>> 白馬の毛
馬岱はいつも、綿毛のように白い装飾を肌身離さず付けていた。
聞く所によると、随分前からつけているらしい。
噂では西涼に居た頃から愛用していたようで、以前はきっともっと白かったのだろうが、今はうっすらと黄色く変色しはじめていた。
馬岱が西涼に居た頃の事を俺は知らない。
そのころはまだ、父が居て家族があって、魏の重臣その息子として何不自由なく暮らしていたからだ。
俺がこれといった苦労も挫折もなく、ただ漠然と父のような戦をしたいと願って安穏とした生活を送っていた頃。
馬岱は彼の慕う「若」と共に、寄る辺ない身として各地を流浪していたのだと言う。
……馬岱は、時々虚空に向かい手を伸ばす事がある。
その時は懐かしそうな。
だがどこか寂しそうな表情を浮かべ儚げに笑いながら誰かの名を呼び続けているのだ。
今の俺には推測する事しかできないが、恐らく共に流浪した「若」という存在が、彼が時たま手を掲げ懐かしそうに慈しむ男の事なのだろう。
「なぁ、馬岱ぃ」
「んっ、どうしたんだい。夏侯覇?」
名を呼べば馬岱はいつも、穏やかな笑顔を俺に向ける。
「隣、座っていいかな?」
「あぁ、いいよぉ。どうぞ、ここ、少し狭いかもしれないけどね!」
甘えるように隣に座れば、自然とその手が俺の肩へと回る。
身体は温かく、胸に耳をつければ胸の鼓動も聞こえてくる。
「……なぁ、馬岱」
それ以上、何も言わず濡れた目を向ければ、俺が何を望んでいるのか言葉がなくても分かるのだろう。
馬岱は穏やかに笑うと、黙って俺と唇を重ねた。
普段なら一度、二度、キスをすれば俺も何となく満足で……。
ただ傍にいて、触れあう事が出来る存在なのだという事を確かめる事が出来れば、俺はそれで満たされていたから、ただそれだけで止めるのだが、今日は違う。
馬岱の中に、誰かの面影が色濃く残っているのはわかっていた。
瞳で俺を捉えているが、心で俺を映していない事も。
だから俺はいつもより激しく唇を舐り、より情欲をそそるよう精一杯の演技をした。
「夏侯覇……いけないよ、そういう事しちゃ、ね?」
馬岱は少し寂しそうに笑い、俺をそう諫める。
けれども身体に拒む様子はなく、俺の帯に手をかけるともどかしそうに外そうとしていた。
馬岱はそう。何時だってそうだ。
笑顔を向ければ笑ってくれる。
手を差し出せば強く、握り返してくれる。
抱きしめれば強く、抱き留めてくれる。
俺の欲しいもの全て、望めばしてくれるのだ。
だけど……。
「なぁ、馬岱……」
身体がまだ火照りも忘れぬまま、互いの体温を確かめるよう寄り添えば、馬岱の指先には俺の手じゃなく綿毛のような装飾が絡まる。
まだ西涼からあった頃より持つもの。
今となっては彼の言う「若」の面影を知る、ただ一つの思い出なのかもしれない。
「ん、どうしたの。夏侯覇?」
彼が俺を見るより先に、俺は手にある綿毛の装飾を指に絡める。
綿毛……と、思ったものはどうやら白馬の毛だったようだ。
手触りは軽く心地よい。
「いやいやいや、コレさ、結構古くなってるみたいだろ……いらないなら、もう捨ててもいいんじゃないかって、思ってさ。どうかな? 俺、もっといいヤツ買ってもいいから……」
馬岱は暫く黙っていたが、やがて無言で首を振り俺からそれを取り戻す。
その行動は、アイツの中に捨てられない思いがある事。それが俺では代用出来ない程大きい事を指し示していた。
……だけど何故、そんなモノに拘るんだ馬岱。
西涼が忘れられないから?
彼が死んだ事を認められないから?
彼の思い出を、繋いでおきたいから?
「……夏侯覇、もっと傍にきてよ。俺、一人じゃ寒いからさ」
馬岱は誤魔化すような笑顔を浮かべて、俺の身体を抱き留める。
求めているのは、俺の身体?
それとも……。
わからないまま、素直に身を委ねる。
馬岱の指先には、白馬の毛をあしらった装飾が絡まるように付けられていた。