アクシデント

突然だが、あなたは1日を過ごす間に何台のパソコンを目にするだろうか。

自宅で、職場/学校で、電車で、喫茶店で、etcetc……。

いまやパソコンは日常生活に溶け込み、老若男女多くの人間が利用できるツールとなった。

今回の話は今から20年近く前、パソコンという言葉すら珍しかった、多くの人にとって得体の知れない『謎の箱』だった時代の出来事だ。

私がそれと出会ったのは、大学2年の夏だった。

物理学の研究室で愚直に計算を繰り返し、なにやら複雑なラインを描き続ける馬鹿デカイ箱。

どこぞのギャンブル漫画ではないが、『電流走るっ……!』という表現、私にとってそれはこの瞬間のためにあったと断言できる。

それから、徹夜明けで倒れていた学生を叩き起こし、この箱に関する情報を根掘り葉掘り聞いた。

一通り話を聞いた後、私の胸には確信めいたものがこみ上げていた。

近い将来、パソコンがビジネスシーンの主役に躍り出る、その確信だ。

それからの私は昼も夜もなくバイトに明け暮れた。当時100万円近くしたパソコンを手に入れるため、そしてそれを使った新しいビジネスを起ち上げるために。

結局、パソコンを買うために1年、自分の会社を設立するための資金集めで2年の時間を費やした。

今で言うベンチャー企業というやつだ。

大学も辞め、方々で借金もした。失敗すれば残るのは多額の負債と敗北感だけ、そんなギリギリの状況ではあったが、私はこの時がもっとも希望に輝いていたように思う。

最初の事業は、文書の作成代行に決定した。パソコンに関する最低限の知識で出来そうなこと、個人事業者などのニッチ市場に十分な見込みがあると考えたのだ。

当時は印刷所に広告印刷などを依頼するには1000部単位でなければとても採算が取れなかったような時代だ。

数十部から格安で、しかも製作から納入までを一括で行う融通のよさは、小規模な事業にこそ威力を発揮することだろう。

私は旅行代理店、喫茶店、文具店などから新規の開業医やパチンコ店まで、事務所と名の付く場所や何かしらの文書を扱っていそうな場所にはとにかく飛び込み、何度も足を運んでは根気強く話をした。

そして数ヶ月後、どうにか一箇所だけ仕事を請ける事が出来た。

取引先の社長が半分個人的に作ってくれた仕事だったが、私にはカンダタの蜘蛛の糸となる仕事だ。

締め切り直前までひたすらパソコンに向かい、寝る間も惜しんで幾つもの図面、文章案を考えた。

この仕事から自分の栄光は始まるのだ、何故か根拠の無い自信があった。夢があったし、その夢を信じてもいたから。

しかし、結果から言えばこの仕事は失敗した。

 

「ふむ、結局、良いものは出来なかったということかね?」

締切日の朝、私は件の社長に詫びの電話を入れていた。

「いえ、自信を持ってお勧めできるものが作れたと思います。ただ、それをそちらでお見せする事が出来なくなってしまったのです」

そう、本当に、今回のものには自信があった。ごっそりと印刷した文書のレイアウトは狂いも無く発色もまずまずだった。

しかし……。

「しかし、現物が無くてはなぁ。一体何があったんだね?」

私は、所々歯抜けになった文書を横目で見ながら、電話口の社長にひたすら頭を下げ続けた。

「申し訳ありません。実は、不足の字体がありまして……」


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