>> 奴隷少年を買ったので
麻薬、象牙細工、奴隷。
この薄汚い裏路地では非合法な商品が当たり前のように並べられており、この路地に群がる連中は良心の呵責など一切なくそんな非合法な商品に目を輝かせて飛びついていた。
そして俺も、今日はそんな非合法な品物に目を光らせる、狼の一つである。
父母が死に、ろくすっぽ使用人も雇えない没落した我が家にせめてもの彩りをそえるため、奴隷を一人買い付けにきたのだ。
しかし、噂に聞いていたがこの闇の市場では、酒にたばこ、麻薬といった悪徳の娯楽は大概あり人々でごったがえしているのだが、行き交う人間の目は落ちくぼみどこか精気がない。
そして床に伏せる人間の多くはもう生き絶えているのか、身じろぎ一つしなかった。
長居は無用だ。ここに長くいて、この水があってしまったのなら、俗世間に戻るのも難しいだろう。
俺は幾分か足を早め、目的の店に足を踏み入れた。
奴隷商人は、日の当たらない路地裏でひっそりと店を構えていた。
中をのぞけば少年から老人まで、鎖につながれた奴隷たちが虚ろな視線で宙を仰いでいる。
先日、辺境の地で小さないざこざがあった。
おそらくはそのいざこざで流れついた民が奴隷商人に縄を打たれ、捕らわれたのだろう。
小屋に入った俺を、奴隷商人は片目だけ開け様子をみる。
俺を衛兵のたぐいだと思っているのか、その態度に強い警戒の色が見えたから、俺は商人の警戒をとるため、幾ばくかの金貨を握らせた。
するとどうだろう、薄汚い商人はそれだけで俺を自分らの「同類」と見定めたようで、もみ手をしながら、やれこちらの老人は、老体ながらもよく働きますだとか、こちらの女奴隷は料理上手ですから召使いにうってつけですよ、だとか聞かれてもいない解説を語り出す。
俺はそんな中で、一人の少年に視線がいった。
薄汚れた身体をしているが、その目には強い意志が伺える、傷ついてもなおプライドを失わない、孤高の狼にもにた視(め)をしていた。
「……あの少年は」
俺の問いに、商人は渋い顔でこたえた。
いや、あれはまだ幼いですから人並みの仕事はできません。前の主のところでも、結局は馬があわずにまた、奴隷市場に戻ってきた代物ですから。
そういって暗に「買わないように」話すものだから、俺は逆に興味をもって、男にさらに金を握らせる。
「まったく、おたくさんは物好きですねェ」
男は半ばあきれながらも鎖をひくと、少年を俺の前にひざまづかせた。重々しい鎖の音が響かせた少年は、俺のほうをみて唾をはく。
「誰がオマエの言いなりになんかなるかよ! この変態! 変態! 変態が!」
唾は俺の頬を汚し、奴隷商人は「何をするんだ」とヒステリックな叫びをあげ、鞭を打とうとした。
「別にいいさ」
俺は商人の手をとめ、少年を見据える。
今までよほどひどい扱いをされてきたんだろう。その目は世界のすべてに憎悪を抱いているような光を帯びていた。きっと彼はこれまで心の底から誰かを信頼なんてできなかったのだろう。
出会う大人たちすべてが、自分の事を「道具」としてしかみていなかったのだから。
……その点は、きっと俺も大差ない。
俺は少年のほうへ手をのばせば、少年は条件反射か、頭をかばうような姿勢をのぞかせた。
自分の元に差し出される手はすべて、暴力を与えるものだったのだろう。そんな境遇にあった人間に、よくある反応だ。
俺はなるべく優しく少年の頬をなでてやった。
殴られなかったのがよほど以外だったのだろう。少年はさも驚いたように全身をふるわせて、意外そうに俺の手と顔を眺めていた。
「この少年を買う……いいな?」
俺の言葉に、商人はもみ手をしながらうなづいていた。
商人からすると、跳ねっ返りで粗暴な奴隷が一つ売れて万々歳といったところなのだろう。
すぐに鎖を明け渡したので、俺はその鎖をひき。
「行くぞ」
と少年に声をかける。
少年は戸惑いながらも鎖につながれたまま、俺の後をついて馬車に乗るのだった。
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屋敷に戻った俺が最初にしたのは、風呂を沸かす事だった。この薄汚れた少年を、まず風呂に入れてやりたかったのだ。
とにかく汚れていたから、このまま屋敷を歩き回られる訳にもいくまい。
「服を脱げ」
屋敷に戻った俺は少年にそう促せば、少年は強く俺をにらむ。
「イヤに決まってるだろ!」
少年は、ほかの屋敷から返品された奴隷だと商人はいっていた。あるいはその屋敷で「夜の奉仕」も経験してきたのかもしれない。
少年はほとんどぼろ布といってもよい衣服を握りしめ、頑なに服を脱ぐのを拒む。
だがそれでも、所詮こどもの抵抗だ。
「いいから脱げ」
少し押さえて強引に服を脱がせれようとすれば、少年は驚いた様子で。
「やめろ! 自分で脱ぐから!」
そう言いながら、脱衣所へ逃げ込んだ。
これで、屋敷を歩き回っても大丈夫な程度に汚れは落ちるだろう。
そう思ったのだが、少年は暖かな湯が珍しいのか裸のまま浴室と脱衣所を右往左往しているばかりだった。
「おい、さっさと身体を洗え」
仕方なく風呂に入り、少年を洗うつもりでスポンジを泡立てれば。
「何すんだよアンタ!」
少年は狼狽え身体を隠す。
その体をみて、俺は思わず息をのんだ。
少年の身体には、全身に拷問を受けたような生々しい傷痕があったのだ。
切り傷、刺し傷、火傷……。
あらゆる拷問を受けたというのが一目でわかる痛々しい傷が、筋肉の付き始めた少年が身体の全身に張り付いていたのだ。
……返品を受けた奴隷だと、そう聞いていたがこれは単純に、前の持ち主が「もう傷つける場所がないから」と下げ渡しただけに違いない。
俺の視線に気づいたのだろう。
少年は身体を庇い、目をそらした。
何でこんなに小さな体で、これだけの苦痛を絶えなければいけなかったのだろう。
人はどうして自分より弱い相手に、ここまで残酷に振る舞えるのだろう。
俺は小さな身体に刻み込まれた苦痛を思い、少年を抱きしめていた。
「あっ……」
慈しむような抱擁に、少年の唇から驚きと戸惑い、そして安堵の吐息が漏れた。今までよほど恐ろしい思いをしたのだろう。ただ抱きしめられるだけの優しさも信じられないのか、その体は小刻みにふるえていた。
俺はおびえる少年の額に、触れるだけのキスをする。
「今の……は……?」
驚く少年に俺は穏やかに言った。
「何も心配しなくていい……今日から俺たちは、家族だから……俺は、おまえの主が今までしてきたようなひどい事は、一つだってしないから……」
そして少年の体をタオルで包みこみ。
「……食事の支度をしてくるから、きちんと着替えて風呂からでるんだよ」
優しく、そう言い聞かせた。
風呂からでれば、脱衣所にある鏡は冷たい目をした俺の姿が映す。どこか人を信じる事ができない俺の、冷たい、冷たい目。
きっとこの目が少年を怯えさせるのだろう。
試しに笑顔をつくってみるが、ぎこちない笑顔はともすれば嘲笑にも見える。
……こんなでは、子供がおそれるのも無理はないな。
俺は内心そうつぶやくと、一足先に厨房へと赴き、食事の準備をする事にした。
先代である父が没してから、大半の使用人に暇を与えた。今は掃除も炊事も、一人でやれる事はだいたい俺がやっている。
館が広くて難儀する事もあるが、使用人がうるさく出入りしていた時よりすみごこちはよく思えた。
事前に準備していたローストビーフが焼きあがる頃、風呂から出た少年が現れる。
ワイシャツにサスペンダーのついたに半ズボン、それとハイソックス。
これは、うちの使用人が着用している服だった。
あまりきっちりした服になじめないのか、少年は窮屈そうに服の裾を握りしめていた。
「似合ってるじゃないか」
優しく言ったつもりだが。
「バカにすんじゃねぇよ」
少年はそんな悪態をつくと、頬を赤くしてそっぽ向く。
口では悪態をついているが……最初あった時より幾分か、この家になじんできたのだろう。口で言うほどこの服も、この屋敷も嫌いではないといった様子がにじみ出ていた。
「まぁいい、食事にしよう。こんなものしか準備できなかったが、おまえが家にきたお祝いだ」
そう言いながらローストビーフを切り分ければ、少年はとたんに目を輝かせた。
「うわァっ、本物の肉だ! これっ、全部食べていいのかよ!」
「はは、当然だろう。おまえのためのパーティだからな」
「やったぁ!」
そして少年は、俺が取り分けた肉を手づかみでむしゃぶりつく。よほど嬉しかったのだろう。顔も手も、ソースでぐちゃぐちゃに汚れていた。
「ほら、顔が汚れているだろう」
俺はハンカチをとりだして、少年の頬を拭う。少年はそんな俺の仕草が意外だったのか、暫く俺の方を見ていた。そして困惑したように、こう、言ったのった。
「あんた、どうしてそんなに優しいんだ?」
虐げられるのを当然とした少年にとって、俺の優しさは疑惑でしかないのだろう。最初優しくとも夜ともなれば裏切られ心も体も蹂躙される事すらあったはずだ。
だから俺は、真実を答える事にした。
「似ているんだろうな、俺たちはきっと」
俺はそう言いながらボタンを外し少年の前に胸元を晒す。そこには幼少期に受けた虐待の傷痕が今でも生々しく残っていた。
……幼い頃から俺は「この家の跡取り」である依然に、父の「玩具」だったのだ。
戯れに鞭をうたれ、焼けた串を押しつけられ、ひかき棒で殴られても誰にも助けられる事のない、そんな玩具だDったのだ。
その傷を見て、少年は「ひっ」と息をのむ。そして恐る恐る、俺の身体に残る傷跡に触れた。
「ずっと、俺だけがつらくて苦しくて、いやな事ばっかりされてるって、そう、思っていたけど」
少年の指先は、かすかにふるえている。
「俺だけじゃ、無いんだ……俺だけじゃ……」
少年はそう語ると辛そうに顔を歪め、泣きそうな声で俯いた。あるいは泣いていたのかもしれない。
俺は少年の頭を撫でると同じ傷をもつ少年の震える体を、俺は殆ど無意識に抱きしめていた。
「あっ」
少年の唇から微かな声が漏れ、暖かな室内で違いの体温を感じあう……同じ傷を持ってるからこそわかる安らぎの中、少年は……安心したかのように微笑み俺へとしがみついてきた。
そんな穏やかな時はながれ……夜の帳が静かに降りる。
「んぅ、んっ……うんぅ……」
疲れもあったのだろう。
少年は目をこすり、うとうとしはじめた。
「……今日はもう、休んだほうがいいな」
言うが早いか俺は少年を抱き上げると、そのまま寝室に運んでやる事にした。
微睡む少年の身体を抱き上げれば 「何するんだよ」 少年は抵抗する素振りを見せるが、それも口だけだったのかすぐに瞼を閉じ穏やかに息を吐く。
俺は見た目より軽い少年を抱いたまま寝室のドアを開けた。扉の向こうには質素なベッドの上で一匹の黒猫が丸くなっている。
いつからか住み着いてる猫は、素早くベッドの下へと隠れた。
少年をベッドに横たえれば、彼は俺の袖を引き 「一人にすんなよ」 そう呟く。
まったく、最初はあんなに怖がっていたのに……。
今は何らふつうの子供のようだ。
俺は少年が眠るまで、その手を握ってやることにした。
微睡む少年の手を握れば、彼は安心したように瞼を閉じる。それから程なくして、心地よさそうな寝息をたてはじめた。疲れていたのだろう、すでにぐっすり熟睡している。俺は少年の髪を撫でると、この少年を守り育てる事を改めて誓った。
幼い頃の自分の傷を重ねて……。
……暴力の牢獄からでる事ができなかった自分には、できなかった「少年らしい生き方」を彼に与えられるよう、祈りながら。