興家彰吾は隠さない


 興家彰吾は夜の街を歩いていたのは、目の前で突如として死を迎えた福永葉子を蘇らすためであった。
 死ぬ前に彼女が語っていた蘇りの秘術のことなどは眉唾物だと理解していたが、目の前で突如として意味も分からぬ死を迎えた福永の姿を見れ呪いは実在するのではないかと思えてくる。
 手元にある呪詛珠を見ていれば物々しい雰囲気から呪術による死は実際になしえるのではと思えてくるし、頭に響く呪主という言葉に従えば蘇りの秘術もまた実際に成せるのではないかと、そう思えて仕方がなかった。
 だからこそ、興家は夜の街で他の呪詛珠をもつものがいないか。呪主がいないか探し歩いていたのである。
「ちょっとすまないね、きみは呪主か」
 両国橋付近に差しかかかったとき、不意に見知らぬ男が現れた。
 整った顔立ちに黒縁眼鏡。まだ年若いように見えるが頭からつま先、そして香水にいたるまでハイブランドで染められている。
 きっと裕福な家で何ら不自由することなく育てられたどこぞのボンボンだろう。
 だがこちらを呪主ととらえているのなら迂闊な発言は命取りになりかねない。
「あんたは……何者だ? 見るからに親への圧力に耐えられず今まで一度だって反抗したことがない優等生を演じてきたが内心は自分の家族に対して反発してやりたい気持ちがいっぱいの、地元では金持ちの名士として他とは違うように育ってきたが上京してみたら周囲が当然のようにバッチバチにお洒落決め込んでるのを見て負けじとブランド品を買いあさってみたようなケツの青そうな大学生……って感じだが」
 しまった、うかつな発言は命取りになりかねないってのについ本音が出てしまった。
 いつもながらウッカリの口だ。本社勤務している時も弓岡に対して「殺し屋みたいな格好してますけど何人東京湾に沈めたんですか」と口を滑らせ本当に東京湾に沈められそうになったばかりなのだ。
「うぐっ……!」
 しかも相手はいきなり激烈なダメージを受けたように膝をついている。
 どうやらわりと図星だったようだ。
「やっぱりあんた、地元では顔が良くてお金持ちで洒落と色々言われてもてはやされていたけど上京して一流の大学にいってみたら周囲がみんな当然のように頭がよく、当然のように金ももっていて一流品を普段着にしているのを見て焦りから全身ハイブランドにするという愚行に及んでしまったんだな……」
「やめろ、やめてくれ!」
「ハイブランドで身を固めるのは悪い事じゃないがお前くらい年が若いと悪目立ちするぞ……まだ大学生くらいだろ? もう完全に唸るほどある金の使い方がわからず水商売のお姉さんに一目で気に入ってもらうためブランドに着られている小さめの会社で社長ってよばれてる人みたいになってる」
「やめてくれってばよぉ! ぼくのこと水商売のおねーさんにちやほやされるのだけが癒やしで家族からは冷たい目で見られてる中小企業の社長みたいな扱いするなよぉ!」
 いけない、ダメだと思ったのについ口が滑りまくってしまった。
 流石の青年も泣いてしまいそうな顔でこちらを見ているが、大学生を泣かせてしまったらさすがに大人げないだろう。彼が4回生だったとしても興家より3つは年下になる。今年入学したばかりの現役学生なら7つは年下になる。 たとえ本当のことでも直接本人にいうのは悪口になってしまうのだから、あまり言うのは失礼にあたるだろう。
「何かごめんな、泣かせちゃったか。気にするなって、あんたにはあんたの良い所を見つけてくれる人とかいると思うからさ」
「うぅ……」
「でも全身ハイブランドは本当、やめたほうがいいと思うよ。何というか、それだと田舎のボンボン丸出しだから、『お金持ちだけど世間知らずで色々買ってくれそう』みたいな理由だけで一緒にいる女とかフツーに群がってくるから」
「何だよきみは!? 慰めているのか攻撃してくるのかどっちかにしてくれよ! 上げて落とすタイプなのか!? 圧倒的に落としていくほうが多いのどうかと思うけど!?」
 しまった、慰めようと思ったが老婆心ながらの忠告で怒らせてしまった。しかもだいぶダメージを受けているようで膝をついたまま立ち上がる事すらできていない。
 でも実際にそこまで金持ちっぽい格好をされたらチョロそうなガキっぽさが出てしまうから自己防衛のためにも金はないふりをしたほうがいいだろう。中途半端な金があるアピールは自分から狩りやすい獲物ですと首に看板を提げているようなものなのだから。
「いや、その。えっと、ほら、あんた顔立ちはいいし素材はいいんだからブランドで固めなくても見る目がある相手はちゃんと声かけてくれるからさ。全身ハイブランドコーデじゃなくとも普通の服で香水だけとか、靴や時計はハイブランドとか、そういった分かる人にだけはわかるって感じ出しておけば今よりチヤホヤされないだろうけど堅実な相手が見つかると思うよ」
「……それってアドバイス? うん、でも……ちょっと考えておく」
 相手は少し戸惑いながらも頬を赤くして立ち上がる。顔立ちはいいと言われたのが嬉しかったのだろうか。だとしたら相当にチョロい。
 そもそも顔立ちがいいなんて外見の一部だ。外見の評価などハイブランドコーデに惹かれているのと大差なく相手の内実を褒めている訳ではない上辺だけの褒め言葉だろう。
 例えば「あの人は誠実だ」「紳士的である」なんて言葉なら態度や行動を褒められるのであり外見だけではなく内面まで認められているのだろうし、本当に大切にしなければいけないのはそのような相手の内からくる良さを喜んで褒めるような存在なのではないか。
 小手先だけの褒め言葉で喜びに浸ってしまう安直さでは悪い女に尻の毛まで抜かれて捨てられそうだと思ってしまうが、それを指摘したらまた泣いちゃうだろうからこれ以上は言わないでおこう。
「実はぼくも、薄々感づいていたんだよ……ぼくの周りに集まってくる女の子たちは『誕生日プレゼントはブランドのネックレスね』とか『クリスマスプレゼント期待してる』ってことはいうけど、ちゃんとお付き合いまでこぎ着ける子がいないなぁって……」
 そう思ってたら何か語り初めていた。ひょっとして恋愛相談をされているのだろうか。
「やっぱりお金持ちに見えたから、お金目当てで近づいてきた子が多かったのかな」
 お金持ちに見えるだけではなく、お金持ちかつチョロそうに見えるからだろうと思ったけどそこも黙っておこう。たぶん泣いてしまう。
 そしてもし女の子がすぐ離れてしまうのなら、お金持ちかつチョロそうに見えるわりに実際は懐が渋いとかそういう理由だろう。
 家が厳しいのか、お小遣いは同じようなタイプのボンボンと比べて少なめに違いない。湯水のように金を使いプレゼントを浴びるほどくれる相手だったら人間は離れないものだ。
 最も、そのような人間に長く連まれて金があるから付き合ってもらっている事に気付かないまま大人になるくらいなら金がないから飽きられる方がよっぽど傷は浅いだろう。大学の段階で気づけたなら彼は幸運だ。
「そうだろうな。だが気にするな、金の切れ目が縁の切れ目なんて連中はろくなもんじゃない。ちゃんとあんたを見てくれる相手を探すんだな」
「そ、そういわれてもさぁ。ぼく、何というか……親からちゃんとした愛情みたいなのを受けた記憶がなくて、人付き合いってのもあんまり得意じゃなくて……そういうのどうしていいか……」
 眼鏡の男は俯くと急に赤くなって必死に訴える。
 恋愛相談より人生相談っぽくなってきたな、いいのか道すがら出会った初対面の人間に相談して。だが、初対面の人間だからこそ相談できる事もあるだろう。BARで出会った知らない人間と雑談で仲良くなったり、その場だけの愚痴を言い合うコミュニケーションも世の中にはあるのだから。
「そっか、じゃあまず自分を磨くという事を考えてみたらどうだ」
「自分を磨く……?」
「そもそもだよ、男友達でも女友達でも自分と話が合わない相手と話をしていても面白くないと思わないだろ。面白くない話を聞かされるのは苦痛だし、自分のこと冷遇されるのも嫌だ。そういうのを総合してさ、自分とある程度話があって、自分のことを尊重できる、そして相手に何かしてあげたいと思える相手ってのが恋人として理想だと……そう思うんだ」
「あぁ……そう、そう……それは、そう……だね。ぼくは女の子が遊びにいった話とか聞いてても面白くないし」
「それはキミがその子のことにもその子の趣味にもあまり興味がないからじゃないかな。本当にその子が好きだったら、話をよく聞いて何が楽しかったのかとか、その時どうしたとか色々と会話になるものだろ。一方的にどちらかが話している関係は長続きしないんだよ。そこに互いを尊重する気持ちがないからね」
「なるほど……少しまっていてもらえる? ちょっとメモとるから……」
 なんかポケットから手帳をとりだして書き始めた。深夜なのに目が悪くなるだろう。それともあの眼鏡はお洒落のためのだて眼鏡ではなく本当に目が悪いのだろうか。
「それで、どうやったら面白い話が出来るかだけど……そういう話ができるのは経験が大事なんだよ。自分の足で美味しい店にいったり、映画を見たり、本を読んだりってね。そうして知識を積み上げて想像力を高めることで相手の話が何を意図しているのか理解したり、その時どうするのが良かったのかとか自分の経験で話したりできる。経験が話を面白くするからね」
「うっ、経験ッ……」
「あんた、いつも同じような毎日を繰り返してるんじゃないか。ちゃんと真面目に学校も行ってるか? 学業も経験だからきちんと勉強はしたほうがいいぞ。大学だって高い金を出して行く場所なんだからな」
「学校は……何ていうかな。一応ちょっと有名な大学に行ってるけど周りがみんな優秀で、自分が勉強に遅れているような気がして……」
「あたりまえだろ、大学ってのはみんな自分と同じくらい頭のいい連中がそろってるところなんだから」
「でもさ、ぼくは地元で勉強はいつもトップだったんだよ。運動だって苦手じゃなかったからみんなスゴイって言ってくれて。でも、大学ではぼくくらい勉強できる奴珍しくないし、ぼくより背が高くて格好いい奴も普通にいっぱいいるんだよ。だから自信なくなってきちゃってさ……」
「はは、それ以前にT大出身の知り合いも同じような事いってたよ。T大に行けば頭いいって女の子にもてるんじゃないかと思ってたけど、T大に行く人はみんなT大生だったーって……地元で優等生でも世間では人並みくらいに思えるなんて良くあることさ。だけどあんたはいいとこの大学で落第もせず過ごしてるんだろ。それは社会からみると立派なもんなんだよ、気にする事はないだろ」
「でも……こんなことは今までなかったからぼくはどうしていいのか……父さんも大学に行ったらぼくの成績が一番ではないのが気に入らないみたいで……」
 男は自分の身体より大きめなカットソーの袖から少しだけ指を出し手あそびしはじめる。
 無意識か、あざとい奴だ。このあざとさを自然に人前で出せればもっと愛されるはずだが普段はプライドがジャマをして年相応の可愛さを見せる事などできないのだろう。
 自分の武器を分かってないのだ。
 最も、この青年の場合は意識してやるとかえって鼻につくタイプだろうから、いま興家からそういう仕草が可愛いからもっとやれ、なんてアドバイスはかえって逆効果だろう。
 時々に無意識でこのような仕草をすることで『彼の可愛いところを分かってやれるのは私しかいないんだ』なんて相手に思わせることが重要なのだから。
「いま、自分の出来る限りで頑張ればいいんだよ。頑張ったうえでも文句を言われるなら、ちゃんと親御さんに言うんだね。『いまの自分は精一杯やってるけどこれが限界だ』って。それで期待外れといわれたら仕方ないって開き直っちゃえよ。そもそも、あんたは親の期待にこたえるための道具じゃないんだ。親の言うことで一々ビクビクと怯えなくてもいいと思うよ」
「あっ……そ、そうか。そうだよね……なんか、親からは大学で生涯の伴侶になるような相手を選んでおけとか、良い成績で一流企業を目指せとか言われるから何か焦っちゃって……」
「プレッシャーには弱そうだもんな、あんた。でも、親の言いつけだからと焦ってあちこちに粉をかけるような男はかえって信用されないと思うぜ。まず、学生だからきちんと勉強をすること。勉強している合間に、落ち着いて相手を見極めるのが大事だ。今は女子大生ってだけでチヤホヤされるから、あんたの周囲にいる女の子は贅沢になれてるよ。年上のオジサマがいっぱいお金をつかってくれてるんだから、金持ちってだけじゃちょっと遊び慣れてる子にはすぐ飽きられちゃうはずだ。だからこそ、相手のことを慎重に見極める目を鍛えておくんだね」
 興家は最もらしくそういうが、実は彼も女性の本質を見抜ききれているのかといわれればそうではない。
 上辺だけの愛嬌につい絆されてしまうところがあるのだが、今はそこに触れないでおこう。
「見極めるといっても……どうしたら……」
 男はまだ指遊びをしたまま困惑したように声をあげた。プライドが高く今まで何でも知っている風に生きてきたが、実は案外無知なのかもしれない。少なくても女性の相手は慣れてないだろう。
 たぶん童貞だな、と興家は思ったが言わないでおいた。泣いてしまうだろうからだ。
「あんたはひとまず、自分のやりたいこととか、自分の好きなことが何かっていうのを考えた方がいいと思うな。相手を見るにはまず自分とちゃんと向き合うんだ」
「ぼくの好きなこと……でも、ぼくは学校も忙しいし両親も……」
「あんたはすぐ、デモデモダッテをするよね。何かあると親がってなっちゃうけど、まず親がとかではなく自分がなにをしたいのかで動いてみたらどうかな。自分が好きなことを全力でしている時にそばへ寄ってきてくれる相手はあんたの好きなことが好きな人だから話は合うと思うよ」
「そ、そうか……自分の好きなこと。ぼくは……本当は何が好きなんだろう。何をやりたいんだろうな……」
 男は俯き口元を抑えて思案する。
 きっと今まで親の言う事が絶対で自分の考えなど二の次にしてきたのだろう。家の力があまりに強すぎて思考停止してしまうという典型だ。
 彼の場合、当人が優秀だったが故に家族の期待ににこたえられ挫折らしいものを経験してこなかったからなおさら、家から出た時世界を見て存外に力のない自分の立場が歯がゆくて仕方ないのだろう。
「それは今から考えればいい。そもそも学生はそういう事を考えるためにある時間なんじゃないのかな。無理しなくても少しずつ、自分ってのを見つめてみるといい。今日からでも少しずつだ、いいね」
「あ、あぁ。でも、ぼくはもう……」
 興家のことばに、男は奥歯に物が挟まったように口ごもる。何か心に引っかかる事があるのかもしれない。
「……何かあるのなら、あんたが心に引っかかっているものを先に吐き出した方がいいかもなぁ。隠しごとや悩みをいつまでも秘めていたら知らないうちにそれが大きな枷になったりする。時間がたてばたつほど問題は大きくなるから、何かあるなら早めの方がいいよ」
「そうだ……そう、だね……そうしよう。そう……なるよう、頑張ってみる」
 男は少し吹っ切れたように顔をあげて笑う。
「ありがとう、きみのおかげで……いま、本当にやるべきことがわかった気がするよ」
 初めて見せた笑顔は年相応のまだあどけなさを残していた。
「それじゃぁ、ぼくはもう行くよ。自分が本当にやるべき事をする覚悟が出来たから……ありがとう」
 男はそう告げ、興家の前を去って行く。
 だから興家はとっさに呪詛行使した。
 倒れる男の顔を見て、興家は自分の頭を掻く。
「あーあ、未来ある若者の希望を断っちゃったかぁ、罪悪感すごいなぁ。でも彼もちょっとすねに傷を持つカンジだったし、むしろ自分に希望があるのだと見いだせたところで死ねたのなら幸運だったんじゃないかな。一度ついた悪評を拭い去るのは難しい事だからね……」
 そして呪詛珠を握りしめると、次の獲物を求めて闇に消えていくのだった。