>> 遠い食卓
その日も、突然訪れた俺を馬岱は笑顔で出迎えてくれた。
「やぁ、夏侯覇。いらっしゃーい。元気だったかい。ちょうど、朝ご飯が出来てるんだよ。良かったら、食べていってよね?」
そして俺の返事も聞かずに手を取ると、半ば強引に部屋へ引きずり込んで食卓に座らせる。
「はい、どーぞ。出来たばっかりだから、まだ暖かいと思うよ?」
食事するつもりはなかったのだと困惑しているうちに、暖かな汁が目の前に置かれる。
馬岱の言う通り、まだ出来たばかりなのだろう。椀からは湯気がたっていた。
近くまで来たから、顔だけみればそれでいいと思って立ち寄っただけなのだが……。
「いやいやいやいや、いくら俺でも、突然来た上に飯までご馳走になっちゃ、流石にまずいっしょ。だいたい、コレ俺が食べたら、アンタのぶんの飯はどうなるんだよ。なぁ、馬岱?」
「俺の朝ご飯かい?」
「そ、どうせお人好しのアンタの事だから……自分が食べる飯を我慢して、俺に振る舞ってるんじゃないの?」
冗談めかして聞いているが、根が真面目でお人好しの馬岱の事だ。
急な来客の為に一食抜くくらい、充分に考えられる。
「あはは、いくら俺でもそこまでお人好しじゃないよー……作りすぎちゃったからさ、余ったぶんを、出しただけだって」
「作りすぎただけ……か。まぁ、だったらもらうけどさ……」
「そうそう、作りすぎただけだって! だから、いっぱい食べてよね!」
勧められるがままに汁をすすれば、身体の中まで暖まると同時にある事実に気付かされる。
そういえば、馬岱の家は朝でも、昼でも、夜でも。
食事時を過ぎた頃に赴けばいつだって、こうして食事が余ったからと振る舞っていた気がするが……。
「……俺ね、いっつも、朝ごはんつくりすぎちゃうんだよね」
食事を終えて空になった器を下げながら、馬岱は静かに笑う。
「もう、一人しかいないっての。頭の中では分かってるのにさぁ……いつだって、一人分多くご飯作っちゃうんだよ……何でだろう、ねぇ?」
力無くもれた言葉とともに見せた顔は、口角があがり笑っている風に見える。
だが、その瞳は今にも泣き出しそうな程に濡れて、振り返った背中には強い孤独が潜んでいた。
馬岱はいつも多く、作ってしまうといった。
……忘れられないのだろう、ここにはもう居ない誰かの事を。
彼との思い出があまりにも、大切すぎたから。
彼との食事がいつも、楽しかったから。
だから無意識に望んでしまうのだろう、彼の言う「若」が、この食卓に戻ってくる事を。
「いやいやいやいや、そんな飯つくりすぎるとか。普通、無いっしょ……」
口に出して言うが、馬岱ならと思う。
馬岱なら彼の影にいつも、いつでも……いつまでも、暖かな食事を作り続けるのだろうと。
思い出はあまりに綺麗すぎるから、それ故に何よりも鋭利な武器となり今でも馬岱を縛り続けていた。
「そうだよねぇ……俺さ。変だよねぇ?」
力無く笑う馬岱との距離は、机一つ隔てた程度。
手を伸ばせば彼の頬にも触れる事の出来る程度の距離だが今は、眼前に深い谷があるように思える。
その谷はもう、一生歩き続けても越える事が出来ないのやもしれない。
だけど。
「変だっての……でもさ、馬岱。もし……もし、ホントに作り過ぎるんだったら……仕方ない。俺がその飯くってやるって」
馬岱に、本当の笑顔を諦めてほしくはないから、俺は精一杯言葉を絞り出す。
「作りすぎると勿体ないっしょ。だったら、俺……余ってる飯、喰いに来るから……また、一緒に飯でも喰おうぜ。俺……また、来るから……」
どうすれば彼の心に潜む影とともに、笑えるのか。
ただそれだけを考えながら出した言葉は、少しばかり俺らしくない言葉だったと思うけれども。
「夏侯覇……」
微かに笑う馬岱の笑顔はまだ何処かぎこちなく、強張っているようにも見える。
「……じゃ、今度は夏侯覇の為に作っちゃおうかな?」
だが、何処か暖かく子供っぽく笑ってみせると、俺の頭をくしゃりと撫でた。
「……一杯食べてよね、夏侯覇?」
頭を撫でられるのは子供のように扱われている気がするから、普段は嬉しくないのだが、笑顔の馬岱が差し出す腕は大きくて暖かい。
「いやいやいや、一杯は食べられないっしょ。でも、まぁ……いっちょ、頑張ってみますか。ってね?」
その笑顔にこたえるように、俺も精一杯笑いながら祈っていた。
いつかまた馬岱がまた、誰かの隣で。心からの笑顔を浮かべる日が、来る事を。