奇跡

 

12月11日、体育館裏、冬の空。

俺は今、一世一代の勝負に臨もうとしていた。

すっかり葉も散った銀杏の木にもたれ掛かり、物憂げな表情を浮かべる少女。

その姿を認め、深呼吸した後で(少なくとも本人的には)極めて冷静な素振りで近付いていく。

「あ、宿木くん。どうしたの?こんなとこに呼び出したりして。」

俺の姿に気付き、明るく話し掛けてくる彼女。いつものように屈託の無い笑顔。でもそれは、クラスの皆に向けるのと同じ、友達への笑顔だ。

いつからだろう、『クラスメイトの一人』では無く、『たった一人の自分』に対する笑顔を向けて欲しいと願うようになったのは。

「柊。俺と――付き合ってくれ。」

「えっ…?」

相当に予想外だったのだろう。目を丸くして固まった彼女を見て、絶望的な気分が広がる。

駄目か…。

「ごめん。急にこんな事言って、迷惑だったよな。」

これ以上耐えられなくなって、急いでその場を立ち去ろうと振り返った時、柊が慌てて俺を引きとめた。

「ま、待って!…その、私も、宿木くんのこと…。まさか告白してもらえるなんて思ってなかったからびっくりしただけで、あの、だから!」

顔を真っ赤にしてしどろもどろになる彼女を見て、俺は自分で告白したくせに、

「俺で、いいのか?」

と聞き返してしまった。

「とんでもない!むしろこっちからお願いします!」

ぺこりとお辞儀をするのにつられて、「こちらこそ」なんて頭を下げる。

二人して深々とお辞儀をしているのに気付いて、俺たちはどちらともなく笑い出してしまった。

 

 

柊が死んだのは、それから一週間後のことだった。

 

 

「宿木くん!」

学校に行く気になれず、フラフラと街を歩いていた時、不意に声を掛けられた。

寝不足の目を少し上に向けると、そこには中学生くらいの少年が立っている。どこかで見たような――ああ、たしかこいつは――。

「柊の弟、だったかな?」

「よかった、やっと話が出来る!この3日間一生懸命話し掛けてたのに宿木くん全然気付いてくれなくて……。」

「おい。」

人の質問に答えず勝手に喋り続ける態度が気に障って、俺は無理やり話を遮る。

「なんなんだよ、急に出てきて一方的にベラベラベラベラ!柊の弟だからってそんなに馴れ馴れしくされる覚えはないぞ。」

「なんなんだ、って…。私よ!柊!わからないの!?」

なんだよそれ。言うに事欠いて自分が柊だって?

俺は、ここが往来の真ん中だということも忘れて声を荒げた。

「ふざけるな!自分の姉さんが、家族が死んだんだぞ!それなのに死人をかたるなんて、そんな悪質な冗談を!」

「そんな…私…本当に…」

「……畜生!」

まだかさぶたも出来ていない傷を再度抉られ、これ以上無いほど不愉快な気分にさせられた俺は苛立ちも隠せないままその場を後にした。手を上げてしまいそうになる自分が嫌だったからだ。

そのまま部屋に戻り、ベッドに倒れこむ。

「…柊…」

『死』という言葉を自分で口にした事で、認めたくなかった事実を認めてしまった。認めてしまったから、柊が死んだあと初めて涙を流して泣いた。

 

「……畜生!」

たった一言、呪詛の言葉を残して去っていく宿木くんの後姿を呆然と見送って、私はその場にへたり込んでしまった。

「そんな、なんでわかってくれないの?」

「だから無茶だって言ったんですよ〜。」

いつの間にかボロボロ涙を零していた私の背後から、妙に呑気な声が聞こえてきた。

「見た目は完全に弟さんなんですからもっとシチュエーションを考えないと〜。」

「だって、時間がっ、今日と明日しか、ひっ、ないのに、えぐ、悠長な事、言って…う、わああぁぁ〜〜ん。」

やっと見えた希望の光を握りつぶされた気分になって、堪らず泣き出してしまう。

そう、私にはもう時間が無かった。

宿木くんと付き合うことになって、舞い上がって浮かれて有頂天になっていた幸せな時間が、1トン近い鉄の塊(60km/h)に文字通り打ち砕かれたのが5日前の事だ。

それから私が意識を取り戻したのは3日前、その時に体の方はすっかり火葬も済まされてお墓の下に安置されている事を教えてくれたのが、さっき私に声をかけてきた女の人だった。話によれば彼女は死神だそうで、私をあの世に案内する役目があるんだとか。

 

−現在より3日前−

「と、言うわけでして〜、あなたをきちんと案内しないと私もお給料が貰えませんので〜、ご家族やお世話になった皆様へ挨拶回りを済ませて未練が無いようにしてきてくださいね〜。準備期間はきっかり一週間用意されていますが〜、あなたの場合すでに二日経過していますので残り五日間になります〜。」

柊さんはお寝坊さんですね〜。なんてな事を言いながら、うふふと笑う死神のなんと現実感の無いことか!

「あと5日しか無いって、だって目が覚めなかったのは私のせいじゃ無いのに!そういう場合って普通はその分延長してくれるものじゃないの!?」

「残念ながら規則でして〜、特例は認めていないんですよ〜。」

「そんなお役所仕事な!理不尽よ!薄情だわ!」

「わわわ私に言われましても〜、支部長クラスならともかく、ヒラの私ではどうする事もできないんですよ〜。」

思わず胸元を掴んでガクガクと揺さぶるが、彼女は営業スマイルを崩すことなく『権限が無いから無理』の一点張りだ。

「悪い冗談よ、こんなの…。まだ手を繋ぐくらいしかしてないのに…。」

デートだってろくにしてないし海が見える公園で一緒にお弁当とか彼の自転車に2人乗りとかそれから、それから、そうよ、明後日はクリスマスなのよ!ちょっと特別な1日を過ごしていつもより少しだけ遅くまで一緒にいて、夜景が見える綺麗な丘で見つめあって、ゆっくりと唇を……。

「あの〜、もしもし〜?」

「わひゃぁッ!?」

いつの間にか目の前で手を振っていた死神に妄想を邪魔されビックリして仰け反った。

現実に引き戻された私は耳まで真っ赤になったまま、2重の意味でドキドキする心臓を落ち着けようと深呼吸した。

(実際に心臓があるわけじゃないからただの錯覚だという彼女の意見は無視する。)

「…よし。」

死んだ人間が生き返るとか、ありえない奇跡に期待してもしょうがない事は私にもわかる。だったらせめて後悔しないようにキスくらいしてからあの世に行こう。

決意を、ついでに胸の前で握り拳を固めた私はすぐさま宿木くんのところへ飛んで行った。

だけど、宿木くんにはどうやら霊感みたいなものが無いらしく、私の声はまったく彼に届かず、瞬く間に3日が過ぎてしまったのだ。

「夢枕に立とうにもろくに寝てくれないのではどうしようもありませんしね〜。」

そんなにも私の事を思ってくれていたのだと思うと、不謹慎ながら嬉しくなってしまうけど、このままでは宿木くんも衰弱してしまうだろう。やっぱり、お互いのためにもきちんと話をしてこの死を受け入れなければならないのだ。

――どんな手段を使っても。

 

そして、私は最終手段――他者への憑依という悪霊じみた行動に打って出たわけだけど、結果は…最悪だった。

「もう諦めましょう〜?生者に憑依するのは法令違反なんですから〜。こんな事が部長に知られたらまた減俸されちゃいますよ〜。もうサッ○ロ一番生活は嫌です〜!」

「減俸が何よ、私は絶っっっ対に諦めないわ!例え法令違反で地獄に堕ちても地獄の底から這い上がって思いを遂げてやるのよ!こっちはこの恋に命賭けてるんだから!」

「死んでるのに命が賭けられるわけないじゃないですか〜。インチキです、空手形です〜!」

「あ、揚げ足取らないでよ!とにかくその位の覚悟があるの!いいでしょ、ちょっとくらい協力してくれても!減るもんじゃ無し!」

「お給料は現実に減るんです〜!お腹も減るし、失敗ばっかりしてると旦那さん候補も減っちゃうんですよ〜!?」

「ぜえぜぇ……。」

「は〜は〜……。」

くぅ、気が弱そうだから勢いで押し切ろうと思ったのに、半べそかきながらも抵抗してくるわね…しかもいちいち正論だわ。どうしよう、こうしてる間にも時間が…時間…。

「そうよ!こんなバカなことしてる場合じゃなかった!急がないと…あと…2日で……。」

あれ?何だか突然疲労感が…?

「ああ〜、やっぱり〜。憑依なんてして無理やり体を動かすから体力の低下が激しいんですよ〜。」

そういえば、弟はそれほど体力のある方じゃなかったわ。私は慌てて弟の体から抜け出した。

「…?何をしようとしてたんだっけ…?………いいや、今日は帰って寝よう。何だか凄い疲れた…。」

怪訝そうな表情を浮かべたまま家路に着く弟を見やり、ほっと息をつく。

「よかった。街中で突然倒れるなんて事態は避けられたみたい。」

「まったく、こんな無茶をして〜。いいですか、二度と憑依なんてしちゃ駄目ですからね〜?」

「わ、わかったわよぅ。」

ああ、これで最後の手段も潰えてしまった。こんなんで私の人生お終いなのかなぁ。

私はすっかり力が抜けてしまって、手近な電柱に寄りかかるようにうずくまった。…あー、何だかこうしてるとすごい落ち着くなー。幽霊がこの手の場所に良く出る理由が分かった気がするわ。

「…とにかく〜、他に出来る事があるかもしれませんし、あと2日間試せる事を試してみましょう〜?死ぬ気でやれば何でもできると言いますし〜。その点、柊さんは一度死んでるんですから不可能も可能に出来ちゃうかもですよ〜!」

意気消沈した様子を憐れんだのか、死神が私の手を引っ張って立ち上がらせた。言ってる事はしっちゃかめっちゃかだけど、彼女なりに元気付けようとしてくれているのだろう。

「うん、そうよね。諦めるなんて柄じゃないもの。みっともなくても格好悪くても、最後まで全力で生きて…って、もう死んでるか…ええい、全力で死んでやるわ!」

こうして、思いつく限りのあらゆる手段を試してみる事にしたのだけど。

 

12/24 02:00 〜夢枕・ビフォー・クリスマス〜

「…宿木くん…宿木くん…ねえ、ちょっと…宿木くんってば!……なんか、全然声が届いてないみたいなんだけど…。」

「これは〜、今まで寝不足だった分の疲れが出て夢が自覚できないくらい深く眠ってますね〜。」

「駄目だわ、別の手を考えないと…。」

12/24 09:30 〜霊感同士〜

「宿木くんに霊感が無いなら霊感がある人に伝言すればいいじゃない?という訳で友達総当りで私が見える人を探した結果、あなたに白羽の矢が立ったのよ!」

「白羽の矢って…自分でもろくな役回りじゃないって自覚してるのね。…まあいいわ。アンタの最後の頼みだもんね、伝言くらい伝えてあげるわ。おーい宿木ー。」

「今度はうまく行きそうですね〜。あっ、戻ってきましたよ〜。」

「あっはっは、ダメダメ、まるで信じてもらえないわ。完全に慰めの出鱈目だと思われてるね、あれは。」

12/24 17:50 〜ノイズダービー〜

「心霊現象としてはありがちだけど、ラジカセから霊の声が!というアレをやってみるわ。」

「それはむしろ逆効果なのでは〜。」

「当たって砕けろの気持ちが大切よ!宿木くん、宿木くん、やーどーりーぎーくーん!…お、思いのほか疲れる…でも、あなたのためなら、私は…っ!」

「大変です、柊さん〜。宿木さんは携帯プレーヤーで殻に閉じ篭ってますよ〜。」

「選択ミスったー!?あ、ダメ、消えそう…。」

「これは少し休まないと危険ですね〜。」

12/25 07:20 〜ルージュの書き置き〜

「ポルターガイストよ!こうなったら実力行使、宿木くんの部屋の鏡にこの口紅でメッセージを書き綴るのよ!」

発想が悪霊じみてきているけど、もう綺麗事を言っていられる段階じゃないのだ。

「あれは悪霊とかが負の怨念全開でやる事なので普通の死者は無理ではないかと〜。」

「『思う一念岩をも通す』よ!恋する乙女の底力、とくと目に焼き付けなさい!どっせーーいっ!!」

「おお〜、すごい!本物のポルターガイストなんて初めて見ましたよ〜。あ、宿木さんが起きてきましたね〜。」

「…!これは…。とうとう自分でこんなもん書いちまうなんて、相当堪えてるのかな…。」

「あら〜、まさかそう来るとは〜。」

「くぅ、そういえば宿木くんはオカルトの類を一切信じない人だったわ!」

12/25 09:00 〜シークレットルーツ〜

「あー、もう、どーすればいいのよー!」

万策尽き果てた私は学校の屋上で駄々っ子のように手足をジタバタさせていた。

「せめて宿木さんに霊の存在を信じてもらえたら良いんですが〜。」

「それができれば苦労しないわよー。こんな事なら二人だけの合言葉でも決めておけば……。」

合言葉。

「そうよ、それだわ!」

私は思わず立ち上がる。

何気なく口にしたその単語に、希望の光を見出したからだ。

「私と宿木くん、二人だけが知っている事実を伝えればきっと信じてもらえる!」

漫画やアニメでもよくあるじゃない!二人だけが知っている、何気ないほんのちょっとした仕草とかアクセサリとか、そういうアレで気が付いてもらえる展開!

「なるほど〜、そんな二人だけの秘密があったんですね〜。」

死神も『それは名案』とばかりに、笑顔で両手をポン!と合わせた。

「秘密…無いかも……。」

私は再び電柱に寄りかかって体育座りになり、落ち込みモードになった。

付き合い始めて3日ほど経った頃、たまたま宿木くんのお母さんと遭遇した私は、ついうっかり3時間に渡って宿木くんの素敵っぷりを力説してしまったのだ。全力で。8割惚気で。

「あのあとおば様に散々冷やかされたらしくて、やつれた宿木くんの姿には流石に罪悪感を持ったわ。」

「うわ〜、恋愛初期カップルにありがちな痛々しい行動ですね〜。」

普通この手のバカップル的行動は半年くらいたってから恥ずかしさで後悔するものなのに、わずか一週間で後悔することになるなんて思っても見なかった。

「ま、まあまあ。落ち込むのはそれくらいにして何か鍵になる事が無いか良く思い出してみましょう〜。ね?ね?」

「死神……。」

私はこの時、初めて彼女がいい人に見えた。

そうだ、諦めちゃいけない。障害があるからって諦められるほど、物分りがいい恋心なんて持ち合わせてないんだから!

私は必死になって記憶の糸を手繰り寄せる。

しかし、たった一週間の恋人生活ではそれほど多くのイベントが起きるでもなし、二人だけの秘密探しは難航を極めた。

あちらへフラフラ、こちらへフラフラと彷徨い、今までのイベントを回想していく。

そして瞬く間に4時間ほどが過ぎてしまった。

「やっぱり一週間では劇的なイベントは起きないんですね〜。どぎまぎ水滸伝のファンとしてはちょっと残念です。」

「ふふん、好きな人が一緒にいるってのはね、それだけで幸せなもんなのよ。恋愛ゲームみたいなベタなイベントなんて無くてもいーの。」

とはいえ、いくらなんでもイベントが無さ過ぎたかもしれない。これではとても二人の秘密なんて見つかりそうに無かった。

「お〜、野良の子犬ですよ〜。ほらほらこっちへおいで〜…あっ、やめ、吠えないで〜!」

私の苦悩をよそに死神は子犬と戯れている。ちょっと叩きたくなった(霊体だから無理だけど)。

「子犬…そうだわ、あの場所なら!」

思い出した。私が宿木くんを好きになった、あの場所。

私は矢も楯もたまらず駆け出す。こんどこそ、きっとこれが最後の蜘蛛の糸。

「あ〜、待ってください、置いていかないで…ああっ、吠えないで下さい〜。」

彼女に構っている余裕は無かった。

「着いた…。そう、ここよ、ここ!」

「はあふう、この場所が二人の思い出の場所なんですか〜?」

意外と早く追いついた死神が尋ねてくる。

人気の無い、住宅街の裏手。数本の樹が生えた、ちょっとした広場だ。何の変哲も無い、ただの広場。

でも、ここは私にとって忘れられない場所だ。

「…半年くらい前かな。あまり人には知られていないけど、ここって買い物帰りに涼むのにちょうどいい木陰なの。」

 

普段は誰もいない、私だけの特等席。そこに、珍しく先客がいた。

小学校低学年くらいの女の子と、宿木くんだった。

「宿木くん。どうしたの、こんなところで?」

「柊か!?助かった!」

見知った顔に声をかけながら近付くと、女の子はぐすぐすと泣いている上、宿木くんは地獄で仏を見たような顔になるしで、多少勘の鈍い私にも、現在のシチュエーションがすぐに分かった。

案の定、遊びに出て迷子になった女の子を見つけたものの、泣いてばかりで話ができず困っているということだった。

「わかった。ちょっと話してみるね。」

宿木くんとバトンタッチし、まずは女の子の前にしゃがみ込む。

「ね、君。君のお名前はなんて言うの?お姉ちゃんに教えてくれない?」

「ヒック、グズ…すずき、むぎほ…。」

くぅ、残念!鈴木はこの辺りで一番多い苗字だわ。

「麦穂ちゃんね。ねえ、麦穂ちゃん。麦穂ちゃんのお家はどんなところ?」

「あのね、青いやねのおうちで、おかあさんと、おとうさんと、ベルといっしょにすんでるの。」

名前を呼ばれて少し落ち着いたのか、時々しゃくりあげながらも何とか話が聞けるようになったようだ。

瓦が青い家は普通にある。私は根気よく、他の情報を集めることにした。

「そう、青い屋根のお家なのね。」

「うん。でもベルのおうちは、赤いやねなの。」

ベルというカタカナな名前とそれ用の家ということは、多分犬で間違いない。

「えっと、ベルのお家は外から見えるの?」

「うん。」

犬小屋があるなら少しは絞れそう。もう一つくらいヒントが欲しい。

「お母さんはいつもお家にいるの?」

「うん。がっこうからかえると、いっしょにおやつたべるの。」

良かった。母親が家にいるなら訪ねて回れば何とかなる。この辺りは共働きが多いから大分探しやすい。

「よし、ここまで分かれば後は足で探しても何とかなりそう。でもこの子を連れますのはちょっと厳しいか…。」

町内を探すといっても、この猛暑だ。体力の無い子供をあちこち連れまわすわけにもいかないだろう。

「だったら、ここは俺の出番だな。」

言いながら、宿木くんは私達に背中を見せてしゃがむ。

「出番って、まさかおぶって連れて行くの!?」

いくらなんでも子供一人背負って町内を走り回るのは無茶というものだ。自分が倒れてしまう。

「平気さ。これでも運動部だぜ。それに、このままじゃ俺いいとこ無しじゃん。ほら、麦穂ちゃんだっけ?兄ちゃんが家まで連れてってやるぞ。」

「ほんと?」

躊躇する私をよそに、女の子はヒシッと宿木くんの背中にしがみついてしまった。

「よーし、しっかり掴まってろよー。出発ー!」

あれよあれよという間に宿木くんは走り去ってしまい、私はすっかり置いてけぼりになってしまったのだった。

 

「…という、ちょっとしたエピソードがある場所なのよ、ここは。あの時私がここにいたのを知っているのはあの時の女の子と宿木くんだけだし、私達の関係者にあの女の子の知り合いはいないから、ほぼ二人だけの秘密といって差し支えないわ。」

「あの〜、今の話と子犬はどこで繋がるんでしょう〜?」

「あの後、1時間近くたって見つけた宿木くんによれば、何故か子犬のベルにしこたま噛み付かれたそうよ。」

「そうですか…。」

とにかく、この場所なら分の悪い賭けではないはず!あとは下準備をして、なんとしても宿木くんともう一度、ちゃんと話をするのよっ!

 

「それで、またもや私に伝言を頼みにきた、と。そーかそーか。そんなに私を可哀相な子に仕立て上げたいか。」

「そ、そこをなんとか!一生のお願い!」

「アンタもう死んでるじゃん。…まあいいわ。今度こそ最後の頼みみたいだし、伝言くらい伝えてあげるわ。おーい宿木ー。」

「うーん、なんだかデジャヴを感じますね〜。」

「…不吉なこと言わないでよ…。」

私はこっそりと二人の近くで聞き耳を立てる。

「というわけなのよ。」

「慰めてくれるのはありがたいが、それは前にやった手だぞ。」

やっぱり駄目なんだろうか。今にも切れそうな糸が見えた気がして、少し涙ぐむ。

すると、私の様子を横目で見た彼女が、机にバン!と手を突き宿木くんを睨みつけた。

「宿木。アンタが幽霊を信じないのは勝手だと思う。実際、私が見えてるのだって幻覚かもしれない。正直、幽霊が見えるなんていうと危ない人に見られるからあんまり言いたくも無いし。でもね、柊は私の親友だから。例えそれが幽霊でも幻覚でも悪魔だろうと、柊の言う事だったら私は信じられる。…宿木、アンタはどうなの?」

「俺は…。俺だって…。」

うつむき、机の上で固く拳を握り締める。きっと唇を噛み締めているであろう宿木くんをただ見つめることしか、今の私にはできない。

「柊さん〜。宿木さんはきっと分かってくれますよ〜。だから、今は待ち合わせの場所に行きましょう〜?」

死神が肩に手を置いて促す。結局のところ、今の私には彼を抱きしめることもできない。

やれることは全てやった。あとは待ち合わせ場所に行くだけだ。

「その前に、アレをしないとね…。」

「アレってまさか…。だ、駄目ですよ柊さん〜!私を食生活の面で殺す気ですか〜!」

「もとよりこっちは命懸けよ。ここまで来て躊躇するつもりは無ーいっ!」

そして私は全力で駆け出した。

 

12/25 18:00 〜リミットまで残り13分〜

「確か…ここだったよな。」

半年前、あの夏の日に、俺は確かにここで柊と会った。

迷子の子を見つけて、家を聞き出そうにも全く泣き止まず困っていた時に、助け舟を出してくれた彼女。

どんな状況でも怯まず立ち向かい、結局なんとかしてしまうその笑顔に俺はいつの間にか惹かれていたのだった。

あの時の事は誰にも話していない。柊自身も、正直忘れているものだと思っていた。

「まさか、柊もあの時の事、覚えてたなんてな…。」

「忘れるわけが無いよ。」

ふと呟いた言葉に答える声。

「だって、私が宿木くんを好きになったのは、この場所なんだから。あの時から、人のために一生懸命で、そのくせ不器用なあなたの事を、もっと知りたいと思ったのよ。」

俺は、慌てて声が聞こえた方向へ振り返る。すっかり葉が枯れ落ちた樹に隠れて、人影が見える。

「柊…なのか?」

「どうしても、もう一度会って話がしたくて、戻って来ちゃった。今は、訳あってこんな姿だけどね。」

言いながら姿を現したのは、柊の弟だった。

現実に見ても、やはりこれが柊だとはなかなか信じる事ができない。

どんな反応を返せばいいのか分からず立ち尽くす俺に、彼(この状況では他に言いようが無い)は口に指を当てるジェスチャーをすると、少し離れた場所にしゃがみ込んだ。

「ね、君。君のお名前はなんて言うの?お姉ちゃんに教えてくれない?」

「麦穂ちゃんね。ねえ、麦穂ちゃん。麦穂ちゃんのお家はどんなところ?」

これは…。

「そう、青い屋根のお家なのね。」

「えっと、ベルのお家は外から見えるの?」

「お母さんはいつもお家にいるの?」

そうだ。これはあの時のやり取りだ。それも、一字一句違わない。

「よし、ここまで分かれば後は足で探しても何とかなりそう。でもこの子を連れますのはちょっと厳しいか…。」

そこまで言って、立ち上がる。そして、俺の事をじっと見つめてきた。

そうだ、このあと、俺は。

「…だったら。」

そう。俺は彼女に少しでもいいところを見せたかったんだ。だから。

「だったら、ここは俺の出番だな。」

俺は、彼に背中を向ける形でしゃがむ。

その背中に、ふと体重がかかる。

「こうやってあの子がおぶさったら、宿木くんってば、あっという間に走って行っちゃったのよね。探すの大変だったんだから。」

ぎゅ、と一度だけ力を込めて、すぐに柊は背中から降りてしまう。

立ち上がって振り返ると、そこには確かに柊がいた。もちろん、外見は弟のままだ。

でも、俺には確かに、あの大好きな笑顔で微笑む柊が見えた。

それだけで、彼女を抱きしめるには十分じゃないか。

「柊!」

本物だ。もう二度と会えないと、話せないと思っていた。

「まさか、またこうして話ができるなんて…。こんな、奇跡みたいな事が…。」

幽霊も奇跡も信じていなかったけど、今なら何だって信じられそうだ。

嬉しさのあまり言葉がろくに出てこない俺の背中に、柊が優しく手を回す。

「だって今日はクリスマスだもの、奇跡の一つや二つちょろまかしたってサンタさんも見逃してくれるわよ。」

冗談めかして言ったあと、少し悪戯っぽく笑う。それにつられて、俺も笑ってしまった。

ひとしきり笑ったあと、柊が静かに話し始めた。

「ねえ、宿木くん。私、あなたと一緒にいて幸せだった。たった一週間だったけど、あなたの彼女になれて良かったって思う。本当に幸せだった。…でもね、今は辛いんだ。死んでしまった事がじゃないの。私のせいで宿木くんが辛い思いをしているのが辛い。今更、私の事を忘れてとか、他の女と幸せに、なんて言わない。でも、私の死を認めて欲しいと思う。死んじゃった上に宿木くんを苦しめる悪者になるなんて、耐えられないもの。」

「柊…。」

「ごめんね。これは私のわがまま。だけど私はどうあがいたって生き返れない。だから、せめて悔いが無いように死にたいの。だって、そうしないと私、宿木くんにお墓参りにも来てもらえないんだよ?」

そう言われて、俺は初めて彼女の仏前で手すら合わせていない事を思い出した。自分の事で一杯一杯になって、周りがまるで見えていなかったんだ。

死者を言い訳にして塞ぎこむなんて、最低じゃないか!

「ごめん、俺、自分の事しか見ないで、柊に嫌な思いさせてたんだな…。」

「ホントだよ。この5日、あの手この手で頑張ったのに全然聞いてくれないんだから。ふふ、でも最後に話ができてよかった。…もうそろそろ時間みたい。」

名残惜しそうに、柊が手をほどいた。そして、少し恥ずかしそうに俺を見る。

「ね、宿木くん。もう一つだけ、わがまま聞いてくれる?」

そう言って俺を見つめる柊の目がゆっくりと閉じられる。

俺は、なんとなく回りに人がいないのを確認してから、そっと柊に顔を近付けた。

 

「ね、宿木くん。もう一つだけ、わがまま聞いてくれる?」

そう言って、私は少し上を向いた状態で、ゆっくりと目を閉じた。

宿木くんの息遣いが聞こえる。少しずつ彼の顔が近付くのが分かる。

そして、ついに私は念願の初キッスを…。

初キッスを…。あれ?

いつまで経ってもそれらしい感触が無い。

私は恐る恐る目を開けてみる。

「柊さん〜。もうお時間ですよ〜。」

「わぎゃあっ!」

目を開いて最初に飛び込んできたのが愛しい彼ではなく死神だったことに驚き、恋する乙女としてはありえない悲鳴を上げてしまった。

「あ、あれ?なんで?宿木くんは、初キッスは!?」

「すみません〜。残念ながら直前で時間が来てしまいまして〜。強制的に弟さんの体から出てきてもらいました〜。」

「そ、そんなー!だって、あとほんの2〜3秒じゃない!なんでそのくらい待ってくれないのよ!」

「残念ながら規則でして〜、特例は認めていないんですよ〜。時間は時間なので〜。」

「そんなお役所仕事な!理不尽よ!薄情だわ!」

「わわわ私に言われましても〜、支部長クラスならともかく、ヒラの私ではどうする事もできないんですよ〜。」

思わず胸元を掴んでガクガクと揺さぶり、何だか覚えのある会話をするものの、やっぱり『権限が無いから無理』の一点張りだった。

「っ!そうだ、宿木くんは……。」

死神を放り出し足元を見つめると、そこには信じられない光景が広がっていた。

「あら〜、なんだか禁断の香りですね〜。どうも弟さんは事態が飲み込めていないようですが〜。」

「でもその割りにあの子、恋する男目(おとめ)になってない?ま、まさかそーゆー趣味だったの!?」

「姉弟揃って同じ相手に惚れてたんですね〜。弟さんには叶わぬ恋のはずが、ちょっとした奇跡じゃないですか〜。」

「じょ、冗談じゃないわよ、あの唇は私のだったのよ!こんな奇跡認めたくなーい!」

「ええっと〜、ほら!今日はクリスマスですし〜、奇跡の一つや二つちょろまかしたってサンタさんも見逃してくれますよ〜!」

「う、うるさーい!」

くぅ、人に言われるとなんて恥ずかしいセリフだろう。

そうこうしているうちに私の体はどんどん上昇して、ドラマの最終回みたいなカメラワークで宿木くんが遠ざかっていった。

「ああ、よかった〜。これで私も年が越せそうです〜。メリークリスマス〜。」

「ぜ、全然おめでたくなーーい!!」

二度と奇跡なんて信じない、私はそう固く誓ったのだった。

 

 

 

「絶対お盆に帰ってきてやるんだから、覚えてなさーーい!」


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