>> 決戦前夜




 先の見えぬ戦乱の世が、今日もまた続いていた。


 「……作戦は以上だ! 決行は明朝、皆、今は休み英気を養え!」


 呂蒙の声は獣が咆吼の如く、室内を揺らす。
 戦を間際に控え、皆気持ちが高ぶっているのだろう。

 普段は慌ただしく右往左往する兵士たちも、今日は無言で立ちすくんでいる。

 どの兵たちも表情が乏しい。
 無理もないだろう。明日の戦は大きな衝突となる。

 今日、隣にいるモノが、明日にまた会えると限らないのだ。


 「しかしまぁ……ちょっと、皆気張りすぎじゃないかねぇ」


 そんな兵たちを、凌統は溜め息混じりで眺めていた。

 どの顔を見ても、表情は硬く険しい。
 幽鬼のように立ちつくす兵の姿さえある。

 ……以前、数多の兵を率いた戦でも手痛い負け戦となった記憶もあるからだろう。
 すでに兵の数で優劣を捉える兵は誰もいなかった。

 明日の戦は数こそ勝っているが、どの兵も必ず勝てるとは思っていないのだろう。
 地の利は向こうにある。

 伏兵、奇襲、あるいは夜襲も考えられる。

 それに、敵将には以前ただ一騎で戦況をもかえた張遼の姿もあるという。
 一筋縄ではいかないはずだ。


 「おい、野郎ども! 戦の前だ、派手に飲もうぜ!」


 何処からか甘寧の声が聞こえた。
 いつもと変わらぬふざけた調子で、笑いながら仲間を引き連れている。

 決戦を前に暢気なものだ。
 だが、アレもまたあの男なりの、緊張の解し方なのだろう。

 あいつの事はいけ好かないが、あのやり方で救われる兵も多いようだ。
 堅苦しい表情の兵が多いなか、甘寧の周囲には自然と笑顔が集まっていた。


 「……いけないねぇ、俺も切り替えないと」


 凌統は自分の頭を掻くと、自室に戻る為、廊下へと足を向ける。
 地の利は向こう、自分の兵が組まれた場所から、果たしてどう詰める……。


 「凌統殿」


 ……自分は決して多く兵を率いてはいない。
 だが少ない兵なら、少ない兵なりに出来る事は多い。

 地の利は向こうにある、それは相手も把握している事実だ。
 そこを付いて逆に伏兵、奇襲をしかけてみるか。

 あるいは……。


 「凌統殿」


 ……呂蒙の作戦では兵糧庫の道まで内密に動き、朱然が火をかける手はずになっていたはずだ。

 だがもしその作戦に敵が気付いていたら。
 情報も何処まで正しいかわからない。

 兵糧庫だと思っていた道に、伏兵が潜んでいたら……。


 「もう、凌統殿……」


 その時、凌統の唇にふいに柔らかな羽が触れる。

 ……いや、それは羽ではない。
 唇だ。

 それに気付いたのは、目の前で恥ずかしそうに赤くなる陸遜の姿を認識した時だった。


 「……もう、凌統殿。隙だらけですよ」


 唇をなぞりながら陸遜が微笑む。
 気付いたら部屋には、自分と陸遜しか居なくなっていた。

 他の兵たちは各々休んでいるか、酒宴で気を紛らわせているのだろう。
 あれこれ考えているうちに、すっかり置いて行かれたのか……。


 「一人っきりで部屋にいるから、どうしたのかと思いました」


 手を握るのは恥ずかしいのか、彼は凌統の袖を握る。


 「……また、戦の事。考えてたんじゃないですか?」


 袖を握りながら並んで歩く、陸遜は確信をついた言葉を漏らすので、自然と苦笑いになっていた。


 「いやぁ……別に、ただ少しぼーっとしてただけだよ」
 「嘘ばっかり……ボーっとしているだけなら、普段の貴方が私に気付かないなんておかしいですよ」

 「そうかねぇ……」
 「そうです。全く、貴方は……」


 その時、陸遜が不意に手を握る。
 強く握った手から、ぬくもりが伝わった。


 「貴方は、考えすぎなんです。人のこと、戦の事、国の事、殿の事……色々な事を考えて、背負いすぎてしまうから、だから……」
 「陸遜……おい、陸遜」

 「……考える事は、私や呂蒙殿がやります。貴方に、国に、殿に、危険がないように。戦に勝てるように、精一杯考えますから、凌統殿は安心して下さい。そんな、背負いすぎてしまうと貴方が……」


 壊れてしまいそうで怖いから。
 陸遜は何も言わなかったが、だがその言葉を飲み込んだのは分かる。


 『凌統殿はお仲間をよく思っているのですね』


 陸遜はよく、自分をそうやって誉めた。
 だが誉めた後、悲しそうな顔をするのだ。


 『……でも、背負いすぎないでください。貴方が全てを背負いすぎて、いつか倒れてしまわないか。壊れてしまわないか……私は、そればかりが心配です……』


 凌統はそれを聞いていつも、こう思うのだ。
 人の事言えないだろうと。自分だって、色々背負いすぎているだろうと。

 だが……。


 「あぁ、だったら安心だな」


 凌統は穏やかに笑うと、その手を握り返す。


 「……アンタが俺の背中をその知恵で守ってくれるんだろう」
 「凌統殿……」

 「だったらもう、怖いもんなんてないよ。な、陸遜……俺は、戦場でアンタの手となり前線を守る。だから、背中は任せたぜ」


 背負いすぎるもの同士なら、お互いの荷物を分け合えばいい。
 自分は前線の重荷を。陸遜は責任の負荷を。

 互いに重すぎるモノだけれども、この相手なら分け合えるから。


 「……はい、お任せ下さい、凌統殿」


 固く手を繋ぎ、二人は自然と笑顔になる。

 決戦前夜。
 二人の夜は静かに過ぎていた。





 <何と白い陸遜。 (戻るよ)>