挑発

 荒井が新堂と付き合うようになってから、荒井の前に以前にも増して風間が現れるようになっていた。
「荒井くん、まだ新堂とお付き合いしているのかい?」
 わざわざ棟の違う二年の教室にまでやってくると、風間はその長身をかがめ周囲に聞こえない声でこっそりと問いかけるのだ。
 元より風間とは馬が合わない。話すだけ時間の無駄だと思っていたから以前の荒井なら何を話しかけられても無視することが出来たのだが。
「新堂と別れたらおしえてくれよ、次はボクが狙っているんだからね」
「だいたい、キミみたいなちんちくりんが新堂の相手なんて図々しいと思わないのかい? ボクみたいなカッコマンの方が新堂にはお似合いだってのは頭の悪いキミにだってわかるでしょ? キミみたいなおチビちゃんはお呼びじゃないんだよ」
「根暗でいつも俯いてるキミと顔を上げて真っ直ぐに前を見て走り続けてる新堂とじゃ、趣味が会わないんじゃないかな。実際、新堂もつまらない男だって感じていると思うよ」
 今は、やたらと新堂の話ばかりしているから無視していても心に響く。しかも黙っていると風間はいかに自分のほうが新堂を愛しているのかとか、自分の方が新堂に相応しいのだとチクチク言葉で責め立てるのだ。言い返したいとは思うが風間の性格だ、言ってもどこ吹く風といった顔で聞き流すのは分かっている。余計な反応をすれば喜びますますちょっかいをかけてくる事もだ。だから荒井は無視を決め込む事にした。
 それに、風間は性格のほうはともかく賭してルックスがいいのは事実だ。背も高いし足も長い、認めたくもないが顔はいい。新堂と並んだ時、自分よりもよっぽど見た目が栄えるのは確かだろう。風間は三年ということもあり、新堂との付き合いも自分より長い。より新堂の事を知っているというのも事実だ。
 だが、例えそうだとしても新堂が選んだのは荒井で風間ではない。これは覆らないのだから、風間の薄っぺらい挑発に乗る事は一度だってなかった。
 だがその日、荒井が新堂に会うため三年の教室棟へ向かった時、新堂が風間を前に楽しそうに笑っている姿を見た時は、焦りとも怒りとも思えぬ感情が熱のようにこみ上げ留める事が出来なかった。
「新堂さん、ちょっといいですか」
 自分から新堂へ会いに行く時でも普段なら声をかけたりせず新堂が話を終えるまでそばで待っているのが荒井なのだが、風間を前に無邪気に笑う新堂を目の前で見させられるのは辛さの方が勝ってしまい、つい袖を引き普段より早めに声をかける。そうされて新堂はようやく荒井に気付いた様子で不思議そうに彼を見た。
「どうした荒井、珍しいなこんな時間から来るなんて……どうした、何か用があるんだろ」
「いえ、あの。少し話したい事があるので……こちらに来てくれませんか。お手間は取らせませんから」
 荒井は明らかにこちらへ聞き耳をたてる風間から逃れるように新堂の手を引くと人が少ない廊下の端までいってようやく口を開いた。
「すいません、新堂さん。風間さんにはあまり聞かれたくない話だったので、つい……」
「風間に? あいつなんて今聞いた話をすぐ忘れるような奴だから気にしなくていいと思うけどな」
「僕が気になるんですよ、風間さんを前にすると新堂さん、僕の前と違った笑い方をしているので……」
 つい伏し目がちになる荒井を前に、新堂は「そうだったっけ」といった顔で考えるような素振りを見せる。この態度からして意図的に風間への態度を変えている訳ではないようだ。恐らくは、風間からアレコレ言われるようになったので穿った目で見てしまうのだろう。
「確かに風間とは1年の頃から知り合いだから、他の奴らより知ってる顔にはなるかもな……1年の頃、あいつとは同じクラスだったんだよ」
「そうだったんですか、それは初耳でした。集会でも、そんな素振りは無かったですよね」
「1年の頃同じクラスでも、俺とそんなに連むタイプでもなかったんだよな。あいつはスポーツも勉強もかったるいって感じだし、口を開けば金をくれ、おごってくれだろ? あんなだから滅多に話す事なんて無かったんだが、この間の集会で久しぶりに顔をあわせたら何かあいつからやたら話しかけてくるようになったんだよ」
 荒井は日野が企画した七不思議の集会を思い出す。思えばあの集会があった後から風間はやたらと荒井にちょっかいをかけてくるようになっていた。風間もまた集会をきっかけに新堂への思いを再燃させたのだろうか。
「でも、風間と話すことなんて下らない話ばっかりだぜ。別にあいつから口説かれた事ねぇし、俺もアイツを口説いたりしねぇよ。そもそもあいつ、俺が貸した500円も返して無ェんだぜ。そんな奴から告白されたって俺はお断りだね。まず金返してから言えってんだ」
「借金がなくなればOKなんですか」
「そんな訳無ェだろ。お前と付き合ってるのによ」
 新堂はあり得ない事だと笑うが、荒井はどうにも納得しかね、俯き小声でぼそぼそ喋る。
「ですが、風間さんは最近よく僕の教室に来るんです。そしていつも、僕の前で言うんですよ。新堂さんとはまだ付き合ってるのかとか、いつ別れるんだとか……新堂さんには僕より自分の方が相応しいんだから早く譲れなんて態度なんです。新堂さんが気付いてないだけで、新堂さんの事を狙ってるんだと思いますよ。あの人は、僕と新堂さんが付き合えるなら、自分だって新堂さんと付き合えるなんて勘違いをしてるんですよ……本当、憎ったらしい」
 最後はつい吐き捨てるような言い方になっていた。そんな荒井を前に、新堂は困ったように眉を顰める。実際に困っているのだろう。荒井がこのように嫉妬を露わにするのは初めてなことだから、荒井自身も戸惑っている位なのだ。
「だから風間と話すなって言ったのか。おまえ、本当に風間と仲悪いな」
「当たり前です。僕は最初からあのふざけた人の事が好きではないですから。それだというのに新堂さんを自分のものに出来ると思っているなんて、勘違いも甚だしい。僕からなら奪えると思っているのも許せないです」
「でもよォ、荒井は俺が風間に口説かれたらすぐ風間の所に行くと思ってんのか?」
「それは……思ってないですけど」
「おまえと別れたら当てつけみたいに風間と付き合うとでも? 俺のことそんな奴だと思ってるのか?」
「思ってませんよ! でも……僕は、不安、なんだと思います。あなたがあの人に取られてしまわないか……何だかんだ言っても風間さんは見た目がいいですし、愛想だって僕よりずっといい。一緒にいて楽しいと思える所も多いと思いますし……それに、風間さんが僕の知らない新堂さんを知っているのは事実です。そういう所で迫られたら、僕は……勝てないかもしれない。そう、思ってしまうんです……」
 話せば話す程、荒井の表情は不安げに沈んでいく。新堂なら簡単に恋心を反故にするような事などしないと頭では分かっているのだが、恋心は人を狂わせるものだ。今の荒井だって新堂に対してこんな思いを抱くとは想像していなかったのだから、不安はどんどん肥大する。
 一方の新堂は思い詰めた顔をする荒井を見て、新堂はさも合点がいったように頷いた。
「よし、完全に理解したわ。おまえ、絶対に風間に担がれてるぜ」
「えっ? ……どうしてですか、僕はあの人にそんな事をされる筋合いなんてないんですけど」
「風間の方はあるんじゃ無ェか。この前の集会でお前にさして怖くもない話をしたくせにお金を取ろうなんて図々しいなんて本当の事を言われて随分と腹を立てていたんだぜ。それに風間のやつ、ちょっとからかい甲斐があると思った相手にはすぐちょっかいかけては怒らせて面白がるような奴なんだよ。ほら、坂上とか最近毎日のように500円、500円って追いかけられてるんだろ?」
「坂上くんにまだつきまとってるんですか、あの人……それは、知りませんでした」
「お前は風間に興味ないから気にしてなかったんだろ。坂上に絡んでるのだって、坂上が動揺したり怒ったりする反応が面白いからわざと言いに来てるんだ。お前につきまとうようになったのも俺の話をすればお前が珍しく狼狽えるもんだから、その顔見たさに来てるだけだって。だいたい、あいつが俺の事好きだとか言ってること自体初耳だもんな。あいつ俺にはそんな素振りぜんぜん見せねぇもん。カネも返さねぇし」
「つまり……あの人は僕に嫌がらせをするために来ている……という事なんでしょうか」
 それなら、幾分か安心する。ただ自分をからかいたいだけで新堂の名を出すのは不快だが、目的がわかれば対処のしようはあるからだ。だが、新堂の想像は荒井が思っていた事とはまた少し違うようだった。
「いやぁ、でもなぁ。案外、風間の奴が好きなのは荒井、おまえなんじゃないか」
「えぇ……そ、そんな……僕は別に……あの人に好かれても迷惑なだけなんですけど……」
「そう言ってやるなよ。風間ってさ、好きな相手にはちょっかいかけてくるタイプだからな。だから俺じゃなくて、本命はお前なんじゃないか。先に俺と付き合ったのを知って、急に惜しくなったのかもな……」
 と、そこで新堂は不意に真面目な顔をすると荒井の両肩を抱きしめた。
「そう思ったら腹が立ってきたな!? ふざけんなよ、絶対に風間なんかにくれてやるか、荒井は俺の恋人だってのあいつにしっかり分からせておかねーとな。おい、風間のやついつ頃くるんだ?」
「えっ……昼休み前とか、放課後とかですが……」
「それなら風間より先回りして俺がおまえのそばにいてやる、見せつけてやろうぜアイツにおまえの入るスキなんて無いってことをよ」
 何だか思わぬ展開になってしまったが、新堂が自分を心配してくれている事は嬉しい。風間にとられたくないと思っている事も、誰より自分のことを思っていることもわかったのだ、もう何も怖れるものはないだろう。
「新堂さん、そこまでしなくてもいいですよ……僕はそれがわかれば充分なんで……」
「いや、ダメだな。風間のバカにはしっかりわからせておかねぇとな」
 新堂は屈託なく笑うと、荒井の肩を抱き寄せる。温かな身体が近づいて、荒井は「あぁ、この人を好きになってよかった」なんて当たり前のことを、今さらのように嬉しく思うのだった。

 ※※※

 放課後、クラスメイトたちが一人、一人と教室を去る中荒井は参考書を開いていた。新堂が部活を終えるまでの時間、勉強をして時間を潰そうと思ったからだ。
 そんな彼の元に、その日も風間が現れた。
「やぁ荒井くん、一人かい? あれから新堂との調子はどうだい?」
 周囲の様子もろくに確認せず大きな声で問いかけてくる態度は相変わらず不躾だ。新堂の推測では、来訪の理由は荒井の反応を見て面白がりたいというのももうわかっている。もちろん、荒井をからかいに来ているというのは新堂の憶測にすぎないが、風間が他人の怒る様子を面白がる性格なのは事実だ。下手に返事をしたり反応を見せたりするとますますしつこく絡んでくるだろう。
 だから荒井は風間の声など一切聞こえないふりをして参考書へと目を落とす。すると風間は少し口を尖らせると荒井の前にある席へ勝手に座り深いため息をついて見せた。
「おいおい聞こえないふりかい? 先輩に対してそんな態度をとるなんて、相変わらず礼儀がなってないねキミは」
 敬意を払って欲しいなら敬意を払いたくなるような態度を送ってほしいものだ。勿論、そんなことを言っても馬耳東風という奴なのだろうが。そのくせ全く相手にしなくてもしつこく絡んで来る上、最終的には「ボクのこと無視しないでくれたまえよ」何て言いながら泣きだしそうになるのだから手に負えないのだ。
「どうしたんですか風間さん。見ての通り、勉強で忙しいので無駄話ならお友達としてきてください」
 お友達と、と言ったのは嫌味である。風間には会話のキャッチボールが円滑に出来る友達などほとんどおらず、大概は風間が一方的に話して満足するといったコミュニケーションしかとれない性格なのだ。気軽に話をしてくれる友達らしい友達なんて一人もいないということは知っていた。実際、風間と同じクラスの面々は殆どが「風間とは付き合うな」と口をそろえて言う。「ろくでもない奴だ」「貸した金は返さない」「破れた本も弁償しない」なんてよくもまぁこんな悪口が出るといった有様である。日野や新堂はまだ普通に風間と接していられる部類の数少ない友人だろう。
 それでも風間は嫌味になど一切気付いていない様子で、大げさに両手を広げて見せた。
「何を言っているんだい、ボクと話をしたいおにゃのこ達を振り切ってここまで来てやったんじゃぁないか。わざわざキミと新堂の様子を聞きに来てやったんだからありがたく思いたまえよ。で、うまく行ってるのかい?」
「それが風間さんと何の関係があるっていうんですか」
「あるに決まっているだろう? もしキミが新堂と別れたらボクが貰おうと思っているんだから重要な問題だよ」
 それまで順調に滑らせていた荒井の手が止まる。狼狽えるな、風間はそうして反応を伺い面白がっているだけなのだ。頭では分かっていたが、やはり冷静を保ち続けるのは難しかった。
 反応しないつもりでいたが、手が止まる様子に気付いたのだろう。風間はニヤけた表情のまま荒井の顔をのぞき込んできた。
「あれ、荒井くんはひょっとしてボクが冗談で言ってるとでも思ったのかなぁ。これでもボク、けっこう新堂の事は気に入っていたんだよね。新堂は男なんて興味がないだろうと思っていたけど、荒井くんが道を開いてくれたから今の新堂ならガードが甘くなってるはずだろう? だったらボクにもワンチャン、あるんじゃないか……なんて思ってるんだよね」
 よくもまぁ、いけしゃあしゃあとそんな事が言えるものだ。苛立ちから自然と指に力が入り、シャーペンごと折りそうになる。やはり無視してはおけない。だが、相手が喜ぶのをわかっていて口を出すのも馬鹿馬鹿しい。行き場のない感情をどこにぶつけるべきか迷っている時。
「荒井、いるか? 練習の前にちょっと顔を見にきたぜ」
 そんなことを言いながら新堂が教室へと入ってきた。普段なら練習の前に顔を出すなんてことはしないのだが、日中に風間の話をしたから気にして様子を見に来たのだろう。風間は突然現れた新堂の姿を見て随分と驚いたようだったが、新堂はにやりと口角をあげて笑うとまっすぐ荒井の方へやってきた。
「これから練習だから待たせちまうと思うが、大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫です。ですが……」
 驚きと困惑の入り交じった表情を向ける荒井の不安を全て打ち消そうとするかのように、新堂は彼の肩を抱き寄せると唇を重ねる。躊躇いなく風間の前でキスをするものだからつい赤くなるが、新堂は堂々とした様子で風間へ笑って見せた。
「一応、こういう事だから。俺の荒井をあんまりからかわないでくれよな。じゃ、行ってくるぜ」
「えっ? あっ、は……はい……ま、待ってますから……」
 荒井は驚きながらもキスの余韻にひたりながら、練習へと向かう新堂の背中を見つめる。新堂は教室を出る前に一度振り返ると。
「おまえの入る隙間はねーよ、風間」
 茶化すように笑って教室を出ていった。
 残された風間は椅子へ深く腰掛けるとちらりと荒井の方を見る。
「何だ、せっかく荒井くんもからかい甲斐がある面白い男になってくれたと思ったのに、新堂のやつ柄にもなく余裕ぶっちゃって。やだやだ、面白くないねぇ。せっかく新しい玩具を見つけたと思ったのに」
 そしてそんなことを言いながら、大げさに首を振った。
「やっぱり、からかってたんですね。僕のことを」
「そりゃぁそうでしょ、集会ではあんなに生意気盛りだった荒井くんが顔を赤くしたり困って見せたりするんだから。あー、でももう全然面白くないから、そろそろ潮時かな。これ以上やると新堂の奴も本気で怒りそうだしねぇ」
 身体を伸ばしながら心底がっかりした様子を見せる風間に、荒井は呆れと僅かな安堵を抱いていた。少なくとも風間が本気で新堂に恋慕しているのではないということが分かっただけでも安心したからだ。
「羨ましいですか」
 だからつい、そんな軽口が出る。
「羨ましくても、もう僕は新堂さんの恋人ですし新堂さんも僕の恋人ですから、諦めてください。貴方の入る隙はありませんから」
「おやおや、余裕綽々じゃないか。ま、いいさ。他人の惚気なんて聞きたくないし、面白みのなくなった荒井くんを茶化すのはやめて、坂上くんでもからかってくるとするさ」
 風間はのろのろと立ち上がると鞄を肩にかけ歩き出す。途中一度だけ振り返ると。
「そうだ、何だかんだいってボクは新堂のこともキミのこともそんなに嫌いじゃないからね。せいぜい末永くお幸せに。式には呼んでくれたまえよ」
 なんて、悪戯っぽく笑う顔を見て、荒井も自然と笑顔を浮かべるのだった。