深夜0時。
俺はオーディオルームとして使う予定だった地下室で、ある儀式を行っていた。
床に大きく描かれた、現代では誰も使用していない文字がびっしりと書き込まれた二重円と、内側の六芒星。
呼び出したものから身を守るための魔法円、そして祭壇の生贄。
そう、悪魔召喚の儀式だ。
悪魔召喚なんてオカルト中のオカルト、普通の人間は信じないしやろうとも思わない。
勿論、俺も数日前まではそんな普通の人間だったさ。
しかしながら俺は今、二重の意味で普通の人間では無くなった事を自覚していた。
「まさか、本当に出やがるとはな…」
「呼び出されたからには現れもしよう。我等にも義務があるのでな」
悪魔が義務ときたか。まったくお笑いだが、屋根裏にあった魔道書が本物だったのは確かなようだ。
「まあ、何でもいいさ。出てきたってンなら好都合だ、契約してもらうぜ」
「よかろう。わかっていると思うが、我輩との契約に必要な代償は死後の魂。そして与えられる力は一つだ」
あくまでも不遜に、契約の注意事項を告げる悪魔。
一通りの『お約束』が済んだ後、これまたお約束の台詞が悪魔から発せられた。
「さあ、貴様の望みを言うがよい」
「俺が欲しいのは…思いのものを、思いのままに、新しくする力だ」
「ふむ、面白い事を言うものだ。大抵の人間は権力や永遠の若さといったものを望むのだがな」
「権力なンてすぐ消えるモンに興味はねぇ。貧乏な不老不死もまっぴらだ。会社にゃ捨てられ女も出て行った、親は借金残してくたばった!俺はな、とにかくなンもかンも新しくしてぇんだよ」
「なるほど面白い言い分だな。その契約、受けよう。…古いものは消してしまってよいのだな?」
「ああ、構わねぇよ。俺は新しいモンにしか興味無いンでね」
そして俺は、新しい一歩を踏み出した。
新しい生活は順風満帆だった。
財産を新しくして借金は帳消し、家も車も30年もののボロから最新になり快適そのものだ。
仕事でストレスを感じる事も無くなった。嫌になればいつでも変えられるし、失業の心配も無い。
無論、新しい女とは楽しい日々を送っている。
目も、耳も、老化を感じた部分はすぐさま新しくするから、いつでも健康だし気力も充実して性格まで明るくなったような気がするぜ。
それから10数年程度は順調に過ぎ去り、妻と二人の子供を得て幸せを噛み締めていた。
以前ほど頻繁に新しいものを欲することは無くなり、その頃には時折壊れたものを新品に換える程度の事しかしなくなっていた。
しかし。
ここ半年ほど、俺はイライラと腹立たしい思いをする事が多くなっていた。
娘のせいだ。反抗期にでも入ったのか、俺の言うことも聞かず事あるごとに蔑むような視線を向けてくる娘にカッとなり、手を上げたことも何度かあった。
まったく、こっちは何もしていないのに無言で人を責めるような真似をしやがって。
「どうしてあんな娘に育っちまったンだ…」
会社からの帰り道、俺はつい独りごちた。
ほんの少し前までは家に帰るのが楽しくて仕方がなかったというのに、最近は終業ベルが憂鬱で仕方がない。
妻と息子には問題がないのに、娘一人のためにこれほど気分が暗くなろうとは。
「こんなことなら最初から産ませなければ…、ン?待てよ、最初から…」
そうか。そうだそうだ。10何年も不満を感じなかったから忘れていたが、俺は気に入らないものはいつだって新しくしてきたじゃないか。
別に、娘だって例外じゃない。もっと俺の言うことを聞いて、もっと俺に懐いてくる新しい娘を手に入れよう。
「ハ、ハハ、ハハハハハ!」
俺は、この半年悩んでいた事が馬鹿らしくなり、滑稽さのあまり笑いが止まらなくなった。
こんな簡単なことを忘れていたなんて、これが幸せボケという奴か。
ああ、もう今夜にでも新しくしてしまおう。明日からはまた平穏で幸せな日々が戻るのだ。
再度訪れる新生活を想像し、薄ら笑いを止めることもできないままで俺は家の扉を開い…。
「…なンだ?鍵がかかってやがる」
普段、俺が帰る時間に鍵などかかっていないはずなのに。
わけもわからず、呼び鈴を二度ほど鳴らすと、鍵の開く音とともに妻が顔を出した。
「はい?」
「一体どうしたンだ?今日に限って鍵なンてかけて。それに何だその顔は、一家の主が帰ってきたンだぞ」
「すみません、どちら様でしょうか?」
「は?何を言っているンだ、今日はエイプリルフールじゃないぞ、自分の旦那の顔も忘れたのか?」
扉の隙間から怪訝な顔でこちらを伺う妻の顔は、どうやらジョークや悪戯の類では無さそうだ。
一体何事が起こったというのか、次に出すべき言葉が見つからないでいると、妻の後ろから人影が現れた。
「どうしたんだい?勧誘の類なら僕が断ろうか?」
妻を気遣う言葉とともに現れたのは、俺のまったく知らない男だった。
「それが…この人が訳の分からないことを言っているの。自分の旦那の顔を忘れたのかとか…」
「ははは、そりゃ確かに訳が分からないな。君の旦那は僕だけだし、もちろん僕の妻も君だけだ。忘れるはずがないさ」
何だこいつは。何を言っている?
「失礼、あなたが誰かは知らないが、今日はエイプリルフールじゃないんだ。ジョークは他の場所で頼むよ、僕らはこれから食事でね、家族の団欒は邪魔されたくないんだ」
俺が間抜けヅラを晒している間に、俺の妻の旦那とやらは、爽やかに扉と鍵を閉めた。
自体が理解できないまま、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
一家団欒、楽しい食事が終わり、私は自室のベッドで思い切り伸びをした。
「最っ高だわ!」
実際、こんなに晴れやかな気分は久しぶりだった。抑えようとしても顔が緩んでしまう。
「新しいパパは家族を大事にしてくれるし、次の休みは遊園地に連れて行ってもらう約束もしてくれて。ちゃんと私達を家族として見てくれてるのよね。ホント、口うるさいばっかりで何もしない、私達を家政婦か人形と勘違いしている古いパパとは大違いだわ。ね、あなたもそう思わない?」
私はベッドに転がったまま顔を横に向け、そこに偉そうな顔で立っている悪魔に同意を求めた。
「知らんな。我輩は人間の魂と契約にしか興味が無い」
「つまんないの。古いパパとは気が合いそうだけど」
あくまで不遜な態度を崩さない悪魔に軽く毒づき、ガサゴソとベッドの下を探る。
手に触れたそれを引っ張り出して両手で抱え込むと、また顔が緩んできた。
「まさか屋根裏で見つけた魔道書が本物だったなんてね。新しいのは好きだけど、こればっかりは古い方がいいってことかしら」
「我輩にはどちらでもよい。それより、契約通り力の行使を見届けたのだ。我輩は帰らせてもらうぞ」
「そうね。あとは寿命で死んだ後に魂でもなんでも取りに来て頂戴。…ところで、これって二重契約にならないの?古い方のパパ、まだ寿命じゃないでしょ?」
「契約上の問題は無い。古くなっていたからな」
「ふーん。ま、いいけど。古いパパなんてどうでもいいし」
「結局は新しいのがいいという事だな。契約もまた然りだ」