論脚

友人二人が論争を始めた。

女性の足は、いや脚は、素足が良いかニーソックスが良いかについてだ。

正直、どちらの言いたいことも良くわかる。

個人的にはややニーソが好きだが、それだって犬と猫どちらが好きかで『強いて言うなら犬』という位の差でしかない。

ここは一つ、私が中立的な立場に立ってそれぞれの良さを考察してみようじゃないか。

お互いの良さを知れば、こんな争いはすぐに終結するさ。

 

さて、まずはニーソの良さから考えてみましょう。

と、その前に、こちらの記事を一通り見てきて下さい。

タイツもいいけどニーソだよね 白ニーソより黒ニーソ( ・`ω・´)

この記事に掲載された画像を見て『うん、いいね。やっぱニーソですよ!』と思った人は、ここで引き返す事をオススメします。

チャオズではこの後の話についてこられないからな…。

とりあえずこの記事に言いたい事は一つ。

これはニーソ画像ではなくぱんつ画像です。

ニーソの良さとはエロではなく、エロなのですよ。

分かりやすく言うなら、直接的なエロではなく、間接的なエロ。鎖骨やうなじへのフェチ心に類するものです。

ニーソは、言うまでも無く下着ではありません。当然です、もし下着だったらニーソの女性は全員痴女になってしまいます。

ではなぜ、人はニーソに興奮するのか。

多くのニーソ好きは答えます。『それはチラリズムと絶対領域にある』と。

これに対し、ある素足好きの男は叫ぶ『チラリズムの良さっていうのは、本来隠すべきところが偶然と油断によって見えてしまうことに意味がある』と。『脚っていうのは本来、特別に隠すところではありませんからね。下着や胸はそうかもしれませんが、脚はそうじゃない。それが太ももの一部分だけさらしてなにがチラリズムなのか。まして隠している布(ニーソックス)になんの価値があろうか』と!

この言葉は、反論であると同時に答えでもあります。

ニーソというアイテムはその特殊性が通常のソックスとは異なります。

ファッションとして、ニーソをニーソたらしめるにはその全体像を見せる必要があります。

長いスカートやパンツを穿いてしまえば、それはソックスと区別が付かず、多少短めのスカートにしたところで、ストッキングとの区別が付きません。

そのため、ニーソを着用する際は、必ずその上端との間に素肌の空間を作るためにスカートがギリギリまで短くなるのです。

しかし、考えても見て下さい。ニーソ着用時に穿くような短いスカートをニーソ無しで穿く事ができるのか?

『できる、できるのだ』というファッションにシグルっている人を除けば、多くの女性はそれを躊躇するでしょう。

そう、本来なら穿けないような短いスカートをニーソによって露出が下がるからと穿いてしまう―これを油断と言わずなんというのか。

ニーソとは、チラリズムを『生み出す』アイテムなのです。

聡明な諸兄はお気付きだろうか?この、間接的にエロを生み出すという極めて日本人的な発想をしたファッションがもう一つあることに。

うなじ、『ただの首筋』に過ぎないそれを、襟周りの独特な隙間によって色を持たせた奇跡の衣類―そう、和服です。

すなわち、ニーソとは古来よりの日本人に刻まれたエロチシズムを喚起するファッションなのです。

日本人の多くがニーソ好きであるのは、ある意味当然の帰結だったのです。

 

では次に、素足の魅力とは何か。

そりゃもう、輝く白い肌、芸術的な形状を描く膝裏、布では到達できない滑らかな質感、機能美すら感じさせる膝裏、ニーソによって限定される事が無い多彩なスカート丈、あとえーっと膝裏。

ニーソが間接的な、侘び寂とも言えるようなある種回りくどい魅力だとするなら、素足はその対極です。

エネルギーに満ち溢れた太陽とも言える直接的な魅力が素足にはあります。

これは、理論立てて語るようなものではなく、直感に訴えかける部分と言えるでしょう。

文章的に少なくなってしまいましたが、素足の良さを伝えるときは脚の綺麗な女性を連れてきて『どうよ?』というのが一番説得力があるのではないかと思っています。

 

このように、素足・ニーソそれぞれに良さはあります。しかしその良さは交わる事が無いためしばしば論争へと発展するのです。

おっぱいが良いかお尻が良いかという論争に等しい、不毛な議論です。

不毛、まったくの不毛です。

私は嘆かわしい。

黒タイツの前には素足もニーソも等しく霞んでしまうというのに……。

まったくもって、黒タイツが大魔王バーンだとしたら素足やニーソはハドラーとバランくらいの差しかないのだから、不毛な争いはうわ何をするやめくぁwせdrftgyふじこlp;@:

 

この日こそ、後に百年続く3国戦争、その始まりの日であった。どっとはらい。


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