桜の樹の下には


 錆びたスコップを肩に担いだまま、新堂は新聞部の部室へ現れた。
「よぉ、坂上。死体を探しにいこうぜ」
 その顔は笑っている。冗談なのだとは思うが静かな笑みを浮かべているだけで多くを語ろうとしなかった事が坂上はやけに恐ろしく感じた。
 新堂の隣には、荒井昭二が俯きながら立っている。坂上の姿を上から下まで舐るように見つめる様子は、まるで彼の器を確かめているようだった。
 二人とも、夏にあった集会で知り合ったばかりの先輩だ。
 運動好きでスポーツ万能の新堂と家でゆっくり読書をするのを好みそうな荒井が連んでいるのは意外な気がしたが、二人とも怖い話に対する知識は豊富で好奇心も強いのだろう。
 今は夕暮れ時。逢魔が時とも呼ばれるこの時間帯は、怪異・幽霊・妖怪とあらゆる噂が飛び交う鳴神学園でも特に恐ろしい噂が多く語られる時間帯だ。
 鳴神学園の生徒は大概、夕暮れ時ともなれば急いで帰路につく。変える事のできない運動部や文化部の生徒もなるべく早く他の生徒がいる練習場や部室へと急ぐ。
 わざわざ幽霊が出るというスポットに出かけ、本当は何かいるのかと確認しにいく生徒は殆どいないだろう。新堂や荒井のように怖い話が好きで自ら率先して調査しようという気概がある生徒でなければ、まず相手にしないはずだ。
 さて、新堂は死体を探しに行こうと言ったが、それも何かしら奇妙な噂を聞いてのことだろうか。
「死体を探すとか、物騒ですね。どこを探すつもりですか?」
 坂上は書きかけていた新聞記事をファイルすると、ゆっくりと立ち上がる。記事を書くのを中止して、新堂と荒井に付き合う事にしたからだ。
 新堂に逆らっても首根っこをつかまえられて無理矢理引きずられるのはわかっていたし、もし本当に死体が埋まっているのならそれは新聞部からしても大スクープだ。
 集会を終えてからの坂上は以前より怖い話に対しての恐怖感が薄れており、大胆な調査にも付き合うようになっていた。
 これは、鳴神学園に通う以上、怪異の噂をよく聞いて場所を把握しておかなければ自分が巻き込まれるのだということを、身をもって体感したからというのもあるだろう。
「桜の木の下を掘ろうと思ってます。部室棟からも見える、秋だというのに咲いた桜の木があったでしょう。そんなひねくれ者の木になら、死体が埋まっているに違いありませんから」
 本気か冗談か、荒井はそう告げる。微かに笑っているのだから、きっと冗談なのだろう。坂上が部活の窓をのぞき込めば、荒井の言う通り僅かに花を付けたソメイヨシノが青白く揺れていた。
 季節は秋だが、今年は小春日和と呼ぶに相応しい暖かい日が続いていた。そのせいか、今、新聞部から見える桜の木はすでに八分咲きとなり、枯れ葉が積もる周囲の木々と比べずとも異彩を放っている。
「わかりました、確かにあの桜は変わってますもんね。手伝いますよ」
 坂上は覚悟を決めると、部室を片付け新堂、荒井の後を追った。
 時々、冬を越えたと勘違いした桜が秋に花開くことはあるということを、坂上は歩きがてらに荒井から聞いた。秋に咲いてしまった桜は、春にはつぼみが育ちきらず咲く事がないということも。
「だから、桜の木の下には死体が埋まっているんです」
 荒井は最後にそう告げたが、何で「だから」なのかはさっぱり分からなかった。
 秋に咲く桜は魔性を秘めているとでもいいたいのだろうか。首を傾げる坂上の隣で、スコップを担いでいた新堂は歩きながら諳んじた。
「桜の木の下には死体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ」
 詩だろうか。それとも何かしらの物語だろうか。
「俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の木の下には屍体が埋まっている。それは信じていいことだ」
 涼しい声で朗々と語られるそれは、どこかで聞いたことがある気がする。だが、思い出せない。新堂のオリジナルといった訳ではないだろうが、何の話から抜粋したのだろう。首を傾げる坂上を振り返ると、新堂は意外そうな顔をした。
「梶井基次郎の短編だぜ。知らないか? 『桜の木の下には』ってやつだ」
「そうなんですか、知りませんでした。新堂さんすごいですね、暗記してるんですか」
「一年の頃、教科書に載ってたんだよ。ここまで暗記すればテストに加点してくれるって言うから覚えただけだぜ。今年、お前も習うんじゃ無ェのか」
 新堂は再び前を向くと「桜の木の下には、桜の木の下には」とリズムを取るように口ずさむ。
 こんな不気味な話を教科書で習ったりするのだろうかと思ったが、鳴神学園の教科書には載っているのかもしれない。坂上はまだ全て読んでいない現代文の分厚い教科書のことを思い出していた。
「僕の頃は習いませんでしたから、もう無くなっているのかもしれませんよ。鳴神学園の教科書も気まぐれなものですね。僕はその作品、嫌いではないので習えるかと期待していたのですが」
 荒井は新堂を見ないまま、部室棟の渡り廊下におかれた長靴へと履き替える。渡り廊下にはどこからもってきたのか、坂上が履けそうな長靴と手袋、大きめのスコップなど穴を掘る道具が一通り準備されていた。
「さぁ、桜の木の下には死体が埋まっているのか確かめに行きましょう」
 新堂も荒井も、どこまで本気なのだろう。
 坂上は本当に死体が見つかったらどうしようかという不安と、そんなことあるはずがないという思いを揺らしながら二人の後をついていく。見れば桜の木の根元は、坂上の膝丈くらいまで掘られている。
「ここまで掘った時にな、新聞部の部室からお前の姿が見えたもんで、お前もつれてくるかって話になったんだよな」
 八分咲きのソメイヨシノは季節外れの花弁を舞い落とし根元をうっすらとピンク色に染めている。
 顔をあげればちょうど新聞部の部室が見える位置であった。
 他の部がすでに灯りを消してあるのに、新聞部だけは坂上が長っ尻して記事を書いていたから薄暗くなったこの場所でも坂上の姿は目立ったことだろう。つまり、根元を掘り続けていた新堂と荒井からはずっと坂上が見えていたということだ。
 それに気付いた坂上は急に気恥ずかしくなっていた。記事を書いている途中、変なことをしてなかっただろうか。頭を掻いたりため息をつくのはいつも通りだが、眠りそうになってガクンと身体を揺らしていたのを気付かれたら恥ずかしい。
「心配しなくても、お前の恥ずかしい格好なんて見てねぇよ。ふっと窓を見たらまだ灯りが付いていて、お前の影が見えたから声をかけたってだけさ」
 新堂は坂上の心を見透かしたように笑うと、スコップで穴を掘り始めた。筋肉質の新堂をもってしても粘度の高い土は掘りにくいらしく、作業は思いの外難航している。
 掘るのは新堂が主で、周囲に出来た邪魔な土をどけるのが荒井と坂上の役割だった。長時間穴を掘り続けて新堂のペースが墜ちてきたら、少しの間は荒井と坂上が交代で穴を掘る。そうやって分担しながら作業をしていれば最初は膝丈ほどしかなかった穴は、少しずつ大きく広がっていった。
「桜の木の下には、死体が埋まっている」
 穴を掘るとき、坂上も自然とそう口ずさむようになっていた。
「桜の木の下には、死体が埋まっている」
「何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか」
 誰とはなしに、そう口にする。湿った土はずっしりと重いというのに、桜の木は凜とした美しさをもって学校内でただ一つ、淡い花弁を咲き誇らせている。
 薄い桜色の花弁は死体のもつ血の毒々しさもなければ饐えたような生臭さも一切感じさせず、ただ美しくそして清楚なまま佇んでいるが、なるほど、これだけ美しければどこかに醜いものを抱えていなければ不自然だと思っても仕方ないだろう。
 新堂もそうだ。
 三年間ボクシング一筋で練習に打ち込み、夏の大会では大きな成果を出した彼の身体は均整が取れて美しい。だが彼がそこまで上り詰める為に、人知れずしたのは努力だけではなかったのだと、数々の噂が囁かれていた。
 同級生を陥れて二度と練習ができない身体にした。下級生をダシにして悪い輩と連んでいる。ギャンブルで借金をし恐喝まがいの暴力沙汰を何度もおこしている……数多の噂は噂に過ぎず真実とは限らないが、その後ろ暗い秘密こそが新堂の美しさに続いているような気がした。
「しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の木の下には、屍体が埋まっている。これは信じていいことだ」
 掘り出した土をどけながら、荒井も自然と口ずさむ。
 荒井だってそうだ。
 彼は人形のように美しい。華奢な身体に透き通るような白い肌、長い睫毛、整った顔立ち。坂上から見てもどきっとするような美しい少年である荒井の周りで消えてしまった友人やクラスメイトは他よりずっと多いのだという。
 皆、荒井に深入りしすぎたがために消されたと言われている。荒井は人を殺すのに何の躊躇いもない殺人鬼なのだとも。そもそも荒井はもう10年以上も変わらぬ姿で生きている不老不死の化け物だとか、誰かが作った人形だとか、そんな突拍子のない噂まで学園内には流れていた。
 だけどそれでも、荒井が美しい少年であることは何らかわりはしないのだ。
 美しいから奇妙な噂がたつのか、奇妙な噂通りの出来事があったから美しいのか、坂上は判別できなかったが。
「ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている……」
 繰り返し口ずさみ、気付いた時には坂上がすっぽり入れる程の穴になっていた。
 当然、屍体が出てくることはない。木の根で育っていた白い芋虫や沢山の蟻が巣をひっくり返され驚いて出てきただけだ。
「屍体、ありませんでしたね」
 死体が見つかった方が大事件なのだから見つからない方がいいのだが、何もなかった安心より寂しさのほうが勝っていた。
 桜はこんなに美しいのに、何の秘密も何の罪も抱えていないというのか。僅かに空を仰げば、薄い桜色の花弁が夜空に舞い散り坂上の手元へと墜ちてきた。
「そうだな、これだけ掘っても出てこなきゃ、なさそうだな」
「ここならありそうだと思ったんですけどね」
 二人は悪戯っぽく笑うと、坂上へと手を伸ばす。一瞬だけ坂上はこのまま二人に頭を殴られ埋められてしまうのではと恐怖したのだが、杞憂だったようだ。坂上はその手をとって、何とか穴から這い出てくれば思ったよりずぅっと大きな穴がぽっかり口を開けていた。これは埋めるのも大変だろう。そう思いながら穴をのぞき込んでいた坂上の隣に、荒井はどさりと重い袋を投げ出した。
「それじゃぁ、これを埋めておきましょう」
 置かれたのは5,6個の頭陀袋だった。口がしっかり結ばれているから何が入っているのかわからないが、一つ一つはずっしりと重く、どこか血腥い。
 まさか、と思って顔をあげれば、新堂は八重歯を見せて笑っていた。
「ビビってんじゃ無ェよ。本当の死体な訳ねぇだろ。頭陀袋に血糊をぶちまけて、少し砂が入ってるだけさ」
「そ、そうなんですか。な、何でそんなことを……」
「桜の木の下には、死体が埋まっている……僕たちみたいなことを考えて、ふと桜の下を掘ってみた後輩がいた時、何もなかったら可愛そうでしょう。先輩たちからの、悪戯という名のタイムカプセルですよ」
 荒井は淡く笑うと頭陀袋を穴へと投げる。ずしゃりとした水っぽい音は、ただの砂袋なのか疑わせた。
「本当に死体が入っていると思ってますか? ……確かめてみます?」
 途中、荒井は大きめの袋を差し出すと妖艶な笑みを浮かべる。だが、その袋を開けてしまえばもっと恐ろしいことがおこる気がして、坂上は黙って首を振った。
 桜の木の下に、死体など埋まっていない。
 そんなものがなくても、桜は凜として美しいものなのだから。
 全ての袋を放り込み、穴をすっかり元通りに埋め直したころはすっかり夜になっていた。
「遅くなっちまったなぁ」
 制服に土汚れを残したまま、新堂は笑う。
「僕の家なら鳴神学園から歩いてすぐですよ、良かったら寄っていきますか。新堂さんと坂上くんなら泊まっていってもかまいませんよ。僕の家には滅多に両親がいないので……」
 荒井に誘われたが、坂上は一人で家に帰ることにした。疲れた身体をたっぷり休めるために自宅の湯船につかりたいのもあったし、今は両親の元に返って母の作った食事を食べなければ日常と非日常の区別が曖昧になり、人間側と怪異側が入り交じった世界に置き去りにされるような、そんな気がしたからだ。
「僕は帰ります。新堂さん、荒井さん、ありがとうございました。今日は、僕もちょっと楽しかったです」
 手を振ってから立ち去る帰り道、坂上は自然と口ずさんでいた。
「桜の木の下には、屍体が埋まっている」
 だからきっと、美しいのだ。美しさに最もな理由があれば、それでやっと安心する。
 屍体がないのなら、屍体を埋めておこう。次の誰かが、桜の美しさはやはり死がそばにあるのだと納得と理解を得るために。
 そう思ったから、坂上は二人がする悪戯の意味も、何となくだが理解出来た。

 間もなく、新しい春を迎えようとしている。
 日野や新堂、風間、岩下と知っている顔がいなくなり、代わりに新入生が入学してくるのだろう。
 期待に胸を膨らませる坂上の目に、すっかり膨らんだ桜のつぼみがとまる。最近は早く開花するようになったという桜を見ると、坂上はあの薄暗い夜にひたすら穴を掘った日のことを思い出すのだ。
 桜の木の下には、死体が埋まっている。
 そう呟きながら穴を掘り、何かを埋めたあの日のことを。
 本当にあれは、ただの砂袋だったのだろうか。それとも、実は誰かの屍体で桜の木の下に、本当に屍体を埋める事になったのだろうか。だとしたら、あの桜はもっと美しく華やかに咲き誇っているのではないか。そしていつか、同じ言葉を口ずさみ根元を掘る生徒が死体を見つけたりするのだろうか。
 曖昧な空想を抱きながら、坂上の口から自然と言葉が漏れる。
「ああ、桜の木の下には屍体が埋まっている……それは、信じていいことなのだ」