済ませ、部屋に入るとどこかでみた人に出会った。おとつい、サホロYHで相部屋だった人だ。話によると、昨日本当に山に登り、その日YHの客は1人だったらしい。そして今日、そのままここまで車を走らせてきたらしい。食事は、午後3時ごろに電話したところ、もう駄目ということで、夕飯を食べに車でどっかにいってしまった。やはり、夕食付きなら最低でも午後1時までには電話しなければならない。今度の旅にこの経験を生かそう。夕食は午後6時からなので、それまでは散歩することにした。外では、熱気球をしていた。熱気球を膨らませて、空中に浮かぶまでを呆然と見ていた。 空から見る景色はどんなにかいいだろう。熱気球とかのサークルに入ればよかったかなといまさらながら思った。
夕食・・・この日の客は7人。そのうち、夕食をとったのは私を含め6人。そのうち、2人は女性だ。しかし、その年齢層がすごい。20代中盤くらいの女性と30代くらいの女性。30代、40代くらいのおやじが3人。そしてたったひとり、21歳の俺。俺が一番最年少だった。みんな1人旅であった。女の人同士は話で盛り上がっているなか、多様な年齢層をもつ男性群は、ほとんど無言のまま夕食を食べる。・・・あまり、雰囲気自体はよくない。しかし、夕食はいままで食ってきた中で最高級においしかった。夕食は洋風で、食前にワインはでてくるは、メインディッシュはステーキやら、普通に食ったら絶対3000円くらいする料理が出てきて、目が踊った。たった1000円でこんなにも贅沢な料理が食えるなんて、予測だにしていなかった。ニセコアンヌプリにいったら、絶対夕食は食べた方がいい。本当におすすめ。偶然同じJADEに乗ってるおやじがいたので、話を聞いたところ、高速で最高160kmを出したことがあるらしい。一応、180kmまでメーターはついているっていっても、160なんておそろしい速度。120kmでも、もうやばいのになぁ・・・とりあえず、JADEの可能性がまた広がった。いくつかの会話を交わし、おいしい夕食はきれいにたいらげてしまった。
食後、オーナーが客5人を連れて温泉につれてってくれた。北海道で温泉にはいるのは初めて。ライダーから、いろいろなおすすめ露天風呂などは聞いていたが、まぁ、それは今度行こっと。
とにかく、露天風呂で今までの旅の疲れを流し、この旅を思った。
「明日で終わってしまうのか・・・。1週間って意外に早かったなぁ。もっと、もっと北海道にいたかったなぁ。やっぱ1ヶ月は必要だわ、これ。あぁ、でも無事に終わって本当に良かった。」
YHに帰ってきて、暖炉の前で、なぜか”あずきちゃん”を読む。ここのYHは、作りもコテージ風ログハウス風のなんか本当に山の中のコテージみたいで、最高によい。女の子うけしそうな感じで、実際女の客が多いそうだ。はじめに、20代のおねえさんが来て、POCKETBOADでメールを書いていた。誰に書いているのやら・・・という疑問はおいておいて、こんな山奥でもドコモの携帯はつながるらしい。やはり、ドコモだと通話範囲が広く、山の中でも通じるらしい。山の中で孤立しないわけには、携帯もったほうが安全だ。通信器具の重要性は、つい数日前に経験したばかりだ。そのうち、もうひとりのおねえさんとおにいさん2人がやって来た。なんか、30代風のおねえさんは1人で車でもう2週間ほど旅をしているらしく、30代ふうのおにいさんは今日札幌から来たばっかなので、どこらへんにいったらいいのか聞いていた。そのうち、5人くらいで主に北海道について楽しく会話をした。オーナーがやってきて、9時からはじめるといいていたティータイムが始まった。オーナーももう40〜50くらい、客も20代、30代、40代くらいと幅広い年齢層。平均年齢はたぶん30代後半はいってると思う。もちろんみんな会社員。そんな中、ぽつんと1人学生の俺がいる。・・・・なんか、ちょっとうきそうなすごい場だが、逆に言えばこんなめったに経験できない場・・・北海道最後の夜にふさわしい。オーナーのニュージーランドにいった話やらが印象に残った。その他、いろいろの話があり、とても・・・う〜ん、なんていうかとてもよい人生経験となった。こういう旅人の集まる場っておもしろいね。ちりじりに人が部屋に退散していく中、俺は1人残り、なぜか”あずきちゃん”を読破してしまった。ねっからの、漫画好きはどうしようもない。そして、北海道最後の夜は、興奮と満足感の中、僕は眠りにおちた。
ニセコアンヌプリYH→66→230→(Uターン)→66→(再びUターン)→230→37→36→苫小牧フェリーターミナル
総走行距離 241km
総走行時間 4時間40分
平均時速 52km
有料道路 600円(道央自動車道(伊達→登別室蘭))
宿泊費 フェリー 5600円(人)+4830円(バイク)→払い戻し(往復割引分)+530円
食費 (朝)YH 650円 (昼)ソーセージの店 1050円 (夕)フェリー 1800円
その他 カヌー 6000円
朝食、また洋食でエトセトラ、普段めったに食べることができない食べ物ばかりだ。これをすべてオーナーがつくってるのだと思うと、気合の入れようが違う。すごくおいしかった。そして、昨日カヌーの件を考えといてくれと言われていた、4歳程度上のおねえさんに、「いきましょう。」と返事をした。カヌーをしたいのだが、最低2人は必要で、あと1人が必要だった。私もこの日は今日中に苫小牧港に行くだけだったので、とても時間が暇だったが、お金が6000円もかかるというので、考えといてといわれていたのだ。ぼうとするだけだと思っていた日中が、とても楽しみに変わった。オーナーに頼み、オーナーに車で送ってもらい、二人でカヌーに出かけた。
若いおにいさんのインストラクターの人に連れられて、近くの川の着いた。最初にインストラクターにこぎ方を教わり、カヌーを川に浮かべてもらう。そして、おねえさんが前にすわり、私は後ろにすわる。座ると言っても、腰かけるわけではない。タオルをしいて、そこに膝を折り曲げ、立膝で下のほうに重心を持っていき、尻はちょっとかけるぐらいである。はじめはちょっと流れがあり、大変であったが、慣れてくるとそれはとても心地よい乗り物だった。インストラクターの人が道しるべとなって、それにつんだっていったのだが、方向転換がちょっとはじめ戸惑った。まえこぎ、うしろこぎ、かじといった技術を駆使して、前に進んでいく。それはとてもとてもゆっくりとした動きなのだが、水の流れに沿って、自然に囲まれていく姿は、とても自然に思えた。途中の岸でティータイムで、紅茶とおかしを振舞われた。これの影響で、カヌーファンになってしまった。最後の景色は、まさにそれでしょうという感じでとてもよい感じで、カヌーは終わった。
YHに戻り、観光雑誌に載っている有名なソーセージの店に、2人で食べに行った。う〜ん、こんな豪華な食事をしていいのだろうか?と、ちょっと疑問に思いながら、おねえさんと会話を楽しみながら食べたソーセージは、格別うまかった。ここ三食ほど、本当においしいものだらけだ。そして、YHに戻り、荷造りをして、再び旅立ちの時が来た。もうちょっとこのおねえさんと一緒にいたかったが、そううまくいかないのが人生だろうと考え、午前中だけだけど一緒に旅をしてくれたおねえさんに、最後に名前を聞いて、お礼を言ってお別れした。「よい旅を!」これぞ、旅って感じで本当に最高の気分だった。最後よければ全部よし。そう、ここまでは最高に良かった。そう、あの事件さえなければ・・・・。
その事件はいつおこったのか分からない。俺の知らぬ間にいつのまにか起こっていたのだ。そう、最高の気分で苫小牧港へ向かっていたときだ。おねえさんと別れてから、1時間後にそれは起こった。私は、ふと左手を後ろの荷物を確かめようと、手探りをした。・・・・・しかし、その左手は感触はギャグとしか言いようがなかった。私の左手は空をきっていたのだ。バイクを止めて、後ろを確認する。・・・・縛っておいた荷物は消え去り、縛っていた綱は切れて、タイヤに絡まっている。ネットだけがそこに存在した。通常、着替えなどが入った大きな荷物は後ろにくくりつけ、小さな大事な荷物は背中のバッグにいれていた。フェリーのチケットや、PHS、予備キー、地図など重要なものはバッグにいれて担いでいたので大丈夫だった。しかし、着替え、洗面用具、PHS・MDウォークマンの充電器はまさにその大きなバッグに入っていた。私は、またエンジンがつかなかったときと同じように絶叫した。YHから苫小牧までは2時間半程度でつく。フェリー出港は6時15分。午後1時に、YHから出発し1時間半程走った。ゆっくり走っていたので、まだ3分の1ぐらいの距離だった。このまま行って、警察に届け行くか、それとも引き返して荷物を探すか・・・。また、つらすぎる選択が要求された。
「・・・・ほんとに、これギャグでしょう?。」
空しい言葉がこだました。
そして、俺は引き返して探すことにした。必ずある。あんな大きなもの、見つからない方がおかしい。そう信じて行く。「お願い。本当にお願い。ごめんなさい。俺が悪うござんした。もう、悪いことしません。だから、だから見つかって。」いままで、浮かれていた自分を反省した。これは、いままでおかしてきた俺にくだした罰なのかもしれない。あせっている自分と、現実が認識できない自分、もう呆然と高笑いする自分がいた。もう、泣きたくても涙が出てこなかった。余裕を持って出発したはずだった。しかし、今フェリーに乗り遅れる恐怖を背にして、必死になって荷物を探す自分がいた。3時半までなら、なんとか急げば間に合う。そう信じ、必死1時間半かかってきた道を、1時間で引き返した。
・・・午後3時半。すべての道を引き返しYHに着く。しかし、青いアディダスのバッグはどこかに消えてしまった。ここで、フェリーも乗り遅れるわけにも行かないと、荷物をあきらめ、苫小牧港を目指すことにした。出港まであと2時間45分。120km以上はある道をたどり着けるのだろうか?いざとなったら高速を使えば大丈夫・・・だけど、ミラー割れてて高速乗れるのだろうか?不安だけが取り巻く。途中、秋の交通安全運動ということで警察が張っていた。俺の右側ミラーは割れている。もし、ここで呼び止められたら、帰ることもできないかもしれない。ものすごい緊張して、警察の横を通りすぎる。 とりあえず、大丈夫だったが、心臓に悪い。もちろん急いでいるので、即面取りという速度でひた走る。再び、警察が張っていてスピード違反でつかまると、バイクすら乗れなくなってしまう可能性もある。しかし、フェリーの時間は迫る。もう、警察に届ける時間なんてない。こんなことなら、引き返さずに道警に届ければ良かったと、自分の選択ミスを呪った。
・・・あせりと困惑。ふたたび落ちた絶望。あのバッグすべてに何が入っていたのか思い出せない。そういえば、お土産用のワインもすべておとしてしまった。もう落ち込んでいる暇もない。最後の逆境に向かってアクセルをふかす。苫小牧までの距離がでない看板の間は、本当にたどりつけるのか不安でたまらない。とりあえず、室蘭は通りすぎるので、室蘭に向かって走った
室蘭近くで、状況が変わった。もう時刻は5時すぎで、渋滞となっているのだ。もう手段は選んでられないので、ばかすか横抜けをする。このままでは遅れる。そう直感した俺は、高速に乗ることにした。この北海道で高速に乗ろうとは夢だに思っていなかった。しかし、ミラーが割れているせいで呼び止められたらどうしよう・・・。もう、すべてが逆境だった。これは、本当に誰かが俺にしむけた罠としか言いようがない。俺・・・なんかしたか?なんにもしないのが悪いのか?・・・もう壊れそうな頭の中、高速に乗った。
・・・高速はヤバかった。道はものすごくすいているのだが、すごい強風がふきとてもじゃないけど、スピードがだせない。しかも、途中1車線しかないので、もう後ろは振り向くことも、ミラーで確認することもできなかったが、雰囲気で後ろがつまっているのが分かった。俺のせいだ。風を避けるため、完全にうつぶせになって走る。一歩間違えれば、完全にバイクは倒れ、俺も吹き飛ばされるのは間違いない。バイクは風に弱い。八ケ岳ツーリングのどしゃぶりの雨のほうがまだましだ。別の意味で、また生と死の境目をさまよった。
2つ目の料金所でなんとかおりることができた。とてもじゃないが、あんなところ走れない。普通の道路は全然風はなかった。高速道路の立地条件のせいであろう。街中は避けることができたので、なんとか本当の渋滞は避けられ、だいぶ時間を短縮できた。高速は、避けることはできない難関であったのだ。とりあえず、その勝利のおかげで、何とか先を見とおすことができた。
苫小牧・・・もう日は完全に暮れている。いそがが回れということわざに元づき、地図を見る。ここで少しでも迷うと完全に致命傷になりかねない。出港まであと50分・・・。いまだにフェリーターミナルに着くことができない。1週間前ついたフェリーターミナルはとてもとても遠く感じた。
午後5時40分。出港35分前。ついに、再び私は勝利した。いや、敗北なのかもしれないが、とりあえず、いそいで乗船手続きをする。もちろん、もうバイクの搬入も始まっている。フェリーターミナルを見まわすが、やはり警察みたいなところはない。電話帳をめくってみるが、荷物紛失などどこの警察にかければいいか分からない。もう完全に荷物に対する手段は途絶えてしまった。しかたなく、売店を巡る。北海道離脱まで、あと30分。どうころんだら、こんな結果になってしまったのだろうか・・・。はぁ。
バイクを搬入し、はじめて日本フェリーオブザワンにかがやいた”いしかり”に乗っても何も感動しなかった。確かに、はじめてのる”いしかり”はとても豪華で、こんな貧乏な俺が乗っていい乗り物かどうか考えてしまうようなものだった。しかし、もうすべてがふたたび真っ白であった。北海道で大事なものを2つなくした。バイクと荷物。物的なものは無くした。しかし、それ以上に心に増えたものがあればいいじゃないか・・・。などと言っても、荷物を言ったショックは消えるどころか、どんどんふくれあがっていく。来るときはお祝いであったフェリー夕食は、今度はやけ食いとなってしまっていた。もう、北海道の旅は終わってしまったのだ。終わりよければすべてよし・・・。本当にそうだな。終わり最悪なら、すべて最悪。もう、バイクが壊れるわ、ミラー割るやら、荷物落とすやら、悪いことばっかが頭にへばりついた。
「これが俺の人生なのだ。どうあがいても、最後にはうまくいかないのだ。1人旅こそ人生を表すにはもってこいだ。孤独にその先に何があるのかわからない道をひたすら走る。そして、うまくいくかいかないかはその本人しだい。あぁ、俺はだから駄目なんだ。駄目な部分をすべて自分の不運なせいにしてしまう。現実を認めたくない。すぐ逃げたがる。だから、こんな結果になってしまったのだ。」
僕は甲板に出た。黒い太平洋にぽつんとそこに俺は存在した。強風が吹き荒れていた。風の声が聞こえた。頭上には黒い雲が見えた。そこは、すべてが暗黒に支配されていた。また朝が来るのだろうか?再び光がやってくるのだろうか。僕はそれを不安に思いながら、そこに立っていた。
おまけ〜北海道旅行決算〜<7泊8日の旅>
<予想済料金>
宿泊費 5泊6日 19210円(フェリー除く)
食費 13700円
交通費 フェリー往復 20330円+ガス代 4000円くらい
雑費 5000円くらい
→合計 62000円くらい
<予想外料金>
バイク修理 17190円(バッテリー)+3385円(ミラー)
かばん紛失 ?????円(35000〜45000円分くらいはあると思う)
パチンコ収入 ―6000円
JR使用料金 8350円
その他 映画代 1800円 カヌ− 6000円など
→合計 30000円くらい+?????円→68000円と計算
つまり,北海道旅行決算は、130000円・・・ちょっと、この額は尋常じゃないよ。予想外出費のほうが多いじゃねぇかよ。俺の不幸さが、呼び寄せた結果だ。当分は、倹約の日々っす。みなさんは、こんな馬鹿な真似しないように注意しましょうね。