スイませェん……あなた、そこの貴方ですよ。さっきからこちらをいぶかしげに眺めていたようでしたが、私に何かご用でしょうか。
いえ、さきほどからしきりにこちらを気にしていた様子でしたので、何かお話したい事でもあるのかと思いこちらから声をかけさせていただきました。
突然、不躾でスイません……。
あぁ……私ではなく私と話していた相手に見覚えがあったのですね。そして、その話し声が聞こえていたと。その内容に少しばかり気になる事があって、つい耳をそばだてていたと……。
盗み聞きは良い趣味ではないと思いますが、確かにそうですね。私たちの話はきっと他人からすれば骨董無形に聞こえたでしょうからしかたないでしょう。
特に南北戦争の下りが聞こえて懐かしくなった、と……だとするとあなたもまたあの戦争を経験した方なのですね。
なるほど、それ故に気になると。
彼は本当に南北戦争（それ）を経験した軍人であったのか……と。
はい、あなたのおっしゃる通りです。
彼は夜の番を一人で過ごし、臆病から多くの人を犠牲にしたと……そう語っておりますが、普通であれば夜警のものが一人で見張りを行うなどあり得ませェん。
もしそのような命令を下す上官がいたのならそれこそ懲罰は免れないでしょう。守るべき都市や集落があるならなおさらです。
警備にしても見張りにしても、数名で行うのは至極当然のこと……居眠り防止の意味もありますし、お互い裏切りがないか監視の意味もあります……えぇ、数名の兵士を交代にする事でお互いを監視し、サボらないようにあるいは眠らないように見張るのです。もちろん、長い夜の晩ですから仮眠をとる時間を決めて順番に休んでもらったりはしますが、そのような見張りと交代の緩急があるからこそ長い夜を耐えられるというもの。
一人で夜の番をさせるのは、その時点で失態と言えましょう。
それにあなたの言う通り彼はまだ若い。南北戦争を語れるとは到底思えない「若造」です。
もしあの戦争に参加していたのなら若くても50は過ぎてなければおかしいはずですが、彼はせいぜい20代か30代、明らかに若者です。
ですがあなたも聞いていたのでしょう。
彼の語り口はそう、あたかもあの戦争を見てきたよう。知っていたよう。体験してきたように熱っぽく、臨場感があり、深い悔悟がある。
少なくとも彼自身は、自分があの戦争で至らなかったばかりに多くの人々を死に至らしめたと。そのような罪悪感を背負って今を生きているのです。
例えそれが虚実であっても、彼の中ではそれこそが自分の犯した罪であり彼の中では真実であり、現実である今を生きるには重すぎる咎なのです。
彼にとってはその罪悪感が信仰のようなものなのでしょう。
自分は罪人であり、100万もの犠牲の上に生き残った卑怯者であり、神の御許に向かう事など許されない穢れた存在である……。
妄信的なまでの罪への執着と、それに伴う罰への恐れ……この大罪人が許される事があるのだろうか。この大罪人が罰せられるとしたらどのような罰なのだろうか。自分が許されるにはどうしたらいいのか……。
罪を犯した上でなお許される事を渇望する、貪欲で醜悪で身勝手な。だが実に人間らしい思い。
それが今の彼を形作り、突き動かし、生きる理由となっているのならそれでいいと思いませんか？
それが嘘でも、偽りでも、単なる妄想であってもそれが救いに至る道を見いだせる方法の一つだというのであれば……。
だが、なにゆえに自ら妄想の罪を背負うのか。
その点はどうにも釈然としない、といった様子ですね……。
えぇ、えぇ、もちろんです。自分から自分自身を「罪人だ」と思いたい人間なんて普通はいませェン……大抵の人間は、たとえ自分のした罪でもできるだけ「誰かのせい」にしたいものなのです。
我々は……私もですが、酷い理不尽な困難を前にした時いつも『これは神の試練である』と、そう思っています……そう思う事で困難を耐え忍び、その先に救済があると……。
だからこそ、取り返しのつかない程大きな罪を背負ってしまった時人は逃避したくなるのでしょう……この罪を無かった事にしたい。少なくても全てを自分だけでは背負っていたくないと思うのは理解できない感情でもないでしょう。
大抵の人は罪に触れた時は「環境」のせいにします。
運が悪かった……ツキがなかった……育ちが悪かった……環境が悪かった……それ故に自分だけのせいではないと。
他人のせいにするものも多いでしょう。
あいつにやれと言われた……あいつのせいで、仕方なく……なんてのは、犯罪者の常套句です。だいたいが「自分はやってない」の後に紡がれる言葉ですけれども……。
ですがそれには例外があります。
もっとやれる事があったはずだ。どうしてあんな事をしてしまったのだろう。そんな過去にとりつかれた深い、深い後悔が楔のように心の奥底へと打ち付けられた時、人は罪を背負うしかなくなる……そのようなものなのです。
つまるところ、彼は何かしらの「罪」を背負っているのです。
ですがその罪を直視する事ができず、何かしら他の罪という幻想で己が秘めた「本当の罪」から逃れることでかろうじて正気を保っているのでしょう……。
今語りました通り、彼自身が「かりそめの罪」を盲信しているが故にいったい彼の罪が本欄どのようなものであったのか。何があったが故に彼がそのような罪の逃避をしたのか、私めどもには知るよしもありません。
仮に彼にそれを問いただしたとしても、きっと彼は繰り返し南北戦争での己が失態を繰り返し語る事でしょう。
彼自身が己にある罪をそのようにしか認識していないのですから、いまさらそれを問いただした所で詮無きことだと思いませんか？
それに、今その罪こそが彼の生きる理由となっている。
彼は百万人を犠牲にした罪を償う方法がわからず悶え、足掻き、苦しんでいる。例えそれが本当の罪ではなくても、その姿は煉獄の炎に焼かれながら生きるようなもの。
妄想の罪であっても苦しみ生きている。その事実だけがあるのなら、それでいいではないですか。
そう、例えばの話です。
彼は若い体をもち、頑健ではありましたが非常に飽きっぽく仕事という仕事は長続きせず、そうこうしている内にとうとう日銭を稼ぐ方法もなく途方にくれていたとします。
そんな所で不意にとんでもない大金の手に入る話が舞い込んできたら、それがいかに胡乱な話であっても若さ故に飛び込んでいくでしょう。
もう少しばかり。
そう、あなたくらいの年齢であれば怪しい話を聞いたのなら裏があるものと思い安請け合いはしないでしょうが、彼は若く無謀で少しばかり楽観的でしたから深く考えずにその仕事に参加したのです。
仕事の内容は、砂漠の真ん中。限られた水と食料で一ヶ月生き延びるということ。
急に砂漠に放り出された数十名の若者たち。それも胡乱な話に飛びつくような無謀さばかりが尖った人間たちです。
水も食料もすぐに尽き果て、昼は照りつける太陽に焦がされ夜は凍てつく程の寒さに身を震わせて、僅かにいるトカゲやサソリといった生き物を捕まえ飢えをしのぐ生活。 助けが来る保証もなく、一ヶ月という期限がくれば本当に誰かが来るかもわからず、食料を求め仲間割れをし殺し合いなどもおこったでしょう。
中には幾人か小賢しい輩もいて、日の位置と星の位置を見てうまい具合に砂漠を抜けたものもいるようですがほとんどの人間はそこまで聡くはない。
沢山の人が死にました。生き残ったものは片手で数えて事足りる程度しかいない過酷な環境でしたよ。
そんな中でも極限状態を共に過ごせば、ほだされるという事もあるのでしょうね。
彼にも長く接する相棒、あるいは友人、パートナー、バディ……そのような言葉で呼べる存在が傍らにできていたようでした。
あまり聡い方ではない、ですが頑健な彼と察しはいいが今ひとつ俊敏に動ける訳ではない彼とは相性も良かったのでしょうね。二人はコンビを組み、時に食料を奪うために襲ってきた相手を打ち負かし、時に水のないような場所でも水を得る方法を見いだして何とか生き延びていました。
あぁ、それでも彼の友人は灼熱の太陽に一ヶ月過ごすには少しばかり脆弱すぎたのです。
脱水と飢えとで倒れたのが昼、凍えるほどの寒さの中で熱を出したのが夜、息を引き取ったのは朝方だと聞いてます。
死んだ相棒。いや、その頃はもう自分の半身と思えるほど数多の困難を乗り越えた盟友とも呼べる存在の体は瞬く間に冷たくなり硬直して。日の出がくると訪れる昼間の光にさらされたなら、水分が腐って溶け出すのは目に見えておりました。
だから、彼はそれを食べた。
極限状態の行動です。人肉を食べるという罪もまたやむを得ない状態だったでしょう。
彼はそうして生き残り、そして罪を得ました。
だけど彼はその罪をまっすぐ見据える事ができなかった。 盟友を喰って生きながらえたという罪は、人に話せる程軽くなく。だがただ一つの命を奪った「だけ」というにはあまりにも重すぎたのでしょう。
あるいはそう、死に至ろうとする盟友の苦しみを軽くしてやったのも彼だったのかもしれません。
だから、彼は盲信した。
自分は「大きな罪を犯した」ということ。そしてその罪は「自分のミスで100万人をも殺戮を許してしまった」ことなのだ。
殺したのは盟友ではなく、一都市の命であった……。
彼が殺した盟友は、彼にとって名も知らぬ一都市に住む100万人の命と同等の価値があったに違いなく、100万人を殺した罪と同等かそれ以上の苦しみがあったに違いありません。
逃避による盲信は真実などではありませェン……。
ですがそうでもしないと彼は、生きてはいけなかったのでしょう。
最も彼がそうしてくれたおかげで「アレ」もまた生まれたのですが……。
さて、少し話しすぎたかもしれませんね……。
ですが、貴方の「息子さん」がどうなったのかはご理解いただけたかと思います。
ですからどうか、これ以上は深入りなさらず。
貴方は今、境界線の上を歩いている最中です。 まだ清らかなまま戻り、いずれ平和になる合衆国で娘さんとその孫との暮らしも待っているのでしょう。
どうぞそちらにお戻りください。
これ以上「こちら側」に近づかないでいただきたい。
今すぐに納得をしろとはいいません。だが行方知れずとなった風来坊のご子息、その「死」を百万の命より尊く清らかに思っていた男がいま、罪の業火に焼かれながらそれでもなお生きている。それだけで終わりにしてくだされば、幸いに思います。
さもなければあなにもきっと、不運な事故が訪れますからどうかこのままお帰りください。
そう、私にこれ以上清らかな罪を、重ねさせないためにも。