荒井は廊下で尻もちをついたまま忌々しそうに階段を見上げたのは、下校途中に階段を踏み外し転げ落ちてしまったからだ。
降りるのを急きすぎたのが原因だろうが、怪異の噂が絶えない鳴る神学園だ。階段を降りる時に見えざる存在に足でも掴まれ転がされたのではないか。そう考えてしまう程に不自然な力が加わり、階段を踏んだ瞬間膝の力が抜け、バランスを崩したのだと思った時にはすでに視界が反転していたのだ。
足を踏み外したのは踊り場から一段下にある階段からだ。かなりの高さがあり、そこから落ちたのなら当然だろうが身体全体が鈍く痛む。特に足は重症のようでわずかに動かすだけで激痛が走る程だった。
折れていやしないかとズボンの裾をまくって見れば足首は紫に腫れ上がって随分と熱をもっている。動かしただけで貫くような激しい痛みもあるのを見ると骨折こそしてないがすぐに歩ける程に軽い怪我ではなさそうだ。
周囲を眺め誰の姿もないのを確認し荒井は大きくため息をついた。
時田の映画を編集する作業に熱中していて思った以上に帰りが遅れてしまい気付いた時は辺りは真っ暗になっていた。普段ならグラウンドから聞こえる運動部の練習する声すら聞こえなくなっているあたり、だいぶ遅くまで残っていたに違いない。
普段から頻繁に視聴覚室へ出入りし映画の編集などをする時田と荒井は教師から特別棟の鍵を渡されていた。それは信頼されているという証拠であると同時に放任されているという意味でもあり、何かあっても教師は責任をとらないといったスタンスだという意味合いも多分に含まれている。
特別棟は授業の時でもなければ生徒が立ち入る事もなく、放課後になれば教師もまたほとんどが職員室へ籠もってしまうためマンモス校でいつでも何処にでも誰かしら生徒がいるような鳴神学園でも比較的に人の出入りが少ない場所である。
夕暮れもすぎ一気に周囲が暗くなる中で偶然取りかかる生徒など、勿論誰もいないだろう。
暗くなり始めた廊下で一人、身動きもとれぬという孤独は滅多なことで物怖じする事のない荒井でも恐ろしさを覚えていた。
ましてやここは鳴神学園だ。
失踪者や自殺者などの噂が後を絶えず、夜遅くまで居残りをしていた生徒がそのまま行方知れずになるといった話であれば荒井もいくつか知っている。そんな噂は大概が「気付いたら遅くなっていた」「周囲には誰もいない」「闇が広がる」「時間が曖昧になる」といった話から始まるものなのだ。
「怪異など起きないといいんですけれどもね……」
荒井はそう呟きながら周囲を見渡し、やや離れた場所に落ちている自分の鞄へと手を伸ばした。階段から落ちた時に手を離してしまい鞄だけ別方向に飛ばされてしまったのだ。幸い鞄はそれほど遠くへ飛んではおらず手を伸ばせば何とかこちらへと引き寄せる事は出来たが、スマホだけはまったく別の方へと投げ出されておりどれだけ身体を伸ばしても届きそうにはなかった。
取り出しやすいように浅いポケットに入れていたため、遠くまで飛び出てしまったのだろう。せめてスマホが手元にあれば誰かに助けも呼べただろうが、とても手に届く場所にはない。
もう少し休んでいれば足の痛みが幾分か和らぐだろう。それを信じて今は身体を休めるか、誰かが偶然通りかかるまで待つしか無い。
派手に落としてしまったから画面が割れていなければいいのだが、割れてしまっては手痛い出費だ。
まったく、少し考え事をしていたばかりに自分らしくないミスをした。
荒井はその場で小さくなり壁を背もたれにして一休みする。
もう少し様子を見れば足の痛みも引き歩けるようになるかもしれない。もし歩けなかったとしてもスマホはやや遠くに落ちているとはいえ目の届く場所にあるのだ。這ってでもスマホさえ取る事ができれば助けは呼べるだろう。
もちろん、怪異に巻き込まれたりしなければの話だが。
荒井は膝をかかえると新聞部での事を何とはなしに思い出していた。
※※※
ホームルームが終わった直後の事だ。
新聞部ではない荒井がわざわざ新聞部の部室まで足を運んだのは、先日招かれた集会の記事が出来たので確認をしてほしいと坂上から連絡をもらったからだった。
あの集会は途中で細田とトイレ巡りをした結果とんでもない事になってしまい七不思議どころでは無くなってしまったのだが、それでも坂上は大スクープだという事で何とか記事を仕上げたらしい。
坂上にとって初めて担当する大きな特集ではあったし、近頃鳴神学園で頻発していた行方不明事件の真相を明らかにする意欲的な内容でもあったため同じ体験をした荒井や細田、新堂などにも内容を確認してほしいと頼まれたのも至極当然のことだっただろう。
荒井としてもあの事件がどのようにまとめられていたのか興味があったので部室に入ってみれば、先に来ていた新堂の前に数人の生徒が列を成して並び新堂はその生徒を次々と抱きかかえていく、なんていう奇妙な行動を目の当たりにした。
「……何をやってるんですか、新堂さん」
呆れ半分驚き半分で荷物を椅子に置きながら新堂へ冷たい視線を向ければ、まだ出来上がっていない記事を前に坂上は困ったように笑っていた。
「ええっと、僕の書いた記事で新堂さんが僕と、細田さんと荒井さんを一人で引っ張って助けてくれたことも書いたんですけどね」
坂上の言葉で荒井も、トイレから現れた巨大鮫を前に身がすくんで動けなくなった自分たちを新堂が引き寄せて助けてくれたことを思い出す。あの時はとっさの事で一瞬思考が停止してしまったから、新堂が手を伸ばしてくれなければ鮫の餌食になっていただろう。
「あぁ……そんなことがありましたね」
荒井は手を組み当時の事を思い出す。
あの時は夢中で逃げ回りながら情報を集めて何とか事なきを得たが、一手でも間違えば誰かが死んでいただろう。実際に、科学教師の白井は未だ見つかっていないのだから鮫に食べられてしまったのだろう。
「新堂さんが僕たちを助けてくれたシーンを読んだら、倉田さんとか福沢さんが『お姫様抱っことか出来るんですか』って新堂さんに言い出して……それで今、皆で並んで新堂さんにお姫様抱っこをしてもらっているんですよ」
坂上の説明に、荒井は何とも言えぬ顔になる。
確かに新堂は一人で荒井や坂上だけではなく巨漢といっても差し支えない細田までをも引きずって見せた剛力の持ち主だ。人を一人抱えるくらい難なくやって見せるだろうとは思うが、わざわざ抱きかかえられて楽しいものだろうか。
「そんな事をして、楽しいものでしょうか……」
疑問はつい、口から出る。
たかだか抱き上げられるだけだと荒井は思っていたが、女子にとってはそうではないようだった。新堂は倉田の身体を横抱きにするとアニメ映画のお姫様にするようにくるりと大きくターンをしてみせる。そういうシチュエーションが好きな女子というのは、やはりいるのだろう。
「すっごーい、新堂さんすごいです! お姫様になったみたいでしたー」
嬉々として降りて跳びはねて喜ぶ倉田の隣には「次は私、私だよ新堂さーん」なんて甘えた声を出す福沢がぴょんぴょん飛び跳ねていた。
よく見れば日野や細田も一緒になって並んでいる。
「細田さんも並んでいるんですか?」
女子に交じってしれっと並ぶ日野は悪ふざけが好きな性質なのを知っているからスルーできたが細田まで並んでいたので思わずキツめにつっこんでいた。 すると細田は照れたように笑いながら頭を掻いてみせた。
「いやぁ、ほら荒井くん。僕って太ってるじゃないですか。だから普段から人に抱き上げられるなんて経験したことないので、思い切ってやってもらおうかなと思って……」
それは随分思い切りが良い事だ。
細田は内気で消極的、おどおどしている風に見えて実はそうとう芯の強い所があるから時として思いがけぬ行動力を示す。本人は「虐められっ子だったから虐められ慣れているんで案外メンタルはタフなんです」等とのたまっていたが実は元々図太い神経の持ち主なのだろう。
「でも驚きました、新堂さん。僕でもひょいっともちあげてお姫様みたいに横抱きにしてくれるんですね。いやぁ、あんな事されたら女の子は嬉しいですよね……僕だってどきっとしましたもん」
しかもすでに抱いてもらった後のようだ。
荒井は静かな目で新堂を見据えれば新堂はその視線に気付いたのかばつが悪そうな顔を向けた。
「何だよ荒井、仕方ねぇだろ……そんなに力があるんですかーって言われたかと思ったら何か皆を横抱きにするよう言われて、気付いたら細田も並んでたんだ。腰がぶっ壊れるかと思ったぜ……」
そう言っている合間にも「もう一回お願いします」「私ももう一回」と倉田と福沢が代わる代わる新堂の周りを取り囲む。
お姫様抱っこというものをされてみたいという乙女心に混じり新堂をからかいたいという気持ちもあるのだろう。女の子の扱いに慣れていない新堂が壊れ物に触れるよう大事に大事に倉田や福沢を扱う姿は優しいが故に滑稽でもある。
だが新堂も自分を頼られるのはまんざらでもないようだ。鍛え上げられた筋肉を褒められているのだから嬉しいくらいだろう。 言われるがまま二人を交互に抱きかかえれば、時々からかうように日野も抱きかかえられており、それを部長である朝比奈はオロオロ狼狽えながら見ているばかりだった。
「岩下さんは来てないんですね」
あの集会でいま、姿が見えないのは岩下だけか。 そんな事を思いながら荒井は坂上が書いた記事を読む。鮫騒動がメインになったが他の語り部たちも自分の話はしており、坂上はその時の話もしっかりと記事にしていた。
「あ、風間さんも来てないです。岩下さんは忙しくてこられないみたいだったので……風間さんは呼びませんでした。ちょっと記事に出来なかったので……」
荒井はすっかり風間のことを忘れていたが、どうやら坂上にとっても忘れたい記憶だったらしい。実際風間は日野も「お遊びで読んだ」とのことだったから記事にしなくても問題はなかったろう。むしろ、この場にいなくて正解だ。
もしいたら「ボクも抱いてもらおうかな」なんて笑いながら新堂にお姫様抱っこをされる列に並んでいただろう。
倉田や福沢が「お姫様みたいにしてほしい」と願うのは可愛いものだし、細田や日野は冗談でやっているのがわかるから許せる。だが風間は冗談でも新堂に触れてほしくない。
風間は何だかんだいって顔はいいし、背も高い。荒井のもっていない明るさや人なつっこさ全てもっているのだ。もし、風間が新堂の事を本気で好きになったなどとなれば、勝てる気がしない。
そんな密やかな独占欲を燻らせながら坂上の書いた記事へと目を通す。
坂上は初めて書いた大きな記事だからきちんと出来ているか自信が無いとは言っていたが、ブルースの事件についても集会で語られた話についてもきちんとまとまっている。自信が無いと言っていた割には充分すぎるほどの記事だろう。これならばオカルトや怪談が身近にある鳴神学園の生徒たちも足を止めて読むに違いない。
「きちんと書けているじゃないですか。充分ですよ、こんなに形になっているとは思いませんでした」
「全部自分でやれたってワケじゃないですけど、そう言ってもらえると嬉しいです。日野さんも倉田さんも色々アドバイスしてくれたから……」
素直に感心したことを告げれば坂上は照れたように笑う。
倉田恵美という人物が新聞部の若きエースとしてすでにあちこち取材と称し様々な事に首を突っ込んでいるその行動力は荒井も聞いている。 また日野は面倒見がよく様々なことに気が回る性格だ。自分がメインに動く時は勿論、誰かのサポートをする時もそれとなく相手を立てるよう立ち回れる。
この二人がサポートしてくれたのなら校内新聞としては充分な内容が出来るのも当然だろうがそれを差し引いても良い記事だったろう。坂上はまだ入部したてで文才もないと思っているようだが実は当人が思っている以上の才能を秘めているのかもしれない。
「では、記事を確認したので僕はもう行きますね」
試し刷りをした新聞を坂上のほうへ向け立ち上がる。
「えっ、もう行っちゃうんですか荒井さん。もう少しゆっくりしていても……あ、おしるこドリンクありますよ」
坂上は名残惜しそうな顔をしてテーブルに置かれたおしるこドリンクを差し出す。 荒井としても坂上は話していて苦痛ではない数少ない人物の一人であるからもう少し他愛もない雑談を楽しみたい気持ちはあったのだが。
「もう一回! ねね、新堂さーん」
「何回めだ!? いい加減にしてくれ……」
「新堂、俺もそろそろ頼んでいいか?」
「日野おまえ俺よりデケぇくせに何を俺に求めてんだ!? 細田はもうやらねぇからな!? 期待した顔で並ぶんじゃねぇ!」
背後からそんな声が響き、自然とそちらへ目がいってしまう。
今日の新聞部は荒井にとって少し騒がしすぎた。
それに目の前で新堂が他の誰かに向けて愛想良く接しているのを見るのは妙に腹立たしい。
「えぇ……時田くんの手伝いもありますので、今日はこれで失礼します」
荒井は挨拶もそこそこに新聞部を後にすると扉を閉めてもなお響く賑やかな声に背を向け歩き出す。
誰にも言えぬ苛立ちを胸に燻らせながら。
※※※
廊下はますます暗くなっていく。
なぜ今になって新聞部での事など思い出すのだろう。
時田の手伝いで映画編集をすることで気を紛らわせていたというのに、怒りが胸の内からわき上がってくる。
「何ですか、新堂さんのあの態度……皆に迫られたからっすっかり調子に乗るだなんて、まったく、腹立たしい……」
あふれ出る怒りは言葉となって口からつい出ていた。
新堂はお調子者というワケではないが空気が全く読めない程気の利かない人間でもない、どちらかといえばノリは良い性格だ。周囲におだてられればそれが世辞と解っていても面白そうという理由だけでやってしまう性格でもある。それはわかっていたが、荒井が見ている前でも平然と他人の前で格好付けようとする態度がどうしても許せなかった。
もちろん、荒井がそれに腹を立てる権利などはないのもわかっている。
今の新堂と荒井とは特別な関係でこそあるものの、別段それを周囲には伝えていない。表面上はお互いのことなどほとんど知らないといった素振りをしているのだからそれに気付いている者もいないだろう。
二人が恋人同士など周囲が知らないのだから、荒井に気を遣って立ち振る舞うよう強いるほうがよほどおかしいのだ。それを解っていても苛立ちは抑えられないほど、今の荒井は感情が抑えられないでいた。
「腹立たしい……何よりも、こんな事で苛立つ自分が一番……一番、腹立たしいですよ……これではまるで子供ではないですか……」
膝を抱えて俯き一人そうつぶやく。
以前の自分だったら感情を乱され冷静さを欠くなど愚の骨頂だと笑い飛ばしていただろう。
新堂と関係をもった時も肉体がもたらす快楽に興味があっただけで恋愛感情をもっていたワケではなかったはずだ。
だが今は新堂が他人と話しているだけでも苛立つ。
自分の事など忘れているのではないかと不安にもなる。
想像していなかった感情に支配されていく自分に戸惑い、不自由さを覚えていたがその不自由ささえも心地よく思えるのがひどく恐ろしかった。
周囲が暗くなっていく中、スマホが震え画面が光る。
突然震えたスマホの音に一瞬驚いたがスマホの明かりが幾分か荒井を冷静にさせた。
スマホはすぐに静かになったから電話があったのではなく何かしらのメッセージが届いたかメールでも入ったのだろう。誰から来たのか確かめたいとは思うが足の痛みはまだひかず動けそうにもない。
全く痛みが引かない足を前に、もしこのまま動けなくなってしまったらと不安にもなる。
だがこの学校には宿直の教師もいる。今が何時頃かはわからないが一度くらいは見回りに来るだろう。
もし仮に誰もこなかったとしても今は極寒の冬場というワケでもなければ灼熱の夏という時期でもない。この場で一晩明かしても死にはしないはずだ。
もっとも、ここは鳴神だ。
悪霊やら怪異、妖怪変化の姿などの噂は後を絶たない校内で一夜を過ごすのは普通の学校と違い極めて危険な判断だと言えるだろう。せめて少しでも足が動いてくれればいいのだが……。
祈るような気持ちで足に触れてみるが足の腫れはますますひどくなっている気がする。試しに動かしてみようと思うが少し曲げただけで悶える程激しい痛みが身体を貫くのだった。
「……ったく、こんな所にいたのかよ」
そうしてどれだけ悶々とした時を過ごしていただろうか。焦りと苛立ちで頭がいっぱいになった頃、ふと聞き慣れた声がしたので誘われるよう顔をあげればこちらを見下ろす新堂の姿があった。
「新堂さん……?」
どうしてこの場所にいるのだろう。ボクシング部でもこんな時間までは練習などしてないはずだ。
そもそも今は何時頃なんだろうか。見える範囲に時計がないため足を滑らせてから今に至るまでどれだけ時間が経っているのかもわからない。
不思議そうに彼を見上げる荒井を前に新堂は割れたスマホを差し出した。階段から落ちた時に鞄からこぼれて手のとどかない場所まで滑っていった荒井のスマホだ。
「ほら、落ちてたぞ。まさかこの階段から落ちたのか? ……お前らしくねぇな」
スマホを受け取り、割れた画面をなぞる。液晶パネルにひびが入り非道い状態だがそれでもまだ使えるようだ。一度光ったと思った時に来ていたのはどうやら新堂からのメッセージだったようで「まだ学校にいるのか」「まだ帰ってないなら一緒に帰るか」というメッセージが光っていた。
「既読も付かないから流石におかしいと思ってな……おまえ、既読無視はしょっちゅうだが連絡に気付かないって事は早々ないだろ? 何かあったんじゃ無ぇかと思ったんだよ」
「それで探してくれたんですか? ……ありがとうございます」
「まぁな。まさか特別棟の片隅に転がってるとは思ってなかったぜ」
新堂は荒井と目線を合わせるよう座った。
「……歩けないのか?」
「はい、足をひねってしまったみたいで……スマホだけ遠くに投げ出されてしまい、手が届かなかったんです」
「他に痛いところはあるか?」
「いえ、幸い他には……ただ足の痛みがひどくて……」
「そうか、それなら……足にさえ触れなければ大丈夫ってことだな。よし」
新堂はそう言うが早いか荒井の身体を抱きかかえた。
新聞部で他の面々に囲まれせがまれていた「お姫様抱っこ」だ。他人にしている所を見せられていた時は苛立ちばかりが募っていたがいざ自分がされると妙に照れくさい。
「ちょっ、と、まってください新堂さん。その……ぼ、僕結構重いですよ……」
「重くねぇよむしろ軽すぎるくらいだぜ。ちゃんとメシ食ってんのかテメェは? ……一応、保健室まで行ってみるが誰もいなかったらそうだな……お前の家まで運ぶか?」
「やめてください……僕の家までどれだけ離れてると思っているんですか。そんな……人に見られるのは恥ずかしいですから」
新堂なら落としたりはしないと思うがそれでも一応身体を寄せ新堂の首へと手を回す。 新堂もまたより強く荒井の身体を抱きしめると顔を鼻先に近づけた。
「さっきは悪かったな」
「……何の事です?」
「新聞部で他の奴らと連んでた時、あれお前そうとう腹立ててただろ?」
「そんなこと……そんなことありませんよ。僕が、何で……」
「見てわかるっての。悪かったって、調子乗って福沢たち構ってやってたのもよ、お前が怒ってるのがちょっと面白かったからってのはあるんだわ。そしたらよ、気付いたらお前いなくなってるだろ? 謝り損ねたと思ってな……もし校内に残ってるなら早めにワビ入れときてぇなと思って探してたんだが……見つかってよかったぜ」
こっちの視線に気付いて意図的に嫉妬心を煽っていたのならタチが悪いとも思うがそれに腹を立てて出て行ったこちらも随分と子供っぽかっただろう。
今になってそんな事を思い、荒井は自然と笑っていた。
「お互い様です。僕だって……あなたが取られるような気がして我慢できなかったような子供ですから」
新堂に抱きしめられている腕の温もりを感じ、荒井は自分が何てつまらない嫉妬をしていたんだろうと改めて気付かされた。
他の誰に何をしていたとしても新堂にとって特別な存在は自分だけなのだ。
荒井のことを良く知り、小さな変化に気づいて心配し探しにまで来てくれる程度に新堂にとって荒井は特別なのだ。
それが愛と呼べるものなのかまでは分からないが、その位の労力をかけてくれる程度に愛着をもってくれているのは素直に嬉しく思う。
「でも、悪いと思っているならキスもしてください。いいでしょう?」
だからきっと、特別なのだからこの位のわがままは許してくれるだろう。
手を伸ばし新堂の唇をなぞれば、新堂は少し笑って躊躇いなくキスをした。
「……あぁ、当たり前だろ。お前は特別だからな」
触れるだけのキスの後、互いに笑う吐息が頬を撫でる。
つまらない嫉妬でつまらない怪我をしたとは思ったが、互い特別に思える時間を過ごし戯れにキスを交わせるのなら悪くない。
荒井はもう少しだけキスの温もりを求め二度、三度とキスを繰り返す。
その間はくすぶる嫉妬の心も足の痛みもすべて闇へと溶け消えていくような気がしたが、それもきっと気のせいでは無かったのだろう。