タテノとサクラとコトリバコ


 あなたですよね、これを置いたのは。
 呼び止められたその人は差し出された箱を見たとたんに目を大きく見開らいたあと涙をこぼして膝をついた。
「ごめんなさい、悪気があった訳じゃないんです。ただどうしていいかわからなくてこんな事をして厚かましいとは思うのですが、どうか助けてくれませんか。お願いします後生ですから」
 必死で絞り出すような言葉に目を閉じ聞き入る。涙と嗚咽でいよいよ相手の言葉が不明瞭になる中、彼はようやくおもむろに手を差し伸べた。
「最初からそのつもりですよ。さぁ、行きましょう。こちらはもう全ての準備が出来てますから」

 ***

 すっかり煮詰まってだし汁すら枯渇した脳みそに潤いを求めるように俺は街へと繰り出した。
 なんてかっこ良く言ってはみたが俺は親の仕送りで生活する貧乏暮らしの大学生だ。使える金が限られているのだからご大層な場所に行ける訳じゃない。ただ漫然と歩いて気を紛らわすか近所の公園に行きベンチに座って呆けるか腹を膨らませるためにファストフード店にでも入るか、選択肢はそれくらいだろう。
 今は腹も減ってない。どこか座れる場所でゆっくりと休んでくつろぎたい気分だった。そうなると公園にでも行くのがいいだろうが今日は風がやや強いからあまり外にはいたく無いのが本音である。
 図書館も候補にあがるがあまりに静かすぎる場所は家にいるのと大差ない。それより適度な話し声がある方が気分転換になる木がする。当然、座って休める場所じゃないとダメだ。そう考えると行き先は一つしかないだろう。
 俺の足は自然と駅近くにあるコーヒーショップ「ストレイシープ」という店へ向かっていた。
 ストレイシープは雑居ビルの一階にあるコーヒーショップだ。駅前の大通りではなく少し引っ込んだ路地側にあり決して大きな店ではないが落ち着いた内装と外の雑踏から隔絶されたような空間が俺は気に入っている。
 おまけにコーヒーが安いのだ。一杯飲んで週刊誌一冊分程度の値段で済むというのは貧乏学生の俺にはありがたかったし、多少長居をしても文句を言われる事もないのも助かっている。
 正直なところコーヒー一杯でレポートなどを書き始める俺のような客は迷惑なんじゃないかと思うのだが、マスター曰く「普段からあんまり客が入る訳でもないし賑やかしで人がいるほうが寂しくないから」と言ってくれるのでよほど混んでいる時でなければ好意に甘えてゆっくり過ごさせてもらっていた。
 見慣れたストレイシープの看板を横目にしつつドアを開ければ軽やかなベルの音とともにマスターの視線がこちらへ向く。
「あ、いらっしゃい桜井くん」
 カウンターごしに俺の名前を呼ぶのは二十代半ばかあるいは後半に入るかくらいのまだ年若いマスターだ。 白いシャツに黒のベスト、ギャルソンエプロンといった出で立ちはいかにもバリスタといった格好はさぞ美味そうなコーヒーを入れてくれそうな雰囲気を醸し出しているし実際出されるコーヒーはいつだって美味いのだが今日も客がいないのか椅子に腰掛け新聞を読んでいた。
 何度も通っているから俺の名前を覚えてくれているのは大学に通うため一人で田舎からやってきた俺にとっては少し嬉しいことだがこうも閑散としているのは心配だ。果たして生計が成り立っているのだろうか。
「おじゃまします、マスター。席、開いてますか?」
「いつも開いてるよ。ウチは暇だからね。ま、入って入って」
 マスターに促され店に入ればカウンター席に座る女が大げさなくらいに手を振って見せた。
「あ、タテノが来たよー。やっほー、タテノー。ほらここ、ここ、サクラさんの隣が開いてるよー、どーぞ座ってー」
 満面に笑みを浮かべて声をかけてくる女は館野サクラ。俺と同じ大学に通っており同じ講義を取っているので自然とよく連むようになっていた女友達というやつだ。話すきっかけになったのは入学してまだ間もない頃、俺がスマホで遊んでいたアプリゲームを見てすぐ「アタシもそれ遊んでるゲーム! 良かったらフレンドになってくれないかなー」なんて喜びながら話しかけられた事だろうか。 それから色々雑談しているうち、俺の名前が「桜井達乃(さくらいたての)」であいつの名前は「館野(たての)サクラ」と、お互いの名前と名字をひっくり返したような響きであった事から妙に親近感がわいたのだ。しかもお互い田舎からやってきて現在は一人暮らし。住んでる街も同じな上、趣味はホラー映画を見る事やゲームで遊ぶ事とやけに共通点が多かったのがサクラに懐かれている最大の理由だろう。
 今では互いの家に遊びにいって泊まりがけでくだらないホラー映画を見たり対戦プレイの出来るゲームを一晩中遊び倒したりするという仲だ。
 なんていうと周囲の連中は男女が泊まりで遊ぶのだから恋人同士なのだろうと疑ったりもするのだが、俺にとってサクラは恋人というより妹のような感覚がどうにも抜けないでいる。もっと言うとゲーム好きな男友達と一緒にいるような気軽さがありどうにも恋愛感情に至らないのだった。
 別にサクラが可愛くないという訳ではないのだが、あまりに自分とタイプが似ているからだろうか。女性相手に恋愛感情もなく接する事が出来るなど自分でも不思議なくらいだったが今はこの男友達のようなサクラとの関係が心地よいしそれを変える気もない。
 それはサクラも同じようでお互い決して「付き合って」とか「彼氏・彼女になろう」なんて甘い言葉が出る事はないまま今でも男女の友情を楽しんでいるようだった。
「おぅ、サクラ。おまえも息抜きか」
 誘われるがまま俺はサクラの隣に座る。サクラは椅子の上で足をぶらぶら揺らしていた。
「そうそう。課題に行き詰まっちゃってねー。もー、頭からケムリが出てきそうだったから一休みしにきたんだ。タテノも?」
「まぁな。考えすぎて脳みそ耳から出てきそうだったから気晴らしにコーヒーでもと思ったんだよ」
「あははー、お互い大変だよねー。もうあんまり時間ないから気晴らしのゲームも出来ないし」
 サクラの前にはコーヒーフロートが置かれている。まだあまり口をつけてないあたり今来た所なのだろう。
「全くだ、俺もスマホゲーはログインボーナスだけもらってほとんど触れてないしな」
 なんて愚痴を漏らしていた。それからしばらくサクラと今遊んでるスマホゲーの最新イベントで加入するキャラクター性能についてや最近サクラが遊んでいるゲームに出るボスのギミック攻略などを話しているとドアから軽やかなベルの音が鳴る。俺たちの他に新しい客が来たのだろうと思い何とはなしに目を向ければ見知った顔だった。
「おじゃまします、マスター。あ……タテノさんとサクラさんも来ていたんですね」
 現れたのは有瀬和次(ありせかずし)という男で、このあたりで一等に頭のいい連中が集まる進学校に通っている秀才だ。駅前の予備校前やその後に休憩をしたり予習や復習するためによくストレイシープにやってくるのだという。
 俺やサクラを知っているのは、俺たちが店の迷惑なんて考えずモンスターハンター最新作をプレイしていた時「僕もご一緒していいですか」なんておずおずとゲーム機を差し出したのがきっかけだった。ソロプレイでは討伐が難しいモンスターがいて協力プレイ相手を探していたらしく、同じゲームが好きなもの同士それから顔をみると情報交換をしたり協力プレイをするようになっていたのだ。
 店のマスターも「すごく混んでる時は困るけど、たいして客がいない時なら別にいいよ。お客さんが誰もいなくなると寂しいからね」なんて笑いながら言ってくれるからその好意に甘えてゲームで遊んでいるうちに最近ではすっかりゲーム仲間の一人となっている。いやはや、俺にある出会いの思い出はゲームをプレイしている時に声をかけられる事が多いな。俺が場所も弁えずゲームをしすぎなのかもしれないが、ゲームをしていると声をかけやすいオーラとか出るのだろうか。
 そうだ、有瀬が俺たちをタテノ、サクラと名前で呼ぶのが俺とサクラがよくこの店で鉢合わせするということと俺の名前が「達乃」でサクラの名字と同じだから混同しないようにそう呼んでいる。俺たちにとってもその方が解りやすいのでそうしてもらっているのだ。
「やっほー、カズシくーん」「よぉ、有瀬。これから予備校か?」
 俺たちがほとんど同時に声をかければ有瀬は俺から一つ席をあけた隣に腰掛けると有瀬はいつものようにアイスカフェオレを注文し、すぐにこちらへ向き直った。
「ちょうどよかった、実はお二人に見て欲しいものがあるんですよ」
 有瀬はそんな前置きをして鞄から一つの箱を取り出す。
 それは正六面体の手のひらにのる程度の大きさの箱だったのだが俺は一目見てその箱に違和感を覚えた。普通の箱というのは何かを出し入れするためにあるものだろうがその箱には開け口らしい部分が一切なく完全に密閉されていたからだ。密閉されているという事は中身は空なのか、それとも何か入れてから封をしたのだろうか。俺は箱を手に取ってためしにそれを振って見れば中からカサカサとん何かがこすれる音がした。音がしたという事は何かしらが入っているのは確かだがやはり開けられそうな場所はなく、中身を取り出すには箱を壊すしかなさそうだった。中に見られたくないものでも入れてあるのだろうかとも思ったがそれならこんな目立つ箱に入れておくのも妙だ。
「何だこりゃ。箱だけど全部の板がくっついてるな。組み木細工って訳でもなさそうだが」
 俺はカウンターに箱を置くと今度はサクラが珍しそうに手にとっていた。磨かれた木目に指を当て押したり引いたり、どこか動く場所がないか探っているが何処も動きそうにない。やはり接着されて中身を取り出せないようにしているのだろう。 俺たちが面白半分で箱を弄っていると有瀬は含み笑いを見せた。
「それ、どうやらコトリバコのようなんですよ」
「コトリバコ? コトリバコだって?」
 コトリバコという言葉を聞いて俺は随分と懐かしい気持ちになった。確かまだSNSが今ほど活発じゃない頃現実よりインターネットに心地よさを覚えていた俺のような人間は誰かと交流めいたものを求め有象無象の情報が集まる巨大掲示板に入り浸っていた頃に聞いた言葉だったからだ。
 その掲示板は料理のレシピから仕事の愚痴、裏社会のアングラな話題や哲学やオカルトといった様々な話が日々飛び交っており普段は他のジャンルの話題がどこかに飛び火する事など滅多にないのだが「コトリバコ」の話は本来オカルトジャンルで賑わっていた話だったはずだが俺が普段見ていたゲームジャンルの掲示板でも随分と注目されていたのを覚えている。俺も実際目にしたが日常に潜む非日常を感じさせる妙な生々しさなどもあり別段オカルトに興味のない俺でも興味深く読んだのを記憶していた。
 一時期俺の学校でも不気味な噂話として広まっていた気もするからガキの頃の俺たちには中々の影響力があったと言っていいだろう。
「コトリバコってアレだよね、あれ。あの、死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみよーって所で集まった、呪いの箱」
 サクラは自分のこめかみで指をぐるぐる回しながら記憶を探るような仕草を見せる。どうやらサクラも同じ話を過去に読んだ事か聞いたかしたことがあるようだ。
 詳しい話は忘れてしまったが、話の大筋はたしかこうだったはずだ。

 ある街で仲間と遊ぼうと集まった時一人の女の子が組み木細工のような箱をもってきた。
 集まった仲間の一人がパズルやゲームが好きで、自宅の物置かどこかからパズルめいた箱が出てきたからその人物なら開けられるのではと思い持ってきたのだ。
 だがそれを見たメンバーの一人が非道く狼狽える。彼は神社だか寺だかそういった場所の生まれであり彼女のもってきた箱が他者を呪うための道具、いわゆる呪具であるのを知っていたのだ。
 彼は箱を見た瞬間、恐ろしさと拒絶から嘔吐をし泣きながらも親戚に連絡して「コトリバコ」と呼ばれる箱に残る呪いを祓う手順を踏み、その場は事なきを得るのだった……。

 詳細は覚えていないが大筋はこのような話だったはずだ。
「でも、あの話ってちょっと不気味だなーと思うけど結局呪いとは何だったのか! とか、この呪いのせいで友人が翌日死にました! みたいな具体的な話はなかったよねー? 幽霊が出たとか呪われて悪夢を見たとかそういう話でもなかったし。あ、確かに不気味な話だし、なんか箱の正体もはっきりしないからそういう所は怖いなーって思ったけどさ」
 サクラはそう言いながら足をまたブラブラさせる。やはり俺とサクラの知ってる話はどうやら大差ないようだ。 俺はサクラの話に頷きながらマスターが差し出したブレンドコーヒーを受け取れば有瀬はそんな俺たちを見るとふっと小さく息を吐いた。
「お二人ともコトリバコの話はそこまでしかご存じないんですね」
「そこまでしか、ってまだあの話続きがあるのか」
 コーヒーにたっぷりとミルクを入れてかき混ぜる俺を見て、有瀬は目を閉じ話し始めた。
「インターネットという場所は些末なきっかけを与えると膨大な知識や経験が引き出される事があります。それは真偽など分かった物ではないんですがコトリバコの話も多くの人々から興味関心を受けたようでしてね、『自分も似たような箱を知っている』といった情報が数多に現れましてね。あれから各地より『うちにもある』『その伝承を知っている』という書き込みが次々と現れ、今は1860年代に作られた品である事や中には間引きされた子供の一部が入れられている事。代々神社や寺などで管理され呪いにより一族を根絶やしにするなどといった設定が。もとい、情報が追加されているそうですよ」
 有瀬は設定を情報と言い直しはしたが、実際それは数多の人間が考え最もらしく面白いものが採用されていった新たな設定と呼ぶのが近いような話で実態はない噂話なのだろう。
 1860年と言えばおおよそ160年前だが本当にその時代で呪いの品を作っていたのならそれを指し示すような文献などがあっても不思議ではないはずだ。扱いを間違えると危険な呪いの類いならなおさら絵や記録を残して間違いのないよう伝えられているだろう。
 例えそれを知られたくないものがいて詳しい情報を書き記すのを禁じていたとしても人間ってのは秘密というのを話したくなるような生き物だ。また個々の思惑というのがある限り共通の秘密を持っていても一枚岩で協力できるって訳でもない。 秘密を握りたい者や子供の間引きに罪悪感をもつ者など何かしらの理由で噂や文献というのは漏れていくものであり、そのような文献が発見されていないというのならインターネット上でそれを見た人間が面白半分で盛り上がり恐ろしい話を継ぎ足していった結果が現在伝わっているコトリバコの話だと考えるのが妥当だろう。
 なんて風に考える俺はオカルトに否定的な現実主義者だと思われるかもしれないが、俺はこれで怖い話やオカルト、怪異といったものは目がないしホラー関連なら映画も漫画もゲームもアニメもあらかた楽しめるオールラウンダーのオカルト好きだと自分では思っている。当然、テレビでやる夏の心霊特集なんかは大好きだし何ならUFOの調査やUMAを探すために世界各地へ向かう番組なんかを見るとテンションがつき上がる。そういう性格だからこそ情報源が「誰かの噂」といった「友達の友達から聞いた話」みたいなものは拡散されるだけで実態のない噂なのだろうと思ってしまうのだ。
 最も、思ってしまうだけでその噂を否定するほど俺は狭量じゃない。むしろ「友達の友達から聞いた」といった要領で「インターネットでこんな話があった」と拡散され存在を強めてくる噂話はかなり好きだから、コトリバコがそのように恐ろしい呪いとして伝わっているのも面白いと思っている。
「なるほど随分とご大層な事になってるんだな。で、コトリバコにはどんな呪いがあるんだ?」
 俺の問いかけに有瀬は視線を宙に向け顎に手を触れ考える仕草をした。
「僕が聞いた時はコトリバコはそれを家に置いているだけで内蔵がちぎれて死ぬといった話になってましたよ。見た目が綺麗な箱ですから間違えて子供が持ち帰りその一家が全滅した事から管理が厳重になされるようになったそうです。何でも女性や子供に対しては特に効果があるらしいですよ」
「えぇー、女の子に対して強い効果があるの? アタシ女の子だけど思いっきり触っちゃったよ。じゃ、アタシ明日にでも内蔵ぶちまけて死んじゃう? うわー、やだなー。死ぬ前に焼肉をおなかいっぱい食べたーい。厚切りのタン塩とかカルビとか。あー、死ぬ前に食べたい! タテノー、焼肉おごってー」
 有瀬の話を聞いてサクラはコトリバコから手を離すと俺の方をみて笑う。これはコトリバコの呪いのことではなく焼肉の事を考えている顔だ。
「いやだよ。自分で喰え、自分の金で喰う焼肉が一番うまいぞ」
「人のお金で食う寿司と焼肉がいちばんうまいよー」
「それはわかるが、俺じゃなく石油王とかに言え」
 サクラは有瀬の話を聞いてもあっけらかんとしている。呪いなんて信じていないのかそれとも自分は大丈夫だと思っているのか。聞いた時にはすでに触ってしまったからもう仕方ないと思ったのかもしれない。だが何を思っていたとしても絶対に焼肉は奢らんぞ。 サクラは細い身体のわりに滅茶苦茶飯を食うのだ。下手に餌付けしたら俺が破産する。
 俺は「食べ放題じゃなくて高い焼肉がいい」「叙々苑がいい」などと言い出すサクラを横に有瀬を見た。
「呪いだけじゃなく、作り方とか管理も伝わってんだな?」
「はい。もともとコトリバコは差別により貧困にあえぐ集落の者が逃げてきたよそ者をかくまう対価として伝えられた呪術のようです。箱の中に間引きで殺した子供の血や指などを入れて迫害した相手の家に置くと、その家は次々と不幸に見舞われ一族が根絶やしになるらしいですよ。その呪いが強すぎる故に複数人で管理していたそうですがそのように管理体制が厳重になったのは先ほど語った、意図せず子供が持ち帰り自分たちの集落に住む者が死んでしまったのが原因らしいですね」
「まってまってカズシくん。間引きって、子供殺しちゃうってことだよね? 子供、殺しちゃうとかいいの? ほら、子供だって働き手だから安易に殺しちゃったら働き手とか困るんじゃないかな」
「そこは貧困にあえぐ土地ですからね。この年を越えられないほど食事に困るようだったら働き手にならない幼子や病になった子供たちが呪術に扱われていたのでしょう。子供も当然働き手にはなりますが今より医療の発達してない頃は子供などずっと死んでしまう確率が高かったでしょうからね」
 そこでマスターは有瀬の前にアイスカフェオレを置き、有瀬はすぐに一口飲んで喉を潤す。いやはや、インターネット上では様々な想像を働かせる人間がいるがコトリバコの周りには随分とおぞましい話が付加されたものだ。
「なるほど、コトリバコがどれだけヤバい品なのかってのはわかったよ。で、有瀬はこのコトリバコらしいモノを何処からもってきたんだ。まさかお前の家に蔵があってそこに安置されてたとかじゃ無いよな」
 コトリバコが大層な呪いをもつ品なのはわかった。だがそれが何故ここにあるのかという理由は全くわかっていない。俺が当然の疑問を有瀬にぶつければ、有瀬はアイスカフェオレをもう一口飲んでからこたえた。
「もちろん僕の家から見つかった訳ではないですよ。話せば長い事情があるのですが」
「長いのはやだー、短く話してー」
 サクラはカウンターに突っ伏すようにしてコトリバコを眺めている。何て自由なやつだ、こういう時は長い話をきちんと聞いて世界観設定などを把握するのがスジだろう。こいつ、RPGで置いてある本や絵を全部調べないしダンジョンにある宝箱も面倒なら開けずに進めてしまうタイプだな。とは思ったが俺もあんまり長い話はゴメンだ。有瀬は普段寡黙なくせに好きな話になるととたんに饒舌になりやけに長話になるからだ。
「ではサクラさんのリクエストにお応えして手短に説明しますが、解らない部分があったら質問してくださいね。えぇと、うちの学校に新聞部がありまして、そこは未来のジャーナリストを目指す血気盛んな部員が多く所属しているんです。生徒からのスクープなども募っていて面白い噂話などを投函できる箱なんかも設置しているんですよ。最もほとんどの生徒はそれをゴミ箱だと思っていて中にはキャンディの包み紙とか噛み終わって味のしないガムとかが入っている事が多いようなんですどね。これは新聞部が設置したその情報提供用の箱に入れられていたそうですよ。血のように赤いインクで『コトリバコ』と書かれたメモだけが貼り付けられていたそうです」
 手短に話せといったのにやはり有瀬の話は長かったし余計な説明も入っていたが何故あったのか、というのはわかった。誰かが持ち込んだという事だろう。
 しかしどうして新聞部だったのかというのは全くわからない。コトリバコは確かに面白い噂だと思うが一般的に新聞部が取り扱うようなネタだとは思えないが悪戯にしては悪趣味だし、新聞部に本気で呪い殺したい相手がいるのだとしたらあまりに堂々と起きすぎだ。コトリバコの話からすると置くだけで効果があるのだから誰かを呪いたいのならもっとこっそりと置くだろう。
「何で新聞部に置いたんだろうねー。コトリバコって置いておくだけで効果がある呪いなんでしょ? それだったらわざわざコトリバコって書いておく必用なんてないし。新聞部で除霊とかするの? 新聞部にオカルト専属霊媒師とかいるのかな」
 サクラも同じ疑問をもったようだった。何だか俺の考えを復唱するみたいになっているが確かにそこは気になる所だ。
 コトリバコを置いた「犯人」は何の目的で新聞部を選んだのだろうか。
「もちろん、除霊なんてことを新聞部はしませんよ。そもそもウチの学校に霊媒師みたいな人材はいませんから。あぁ、寺や神社の子供ってのはいるとは思いますが寺生まれだからって呪いや幽霊を退治できるって訳でもないですしね。だから新聞部に持ち込まれた理由は部員たちにも分からないようです。呪われる心当たりも皆さん無いそうですが、人間は時に身勝手な理由で他人を恨みますし僕たち学生はまだ子供なのですぐカッとなって感情の赴くまま行動をしてしまうような未熟さもありますから、呪いなんて幼稚なことを試す生徒が完全にいないとは言い切れないとも言ってましたよ」
 と、そこで有瀬は長く息を吐いた。
「教師に報告してもつまらない悪戯で片付けられてしまうでしょうし、新聞部としてもせっかく持ち込まれたのだから誰が何のためにこれを新聞部に預けたのか。果たして本当のコトリバコなのかといった調査はしたいと思っているようです。ですが呪いの品を手元においておくのはやはり嫌だったみたいでしてね。取材はしてみたいがどうしたものかと部員たちが悩んでいたようで、そこで僕が引き取る事にしたんです。僕は新聞部ではないのですが新聞部の部長とたまたま顔見知りでしてね。そのような話を聞いたので、それならこれの正体がわかるまでは僕が預かりますと告げて借りてきたんですよ」
 なんと有瀬はコトリバコが呪いの箱だというのを知った上でそれを預かってきたのだ。こいつは普段から伏し目がちでどちらかといえば華奢な弱々しい印象の男に見えるのだが繊細な外見とは裏腹にかなり肝が据わっているのかもしれない。呪いやタタリといったものを信じてない人間でも家に禍々しい言われのある物品を置いておくのはあまり気持ちの良いものではないだろう。そう思って有瀬を見る俺の視線に気付いたのかあいつは不適に笑って見せた。
「コトリバコは女性や子供に対しての効果が高いそうです。僕はまだ子供かもしれませんが男ですし、僕の家は両親が海外出張でいないので今は家に女性もいませんから呪いの効果があったとしても緩やかだろうと思ったんですよ。それにもし本当に呪いがあるならどうやって内蔵が引きちぎられるのか体験してみたいじゃないですか。想像しただけで興味深いですよ、何もしてないのに内蔵がズタズタに引き裂かれるなんて」
 いや、度胸があるとかじゃない。有瀬はただちょっと変った奴なだけだろう。
 呪われているといわれるものはそれが可愛い人形であっても手元においておきたい奴の方が少数派だろうが有瀬はその少数派の方なのだ。 しかも例え呪われたとしても自分の好奇心を満たせるならそのほうがよっぽど楽しいといった考え方をする人間なのだから仕方が無い。
「有瀬ェ、好奇心猫を殺すって言葉知ってるか? ろくな死に方しねぇぞお前」
「ははッ、褒め言葉だと思っておきますよ。タテノさん」
 俺の言葉を聞いても有瀬はなお笑っている。その顔は好奇心で死ねる猫は幸せだろうといった様子さえあった。
 朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりなんて言葉がある。孔子の言葉で意味は「朝に自分の生きる道をしる事が出来たのならその日の夕方に死んでも満足だ」というような事だが有瀬もまさにそのような考えの持ち主なのだろう。
「ふーん。よくわかんないけど、とりあえずこのコトリバコっぽいもの、何か入ってるのは確かだよね」
 サクラはコトリバコを手に取ると自分の耳元で箱を振る。サクラの奴はコトリバコの内容を聞いてもさして怖れる様子はないがやはり呪いなんて信じてないか、この箱が最初っから偽物だとでも思っているのだろう。箱からは俺にも聞こえるほどの大きさでカサカサと何かが揺れる音がした。
 女だと無惨に内蔵がちぎれて死ぬ、なんて言われたばかりなのに臆さないところを見るとサクラもかなり変わり者だな。なんて思いながら俺はサクラからその箱を取り上げ改めて観察した。
 何度見ても箱は接着されておりどこからも開きそうにないがひどく安っぽい木材で作られており160年も前に作られたような印象はどこにもない。最も作り方がインターネットに載っているのならここ10年くらいで作った奴がいるかもしれないが、もし本当に子供の身体が使われていたのだとしたらそれはもう大事件だ。
「えらく新しい箱だよな。木が古い感じもしないし、噂にあるコトリバコはパズルみたいな箱だったよな。組み木細工みたいに開けられる感じじゃない。これたぶん、木工用ボンドか何かで無理矢理箱にしただけだろ。随分と邪悪なDIYがあったもんだよ」
 俺の言葉に有瀬も頷いて見せる。そしてスマホを操作し画面をこちらに向けた。
「タテノさんの言う通りですよ。この木材はたぶんワンコインショップで購入したものです。ほら、同じような木材がオンラインショップでも販売してるでしょう」
 画面には俺が手にしている箱とよく似た木材が乗せられている。なるほど、この木材をいくつか買って箱状にし木工用ボンドで無理矢理貼り付けたらこの形にはなるか。 箱にはニスが塗ってあるらしくライトの下でてらてら光っており呪いのコトリバコを名乗るにはやはりやや新しすぎるし可愛く作られすぎている気がした。これではすぐに突貫工事の偽物だというのはバレてしまうだろうが、本物っぽくするつもりなど最初からなかったのだろうか。
「うん、やっぱり中に何か入っているな。有瀬、コトリバコって普通は何が入っているものなんだ? さっきは指だか血だか言ってたが……」
 俺は箱をカウンターに置きながら問いかける。あいにくコトリバコについては初期の噂しか知らないから作り方や忌々しい呪いなどといった事は俺にはわからなかったからだ。有瀬は口元に手を当てると少し考えるような仕草を見せた。
「えぇと、コトリバコは最初に箱の中を畜生の血で満たすそうです」
「畜生っていえば人間以外の動物だったら鳥や獣、虫や魚全部のことだろうが血を箱に入れられて手軽に捕まえられる動物っていったら犬や猫あたりだろうな」
「そうですね、僕もそうだと思います。箱の中をいっぱい動物の血で満たした後一週間ほど放置して血が乾ききらないうちに間引いた子供の血と、身体の一部を入れるそうですよ。子供は人差し指で、生後間もない子供だったらへその緒だそうです。はらわたの血なども入れるみたいですね」
「生き血ねぇ」
 箱を振った時は乾いたカサカサという音しかしなかった。生き血に満たされていたらチャプチャプといった水っぽい音がするだろうから少なくとも生き血は入っていないか入っていてもカラカラに乾いているだろう。 何にしてもあまり衛生的とは言いがたい。
「とにかくさー、中見てみたいよね。開けられないかなこれ?」
 俺たちが話している横でサクラは箱を手に取り力任せに何処かを開けようとする。それを見て俺は慌てた。サクラの奴は力の加減ってのを知らないのかよくモノを壊すからだ。
「お、おい、まてサクラ! お前がそんな事したら」
 慌てて止めようとしたが時すでに遅しだ。サクラが「えいっ」と力をこめれば箱はバキッと鈍い音がして亀裂が入りそのままぽろぽろ崩れてしまったのだ。 やはりワンコインショップの木材ではサクラの腕力に絶えきれなかったか。俺はどこか諦めの境地に達していた。
 しかしサクラ、どうしてお前はそんなにモノを破壊するのが得意なんだ。破壊神の生まれ代わりなのか? だが破壊神というのは破壊した後に再生をも司るもんじゃないのか? おまえは破壊してしっぱなしじゃないか。現代兵器か何かか?  カボチャの煮付けを作るためカボチャを切ろうとしてウチの包丁とまな板をぶっ壊しカボチャは無傷だったのが昨日のように思い出される。 俺の家にあったコントローラーのアナログスティックをすでに2本も折っているから今はサクラにはコントローラーを持ち込みさせているし、この前シャンパンを開けようとしてシャンパンの瓶を割ったよな。女にしてはやや力のある方だろうが、それにしたってデストロイヤーがすぎる。 せめてそれに気付いて優しく、フェザータッチで触れるということを常に頭に置いてほしいのだがそれが出来るのならこんな有様にはなっていないだろうな、そうだな。
「あーあ、壊れちゃったよタテノ。責任とりなさい」
「お前が壊したんだろうが! どうするんだコレ」
 しかも俺のせいにするのは止めて欲しい。俺はお前と違って画面がバッキバキに割れたスマホなんて使ってないからな。
 俺は慌てて壊れた木くずなどを拾い集めた。店の中だってのに遠慮がないんだよな、サクラの破壊者っぷりは等とて思っている俺を前に、マスターは肩をふるわせて笑っていた。
「あぁ、すいませんマスター。なんか汚しちゃって……」
「ははッ、いいさいいさ。帰るまでに掃除しておいてくれればな。それにしてもサクラちゃん大胆だねぇ、呪いの品かもしれないってのにそれをぶっ壊しちゃうなんて」
 どうやらマスターは俺たちのやりとりを聞いていたらしい。それを聞いた上で躊躇いなく箱を壊したサクラがよほど面白かったのだろう。目に涙まで浮かべて笑っている。
「マスター、やだなー。アタシ呪われて死んじゃうかもしれないんだよー」
「その時は幽霊になってもコーヒー飲みにおいで。幽霊にはタダにしてあげるから」
 笑いをこらえ言うマスターを見る限り怒っていないようで安心した。ここのマスターは俺たちみたいな学生が多少のバカをやっても寛容だからありがたい。 最も寛容だからといって掃除もせず黙っているのはスジじゃないからちゃんと片付けはしていかないとな。等と思って中身を集める俺を、有瀬は興味津々といった様子でのぞき込んできた。
「それで、中には何が入っていたんですか。タテノさん、サクラさん」
 どうやら有瀬も呪い云々より箱の中身が気になっていたようだ。呪われたコトリバコの話を始めたのも開け方がわからないから俺たちにどうしたらいいのか相談がしたかったというのが本音だったのだろう。 その本題を切り出す前にサクラが箱を壊してしまった訳だが。
「ちょっと待ってろよ、えーっとな」
 俺はポケットからハンカチを取り出すとその上に壊れた箱と中身を並べた。
 割れた木片の隙間から出たのは黒髪が一房。それに、爪のようなもの、とは乾燥し干物のようになったナニカだ。 爪は切られた白い部分だけがバラバラと出てきたが、一枚だけやや大きいものがあった。 本当に人間の指が出てきたらどうしようかと思っていたが、爪だけならまだ安心だ。だが一枚だけやや大きめの爪が入っているのは少しばかり気になる。
 それにこの干物のように乾いた物体は何だろうか。へその緒だったら洒落にならないがへその緒にしては大きすぎるが。
「これだけだ。主には髪の毛と、爪と、変な干物みたいなのだ」
「あと、木片」
「おい、木片はサクラがぶっ壊した木の破片だろうが。別に中に入ってた訳じゃない」
 並べられた中身を見て、有瀬は首を傾げる。
「髪の毛や爪というのはコトリバコの中身ではないですね……」
 その表情にわずかな落胆の色が見えたのは中に触れるのもおぞましいような何かが入っているのを多少は期待していたからだろう。 趣味が悪い奴だとは思うがその気持ちは少し理解できる。
 長らく開かなくなった古い金庫が置かれていたら中に大判小判がざっくざくに入ってしまうのを期待してしまうだろうし、旧家の奥に開かずの間などが存在すれば座敷牢だったのではと想像してしまうものだろう。 開かない箱や扉の向こうに自分の期待や好奇心を満たすものが入っていてほしいなんて考えてしまうのは世の常人の常ってものだ。
 だが、実際に入っていたのは髪の毛に爪といった人間の想像範囲内にあるものだった。髪の毛なんてものが入っているのは見ればギョッとはするが正体がわかってしまえばさして怖いものではない。 ただ一つ、正体不明の渇いた物体があるのは気味が悪いが。
「ね、ね、タテノ。このカラッカラに乾いたミイラ、カエルの死体じゃないかな」
「はぁ、カエルだって?」
「うん、アタシの実家って結構田舎なんだけど梅雨が開けるとアスファルトの上にね、行き場のなくなったアマガエルの死骸がこうやってカラッカラに乾いて真っ黒になって転がってるんだよね」
 サクラはそう言いながら正体不明の乾いたナニカをつまみ上げる。こいつ、それがカエルの死体かもしれないと知っていてそれをつまめるなんて何て強ェ女なんだ。きっとガキの頃田んぼに入ってカエルの卵を持ち上げたりカマキリの卵を家に持ち帰り羽化した大量のカマキリで家の中を滅茶苦茶にしたことがあるに違いない。
 そういえば以前、俺の部屋にゴキブ……黒くてテラテラした口に出すのもおぞましい不快害虫が出た時躊躇いなく俺のスリッパでぶっ叩いて倒していた。虫や蛙といった一部の人間が嫌悪感を示すような生き物に対してあまり不快に思わないのだろう。 俺はサクラが黒い不快害虫を倒したスリッパを泣く泣く捨てたのだが。
 俺がそんな悲しい思い出に浸っているのなど一切気にせず、サクラはカエルのミイラらしい物体を俺や有瀬へと向けた。
「ほら、こっちがカエルのおなかで四肢がキュッとたたんであるよねー。死体って筋肉が力を入れない状態に戻っていくんだけど、カエルの場合この香箱座りみたいにきゅっと小さくなる姿のまま死んでる事がよくあるんだよー。あ、こっちが頭で三角に尖ってるのが口。口のあたりがまぁるくなってるでしょ、これは目の部分。ガリガリに痩せて背骨が浮き出てるし、これカエルさんだよ間違いなーい。カエルじゃなくても背骨あるんだから脊椎動物だよ。普通の生き物の死体だから怖くないよー」
 俺はそれを普通に触って解説しているおまえが怖いよサクラ。ほら、有瀬も流石にドン引きして引きつった顔で聞いている。
 自慢じゃないが俺だって田舎育ちだ。小学校の頃は野山を駆けまわるそこそこの山猿として育っていたし夏休みともなれば蝉やらカブトムシを捕まえるため走り回った事もある。 だが何も怖れるものなどなかったガキの頃にあった純粋な精神などもう失われている俺は虫を触るのは避けたい。カエルが特別嫌いだという訳ではないがその死体を平然と触れるほど無頓着でもないのだ。 都会育ちの有瀬にはなおさら奇妙に見えたことだろう。
「わ、わかりましたサクラさん。それがカエルだというのはわかりましたよ。ですが、そうなるとますます何故この箱に入っているのか解りませんね。コトリバコには動物の血が必用とはありますが、カエルの血では少々量が足りない気がします。そもそもカエルがミイラになって死体ごと入れるなんて話は聞いた事がありませんよ」
「そうだよねー、つまりこれってコトリバコじゃないってことじゃないかなー」
 サクラはカエルのミイラを元の場所(つまり、俺のハンカチの上だ。帰ったらハンカチを消毒しよう)に置くとおしぼりで指先を拭いて首を傾げた。
「えぇ、そうなりますね。コトリバコを模造し周囲が騒ぐのをほくそ笑むような愉快犯の仕業でしょうか……何にしても、これ以上の情報はなさそうですね。箱を開ければ何かわかると思ったんですが」
 有瀬は口元に指先を当て思案する。
 これ以上は何の情報もないと有瀬は言ったが、果たしてそうだろうか。
 新聞部に置かれたコトリバコ。
 コトリバコの話は俺も知っている。有名かどうかは解らないが有瀬も知っているのなら今でも廃れた噂ではないだろう。 仮に知らない生徒がいたとしても新聞部の人間が意味深に置かれた木箱を捨て置くなんて事をするだろうか。有瀬の話だと新聞部は未来のジャーナリストを目指す志の高い集団のようだ。面白いネタがあれば食いつくに違いない。 コトリバコを知らないという人間も今は誰だってスマホをもっている時代だ。手にあるスマホで調べれば有瀬の語る噂話にすぐに行き着く事だろう。
 それに、箱の中身も妙だ。
 入っているのは髪の毛、これは一房はありそうだ。肩ほどある髪を結い上げた時、その結い上げた髪全てを切ったらこうなるだろう。 切り口は非道く歪で、地味な色のヘアゴムで一つにまとめられている事からもこれがごく最近に作られたものだというのがわかる。
 爪は基本的には短く切られた爪だ。爪切りで切ったものを集めたのだろう。数も少ないから日頃から爪を集める趣味がある人間がそのコレクションの一部を入れてみたという訳ではないだろう。 最も、日頃から爪を集める趣味がある人間なんてあまり居て欲しくないものだ。植物のように静かに暮らしたいと言いつつ人を爆破させて殺すのに躊躇がない相手だったら困る。
 この細々とした爪のなかで一枚だけやや大きな爪があるのは気になる所だ。
 カエルのミイラは何の意味もないものなのだろうか。 普通はこんな不気味なものを好んで拾う奴はいないだろう。サクラは平気で触っていたがそれも箱から出てきた事による好奇心によるものだ。 そのへんで乾いて死んでるカエルを見つけたとしてそれを嬉々として拾ってくる訳ではないだろう、たぶん。いや、サクラだったらひょっとしたら集めている可能性はあるがそれはどちらかというと一般的な趣味ではない、サクラ独特の個性といえよう。
 考えた上で、俺は一つの可能性に思い立っていた。
「俺はこれである程度、この『コトリバコ』を置いた人間の正体は絞れると思うけどな」
 俺の言葉にサクラと有瀬は目を丸くしてこちらを見る。それは半信半疑どころか「信じられない」「疑う余地しかない」といった視線であった。
 おいお前たち失礼だぞ、とは思うが俺は別に名探偵ではない極めて普通の大学生だ。旅行先で殺人事件に巻き込まれそれを解決するとか未解決事件をこっそり警察から持ち込まれているとかそういった影の姿がある訳ではないしミステリ小説が好きといった趣味も持ち合わせていないのだから疑問の視線は甘んじて受け入れよう。
 だがその時は偶然なんかピーンと来てしまったのだ。
「本当ですかタテノさん。それってこの箱を置いた人間の正体がわかるって事でしょうか。それとも目的が解るのですか」
「そんなかじり付くような勢いで迫らないでくれよ有瀬。いや、これは想像でしかないから推理ではなくあくまで俺の妄想だと思って話半分で聞いてくれればいいからそう思って聞いてくれよ」
 俺はそこで壊された箱を手に取った。
「まず、このコトリバコを置いた人物についてだ。ま、これは有瀬の通う学校の生徒で間違いはないだろうな。部外者が学校に侵入し異物を置いていくなんて普通は考えられないものな」
「そうでしょうねうちの学校はフェンスも高いですし校門も基本的には閉ざされています。生徒通用門など他の場所から第三者が入る事も考えられますが教師でもなく制服も着てない人物が入ってきたら事件になりかねませんよ」
「だよねー、アタシも高校の頃に一回だけ不審者が授業中に廊下をうろうろしていた事があってさ。すぐに警察が呼ばれて先生がサスマタもって追いかけてたもん。大事件だったよー」
 いま、さらっとサクラがなかなかヤバい体験を話した気がするが気にしないでおこう。 このサクラを育てた環境なんだから試練の多い土地でも不思議ではない。
「箱を置いたのが生徒だとするとそれが『何故コトリバコだったのか』そして『どうして新聞部に置かれていたのか』という部分だな。これは同じような意図になるんだが、新聞部の活動ってのはかなり盛んなんだよな、有瀬」
「はい。校内新聞は隔週ペースで更新されて目立つ場所に掲示されてる他、持ち帰れるようにまとめられていたりもします。新聞のコンクールなどにも出場して好成績を受賞しているそうですよ」
「新聞の内容はどういう傾向なんだ?」
「そうですね、各部活動のエースの話題や美術や書道の入賞者インタビューといった生徒によりそったものが多いですが、学生を取り巻く社会情勢や人気のスポーツの話題、郷土史に関わるコラムと結構色々な話題が取り上げられてますね」
「オカルト系の話題を取り上げられた事はないのか? ほら、あるだろう学校には。呪われたモアイ像とか……」
 そこまで言って、サクラは急に吹き出した。何だよ、俺は何か変な事言ったか?
「まってまって! タテノの学校、呪われたモアイ像あったの!?」
「あったぞ? えっ、まてサクラの学校にはなかったのか……? 俺の学校にはモアイ像を作った彫刻家が作品を仕上げて間もなく自殺した呪いのモアイ像があったんだが……いや、そのモアイ像はな。彫刻家が自殺したなんて縁起が悪いから撤去しようってなった時、ことごとく悪い事が起こるからとうとう手つかずになったという噂があるんだ……」
「モアイ像に?」
「あぁ、モアイ像に。いや、正確にいうとモアイ像じゃなく何かもっとエキゾチックな顔立ちをしていたが、みんながモアイ像と勝手に呼んでたんだよな……」
「あははは、何それー、変なのっ。普通の学校にはそんな怪談ないよー」
 サクラは腹を抱えて笑うが、俺はかなりの衝撃を感じていた。普通の学校に、モアイ像はないだと?  あれは俺の学校特有の代物だったのか? 俺は小学校の頃から学校に卒業生で彫刻家になった人物がデザインしたライオンの石膏像やら誰かは知らない人間の像なんかが飾ってあったからどこにでもそのような地元出身美術家の石像的なものが飾ってあるのだと思っていたのだが、これが地域色というやつか……。
「普通学校の怪談といったらトイレの花子さんとか、音楽室で勝手に鳴るピアノとか、目の光るベートーベンの肖像画とか。あとは動く人体模型とかそういうのだよー」
「そういうのもあったぞ。ただそれよりもあのモアイ像が不気味で……」
「あの、モアイ像が呪われている話はいいですから先に進んでもらえませんか?」
 しまった、モアイ像で盛り上がっていたら有瀬に怒られてしまった。だが確かに俺の学校にあったモアイ像は本題ではないから当然だ。閑話休題といこう。
「とにかく、その手の怪談話みたいなのは取り上げてないのか? 娯楽の多いゴシップ記事みたいなのだ」
「そうですね。あまりメインでは見かけませんが、去年の夏頃に出た新聞には学校内に伝わる怪談の特集が組まれていたと思いますよ。体育館に出る幽霊の噂についてその真偽を探る内容で、噂にある自殺した生徒が存在しないという事などかなり詳細に調べられた記事でした。この手の噂を検証するような記事が得意な生徒がいるようですね」
「なるほど。確か新聞部ではコトリバコについて『捨ててしまえ』というより『正体を突き止めたい』といった声が多かったんだよな」
「はい。真偽を確かめたいという様子でした」
 それなら俺の想像は当たらずとも遠からずといった所に落ち着きそうだ。 自信満々に言えるような内容ではないが話してみてもいいだろう。
「間違いない。というのはいささか早合点だろうが、それを考えるとこのコトリバコは恐らく新聞部に調査をしてほしいがために置かれたんだろうな」
「調査のため? 何でそんな回りくどい事をしたんですか」
「新聞部に、というよりは誰でもいいから気付いて欲しい。訴えたい事があったんだよ。この箱を作った人物にはな。だからこそ箱の作りは粗雑で壊しやすいようになってたんだろう」
 俺は箱の中に入っていたモノたち。爪や髪の毛、そしてカエルのミイラなどを改めて眺める。俺の推測はいいセンを行ってるとは思うがもし本当にこの推測通りなら、箱を置いた人物は決して余裕のある状態ではないだろう。
「コトリバコについては噂話として知ってる奴も多いんだろう? 実際俺やサクラも知っていた訳だし、知らなかったとしてもスマホで調べればすぐわかる時代だ。新聞部として『コトリバコです』と置かれたモノがあったら当然それについてスマホで調べたりすると思うんだが」
「そうですね。実際、この箱と手紙が置かれていた時に『コトリバコ』について検索して知った部員も多かったそうです」
「コトリバコは調べるとおぞましい呪いの品だってのがすぐわかる。そんなものが新聞部に置かれたら連中は当然、それをネタに記事を書こうとする訳だ。その時にコトリバコの噂も調べるだろうし真偽を確かめるはず。そして中を開ける奴もいるかもしれない。ま、実際は俺たちがこうして開けてしまった訳だが」
 そこでサクラは舌を出して「てへ」と口にする。可愛いふりしてもすでにお前が徒手にてこの箱を破壊した事実は覆らないのだ。今さら可愛いふりをするな。
「つまり、タテノさんはこの箱が置かれたのは新聞部に取材をされるために置いたということですか」
「そうだ。もし呪うためだったら目立って置かないもんだろ? こいつは呪いたい相手のところにこっそり置くのが普通のようだしそれでも充分効果があるみたいだからな。それに中身は噂にあるコトリバコに入ってるものと全然違う。コトリバコ、というセンセーショナルな言葉を用いて興味を引いたが実際は無関係の代物を置いたということはこの箱の正体を。そして箱を置いた人物についてを突き止めて欲しいというのが相手の目的だろうよ」
 俺の言葉を推し量るよう有瀬は顎に手をあてて考える。これは俺の妄想ではあるが否定する材料もあまりないといった様子がうかがえた。
「もし、コイツがオカルト研究会とか……いや、そんなもんあるか知らないが。そういったオカルト好きの手に渡っていればすぐさま偽物と見抜かれて捨て置かれるだろうが新聞部ならどうしてそこにあるのか、正体は何なのか、呪いは本当にあるのかそんなアプローチもするんじゃないのか。犯人……という言葉が適切かはわからんが、そいつの目的はそこだったって訳だよ」
「新聞部に置かれたのは調査のため、というのはわかりましたが何でそんな事をしているんですか。その生徒は」
「それは箱の中身を見れば何となくわかる。そして、その生徒が新聞部に直接話を伝えることが出来なかった理由もな」
 俺は箱に入っていた髪の毛を指さした。ヘアゴムでまとめられ歪に切断された一房の髪の毛だ。
「見てくれこの髪の毛。ちょうど肩くらいの長さがある髪を縛るとこんな感じにならないか?」
「あ、そうだねー。アタシも薄幸の美少女だったころ髪が長かったけど、縛るとこんな感じにまとまってたよー」
 お前に薄幸の時代なんてあったのか、サクラ。いや、サクラに関わると話が進まない。ここはスルーだ。
「しかもこの髪の毛、ゴムでまとめられてる。コトリバコってのは呪術につかう道具なんだからヘアゴムで止めた髪を一房入れるなんて明らかにおかしいだろう。赤ん坊が初めて髪の毛を切った時、記念にって髪をとっておくにしてもこんな風にはならないぞ。しかもこの髪、ひどく雑に切られてるじゃないか。美容師がやるような切り方じゃないよな」
「うん、美容師さんはすっごい丁寧だからねー。いくらベリーショートにしてくださいって注文でも縛った髪の毛を一房ばばーんと切り落とすなんて雑なことはしないよ」
「サクラの言う通りだ。だとするとこの髪は、自分で切ったか素人が雑に切ったかになるが……自分で切った可能性はひとまずおいて、素人が雑に髪を切るような状況ってのはどういう状況だと思う? 有瀬」
「まさか……」
 有瀬は俺の顔を見て、口元に手をあて改めて箱の中身を見る。有瀬は聡い奴だからここまで言われて箱の中身を見る事でその可能性に気付いたのだろう。
「そうだよな、普通はない。そんな事するのは……陰湿なイジメだよ。他人の長い髪を勝手に切っちまうような危険で残酷なイジメだ」
 俺の言葉に、サクラは目を丸くする。そして俺と髪の毛、爪、カエルの干物といったアイテムを交互に見た。
「えっ、えっ、じゃ、まって。この髪の毛、イジメられてる生徒が切られた髪を入れたってことー? わわー、この長さだったら女子生徒かなー。女の子のイジメって精神的にこたえるやつがすっごいんだって言うけど、これ相当タチの悪いいじめっ子だねー」
 イジメが陰湿でタチが悪いのに男女差なんて無いとは思うが他人の髪を切るのが相当に非道いというのは俺も同意見だ。そうして驚くサクラを前に有瀬は驚きの声を漏らしていた。
「はぁ……タテノさんそんな事もわかるんですか。見た目と違って観察力があるんですね……」
「どういう意味だよおい……だが、この箱を作った人物がイジメられてるとしたらここにある爪の意味合いも少しばかり変わってくるよな」
 俺は無数にある爪の破片に混じった、やや大きな爪を指さした。
「見てくれ、他の爪は爪切りで切ったくらいのサイズなのにこの爪だけ大きいだろう? ……イジメられて髪の毛を切られるくらいの事されてんだ。この爪の大きさが何を意味しているのか……想像に難くない、ってやつだよなァ」
 その言葉に、有瀬は息をのむ。察しの悪いサクラも剣呑な雰囲気を感じたのだろう。 やや気の毒そうな目で、その爪を見た。
「ねぇ、それってさぁタテノ……この虐められてる子、イジメてる相手に爪を……」
「おそらく、な。剥がされてる……だろう。コイツだけ明らかにデカい爪なのはそういうことだ」
「あ、じゃあこのカエルのミイラもさ。虐められている子がカバンに入れられたりってそういう嫌がらせに使われてたやつ……ってこと?」
「可能性は高いと思う。カエルが嫌いな生徒だったんじゃないか。そうじゃなければカエルのミイラなんて好んで拾ってこないだろう。カエルのミイラはコトリバコを作るのに関係ないものだしな」
 死んだカエルを押しつけられ髪の毛を切られた上、爪まで剥がされる壮絶なイジメだ。 それをされていた生徒はどれだけ辛かっただろうと考えるだけで胸が押しつぶされそうになるし、そんな所業をやってのけた人間がいると思うと反吐が出る。
 有瀬もそう思ったのだろう。しかも自分の学校にそんな所業を容易くやってのける生徒がいるなんて想像してなかったに違いない。有瀬の学校は品のいい進学校だからイジメをするようなヤバい奴も賢く立ち回っていたのだろう。あるいは他人を平気で傷つけるような人間が普通の生徒の顔をして何ごともなく学園生活を送っている事実におぞましさを覚えているのかもしれない。
 最もそれは現実社会だって一緒だよな。街を歩いてすれ違う普通っぽい奴らだって何をしてるかわかったもんじゃない。一見普通に見える奴が影で他人を蹴落として笑ってたりするのは世の常って奴なのだから。
「それだったら、どうして素直に『虐められてるから助けてくれ』って言わないんですか……」
 やるせない気持ちをぶつけるように有瀬は吐き出す。これはあくまで俺の妄想で確定ではないのだが、可能性がゼロではない事を有瀬も理解したのだろう。
「虐められてる、なんてなかなか言えないもんじゃないか? イジメを伝えれば大事になりかねないし家族にも心配かけちまうし、イジメてくる連中がどこかで見ているとなると助けなんて求めにくい。ましてやイジメられるような状態だ。周囲から孤立して相談できる友達もいなかったら新聞部に顔見知りがいるとも思えないだろ。見知らぬ相手にイジメを訴えて助けてもらえるなんて思えないし、必死に声をあげて誰も見向きをしなかったらそれこそ絶望だ」
「それは……確かに、その通りです……」
「ひょっとしたら、一度くらいは教師に助けを求めた事もあるかもしれないよな。だがじゃれ合い程度だと捨て置かれたり話し合って解決しようとイジメる相手と顔を合わせたりしたらもっと非道いイジメをされたかもしれないなんて、考えればきりが無いさ。だから託したんだろう。自分の壊れそうな心を引きずって、気付いて欲しいという思いをこめて作られた魂の叫び……それがこのコトリバコの正体だ」
 あぁ、しまった。うっかり「正体だ」だなんて断言してしまった。これで違ってたらすごく恥ずかしいだろ。後で有瀬から「全然違いましたよ」なんて報告を受けたら家に帰った時枕に顔を埋めてジタバタするしかない。
「というのは俺の妄想だけどな」
 俺はとりあえず、それを付け足しておいた。 俺は名探偵とかではないのだから自信満々で「トリックはこうなんだ!」とか「その証言は矛盾しています!」なんて叫ぶ事は出来ない小市民なのだから。
「もしそうだとしても……その生徒が誰だかわからないじゃないですか。イジメられてても何もできないですよ……」
 有瀬はやるせない表情で視線を落とす。こいつは変な奴だがイジメられている生徒がいるなら助けたいというくらいの気持ちは持ち合わせているようだ。
「そうでもないと思うぜ。この箱は今日置かれてたんだよな? 最近作られたのを見ると、髪を切られたのも爪を剥がされたのもそう前の話じゃないだろう。髪の色は見ての通り、染めたりしてない黒髪だ。ここ最近で肩ほどある髪を短くして、なおかつ小指の爪を怪我している生徒。この二つの条件に当てはまる人物なら限られてるんじゃないか」
 俺は剥がされたとおぼしき爪に自分の小指を向けた。
「ほら、この爪あんまり大きくないだろ? 俺の小指より小さい……こんなに小さい爪は小指の爪だろう」
 それを見て、サクラも真似るように爪に自分の小指を向ける。サクラの手は小さいがその爪は彼女の大きさと大差なく見えた。 やはり女子生徒の爪か。そうじゃなかったとしてもサクラと同程度の体格とみて間違いないだろう。サクラと同程度の体格ならやや小柄な体格といって良さそうだ。 すごく爪の小さい巨漢という可能性もあるのだが。
「髪が急に短くなって小指を怪我した恐らくは女子生徒、あるいは小柄な男子生徒に絞れば探せなくはないんじゃないか。イジメられてる可能性があるのなら尚更だな。最もこれは俺の妄想だから何をするかってのはお前に任せるがな」
「そうですね……」
 有瀬は長く息を吐く。カフェオレの氷が溶けてグラスにあたりカランと冷たい音がした。
「新聞部の部長には話をしておきますよ。一つの推測として。えぇと、髪を切るとか爪を剥がすのはイジメというよりももう暴力ですよね」
「そうだよー。えっと、確か髪の毛を切る、みたいなのは暴行罪になると思う。暴行っていうと殴る蹴るとかそんなDV的なものを想像するけど、身体に傷を負わせなくても適用されるんだー。で、爪を剥ぐのは傷害罪になるかな? 傷害罪はねー、怪我して生活に支障が出るような状態になるから。本当にイジメでそんなことされたら、犯罪なんだよねー犯罪。わー、怖いよ刑事罰だもん」
「サクラ、おまえ思ったより法律関係のはなし詳しいな」
「当たり前だよ! アタシ、逆転裁判とか大好きだし二時間サスペンスも大好きだもん!」
 架空の法廷が舞台の逆転裁判や二時間サスペンスが情報ソースというのはいささか心許ないがここまで来ればイジメではなく犯罪だろうというのは俺も同意見だ。
 有瀬はしばし思案するように口元に手を当てるとやがてゆっくりと顔を上げた。 そこには歪んだ笑みとある種の覚悟が浮かんでいる。
「それでしたら、この生徒を探してみましょう。そうですね……イジメの真実を暴き、イジめてる相手を徹底的にやり込めてイジメたことを後悔するくらい人生を滅茶苦茶にする。正義という大義名分で思う存分叩いてやるのなんて最高なショーじゃないですか」
 意地悪く笑う有瀬の顔は気持ち良い程清々しい悪人の笑顔をしていた。
 有瀬はやっぱり性格が悪い。これで頭はかなり回るからきっと論理的かつ陰湿に相手を追い詰めるに違いない。 だがわざわざ悪役めいた事を言うのもまた有瀬なりの落とし所なのだろうとも思う。正義感だけで相手を糾弾するよりも「自分もまた相手を追い詰める悪党なのだ」という心持ちでいたほうが手心を加えられるということを本心で察しているのかもしれない。
 人間ってのは自分が正義だと思い込んだ時にこそ強い暴力性を発揮する。その暴力性を制御しないまま相手にぶつけてしまったら、それはイジメと大差ないのだから。
 有瀬はマスターからビニール袋をもらうとその中にコトリバコであったものを入れて鞄へと戻した。
「イジメられてる子、可愛い子だったらいいねー。そしたらさ、カズシくん恋が芽生えるかもよー」
「弱った心につけ込むような卑怯者みたいな発想をしないでくださいよサクラさん。それに可愛い子がいいだなんて、ルッキズムに支配されるような考えは古いと思いますよ。相手がどのような容姿だろうと性別だろうと虐められていて助けを求めているのなら手を差し伸べてやるのがスジじゃないですか」
「うわ、現代っ子だねー」
 サクラは暢気な口調のままコーヒーフロートを飲む。アイスはすっかり溶けてほとんどクリームコーヒーが出来上がっていた。
「それに、どうせならイジメている相手が美形の方がいいですね僕は。卑怯にも他者を貶め暴力と恐怖で支配するようなロクデナシが美形であり、美形が顔を歪めて窮地に陥る姿を見る方が断然楽しいじゃないですか。それが男でも女でも、負けて悔しがる顔を見るのは美形の方が断然に気分が高揚するものです」
「うわ、カズシくん……すっごい悪い顔してるー。でもそれって、ルッキズムに支配された古い考えの人間なんじゃないの?」
「いいんですよ、僕はしょせん自分の欲望には勝てないか弱い人間ですからね」
 有瀬とサクラが軽口を叩くのを俺は横目で聞く。
 いや、軽く聞き流したが何て話してるんだこいつ。だが「綺麗な顔の相手を屈服させたい」という欲望は正直わかってしまったから、俺もきっとルッキズムに支配された古くさい人間なのだろう。
 それから俺たちは暫く他愛もない話をし、有瀬はいつものように予備校の時間がきたからと店を出ていった。
「イジメられてる子がさ、本当にいたなら……助けてあげられるといいねぇ」
 有瀬が店を出た後、サクラはぽつりと告げる。有瀬は頭も良いしあれで結構友人も多い。よっぽど下手に立ち回らなければ事態を打開するくらい造作もないだろう。
「あぁ、だが一番いいのは俺の妄想が全て見当外れでイジメられてる生徒なんてどこにもいなかった、なんてオチなんだけどな」
 俺はそんな事を言いながらカップに残るコーヒーを飲む。
 すっかり冷めたコーヒーはミルクがたっぷりと入れてあるにもかかわらず普段より苦い味がした。