>>安らげる場所(ところ)





 どうやらワシの勝ちのようじゃな。

 巨大な剣が大地を貫く鈍い音と同時に、低い男の声が響く。
 逆光になっている為表情は見えぬが、白い歯が僅かにのぞいて見える事から恐らく笑っているのだろう。


 「ふん……貴様程度に遅れをとるとは、私もまだまだ甘いな」


 女媧は涼しい表情のまま、剣を一振りしてその露を祓う。

 女媧、という女は仙界の住人である。
 女性ではあるが自ら剣を振るい、悪鬼が跋扈する荒野へ赴いては乱を鎮圧し、また強大な力が蠢いたと聞けば自ら率先して指揮を執る。

 自ら率先して陣頭指揮をとる女性というのは仙界でも珍しかったが、女媧にとって混乱は穢れ。
 穢れが長く地上に留まっている事は不愉快極まりなかった故に、彼女はひたすら強くなっていった。

 どんな穢れにもうち勝つ為に。

 故に、戦で遅れをとる事はないと思っていた。
 例え仙界の住人であっても、自分と同等かそれより上を行く輩が早々居ないともだ。

 だがその日。
 木偶人形相手の訓練において、眼前の男は女媧より遙かに高い勲功をあげてみせたのだ。


 「いや、流石の動きじゃったぞ。ワシももう少し油断しとったら、危ない所じゃったわ!」


 眼前の男はその巨躯を揺らし、豪快な笑い声をあげる。

 男の名は伏犠という。
 女媧と同様、戦のニオイを嗅ぎつければ何処ともなく現れ、身の丈ほどある巨大な剣をふるっては道を切り開く勇猛な戦士だ。

 だが、女媧は専ら草原で。あるいは日向で。あるいは木陰で。
 静かな場所を探しては、横になって眠る姿ばかり見せるだらしのない男という印象を抱いていた。

 戦では勇猛であるが、女媧ほど目立って活躍はしない。
 むしろ後手にまわり、支援を行う事が多いという印象だったのだが……。

 風を斬るように、あるいは流れるように繰り出される今日の動きは、戦場で多くの獣を、戦士を見てきた女媧も思わず目を留める一種の美しさがあった。

 故に、戸惑う。
 どうしてこの男は、これほどまで活躍できるのに、普段は自分の支援に回るのだろうか。

 そして、どうして普段は隠していた牙を、今日は見せる気になったのだろうか……。


 「さ、てと……約束じゃぞ、女媧」


 切り株に腰掛け呼吸を整える女媧の顔を、伏犠がのぞき込む。

 やや浅黒い肌は、普段から日の下に好んでいるからだろう。
 僅かに伸ばした髭は一見伸びっぱなしにしている風だが、これでも手入れはしているらしい。
 にかっと笑う唇からは白い歯がのぞいた。


 「約束……何の事だ」


 伏犠に言われ、女媧はこの模擬戦その前の会話を思い出す。
 そう、確か彼は戦う前、何か自分と約束をしたはずだった。


 『お前が負けたら……するんじゃぞ、約束したからな!』


 自分が負ける訳がないと思って気にもとめず了承したが、さて何と言われたのか……。


 「やっぱり忘れておったか! まぁいいわ、約束は約束じゃからな……ほれ」


 と、伏犠は女媧の隣に腰掛けるとぽん、と軽く膝を叩く。


 「何の真似だ……?」
 「だから、約束じゃ。忘れたとはいえ、違えるのは許さぬぞ……この戦い、ワシが勝ったら半時ほど、ワシの膝の上に座って過ごす、とな……」

 「な、何だと!」


 伏犠に告げられ、女媧はようやくその約束を思い出す。
 そうだ、自分は確かにその約束をした。負けるはずはないと気にとめなかったが、確かにした。

 膝に座るくらいなら訳もないとも思ったのだが……。


 「ふ、ふざけるな。しれものがっ! そんな恥ずかしい真似……」
 「約束を違えるのは潔くないと思うがのぉ。そういう所作は、恥ずかしい事ではないというのか。女媧?」

 「むっ、ぅ……うむぅ……」


 戦場で指揮をとる時は、思慮を廻らせ策謀を用いる事もある女媧だが、それでも約束を違える事は武人の恥であるという事はよく心得ていた。

 それに、膝に座るくらいの事だ。
 それもたかだか半時、幾千の歳を紡いできた自分にとっては瞬きをする程度の時間だ。

 耐えられぬ余興ではない。


 「……仕方ない、膝を貸せ。伏犠」
 「よし、流石肝の据わった女じゃのぉ、女媧は! ……ほれ、好きな場所に座れ」

 「……では」


 女媧は少し戸惑いながら、あぐらをかいた伏犠の足、その中央付近に小さく腰をかける。

 肌が近く、温かい。
 幾千年の時をも生きる仙界のもの達は、刹那を生きる人の子らとは違う身体を持つが、寄り添えば温かいのは命あるもの達と同様である。

 伏犠の、滾るような熱い血がいま傍らにある……。
 ただそれだけの事で、女媧の胸も何故かそよ風に揺られる木々のようざわつきはじめた。


 (何だ、私とした事が。どうしたというのだ……)


 頬が紅潮するのが、自分でもわかる。
 何故だろう、伏犠が傍にいる、ただそれだけでどうしてこんなに動揺するのだ。
 このような事、戦場でもなかったのだが……。


 「何じゃ、女媧。俯いて……照れておるのか?」


 照れている。
 そう、恐らく自分は照れているのだ。

 伏犠とこうした時間をともにする、この穏やかな時間が心地よいがくすぐったくて、このくすぐったい心の行き場がわからないから。


 「な、な、何をいうか、無礼なヤツめ……何故、私が貴様を前に照れたりなどせねばならぬのだ!?」


 だが自分の気持ちを認める事を、何故かしてはいけない気がして、女媧は必死に否定する。


 「はは、やはり照れておるのじゃな。顔に出ておるぞ?」
 「なっ……私は冷静だ。顔になど……」

 「表情には出ておらぬが、耳が赤ぅなっておる……お前は昔から恥ずかしがると耳まで赤くするヤツじゃったからのぉ!」

 「違う、これは……」
 「いいではないか、そういう所が、可愛いぞ。女媧……」


 伏犠の大きな手が、女媧の髪に触れる。
 二度、三度、大きな手は彼女の頭を撫でるその仕草はまるで子供をあやすような所作だ。

 普段の自分であればこんな扱いをされたのなら不愉快きわまりなかったのだろうが、不思議と伏犠の手は温かく、気恥ずかしい気持ちも薄らいでいく……。


 「女媧さま、それに……伏犠さまですか?」


 その時、不意に聞き覚えのある声がした。
 振り返れば榊の枝を手に、凛とした姿で立つ柔和な少女の笑顔がある。

 彼女の名はかぐや。
 仙界でも特殊な能力を……時をも越える力をもつ少女だ。


 「か、かぐや……」


 見られてはいけない姿を見せた。
 とっさにそう思い構える女媧とは対照的に、伏犠は普段と変わらぬ様子で腹から声をあげ笑うと彼女に手を振った。


 「おお、かぐやか! どうした、お主がここまで来るのは、珍しいのぉ!」
 「いえ、所用にてこの地に伺いますれば、遠方に人影が見えたものですので、何事かと思いまして歩みよりし所、お二方が……」


 鈴のように澄んだ声で語ると、かぐやは女媧の方へと一礼する。


 「ち、違うんだかぐや。これは、その、伏犠がな」
 「女媧様、伏犠様と仲睦まじい様子……」

 「だ、だから違う! 私は……」
 「……お似合いでらっしゃいますよ」


 かぐやはそこで一礼すると、鈴の音を鳴らしながら来た道をゆっくり戻っていった。

 お似合い等といって、何か誤解をしたのだろうか。
 それともこの滑稽な自分の姿を皮肉ったのか……。

 いや、かぐやはそのような皮肉が言える娘ではない。
 純粋に、心の底からそう思い、そう語ったのだろう。

 だとすると、自分と伏犠は彼女にどのように映ったのだろうか。
 ただの戦友以外に、どのように……。


 「はは、ワシらは似合いの夫婦に見えるようじゃの!」


 かぐやの言葉に乗るように、伏犠は笑いながら茶化したように言う。

 女媧と伏犠。
 自分たちの名を持つ神を、夫婦として崇める信仰が人の子らの間にはあるらしい。


 「……そのような物言いは辞めろと言ってるだろう。私はお前のような男、御免だ」
 「おお、手厳しいのぉ。じゃが……」


 伏犠はそこで、女媧を抱き寄せるとその耳元で静かに囁く。


 「……息抜き出来る相手、というのも居るのは悪くないぞ。たまにはこうして、ワシの腕の中で休むのも悪くなかろう?」


 彼に言われて、振り返る。
 自分は、強さばかりふるい意地をはってばかりいるのではないか。

 知らぬうちに壁をつくり、楽に話せる相手がどんどん居なくなってきているのではないか。
 こうして安らげる場所を作ろうとしてくれる馬鹿な男が、他に居るのだろうか……。


 「そうだ、な」


 女媧は少し背伸びをするの、身体を伏犠の胸へと委ねる。


 「悪くないかもしれぬ。だから……今日はお前の気の済むまで、この罰。受けてやるとしよう」


 互いの指が、自然と絡まる。
 それは仙界の片隅、木漏れ日が温かい、静かな森での出来事だった。





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