Touring4(9月22日・9月23日) 戻る


9月22日(水)p.m.5:40〜p.m.6:40 雨

家→35→仙台フェリーターミナル
総走行距離 15km
総走行時間 1時間
平均時速 15km
宿泊費 フェリー 5600円(人)+4830円(バイク)
食費 (夕)フェリー 1800円

「はじまりはいつも雨。」

1ヶ月前の八ケ岳ツーリングの出発を思い浮かべた。あのときも、こんな雨が降ってたっけなぁ。そして、またあの恐ろしい旅を思い出した。あの死線を再びくぐるのような経験はごめんだ。

「また、あんな旅になるのか?」

そんな、予感を脱ぎ捨てて、気を取りなおして、今、パソコンに向かっている。最後のメールになるかもしれない・・・・。前回もそんな感じだったが、それでもこうして今生きている。よく生きて帰れたと思う。しかし、1度目は成功したからといって、2度目がうまくいくとは限らない。しかし、今はそんなそんなことはどうでもよかった。今はただ、この現実から離れる時間がほしかったのだ。もう何をしたらいいのか分からない。自分自信何をしたいのかも分からない。そんなブルーな日々に、テスト期間がやってきた。なぜ俺は、テストを受けているんだ?そもそも大学になぜ入ったんだ?ありとあらゆる疑問が、脳裏に浮かぶ。しかし、分かっている。

「そんなこと考えても、無駄だ・・・。」

しかし、自分自信の意志の弱さか、それでも何とか、テスト勉強とバイトと両立させてきた。しかし、私の精神はもう限界にきていた。もう完全に衰弱しきっていた。この北海道旅行だけが楽しみで、その苦難を乗りぬけてきた。しかし、最後の電子回路のテストとなると、もうテストなどどうでもよくなっていた。昨日、あんなにガストで勉強したが・・・やっぱりだめか。普通、一夜漬けでどうにかなるような教科ではない。そして、数時間前、一応無駄とも感じたが、適当に最後の抵抗をして、教室を出た。もうそのときは、完全に北海道のことしか考えていなかった。

パソコンの電源を切り、かっぱをきて、家を出た。時間には、余裕があった。フェリーターミナルなんて、普通は30分もあれば楽勝に着く。しかし、予定なんてうまくいくはずがない。案の定、いきなりトラブルに巻き込まれた。といっても、ただの渋滞だが。時間帯のことをまったく考えていなかった。フェリー出発時刻は、午後8時。普通1時間前には乗船手続きをすべきなので、あと1時間ちょっとでついていなければならない。現在、午後6時。フェリーターミナルの大体の位置は知っていたが、正確な位置は知らなかった。途中に看板くらいあるだろうとたかをくくっていたのだ。雨は、どんどん私の体力を奪っていく。私をせせり笑うように、さらに雨脚は強まっていった。まさか・・・と思ったが、そういえば、台風が接近しているらしいので、別に俺の不幸性はこの雨とは関係ないだろう。そう、ただの偶然だ。急いできたので、忘れ物はないかと考えていたが、はっと気づいた。・・・保険証忘れた。まぁ、しょうがない。怪我しないようにしよう。そして、看板を見た。仙台港とは書いてあるが、フェリーターミナルとは書いてない。普通、港とターミナルは離れていることが多いので、迷ったが、とりあえず通りすぎた。しかし、海からちょこっと離れた直感を受けたので、急いで右折した。ちょっと小道になっていたので、なんかちょっとこの道は違うぞ。これはひょっとすると・・・迷った?不親切にも看板はフェリーに関しては何も書いてない。不安がてらに進んでいくと、やっとフェリーの表示に出会った。予測通り、少し通りすぎていた。結局、フェリーターミナルと港は同じ場所にあった。到着は7時前。1時間もかかった。とりあえず、やっと船でゆっくりできる。風呂にはいって、飯くって・・・。そんな姿を想像していたが、結局ありつけるまでには、少々時間がかかった。

苫小牧行きフェリー”きそ”は、とっくに到着し、その出発をまっていた。中に入り、乗船手続きをする。しかし、何かが書いてある。それは・・・

「名古屋から出発したきそは、太平洋を通過する台風の影響のため、仙台港到着が遅れてしまったため、出発時刻が遅れます。積荷を乗せしだい、出発いたしますが、出発予定時刻は21時30分です。」

・・・あはは。こんなことなら、あんなにあせるんじゃなかった。いきなり、また予定が食い違ってきた。これは、今からの旅の予兆にほかならなかった。出発まで、2時間半もある。しかも、何も食っていない。フェリーで豪華にたべるつもりでいたからだ。あと、2時間半も我慢しなければならないのか・・・。あ〜、ついてねぇ。普通の乗客なら、もう船に入って食事はできたが、私はバイク搬入があるため、出発ギリギリまで乗れなかった。はぁ。ため息がこぼれた。ほんとについてない男だ。・・・じぶんのせいにしたが、台風がきてるというのは分かってたんだから、普通は予測できるトラブルであったのだろう。それを、自分の運だけのせいにする癖をいまだ捨てきれない自分が情けなかった。はぁ、自己嫌悪。などと、また馬鹿らしいことを考えていたが、どうしようもないので、本を読むことにした。短編的なもので、はまらないものとして、”新約聖書”の文庫本を持ってきていた。これを読んでは見るが、なかなかどんなもので、なんかだまされてる感も受けるが、客観的にみるとなかなかおもしろい。しかし、テスト勉強後で疲れきっていたので、精神疲労がためるとあとあとやっかいに思われたので、すぐ読むのをやめた。

しかたがないので、周りを観察する。もう9月の終わりだというのに、今から北海道へ行こうという馬鹿野郎どもが、意外にも大勢いた。バイク20台くらいが、駐車場を占拠していた。野郎といってしまったが、5〜8人くらいのなんかのツーリングクラブみたい中に、紅一点的に女の人もいた。しかし、なぜか必ず女の人は一人いるのが、普通みたいに見えた。こういった、仲間うちかクラブっぽい集団ツーリング隊が、4、5くらいあった。しかも、どうみても夫婦っぽいカップル2人で、行こうとしている人もいた。なんかもう、40代くらいのおやじ集団もいた。そしてこれらを見て思ったことは・・・うらやましい。やはり、そういった感情は否定できなかった。やはり、1人旅には孤独がつきまとう。そういった孤独に本を読む男と、こっちの状況と、あっちは女を引き連れ、みんなで楽しく話し合っている姿を比較すると、こっちはやはり劣っている感じがした。しかし、1人でツーリングに行こうっていう感じの人が、周りに2,3人程度見かけたので、少し安心した。それにしても、夫婦でツーリングっていうのは、最高級の理想の姿だ。超理想の姿に見えた。

「ありゃ、一生の夢だな。宝くじより実現できる可能性がすくないけど、人間夢をみるは勝手だろう。」

また、ひとつ無謀な夢をみることができた。はぁ、それにしても暇だ。

午後9時半、係員の誘導でやっとバイクを搬入して、フェリーの中に入った。実際に出発したのは、10時だった。結局2時間遅れの出発となった。今日は、以前の帰省旅行の経験から、ひとりで二等はつらいと決断をくだしたので、ひとつランク上のB寝台だ。これがまた、駅の寝台車と同じで、自分だけの空間がもてるだけあって、これでもかなり快適だ。しかし、1等以上になると、もうそれはホテルの一室状態。

「なんか、船って貧富の差がくっきりでる乗り物だなぁ。」

とにかく、さっそく食堂にでかけた。そこで、やっと夕飯にありつけた。バイキングなので、もう食べ放題。1800円とちょっと高いが、テスト終了記念ってことで、すこしの贅沢くらい許してよいだろう。時間はたっぷりある。がっつかずにゆっくり食べる。おいしいものを食べる。この世界に生をうけて感じるこの上ない幸せの中で、これは二番目だ。ちなみに、一番は眠ること。そして、大きな風呂で汗を流す。船が超ゆれていたので、まさに流れるプール状態のお風呂は、おもしろかった。そして、ゆられゆられながら、床に入る。昨日は、3時間しか寝ていないので、急激な眠気に教われた。心より先に体が眠ってしまった感じが受けた。意識はあるのに、体は動かなかった。船は太平洋上をゆっくりと北上している。朝おきると、新天地に降り立つ。その姿を想像して、私は眠りにおちた。

「ゆれているときは、その流れに身を任せる。それが一番酔わない方法だ。下手に逆らと、余計に苦しむだけだ・・・。」

すべてはその波に、体を預けていた。すべては期待に満ちていた。しかし、そんな日は今日限りということを、まだ本人は気づいていない。

 

9月23日(木)p.m.1:00〜p.m.5:30 曇

苫小牧フェリーターミナル→235→336→襟裳岬→襟裳岬YH
総走行距離 200km
総走行時間 3時間10分
平均時速 65km
宿泊費 YH 2620円
食費 (昼)フェリー 900円 (夕)YH 1000円

午後1時、約2時間ちょっとおくれで、苫小牧フェリーターミナルに着いた。期待いっぱいに、アクセルをふかせた。そして、いきなりでてきた道が対向4車線。つまり合計8車線。

「なんじゃ、こりゃ〜。すげ〜。すごすぎる。」

いきなり興奮してしまった。しかし、もっと進むと、道は本州と同じ普通の1,2車線になった。走っているとやはり、北海道は寒かった。やはり、もう9月の終わり。メットは、なんとか買ったが、かっこはいまだカッパ姿。う〜ん、情けない。つなぎがほしいよ〜。そして、電光掲示板を見る。

「なになに、秋の交通安全運動9月21日〜30日!!!なんじゃ、そりゃ〜。俺の北海道滞在日と完全にかぶってんじゃねぇか〜。なめやがって。」

フェリーが遅れるといい、思った以上に北海道が寒かったり、ちょうど警察がはっている時期だったり、そして台風が近づいているいい、いきなり北海道1日目にして、苦難の連続。はぁ。俺の運の悪さ、爆発やな〜。とりあえず、道なりに進む。そして、道の駅で休憩してみると、いるいる、フェリーで見たツーリング集団が。なんか、差を感じたので、俺は離れたところで止まり、タバコをふかす。おとついも、テスト勉強でめちゃくちゃ吸ってたから、ちょっと依存が残っている。ここでやめないと、やめられなくなっちゃう。俺って、めちゃ誘惑に弱いからなぁ。そんなことを考えながら、たばこをふかす。もう、だいぶこの動作には慣れてしまっていた。バイク乗りまわしたあとの一服はまた格別だ。

再び出発し、新冠を通った。”新冠”は、にいかっぷと呼ぶらしい。ここは、道のすぐ真横が牧場となっていて、馬がいっぱい見える。俺は、大の動物好きなので、この景色には一発で気に入ってしまった。あのなんともいえない、悲しそうな、優しそうな馬の目をみてると、こっちがなんかわくわくしちゃって、近づきたくなる。それが通りすぎると、今度は海が見えてきた。今はずっと海沿いの道を通っているので、なかなか、北海道の海って感じで、よくわからんが、本州から見る太平洋の海とも、日本海の海とも違って、なんか海の水が綺麗だったせいもあるかもしれんが、あらあらしいのに澄んでいた。

北海道の道は、別に広くはないが、道がすいているので、そう錯覚してしまうだけのようだ。しかも、直線の道路が続くので、いくらでもスピードがだせる。しかし、ずっとテスト勉強でバイクにのっていなかったので、まだ不慣れだったので、あまりスピードださずに行った。それでも、規定速度+○○kmは、ついついだしてしまったなぁ。そして、何よりもツーリングで良いのは、同じツーリングをしているらしいライダー同士が、対向車線からやってくると、お互い手をふりあうのが、礼儀らしい。ライダー同士で、仲間意識からなのか、よく分からないがとてもよい風習に思えた。中には、両手を上げて万歳までしてる奴もいた。孤独な旅の中、これはこれでひとつのコミュニケーションに思えて、うれしかった。

そんなこんなで、最初の目的地、”襟裳岬”についた。第一印象は、何もないだった。最初から、期待はしていなかったが、ただ目的地がなければ張り合いがなかったから来たにすぎない。ここにも、ライダー集団はいっぱいいたが、ちょっと怖い集団だった。一回りしてみたが、なんかこっから飛び降りろというようながけしかなかった。もう時刻は4時半となっていた。どんどんあたりは暗くなってきていた。もう疲れているので、動くのは危険と直感で感じ、ここらで宿を決めることにした。あらかじめチェックしてあった、えりも岬YHだ。初めてのYHなので、緊張するなか電話する。トゥルルルル・・・トゥルルルル・・・。「はい、えりも岬YHです。」

予約はとれた。しかも、夕食もOKということだ。宿の確保に安心して、ほっと一息つく。とりあえず、早めに到着しようと、風のふかれながら、あたりが完全に薄暗くなる中、スイッチをONに回した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん、ん〜・・・・・・・・・・・・。いつもなら、点灯するはずの、OILの赤色とニュートラルの緑色が何も反応しない。頭の中は真っ白だった。恐る恐るスタートスイッチを回した・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・予測通り、何も反応しない。こんなのは初めてだ。もういちど、スイッチをOFFにして、またONにする。現実は無常にも、それは何度やっても、結果は変わらなかった。

「なんで〜。え〜、どうして。なんで。俺が何したっていうの?わかんね〜。誰か・・・・。誰か・・・・。タスケテ・・・・。」あせりと絶望がいきなり俺を襲った。それを振り切ろうと、声をだして、意識をそらすのだが、現実は変わらない。周りは、もう暗くなって、ライダー野郎もいなくなっていた。いたところで、助けを頼む勇気はない。膝が倒れ、そのまま横になって倒れ、そしてあおむけになった。

「・・・どうすればいいの?誰か、教えて。」

自分ではどうしようもなくなり、もうすべてが不安と絶望に満ちていた。人便りな人生を送ってきたから、こういうときどうすればいいか分からない。自分が、ものすごく駄目な人間であることが分かってしまう。もういや状態。自分の都合が悪くなったら、もう放り出す性格。これほど自分がいやで、だめだと思ったときはなかった。ため息だけがこぼれる。しかし、このままぼ〜としているわけにもいかないので、重い体を起こし、バイクを押し始めた。ここから、YHはどのくらい離れているのか分からない。しかし、どうにもこうにも行ってみるしかない。もう、今日は遅いから手のうちようがない。・・・・重い。本当に、重い。さすが、200kg。今は、平坦な道や、ゆるい下り坂だから、押すのは可能だが、すこしでも上り坂にくると、即OUTだ。・・・不安は、不安を呼ぶ。北海道1日目にして、いきなり途方にくれてしまった。

「はぁ・・・俺が何したっていうんだ。誰か、教えてくれよ。」

意外にも、YHは近かった。そして、上り坂もなかったおかげで、なんとかバイクでYHにこれることができた。しかし、思っていたとおり、外見はぼろい。そして中に入ってみると、まぁ、そんなもんだろうっといった感じだった。所詮、YH、贅沢は言わん。「すいませ〜ん。」受付に、人がやってきた。年齢はよくわからないが、人のよさそうなおっかつぁんが出てきた。このYHの主人らしい。そして、ここにバイクの詳しい人がいないか聞いたところ、バイク野郎が2,3人いるからその人に聞けばと行ったので、とりあえず、はじめてのYHの受付を済ませ、中に乗り込んだ。

その部屋には、もう4人の人がいた。そのうち、2人がライダーらしかったので、状況を話し、原因を聞いてみた。原因は、バッテリーがあがったのではないかというのが、有力であった。そして、”おしがけ”という技術を教わり、次の日の朝になったらちゃんとかかるって話もあるみたいということを聞いて、その部屋をでた。隣の部屋も使用していいと聞いたので、そこに移った。そこにも1人ライダーがいた。挨拶だけして、再びバイクをみにいったが、状況は変わらなかった。絶望的な状況だが、少しだけ希望もでた。しかし、状況は何も変わらない。荷物を下ろし、布団とシーツを引き、精神的に疲れたのか、そのまますこし呆然としていた。頭の中では、不安が交錯していた。初めてのYHということで、緊張もしていた。とりあえず、まだまだ時間はあるので、あせることはない。最終日とかに、こんなんにならないだけ、まだ完全に運が悪いというわけではない。とりあえず、眠れ。明日には、きっとうまくいっている。そう信じ、僕は一階に降りた。

夕食の時間になっていた。1000円もするだけあって、それは豪華であった。この日のメニューは、”ジンギスカン”。しかも、その量はたくさんあった。しかも、缶ビール1つもついていて、疲れている自分には、うれしいかぎりだった。一緒に夕食を食べる仲間として、食事を用意する、若いヘルパーさん(♀)、そして同じYHの客2人(♂)。話をしながら、4人で楽しく食事をした。旅では、こういう旅人との交流が大切というのが頭にあったが、小心者と人見知りのおかげで、気楽には離せなかったが、それでもがんばって話を聞いた。客2人は、2人とも大学の4年生らしい。片方は、東京の大学の人で、もう就職も決めて、優々と一ヶ月以上北海道に滞在しているということだ。もう片方は、四国方面の人で、いまだ就職が決まらず、そんな状況をふりきって、同じく北海道を一ヶ月滞在し、一周しているということだ。そして、ヘルパーさんは気に入ったYHでヘルパーをしながら、北海道を点在しているらしい。そして、北海道のおすすめの場所や、いろいろな旅人の話などを聞いた。夕飯はうまかった。部屋に眠り、今度は本当に眠ってしまった。

下のほうから聞こえる騒がしい音で目がさめた。再び下におりて、みるとこのYHお得意の歌で盛り上がっていた。いわゆる、”ミーティング”というやつをやっていたらしいおっかつぁんの手招きで、中に入り、いっしょに歌って、踊った。北海道のYHでよく歌われているらしい、心の歌”を歌い、”岬めぐり”のダンスを教わり、踊った。ちょっと恥ずかしい面もあるが、たのしかった。しかし、ほんとにおっかつぁんは元気のいい人だ。それから、カラオケ大会(?)となった。カラオケがあるYHなんて、ここと稚内YHくらい、珍しい施設だ。YHは、まるで昭和50年代といった感じだが、カラオケルームだけは、もう平成の最新技術であった。そしてカラオケを数曲歌い、風呂に入り、再びカラオケルームに戻った。再び数曲歌ったあと、今度は情報交換の場というか、客3人とヘルパーさんでいろいろな話を聞いた。おもに、北海道の話がほとんどだった。普通、旅先では元いた場所のことはあまり聞かないのが礼儀であろうと考えていたので、そういった話になるのは自然だろう。しかも、旅ではこういった旅の情報交換が、とても重要と考えていたので、いろいろ聞いた。あすこのYHはこうだとか、そういう話が多かったが、俺はここのYHがはじめてだったので、あまり話にはついていけなかったが、それでもなんとかその場にとどまった。中でも、印象に残った話が、ヘルパーというのは、ほとんどボランティアみたいもので、給料みたいものはもらっていないらしい。自分の気に入ったYHでヘルパーを募集していたら、そこの主人に頼み、働かせてもらうらしい。だから、ヘルパーさんというのは、普通”住所不定の無職”らしい。(厳密に言えば違うが、しかしそんなようなものだ)だから、おやじみたいな客に、「こんなことしてていいのか?」と説教をくらうらしい。本人曰く「ほっといって感じでしょ」らしい。「もうどんどん社会復帰したくなくなっていく」ということも言っている。「楽しく、生きればいい・・・」ああ、なんてかっこいいんだと思った。こんな人生もあるんだ、そしてこういった人生も”あり”なんだと知り、また人生観が広がった。そして、我に返る。なんで、俺大学なんていってるんだろう?ああ、旅は人生を思わせる。旅は人生みたいものだ。自分で道をきめなきゃならない。孤独な旅路。ああ、俺はただ誰かが作った道に沿って、そのまま大学に来たにすぎない。そこに、自分の意志なんてものはあまりなかった。人生くらい、自分で決めなきゃ駄目だね。そう再確認した。とても大切なことを、考えさせてくれた。

不安はいまだ残っていたのと、はじめてのYHに興奮して、2時を過ぎてもねむれなかった。ウォ−クマンを手探りで探し、音楽を聞きながら、今日出会った人達との会話を思い出した。こういうのっていいね。本当にそう思った。そして、僕は眠りにおちた。